愁いを知らぬ鳥のうた

いいの すけこ

鸚鵡姫と知らずの歌

 鳥の美しい歌声響く、豊かな森。


 森のそばには城がありました。


 その城には、鸚鵡おうむ姫と呼ばれる姫君がおりました。


 壮麗な城は、武勲で名を上げた強き王の居城です。王の傍らには、美しい王妃が共に在ります。

 秀麗な二人の間には、やはり美しい姫君がおりました。その麗しさは、国中の人々の間で夢物語のように語られています。


 けれども、多くの者が姫君の姿を見たことがありません。


 広大な城の中でも深く深く、人目につかない奥の奥に、姫君の住まいはありました。


 隠れるように、姫君は暮らします。


 姫君は、生まれて直ぐによその国へと送られました。今でこそ王と王妃のもと、祖国で生きておりますが、父母の顔も声もわからぬうちに、山をひとつ越えた国へ迎えられたのです。


 森の国と山向こうの国は、古くから争いを繰り返していました。お互いの国ができた頃から争い続けていたと言います。聳え立つ山は確かに二つの国を隔てていたけれど、それを越えても戦う。名誉のため、国のためと、王のため、民のためと、幾たびと争っていたのです。


 互いの王が、民が、争いに疲れ果てた頃。ようやく二国は歩み寄ることを決めました。

 その証として、森の国から山向こうの国へと、小さな姫君が送られていきました。

 

 森の国と山向こうの国、友好の証として。

 山向こうの国には、小さな姫君よりとおは年長の王子がおりました。森の国の姫君は、王子の未来の妃として、赤子のうちから祖国を離れ異国へと渡ったのでした。


 人質に取られたのだという者もおりました。

 愛する我が子の身を犠牲に平和を得たのだと囁かれる王と王妃は、決して取り乱した様子を見せませんでした。

 

 それでも、迎えられた山向こうの国で、年の離れた王子にずいぶんと気遣われているようだと、仲睦まじく過ごしているようだという報せを聞けば、王と王妃は静かに笑んでいたと、傍に侍る者たちは言うのでした。


 けれども、その友好も長くは続きませんでした。


 山向こうの国の王が、たおされたというのです。

 

 森の国と山向こうの国、互いが平穏を破ったのではありません。

 山向こうの国の中で、王室を巡るややこしい争いがあったと言います。まつりごとの揉め事とも、ただの人間同士の争いだったと伝える者もあります。

 

 ともかくも、王は首を刎ねられました。

 森の国の姫君に寄り添っていた、王子もまた。


 幸いにして、王子と婚礼前だった森の国の姫君は、傷つけられることなく祖国へと帰されました。

 赤子の頃に森の国を離れて幾歳月、年頃になった姫君は懐かしの地を踏んだのでした。

 

 王と王妃は、幼き頃に手を離した我が子を抱きしめました。ずっとあげられなかった愛情を、抱擁で伝えました。


 けれども。


 姫君は困ったように口をぱくぱくとさせました。

 

 無理もないでしょう。

 幼い頃に生き別れて、両親を知らずに生きてきたのです。突然に抱きしめられても戸惑うばかりに違いありません。

 王と王妃は、ゆっくり、言葉を尽くして、我が子に愛と労りを伝えようとしました。


 姫君の喉が震えます。


「―――、―――。」


 姫君の唇からこぼれた音は、誰も知らない言葉でした。 


 森の国と山向こうの国、言葉に大きな違いはありません。両国の者同士は、通訳を介することなく会話ができるはずです。

 それなのに、姫君の話す言葉は、森の国の者も、山向こうの国の者も、誰一人として知る者のいない言葉だったのです。


 国中の学者が集められました。国中の書庫がひっくり返されました。姫君の話す言葉が、一体どこのどんな言葉なのか調べつくされました。


 それでも一語として理解できません。


 嘆き悲しむ王妃と、万策を尽くす王はお互いを慰め、支え合います。けれどそこに姫君が寄り添うことはありません。

 誰とも言葉を交わすことのできない姫君は人と関わるのを厭うて、一人、城の奥深くに隠れるように暮らしたからです。


 新たに、皆が使うのと同じ言葉を覚えることも拒んで。


 なんて哀れなお姫様。

 なんておいたわしいお姫様。


「ああ、お願い、わたくし達の可愛い姫。わたくし達と同じ言葉を話して。わたくし達の言葉を聞いて」

 王妃は涙ながらに姫君に訴えます。


「でなければ、あなたは本当に鸚鵡姫になってしまうわ」


 鸚鵡姫。


 姫君の話す言葉を調べているうちに、山向こうの国の王室で囁かれていた噂が聞こえてきました。


 山向こうの国の王子は、幼い姫君に誰も知らぬ言葉を教えていたと。

 王子の言葉だけを聞き、王子の言葉だけを繰り返す姫君は、まるで鸚鵡のようだったと。


 王子が何を考えていたのか。王子と姫君の間に何があったのか。それは誰にもわかりません。

 

 ただ、人々は。誰とも言葉を交わせず、時折ただひとり、未知の言葉を口にする哀れな姫君をそっと愁うのでした。



***



『聡明な、私の王子様。私の言葉は、あなたにだけ届けばいいの』

 誰もいない自分の庭で、ひとり、姫君は囁きました。

『私の言葉はあなただけのもの。私はあなたとだけ話せれば、それでよかったんですもの』


――僕だけのものでいておくれ。


 姫君の耳に、幾度となく囁かれた王子の言葉が蘇ります。

 

 王子は孤独だったのでしょうか。それとも、恐ろしく執着の強い人だったのでしょうか。もしかしたら、誰よりも純真だったのかもしれません。


『王子様。あなたは、私とあなたとだけで通じる言葉を私に教えてくださいましたね。あなたが編み出した、私とあなただけしか知らない言葉。神様のように賢かったあなたは、もうほとんど継承者の絶えた古語や、世界中のあらゆる言葉を集めて、ばらして、組み合わせて、まるで暗号のような秘密の言葉を作り出した』


 姫君は虚空に向かって話し続けました。


『どんな言葉を覚えるよりも先に、私はあなたの言葉を覚えたから。だから、それでいいの。他の誰とも通じ合えなくったって構わない。あなたと交わした言葉だけ、それだけがあれば。私はあなたのいないこの世界でも、ずっとあなたのものでいられます』

 

 姫君は鳥のさえずりのような美しい声で歌います。その歌もまた、誰も知らない

言葉で紡がれた歌なのでした。


 

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