58 「じゃあ教えてやろう。よく聞けよ」(完)



「ユユラングへ。事情は分かった。本来なら言い訳にならぬ問題だが、今回は事情が違う。私は貴殿から大切なものを取り上げたクオナ伯を許すことは出来ないだろう。クオナ伯は近い内にこちらに引き取らせて貰う」


 リリヤも覗き込んでいるらしく、アレックスとは逆隣にいるのが分かった。

 ラウルはどうやら裁かれるようだ。

 それも望んでいたことなので、胸の中で小さくやったと呟く。


「また、貴殿が望んでいた税の免除も、特別に今年分は許可する。来年からはセオドア・ユユラングを当主とし、税を届けに来ることを再開するよう」


 労いの言葉も何もない簡素な文面だったが、何が言いたいかはよく理解できた。

 ユユラングは、無事に生き残れたのだ。バネ人形のようにリリヤに顔を向ける。

 赤色の瞳の端にはあっという間に涙が溜まっていく。そして安心したように微笑んだ。


「……良かった……本当に良かったな……お前はよく頑張った……」


 溜まった涙はやがて、頬を伝う物に変わっていく。

 この幽霊が泣いていると、自分も泣きたくなってしまう。一度鼻を啜ると、子犬に飛び付かれるような勢いで背中を軽く叩かれた。


「なに泣いてるんですか、もう……っ」


 そう言うアレックスの目にも涙が溜まっていた。


「俺、みんなに知らせてきます! 姉さんとか、凄く喜んでくれますよ! 絶対!」


 段々と感極まってきたのか、目を擦りながらアレックスは言い、こちらが制止する暇もなく中庭へと走っていった。


「あ……」


 どこか呆気に取られながら小さくなっていく後ろ姿を見送る。

 アレックスが城内を走り回っているのは、父が存命だった頃はよく見られていた光景だ。久しぶりにそれを見れたのが嬉しくて笑い声を漏らす。


「泣いたり笑ったりあんたも忙しいな」


 少し離れた場所にいた門番の少年に声をかけられ、はっとして顔をそちらに向ける。

 門の脇には槍を抱えて立っている落ち着き払ったジャックがいた。


「嬉しいからね。君は嬉しくないの?」


 その表情が少しつまらなくて、嬉しいと言わせたくて尋ねる。


「……妹達が野垂れ死ななくて済んだのはまあ嬉しいけど」


 仕方なさそうに呟いた少年の口元が、微かに綻んでいたのを見て笑みを深める。何だかんだ言ってこの澄ました門番も喜んでいるらしい。


「なあ、報酬なんだけど」


 続けて尋ねてくる。ジャックを脅した際、後払いになるけど、と報酬の話をしている。成功したら、と約束をしていたのだ。


「約束だからね、もちろん払うよ。いくら欲しい?」


 気が抜けたこともあり、王のようなことを口にする。

 すぐに返事があるかと思っていたらそんなことはなかった。少し考えるような間があった後、少年はいつになく窺うような声で聞いてきた。


「金は要らないから、宴を開いてくんない?」

「宴? なんで?」


 予想もしていなかった単語に驚いた。


「普段退屈なところに住んでるからな、俺の村の連中は宴が好きなんだよ。勿論、妹達もな」


 ふもとの村に住んでいる少年は、うんざりしたように続ける。


「領の中心部で流行ることなんざお上品なことばかり。宴ならそういうの関係ないだろ? 洒落てるもん食べられるし」


 ジャックの言葉はたしかにその通りだ。酒の席で身分だ地域性だとかをうるさく言う人は貴族くらいだ。

 ただ、いくら税を一年待って貰えるとはいえ、ユユラングにそんな金があるだろうか。


「私も賛成だ! 賑やかなところは嫌いじゃない、宴をやろう。金なら纏めた遺品を売れば作れる。な? な?」


 隣からおひねりをねだるような少女の声が聞こえてくる。

 ちらりと隣を見ると、期待に満ちた赤色の瞳が自分を見上げていた。

 父達の遺品を売れば、領民を集めた宴なら開けるだろう。そういう理由で遺品を手放すのなら、父も兄も亡くなった人も怒らないはずだ。

 それに自分が当主としてユユラングに就く区切りはつけておきたい。


「……分かったよ」


 その目に負ける形で頷くと、少女もジャックも喜び同じように拍手をしてくる。

 頷いた以上やらないといけない。当分の間、きっと忙しくなるだろう。

 拍手音に隠れるようにばたばたとアレックスが戻ってくる。笑顔を浮かべるアレックスは門番が拍手をしているのを見て首を傾げた。


「みんな喜んでましたよーって、なに拍手してんの?」

「宴を開いてくれるって」

「うた……本当ですか!?」


 向日葵でも咲いたかのように乳母兄弟は表情を明るくさせた。住み込みの従者も存外娯楽に餓えているようだ。

 そんな表情をされて断れるわけはない。


「うん。僕の就任式ってことでね」

 こんなに喜んでくれていることが、嬉しくも恥ずかしい。


「やった! 美味しい物食べられる!」


 気恥ずかしくて頬を掻いていると、目の前で浮ついた笑みを浮かべた二人の少年が嬉々として会話を繰り広げていた。どうやら証拠固めで一緒に動いていた間に二人は友達になったらしい。


