第5話

5.


 ガラスや金属がぶつかり、壊れる派手な音がホールに響き渡る。その場にいる、全員の注意が一瞬そちらへ逸れた。

 ホール中央からケインらが抜け出した事を確認し、シャンデリアを釣っていた鎖を破壊したサクは、そのままケインの近くにある出口へと走ってそこを固める警備員たちを沈めた。ちなみに、ケイン、サルマ以外の元天使たちは既に警備員に拘束されている。

 サクの声にいち早く反応したゼルエル――サルマがケインを引っ張って飛び出す。それに手を貸して外に出たサクは、物陰を選んでフードコートから距離を取った。

 追ってくる数人の警備員を迎え撃ち、一人一人地面に沈める。

 追いかけてきた警備員の、最後の一人がサクに襲い掛かる。

大きく振りかぶられた警棒を、むき出しの前腕で受け止めた時、金属同士がぶつかる硬質な音が響いた。

「えっ……アンタ……?」

 驚いたサルマが足を止めてサクを見る。同じく驚いた警備員の隙を突き、脇腹に蹴りを見舞ったサクは、くずおれた男からサルマへと視線を移した。

「……はは、ええと――。まあ、僕の骨格も金属製って事です」

 そう言ってサクがあげた右腕の前腕からは、前腕と同じ長さの鉄パイプが平行に生えている。

「それ、もしかして銃身?」

 恐る恐る、と言った様子で尋ねるサルマに、サクは決まり悪げに首肯した。本当ならば銃身を篭手代わり使うなど、暴発の危険性を高めるので禁じ手なのだが、この際仕方ない。アサキには叱られるであろうが、サクはそう諦めた。サルマの背後で、ケインも呆然とこちらを見ている。桂やダンスホールの人形たちに怯えていたケインにこの事を明かすのは躊躇われたが、これ以上隠す事は不可能そうだった。

「一応、CM型ってやつです。普段は店番とか家事とかばっかりやってるんで、こういう時しかそれっぽい事は出来ませんけどね」

 あまり怖がられないように愛想笑いで言ってみると、サルマの方は肩の力を抜いたようだった。

「あんた確か、ユリと一緒に来てた子だね。どうして私らを……?」

 不思議そうに尋ねたサルマとその背後のケインを、しっかりと見据えてサクは答える。

「ぶっちゃけてしまえば、マスターの命令なんですが――僕らはまだ、ユリさんから受けた『あなた方を助ける』という仕事を、降りたわけじゃありませんから」

 サクはケインらを追いかける途中、アサキから通信で指示を受けていた。ユリが父親相手に直接交渉を行うつもりだと言う。その為には、ケインら本人からも事情を聞き、一緒に交渉に臨んでもらう方が良い。

人気のない場所を選んで二人を誘導し、サクはユリ、アサキと合流するために歩き始めた。敷地が広大すぎるためか、警備班の目の届いていない場所は探せば結構ある。

騒ぎが起きてから、既に一時間以上が過ぎている。呆れた事に夜間パレードは敢行されるらしく、遠くでパレードの始まり告げるファンファーレが高らかに鳴り響いた。警備員を全員倒して移動したからか、周囲は意外な程に静かだった。しかし、そろそろ警察が出張ってきてもおかしくない頃合いだ。直接交渉は急ぐに越した事は無い。

「あなた方がユリさんを利用してあの牢獄を抜け出した後、本当ならどうするつもりだったのかは僕には分かりませんが……ユリさんはあなた達を救いたいと思っています。それも可能な限り、あなた達が傷つかない方法で」

 歩きながらサクは説明する。

ユリも含めて、このパークの事に対してケインたちは怒りを覚え、事を公にしての反撃を考えているのかもしれない。パークが彼らを奴隷同然に鎖に繋いでいた事が外部に知れれば、グレゴリー・パークそのものが世間の糾弾を浴びる事になる。ユリを含めた経営者一家も、このままでは済まされないだろう。それをケインらが望むのならば、止める権利はサクには無い。

「――ユリさんが考える方法を、あなた達が『汚い』と思うなら、僕はそれでもいいんだと思います。ですがユリさんは、あなた方と一緒に、グレゴリー社長に直接交渉がしたいそうです。そして出来るなら、あなた方と敵対したくない……これからも友人でいたいと」

 アサキの携帯を介し、サクにそう伝えてきたユリの声は凛としていた。その声には、現実を受け止める覚悟と、それでも友人のために何かを為すという決意がこもっていた。彼女はケインの事が大好きなのだ。たとえドールでも、人間でも関係ない。利用された事すら乗り越えて、貫き通す覚悟を決めた彼女の想いが、ケインに伝わればいい。そうサクは願う。

