第8話
「……じゃあ、準備はいい?」
江藤が大きな声で尋ねてくる。町田も、少し離れたところにいる彼女に聞こえるように同じく大声で「大丈夫だ」と返事して、井戸の中へと入っていく。それから町田は目を閉じた。
「鳴らすよ!」
江藤の掛け声と共にゴーンと大きな音が鳴り響いた。その直後、まるでジェットコースターに乗っているかのような、ぐらりと体が回るような感覚に陥った。こちらへ来た時と同じ感覚だ。そのまま意識が遠のいていく。意識が途切れる瞬間、遠くの方でも鐘の音が響いていた。
目を開けると、途端に差し込んできた日の光の眩しさに再び目を閉じた。手で光を遮りつつゆっくり目を開けると、そこには青い空が広がっていた。さっきまで夜だった筈だ。という事は、もしかして――。
町田は慌てて体を起こして辺りを見渡す。自分の近くには井戸があった。だが、さっきまで入っていた井戸とはどこか違うし、井戸の周りの景色も違う。
「……ここはどこだ?」
町田は仕方なく少し歩いてみる。すると、すぐに人の姿が見えた。若い男女や、老人たちが、物珍しそうな顔で辺りを見ながら歩いている。その姿はただの観光客だ。という事は、ここは現世なのだろうか。
「おい、町田!」
「え?」
いまいち、確信が持てないままの町田を誰かが呼んだ。声のした方へ視線を向けると、そこには眉を顰める水野と、班員の姿があった。
「みんな……」
「勝手に行動しないで。困るでしょ」
班長である足立美香が、苛立たしそうに注意してくる。何度も聞いたことのあるその口調に懐かしさを覚える。どうやら、完全に元の世界へ帰ってこれたようだ。
「……良かった。帰ってこれたんだ」
「ほら、さっさと次行くわよ。この後もいっぱい行くところあるんだから」
足立がそう言って踵を返し、班員たちもそれに続く。さっきまでの、あの世界へ行っていたのはただの夢だったのでは、と思うくらい、いつも通りの光景がそこにはあった。
「足立もカリカリしすぎだよな。もっと余裕持てばいいのに……って、お前泣いてんのか?」
笑いながら話しかけてきた水野が町田の顔を見てぎょっとした。どうやら感極まってしまったらしい。町田は乱暴に涙を拭うと、「ゴミが目に入ったんだよ」と誤魔化した。
相変わらず、江藤の事は誰も覚えてはいなかった。でも、それでもいい。確かに自分は覚えているのだから。彼女の温もりも確かに残っている。あれは夢ではなかった。確かに彼女はあの場所に存在していたのだ。
多分、私が埋められているのは――。
向こうで江藤と別れる直前、彼女は自分の死体が埋められているであろう場所を教えてくれた。そこは、意外にも何度か行ったことのある場所だった。彼女の死体を見つけ、彼女をしっかり成仏させる。これが、現世に戻ってきた自分の使命だ。
「待ってて。俺が必ず――」
町田は強く誓う。彼女の亡骸を見つけ出して、もう一度、あの鐘を鳴らしに行こうと。
「本当の事を言わなくて良かったのですか?」
ただ茫然と井戸の方を眺めていた女の背中に、男が声をかけた。女はゆったりとした動きでこちらを振り向く。その顔には、にやりとした笑みが張り付いていた。
「ああ、お疲れ様。協力してくれてありがとうね」
「まあ、仕事ですから。それより、彼に伝えなくて良かったのですか?」
男は表情を変えないまま尋ねると、女はわざとらしく首を傾げた。
「何の事かな?」
「この世界には確かに迷い人が来る事はありますが、みな共通して亡者であり、生きた人間が迷い込むことなどありえないでしょう」
男が言うと、女の笑みが更に大きくなった。まるで悪魔を見ているかのようだ。
「……だってさ、すぐにネタばらしするのはつまらないじゃん。私はね、彼の絶望に染まった顔が見たいの」
女は嬉々とした口調でそんな事を言う。
「私から言うより、自分で気付いてほしいじゃん。生きていると思ってたら自分の死体が目の前に現れる。これは絶望だよね」
「しかし、そんなうまくいきますか?」
「いくよ。彼には私の死体の埋められた場所を教えたからね。私の死体を見つけたら、自然と彼の死体も出てくる」
「彼はそれを信じてるのでしょうか?」
男が訊くと、女はクスッと笑った。
「信じるよ。彼は良い人なんだ。どうしようもないくらいね。そんな彼が好きだったんだ」
不意に女は俯き、それから、再び顔を上げた。その顔にはさっきまでと違い、怒りが滲んでいた。
「でも、彼が悪いんだよ。私がいるのに、別の女にうつつを抜かしていたんだから」
女は、吐き捨てるように言うと、一つため息を吐いた。
「まぁ、自分の死体を見たら全部思い出すよ。自分が私と一緒に失踪した男で、もう死んでいることも、偽りの記憶に左右されていた事も、私が彼を殺したって事もね」
鐘を鳴らして 藍澤 廉 @aizawa_ren
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