第泗話 デート武装はするべきである

 翌日の土曜日十時。曇り時々晴れ。


 デート当日。集合一時間前。


 梅雨が終わって、本格的に始まった夏の炎暑を肌で感じている。蝉の泣き声が浮足立ったこの気持ちを囃し立てているようだった。


 俺は一足早くに、海老ヶ丘えびがおか駅の周辺にある大手チェーンの百貨店前に並んでいた。並ぶといっても俺一人だ。特段イベントもない当百貨店に、開店早々から立っている者など普通はいない。


 当百貨店は平日は十一時だが、土日は一時間前の十時にオープンする。オープンと同時のダッシュ。競馬でいうゲート開放時の勢いだ。


 なぜ、こんなに必死になっているか――。


 昨日の夜。恋乃籤こいのくじとのやり取りを終えた後の事だ。


 人生初デートのコーディネートを考えるため、クローゼットを開けると代わり映えのない服を目の当たりにした。


 行き当たりばったりで母が適当に買ってきた安価な服。どれも似たり寄ったりの白地のTシャツとGパン。レパートリーは全部で八通り。一番高価なTG軍の総戦力を選出してみた。


 姿見にその総戦力を宿す。


 うん、パッとしない。


 普通にスライムレベルの戦力だった。


 当然だ。女性とデートなんてしたことないし、プライベートを共にする男友達もいないので、外見には無頓着になる。ここにきて、モテる努力を怠ったツケが回ってきたのだ。


 とある書籍で読んだことがあるが、人間は特定の外見と、特定の性格や特徴を結びつけるそうだ。例えば、太った人は優しく穏やかな性格に見えるとか。


 ――パッとしない外見は、内面もパッとしないと思われるのではないか。


 小手先のテクニックだけ武装したとしても、外見がお粗末では話にならない。恋乃籤の中で、変哲な制服のイメージしかないならば、私服のお披露目はターニングポイントになる。


 自称、ネット信者。


 モテ男の服装をネットで検索してみる。


 マウスホイールでカリカリ。クリックでカチカチ。


 意見がバラバラで、どうしても十二選から絞りきれない。


 ……さて、どうしたものか。


 俺はリビングにこっそりと向かい、妹と母のファッション雑誌を無差別に掴んで自室へ戻った。幸い妹は風呂、母はまだ帰宅していなかった。


 ベットで横になり、それぞれの雑誌に掲載されているトピックを熟読する。『第一印象◎ 女性が選ぶ好印象の男性とは』という特集が書かれていた。ティーン雑誌だけではなく、三十代向けの雑誌にも酷似した内容がある。どうやら、この手の記事は女性の大好物らしい。


「色々と奥が深そうだ。とりあえず、レポートに纏めてみるか」


 集中力の無さは美女木びじょぎ先生の折り紙つきだが、日頃、鳴りを潜めている集中力がここぞとばかりに発揮し、分析タイムは一時間も継続した。サンプルは十代と三十代の雑誌となるが、男性に求める印象について、共通点を発見した。


 “清潔感のある”

 “派手目よりは控えめ”

 “カジュアル”


 この共通点を網羅したコーデならば文句はないだろう。何と言っても編集者が汗水垂らして、マーケティングリサーチした結果だ。ファッション誌の声は全ての女性の声だ。


 早速、雑誌で得た共通点と十二選の服装を照合する。HBの黒鉛で汚れた手を使ってマウスを走らせる。隙間なく書き込まれたレポート用紙と画面の往復。


「フッ」


 一選に絞り込めた満足の吐息だ。


 やり切った感を存分に演出している。


「服装のコンセプトは“スマートカジュアル”で決まりだな」


 かくして“スマカジ”を求め、某百貨店に朝一から並んでいたのであった。



◇◆◇◆◇



 七階のメンズ服フロア。

 人の話し声などの雑音が無かったため、ワックスで磨き上げられた大理石調の床からコツコツと音が聞こえる。


 客は見当たらず、閑散としたものだった。


 スマカジの概念は把握したが、実際に服を見てイメージすると難しいものだ。何となくそれらしいショップに入店してみた。


 初の一人服屋。ちなみに一人カラオケは体験済み。


「いらっっしゃいませっ!!」


 入店早々、店員に捕まった。

 少し小太りな女性。年配のチーフ的な存在っぽい。


 軽い御辞儀と共に快活な挨拶。企業理念やら誓いの言葉を唱和した後だったかは知らないが、声が張っていて若干小賢しい。


「何かお求めでしょうか?」


 ……ひっそりと一人で選びたかったんだけどな。てか、お求め以外に何があるんだ?


「ちょっと、スマカジを探しに……」


 愛想の塊のようなベテラン店員の顔が少し引き攣った。朝一だったので、スマカジの言葉に当てられたのか、内心で小馬鹿にしているのか。


 確かに現在着ている服は殿しんがりのようなもの。袖と裾の部分が重ね着してるように見えるシャツ。実際は一枚。でも見た目は二枚。重ね着イコールお洒落。服の世界で最も見栄を張っている代物である。


 モテる算段で母に依頼した唯一の服。至高の一着を買ったら、その場でチェンジするつもりだ。


「なるほど、なるほど。はいはい、スマカジですね――。確かに物静かそうで大人な印象のお客様にピッタリです」


 つらつらと二枚舌を使うこの店員。ネームプレートから名前は『大場おおば』と言うらしい。


 ――モテない発想とダサさは認めるが、思ってないことを口にするのは気に食わん。痰でも吐いて帰ってやるか。いや、俺には足りないものがある。


 そう、時間だ!

