第齬話 初デートは基本ドキドキである

 同日、十時五十五分。

 海老ヶ丘えびがおか駅噴水時計前。


 都会近郊に位置する当駅での、定番待ち合わせスポットである。

 故に溢れんばかりと人が立っており、ほぼ彼氏彼女の待ち合わせだ。出会い頭の挨拶の初々しさで新星か、熟練カップルなのか判断できる。


 そんな悠長に構えている俺はというと、チェンジ前の服を纏めた買い物袋を駅のコインロッカーに預け、少し離れた場所にあるバスターミナル付近から噴水時計前をウォッチングしている。

 普段着ることがない洒落た服装だったので大分浮かれていたが、当初通りの冷静さを取り戻した次第だ。


 なにせ、このデート自体がおかしな話。噂を聞く限りでは、ひと月に数人のオスから告白される程の人気者。そんな引く手あまたの恋乃籤こいのくじが、なぜ俺を買い物に誘ったのかが最大の謎である。


 学年トップクラスの美少女の心情は全く量れない。恋愛格差社会の崩壊により、イケメン層とブサメン層が渾然一体となったので、感覚麻痺が起きたとしか考えられない。

 ちなみに、俺のポジションはカフカ層である。可もなく不可もない連中が集まる集団区域。母、妹、友達から言われる褒め言葉は『普通の顔だね』。評価するのも面倒なくらい面白みに欠けた顔らしい。


 カーストブレイク時に現れたカフカな俺。もしかして、実はアリなのか? と思う恋乃籤。汚いラーメン屋の方が美味いかも理論だ。


 ただ、そんな天変地異を利用してまで、モテたい欲求が生まれたことも事実。自身の生命に危機迫る瞬間、子孫を残さなければと思う動物的本能――女性と会話する機会が少ない童貞からすると、それに近いかもしれない。


 そこで今日は少しでも好印象を与えるため、わっぱなりに色々と戦略を練ってきた。


 まずは、カップルが待ち合わせでする定番のフレーズ。


 女「ごめんね、待った?」

 男「大丈夫、俺も今来たところだよ」


 紳士調ではあるが、なんて無難な台詞なのだろうか。

 汗もかかずに涼しい顔して“今来た”は流石にないだろ。

 “今来た”を本気でやるなら、リアル一キロぐらい走り、息を整えないままで集合場所に行くべきだと思う。


 昨夜、色々と情報を詮索したところ、とある恋愛の定義を発見した。


 【恋のING】

  ①Feeling(感覚調和)

  ②Happening(偶発的発生)

  ③Timing(行動時機)


 恋には重要な三つの要素があるらしい。


 特に今回は②のハプニングに着目した。

 当該要素を加味しつつ、最も有効な待ち合わせは“先に待っている事”ではなく“本当の偶然を狙う事”なのではないかと結論を出したのだ。


 つまり、出会い頭の演出。偶然の積み重ねにより、この人とは何かあるのではないか? と意識させることが本日のミッションである。勿論、適度にミラーリングも活用するつもりだ。


 ――それにしても、恋乃籤こいのくじ遅いな。


 既に待ち合わせ時刻を五分越えている。クラスで見る限りでは、几帳面なタイプだと思っていたが……、


 その時、携帯がバイブした。


 恋乃籤からだ。


 微生物家族ではない。


 文章だ。


『ごめんなさい、少し遅れるわ。もう既に着いている?』


 即フリック、即返信。


『いや、俺も少し遅れてる』

『どのくらいに着きそうなの?』


 この展開はマズイ。主導権を握られてしまった。


『多分、十分以内には着くと思う。恋乃籤は?』

『私も同じぐらいだと思う。ゴメンね』

『了解。こちらこそゴメン!』


 偶然を装うことって、なかなか難しいんだな。まぁこの位置なら、駅から出てくる姿はすぐ分かるし、即移動すれば問題ないだろう。


 ただ事は単純な話ではなかった――。


 十分後。


『ごめんなさい! もう少しで着きます。もういる?』

『俺も後少しで着くよ』


 さらに十分後。


『悪い。俺もう着くからさ。恋乃籤はもう着いてる?』

『もうすぐ着くわ』


 さらに十分後。


 不安になった俺は嫌な汗をかきながら、ふらふらと噴水時計前まで歩いていた。疑心暗鬼になり、ドタキャンの可能性を感じたからだ。デート初心者には精神的に厳しい仕打ちだった。期待に胸を躍らせ、後に落胆する気持ちの辛さが蘇る。


