終章 ユユラングの幽霊

57 「お前もようやく礼が言えるようになったか」

終章 ユユラングの幽霊


 それからは慌ただしかった。

 現行犯となった伯爵は城の地下牢に入れられ、セルゲイの死体を丁重に葬った。

 クオナはまだ潰れていないというのに、エレオノーラの姿はどこにも見えない。どこかで一人消えるつもりなんだろう、とリリヤが置いてきぼりにされた子供のような声で言ったのが印象的だった。

 アレックス達が見つけ出した、あの船の間者が出航前に家族に宛てた手紙も手に入った。アニーもラウルが着ていた皮のシャツを仕立てたという職人の娘から話を聞けたという。

 地下牢にいるラウルは何も語ろうとしないため、これは人間にも分かる確かな証拠だ。

 喉の調子が戻らぬ状況のまま、それを元に王に手紙を書いた。


 父と兄が命を奪われその息子もまた殺されそうになったこと、その際人が殺されたこと、一連の犯人が牢屋にいること、証拠があること、叶うなら税を免除してほしいこと。

 このような状況なので直接窺いに行けない非礼を詫びた文を添え、割り符代わりの手形を押した封筒を持たせた早馬を、王都に送り出す。

 陸路だとユユラングから王都まで五日かかるため、税を出さねばいけない期限ぎりぎりだ。

 返事を待っている間、リリヤは大人しかった。以前はよく歌っていた歌を口ずさむこともない。その横顔は友人を失い窓の外をただ眺めている少女の物だった。

 自分は自分で、肩を揉むような力で胃を揉まれている気がしてならず、苦しかった。


 王に早馬を出してから三日が過ぎた時だった。

 寝台のシーツを取り替えに来たアニーが、ぽつりぽつりと唇を動かした。


「今地下牢にいるラウル様なのですが」

「ん?」


 突然声をかけられたこともあり、聞き返すように反応する。

 顔を寝台に向けると、交換を済ませたらしいアニーがそこに立っていた。セルゲイの分まで働いているからか、普段しない仕事までしている。

 アニーは嫌な表情一つ見せずにもう一度唇を動かした。


「ラウル様なのですが、私昼にお食事を届けに行ったんです。その際、どうしてレイモンド様達を苦しめたのか話してくださいました。誰かに聞いて欲しかったんでしょうね」


 その言葉に微かに目を見張る。今まで口を閉ざしていたラウルが、どうやら口を開いたらしい。


「……なんだって?」

「みんなが噂していた通りでした。ユユラングはクオナよりも領土が大きく、資源も豊富です。港だってありますし、城もあります。クオナの一族はみなそれをつまらなく思っていましたが、思うだけでした。ですが、ラウル様は違いました」


 椅子の向きを僅かに寝台に向け、アニーの話に耳を傾ける。

 本人も言っていたが、ラウルはユユラングが憎かったのだろう。そしてその憎しみは自分達ユユラング家に向いたのだ。


「レイモンド様と同じ年に産まれたラウル様は、事あるごとにレイモンド様と比べられたそうです。剣の稽古も、女性も、身長だってレイモンド様に勝てなかったそうです」


 女性というのはリリヤのことだろうか、父が結婚していたことだろうか。

 いや、と思い直した。姫や公爵令嬢を望まなければ、伯爵なら容易に結婚が出来る。おそらくリリヤのことだろう。

 窓際にいる幽霊が、どうにかしてここの部分だけ聞き逃してしまうことを祈った。


「あの人は僕が見ても分かるくらい父上を嫌っていたよ。よっぽどのことが無ければ、ユユラングには来なかった」


 自然と苦笑いを浮かべながら返す。


「ラウル様にとってユユラングは、雪の日の靴くらい鬱陶しい存在だったそうです。いつからか殺意に変わったその思いに、実行の機会が訪れました。それがレイモンド様とシモン様が船に乗って税を届けに行くことでした」