「アレックスなに食べたいよ。今のうちに言っときゃ聞いて貰えるぞ」

「やっぱり肉だよな。あ、俺馬刺しがいいなー」


 御者の少年は夢でも見てるかのように頬を緩め、こちらに聞こえるように言ってくる。

 告げられた食材にピクリと眉を寄せる。まさかこの少年が馬刺しを食べたがるとは思っていなかった。


「……お前馬食べられるのか?」


 僅かに口元を引き攣らせながら口を挟む。

 アレックスは満面の笑みを浮かべ、先程まで使者の馬を撫でていた手で被っていた帽子の位置を調整する。


「俺、馬ならなんでも好きですから」



「ではみんなに伝えておきますね。音楽が聴けるの、楽しみです」


 就任式、という単語を聞いたアニーが嬉しさを噛み殺したような笑顔を浮かべ、部屋から出て行った。

 それからは宴の準備に追われ、なかなかに忙しい毎日だった。勉強になるだろうから、と一から十まで中心になって動いたせいだろう。

 整理した物を少しずつ売り払い、不吉ではない開催日を決め、開催を知らせる触れ込みを領中に伝える。料理の内容を料理長と相談し、旅の踊り子に出演を打診し、ユユラングの楽団に声をかける。

 準備は思っていた以上に目を回す物だった。寝る時間がなかなか取れなくて、疲れて投げ出してしまいたくなったが、開催日の晴天を祈る人々を見ると、休んでいる暇はなかった。


 開催当日は、祈りが通じて晴れになった。

 城門前の広場に集まった人々はみんなが笑顔で、振る舞われた酒に舌鼓を打っている

 十二代目の当主になる身として、広場の脇にある館のテラスからよろしくお願いします、と声をかけた。

 視線の先にはジャックと妹らしい少女が五人見えた。彼らが笑顔なのが、ただただ嬉しい。

 ジャックだけではない。自分をクオナに売ろうとしていた集まっていた人達もみんな笑顔だ。

 興奮と熱気に沸く酒の回った広場に押されるように室内に戻ったセオドアは、人のいない部屋の壁にもたれ掛かってはあと盛大にため息をついた。

 本来なら近くにいてくれているだろう二人も、今は宴を楽しんで欲しいから、と下げている。


「お疲れ様」


 正面に立ったリリヤに労いの言葉をかけられ、素直に頷いた。


「うん、本当に疲れた」


 素直に答えたからか少女がくすくすとおかしそうに笑う。


「お前が当主になる日が来るとはなぁ」

「ね。……君には苦労をかけるよ」


 楽しそうな少女を映し、思いを吐き出した。

 出会った頃は当主になどなる気のなかった自分だ。リリヤもそんな自分をどう変えるかさぞ悩んだだろう。


「まっったくだ」


 あらん限りの感情を注ぎ込んだ声で頷いたリリヤは、しばらくして顔を上げこちらを向いた。そしてどこかうんざりと、声を弾ませながら続けてくる。

「まぁ支えがいはあるけどな」


 はっきりとリリヤは続け、仕方ないとばかりに肩を竦める。

 そして、今までずっと聞かずにいたことを尋ねた。今なら聞いても平気だと思えた。それに聞くべきだと思った。


「ねえリリヤ。……父上の最後の言葉ってなんだったの?」


 自分の口からこの言葉が出たからか、少女は自分の耳を疑っているかのように一度瞬いた。


「聞きたくなかったんじゃないのか?」

「あの時はね」


 微かに目を見張っているリリヤに気付き、頬を掻く。


「でも今は聞きたいし、聞くべきだと思うから……教えてよ」


 まっすぐ赤色の瞳を見ながら言うと、フードに半分隠れた柳眉がふふっとおかしそうに曲線を描いた。


「じゃあ教えてやろう。よく聞けよ」


 頷いて目の前の幽霊に視線を向ける。


「セオドアを頼んだぞ、リリヤ。だ」


 一言一句間違えぬようにゆっくりと口にした少女の言葉は、思っていた通り自分に関することだった。

 自分とこの幽霊を信用した重たい言葉だと思う。その言葉を心に刻み、笑みを浮かべた。

 今更この言葉に言及するのは、遅いように思えた。

 その代わり、違うことを思う。

 何だかんだ言いながらいつも傍で支えてくれるこの幽霊とは、これからも一緒にいたい。自分が領主になることを決められたのは、この幽霊がいたからだ。

 そう思い、握手を求めるように少女に手を差し出した。


「……改めてよろしく、リリヤ」


 一瞬きょとんとした顔で自分の手を見たリリヤは、すぐに鼻を鳴らして手を重ねてくる。

 自分はまだまだ子供だ。

 だけど、この幽霊と一緒なら今回のようにまた乗り越えていけるだろう。


「ふん、当たり前だ。これからも、お前の傍に付いててやる」


 色白いその手は感触がないが、たしかにリリヤの物だ。


「よろしくな。改めてセオドア・ユユラングの幽霊になってやろう」


 どこか大仰に言って白髪の少女は笑みを浮かべる。手に力を込めるように指先を動かした。

 夜が明るい夏のユユラングでは、フードを被っていようとその笑みがよく見える。

 それは雪解けを迎えた春のように穏やかで、つられて自分も笑ってしまった。

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ユユラングの幽霊 上津英 @kodukodu

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