「ごめんね、待った?」


 声の方向に振り向くと、そこには恋乃籤の姿があった。

 初めて見る彼女の私服は普段の凛々しい印象とは違い、ふわふわとした可愛い服装だったので、思わず凝視してしまった。


「……大丈夫、俺も今来たところだよ」


 あんなに小馬鹿にしていた定番フレーズを使ってしまったが、俺の内心はホッとしていた。



◇◆◇◆◇



 俺は心底震えていた。


「洋服をプレゼントしたい?」


「うん。幼少時からピアノの稽古をしているのだけれど、先生の誕生日が近いからプレゼントをしたくて。そこでナギィに付き合ってもらったのよ」


「ナギィやめれ! もうアカウントネームは変えてるわ」


「あら、意外と素直なのね。そんなに悪くないセンスだと、一晩寝ながら考えを改めたのよナギィ」


「頼むからもうやめてぇ!」


 俺は心底震えていた。


「ちなみにさ、ピアノの先生って男なの?」


「気になるの? 三十二歳の男よ。貴方の想像とは違って、性的なレッスンは受けてないわよ――如何にも家庭教師モノが好きそうだもんね?」


「なっ!! 俺はノーマルだ。健全男子だ。今も政治と経済の事しか頭の中で考えてないぞ」


 震えている原因。それは男の洋服を購入する、という目的に対する嫉妬とかではない。嫉妬心が芽生えなかったといえば嘘になるが、そこまで自惚れてはいない。


 俺は心底震えていた。


 某百貨店の七階。某男性服ショップ。


「いらっっしゃいませっ!!」


 過去に幾度も千客万来を捌いてきた熟練の挨拶。しかし、その声にはどこか笑いを含んでいる。


 少し小太りな女性。年配のチーフ的な存在。

 そんなベテランが麗々と歩み寄るさまは、さながらランウェイのモデルを彷彿させるようで、些か腹が立った。


「何かお求めでしょうか?」


 大場おおばだ。


「男性用でポロシャツみたいに容易に着れる服を探しているのですが――暑くなってきたので、涼しい素材だと嬉しいです」


「今日から一段と暑くなりましたからねっ。どうぞ、こちらに!」


 恋乃籤のオーダーにマニュアル通りの受け答えをする大場。一方の俺は、開店時に必死こいてこの店に来たことは絶対言うなよ、と念波を送っていると、大場は合点がいったような表情で少しニヤニヤしながら、俺に合図を送ってきた。三十代半ばのウインクだ。結構きつい。


 ――まさか、こんな事案にハプニングを消費しちゃうとは解せねぇよ。気を利かせてくれるのは、マジで有り難いけどさぁ…………。


 万引きGメンに怯える主婦並みに、恐る恐ると試着室前の角に置かれたマネキンを見る。


 もう裸ではない。バッチリと同じ恰好をしている。当然、スタイルが良いマネキンさんの方が俺よりも数十倍似合っている。完全に俺が似非えせだ。


「はぁ~仕事が早いよ……」


「凪崎君、どうしたの?」


 自然と出た溜息混じりの声に恋乃籤が反応したが、何もなかったかのように誤魔化した。


 ――だって、ダサ過ぎるだろ。マネキンを真似てデートに望むとか。しかも、購入してからまだ一時間も経ってないし。


 芸能人がマネキン一式を着れば宣伝だ。だが、俺が着れば見栄を張っただけの童貞だ。そんな俺の苦悩を他所に、恋乃籤と大場は服を選別している。

 俺はバレないようにと、常に彼女とマネキンの対角線上をキープすることに専念している。マネキンディフェンスだ。


「凪崎君、ちょっとこっちに来てくれないかしら?」


 恋乃籤に呼ばれて近づくと、正面から服をあてられた。当然、二人の距離は近い。香水の仄かに甘い香りで鼻が刺激され、艶を帯びた形のいい唇に目を奪われ、心の中はドギマギだ。


「サイズはこのぐらいで丁度いいかしらね。素材はやっぱり麻よりもレーヨンの方がいいかも」


「あぁ。当然、レーヨンの方がいいだろうな」


「流石、お客様はお目が高いですね」


 正面には美少女、背後にはマネキン。まさに天国と地獄。

 横にいる大場といえば、スマカジ、レーヨンといい知ったかばかり抜かしやがって、みたいな今にでも裏切りそうな顔つきである。一寸先は闇だ。


「よし! ならこのオフホワイトのシャツに決定。こちらを頂きます」


「ありがとうございますっ!」


 斯くして某男性服ショップ夏の陣は、無事に終わりを告げた。大場と会計をしている恋乃籤を見ながら、ホッと一息する俺。


 会計を済ませ、入口を出た付近で大場からの謝辞を背中で受け取っていると、


「凪崎君、その服とても似合ってるわね」


 そう耳元で囁くと、恋乃籤は妖艶な笑顔を作っていた。予期せぬ一言に戸惑う俺は無味乾燥な返答をして、彼女の横をただ静かに歩いていた。


 二人の姿をマネキンが成功を祈るように見守っている。デートはまだ始まったばかりだ。

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恋と変は紙一重 ~過ぎる男女の恋愛相談所~ 水樹 @gokigendori

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