「……僕だけが残ったユユラングはさぞ仕掛けやすかったろうね」


 当時エレオノーラが揺さぶりに来たことを思い出す。

 あの時はまだエレオノーラもラウルに協力していたように見えた。それなのに、人の気持ちはこちらの行い一つで簡単に変わるのだろう。

 自分の言葉にアニーが遠慮がちに頷く。


「ラウル様もそう思われたようです。だからこうなるとは思っていなかったようで……」

 独り言のように言い、女中は胸のシーツを抱え直す。


「あ、こんな話をして申し訳ありません。そろそろ失礼致します、やることがまだあるんでした」


 金髪の女中は表情を隠すようにシーツを頬に寄せ、扉へ向かう。

 慌ただしい後ろ姿を見送ろうとして、エレオノーラを蔑ろにしたラウルが今どこにいるかを思い出した。


「‥‥アニー。なんか僕が手伝えることはある? 落ち着かないんだ、何かやらせてくれないかな」


 いつも扉の前にいる御者は今、厩舎で馬の毛並みを整えている。

 女中の代わりに扉を開けながら尋ねると、湖色の瞳が月のように丸くなった。


「いいんですか? では私の代わりに中庭のキャベツに水をあげといて頂けますか」


 驚きながらもちゃっかり指示をされ、肩を揺らす。


「それくらいいいよ。……弟は僕が気を遣ったりすると遠慮するんだけど、姉はしないんだね」

「一応私年上なので」


 ふふ、と笑い廊下に出た幼馴染みが、ドレスの裾を持ち上げるようにシーツを若干持ち上げる。

 こういう時のアニーは、同じ寝台で共に昼寝をしていた頃の表情を浮かべる。


「そういえばそうでした。年下のためにいつも有り難うございます」


 冗談の中に普段の感謝を込めて返すと、女中は一瞬驚いたような表情を浮かべ、霧の中で知り合いと会ったかのようにしげしげとこちらを見つめてくる。


「……今日のセオドア様は変なセオドア様ですね。でも気を遣って頂いて嬉しいです。こちらこそ有り難うございます」


 幼馴染みは目元を嬉しそうに和らげ、改まって一礼し階段に向かっていく。


「お前もようやく礼が言えるようになったか」

「っ!!」


 間を置かずに耳を擽ったのは、白髪の少女の声だった。

 突然のことに上がりそうになる声を寸でのところで抑え、知らない内に傍に来ていた幽霊を睨みつける。

 早々と自分を追い抜く少女の声は弾んでいて、昨日まで見られていた落ち込んだ表情はなかった。どうやら気持ちを切り替えたようだ。

 そのことを喜んでいると、自分が思っていることを理解したらしい少女が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 そして体毎こちらを向き、初めて会った時を思わせる程不遜な態度で言ってくる。


「ふん。いつまでも落ち込んでいる私ではない」


 そう言い、少女は頬を膨らませて廊下を歩いていく。

 アニーが反対側の廊下をまだ歩いている中、大股で幽霊の背中を追い小声で囁いた。


「よかった。このまま元気が無かったらどうしよう、って心配したよ」

「生意気を」


 魚の内臓でも食べたかのように苦い顔をし、リリヤは嫌そうに言ってくる。

 その言い方が少し懐かしくて、込み上げて来る笑いを噛み殺す。


「ねえ。そんなに急いでどこに行くの?」

「中庭だ。キャベツに水をやるんだろう? 散歩も兼ねて私も着いていってやる」


 着いていくという割に大股で自分を先導する少女に肩を軽く竦め、階段を下りていく。

 階段から響く自分の靴音は、昨日よりも張りのある物に感じられた。



 中庭には残暑を感じる強い日が落ちている。廊下に置いてある樽の中から、赤ん坊なら風呂に出来そうな大きさの桶に移す。

 一ヶ月前に比べて水も冷たくなったように思う。もう秋が来るのだろう。秋が来たら、あっと言う間に冬が来る。

 水を零さないように慎重に桶を運び、八分目まで育っているキャベツ畑の脇に腰を屈める。

 いくらアニーが丹念に育てていて傷一つないとはいえ、成長途中の野菜と言うのは、いつも自分が目にしている物と同じ食材だとは思えなかった。


「お前、キャベツ食べられたっけか?」

 キャベツを眺めていると、後ろから少女の声がかかってくる。それは野菜をあまり食べない自分へのからかいに近い言葉だった。


「見るだけなら害はないからね……っと」


 努めて落ち着いて返し早速水を注ごうと桶を持ち上げる。桶は重く、今更ながら水差しを持ってくればよかったと後悔した。


「おい水入れすぎだろ、勿体ない。……お」


 畑の面積に対して水が多いことに呆れていたリリヤが、途中でなにか見付けたらしく畑から離れていく。

 キャベツ以外の畑にも水を撒き終え、余りを土に注いだところで、リリヤが何を見付けのたか気になり、振り返って様子を窺う。


「あ」


 リリヤが何を見付けたかすぐに理解し、思わす声を漏らす。

 門の手前に、いつかラウルが来た時と同じように馬に乗った人間を相手にしているジャックと馬の世話を終えたらしいアレックスの姿があった。厩舎は門と中庭の間の道にあるのでここにいたのだろう。

 アレックスが受けとった封筒を覗き込んでいるリリヤの姿もある。王家の紋章が刺繍された緑色のマントから察するに、あの人が王からの返事を持ってきた使者なのだろう。

 桶を畑の傍に置き、門へと駆け寄る。

 足音に気がついたのか、顔を逸らさずに黒い制服を着たジャックの緑色の瞳がこちらに向けられる。珍しく険のない瞳が自分を映すと、馬上の人物に向かって何事か唇を動かした。

 駆け寄ってアレックスの隣に立ち、息を切らしながら使者を見上げる。


「し、使者の方ですか? セオドアは僕です」


 顔を上げる際アレックスの手にある封筒を抜き取っておく。


「セオドア様~、王都の馬って気品がありますねー」


 手が空いたアレックスが、氷で出来た彫刻でも触るかのように使者が乗ってきた馬を撫でている。

 その目は老人が孫を見るかのように垂れていて、そうだな、とだけ頷いた。

 同封しておいた返信用封筒には、自分の手形を証拠として押してある。

 早速手を広げて封筒の手形に重ねるように手を合わせる。

 まるで手形が本物の影であったかのように寸分違わず重なった手を見て、知らせを運んできてくれた使者が安心したように頷いた。


「それでは、ユユラング伯爵にちゃんと渡しておいたと王にお伝えしておきます。失礼します」


 馬上から敬礼と共に男性は言い、用を終えると周囲の景色を見ながら跳ね橋を渡っていく。


「セオドア様、早く開けてくださいよ!」


 隣から乳母兄弟が自分を急かしてくる。


「うん」


 自分だって早く中身が見たい。逸る気持ちを抑えながら頷いた。

 男性が跳ね橋を渡り終えるのを見送ってから、蝋で蓋をされた封筒を慎重に破いていく。


「それって税が云々ってのの結果なのか?」


 顔を突き合わせている自分達が気になったのか、ジャックが横から不思議そうに尋ねてくる。


「そうそう」


 アレックスが何度も首を振って頷く。

 破き終えた封筒から羊皮紙が出てきた。

 羊皮紙を取り出し、それをアレックスにも見えるように広げた。少々四角張った文字が並んでいる。

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