 集合時間十一時のリミットまで、残り一時間を切っている。


 既にタイムプレッシャーを感じて焦る始末。歯を食いしばってでも、大場にコーディネートして貰うべきだ。


「早速、スマカジを見せてください」


「畏まりましたぁ。どうぞぉ、こちらの試着室の方へ」


 人生初の試着室。大きさ的にも簡易トイレのような印象だった。待っている間、どうも落ち着かず、携帯で誰かとメールをしているフリをする。


 大場来た。


「これなんか如何でしょうか? デニムのテーラードジャケットとピンクのシャツでメリハリを付けたジャケパンスタイルです」


「スマカジは“派手目よりは控えめ”と相場は決まってますが、ピンクだと崩れないですか?」


「単独だと派手に見えますが、ジャケットとパンツに合わせると爽やかな印象になりますよ」


 不承不承ながら、プロの勧めをとりあえず信じて試着することにした。脱ぎ捨てた服が床に散らばっている。ちょくちょく挟んでくる大場の「如何ですか?」アピールが、着衣工程の遅延となった。


 鏡の前で、それらしくポージングをする。


「…………」


 スマカジ……最高に似合ってねぇ。子供マネキンに大人の服を着せた印象だわ。完全にスマカジに着られている。大人の階段をエスカレーターで登ったぐらい背伸びしている感が否めない。


 大場も内心では、服に弄ばれている滑稽さに目を瞑っているのだろう。精神統一しているが、頬がピクピク動いてるので、今でも「ほらね」とか言い出しそうだ。永遠に目を瞑って欲しい。


 大場の後ろをチラッと見ると、選別された洋服の数々。


 ――俺は阿呆だな。ようやく気が付いたわ。


 スマカジと伝えれば、マックで言うバリューセットのように、規定の組み合わせで商品が提供されると思っていた。だがしかし、実際は手を替え品を替え、あらゆる無限の選択肢から自分に適した究極の一着をクリエイトして、初めてスマカジが完成されるのだ。


 つまり、一朝一夕で真実のスマカジを見出すなど、夢のまた夢。


 大場チョイスのセットを着る。似合わない。その試行の繰り返し。そして、アルゴリズムがひたすら進み、三十分経過した。

 

 焦る。焦る。焦る俺。


 急に着信音が鳴った。


 メッセージが来た。


 恋乃籤からだ。


 微生物家族だ。


 ツリガネムシが『HeyHeyヘイヘイ!!』と言っている。


 尚、焦る。


 だからこそボソッと吐いてしまった「この服は全くダメだな」に対して、大場の顔が歪んだ。ベテランのプライドを逆撫でしたようだ。更なるスマカジの選別に向おうと躍起になっている。


 ――こうなったら、最終手段を取るしかない。マネキン一式買いだ! アパレルショップで働くプロが思考し、品評した末に辿り着いた理想郷ユートピア。俺はその理想郷ユートピアに縋ればいい。ネットでも困った時にはマネキン一式と豪語している程だ。


「そ、そこのマネキン一式を着させて欲しい」


「スマカジは、宜しいのですか?」


「はい。ちょっと志向を変えてみようかなって」


 もはや、昨晩必死こいて模索したコンセプトを捨て去る始末。スマートカジュアル――略して、スマカジを今後言葉にすることはないだろう。


「悪くないなぁ。素材も申し分ない」


 濃紺の細いボーダーラインが描かれた白いTシャツ。羽織りのリネンシャツ。黒スキニーのスリーロールアップ。キャメル色のデッキシューズ。おまけに首から下げるドーナツ型のシルバーアクセ。


 マネキンフルコーデの完成である。大満足だ。


「左様でございますか……」


 一方の大場は、スマカジとかやたら発音良く吠えてた割には、結局マネキン一式かよ、と言わんばかりの表情。


「最後にベルトを見繕ってくれませんか? マネキンにベルトがなかったので」


 今装着しているのは、中学校から使っているスクールベルトだ。定常位置の穴がもはや崩壊している。やるなら徹底的にやろう。


 俺は全ての武装を脱がずに、試着室前で仁王立ちしている。大場と見つめ合う謎の沈黙。あの言葉を待っているのだ。


「え、えーと、服はそのまま着て帰られますか?」


「そうですねぇ。はい、折角なのでこのまま着て帰りましょう」


 一点の照れもなく、淡々と答えた。


 集合時間の十五分前。無事にミッションをクリアした。


 会計を支払うと、店頭に置かれた裸のマネキンをしげしげと見る。何となく女を全裸にしたような優越感がある。したことがないので、何となくだ。


 意志を引き継いだように、裸のマネキンに軽く会釈すると、俺は集合場所へスキップで向かった。

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