 無言でついて歩いていたケインが、途中で膝をついた。彼の特徴的な姿は恐らく、低重力・高温多湿の環境に適応して作り上げられたものだ。ツクヨミの擬似重力は彼の身体には強すぎ、気温は低すぎる。それでもここまで逃亡出来た彼の身体能力は、十分素晴らしいものではあるのだが、どうやら桂に蹴りつけられた方の脚が限界に達したようだった。

「背負います。こちらへ」

 そう手を差し伸べたサクに、ケインが硬直する。その反応に苦笑いし、サクはケインと視線を合わせてかがんだ。

「ええと――ですね。ケインさん。僕らAHMにも、『心』があります。ですがその心は、あなた方人間のものとは違うんです。……僕らの心は誰よりもマスターのために。マスターの意思に沿う事を最大の幸福と感じて存在します。あなたの記憶にある『ドール』がどんな存在なのか僕には分かりませんが、彼らも――どんな残酷な行為をしたのであれ、喜ばせたい主が存在したんです。僕のような兵器型ドールが、恐ろしい存在だという事も、否定するつもりはありません。ですが――」

 結局自分たちAHMは、人間の為に存在する「モノ」である。その事を否定し、主の意思に沿う事に対して疑問を持つ事は出来ない。戦闘の為に存在するドールは、戦う事に躊躇など持ち得ない。だから使う人間が全て……と言ってしまえば、身もフタもないのだが。

「僕らの意思は、マスターの意思とほぼ同じです。僕のマスターは今、ユリさんの意思に沿おうとしている。僕を信じられなくても、僕のマスターを、ひいてはユリさんを信じてはいただけませんか?」

 暗闇に合わせて大きく瞳孔の開いた氷蒼の双眸を見つめ、サクは真摯に「お願い」した。実際には、サクはかなりこのAHMの規範を逸脱したドールであり、平気でアサキの命令を無視したり、アサキに食ってかかったりするのだが、そこは今は触れないでおく。そういう奔放さも含めて、アサキの意思なのだ。多分。ポンコツ、ポンコツと連呼されるけれど。

 サクのお願いに心を動かされたのか、ケインが差し伸べられたサクの手を取った。

 サクは非常に地味に、人間臭く出来ている。これは(様々な経緯の果てに、パーツにばらすつもりで)サクを買い取ったアサキによれば、恐らく人畜無害な少年の姿で人間の中に紛れ込み、敵の懐に入り込むためだという。そのため相手の油断と言うか、安心感を誘うために偏執的とすら言えるほどの高機能な人間偽装が施されているらしい。

 そんなえげつない目的の機能が、どうやらケイン懐柔にも一役買ったようだが、そこは気にしない事にするサクだった。使える物は使うに限る。

 二メートル近くある長身とはいえ、細いケインを背負ってサクは再び歩き始める。筋力的には、サルマでもケインを背負えるらしいのだが、身長の都合で難しいそうだ。

 見上げる先、華やかな夜間パレードの明かりを背景に、アサキらと待ち合わせている時計塔が見えた。



 平日も休日も関係なく、しょっちゅうやって来る魔女姿の少女の事を認識したのは、ケインが展示室に閉じ込められて、しばらく経ってからの事だった。ゴシック・フォレストのリニューアルと共にお目見えした彼ら偽天使を、公開当初は大量の人々が見物に来ていた。そのため、毎日のようにやって来る少女が居る事になど、ケインも気付かなかったのだ。無論、そんな所に目を向けるような、精神的余裕がなかったのもある。

 リニューアルによる賑わいが一段落しまばらになった平日客の中に、ケインはユリを見つけた。

 彼女はいつも独り――直立不動の体勢で背後に立つ、バイザーをかけ、頬に何かロゴマークを印刷した女を従えてケインの前に現れた。展示室のガラスに貼り付くように、数十分という単位でケインを見つめるユリは寂しそうで、背後の女(仲間によれば、警備専門のドールらしい)に護られていると言うよりは、まるで監視されているようにケインの目には映った。

 最初は単に、興味をそそられて目配せを送っただけだった。

 どんな事情のある少女かは分からなかったが、ドールに監視されて独りぼっちのその姿に、同情した部分もある。欲が出てきたのは、彼女が従業員用の入り口から姿を現した時だ。

 サクに背負われて、アトラクションゾーンのランドマークである時計塔に向かうケインは、ユリとの再会を恐れている自分と向き合っていた。

ケインはユリを裏切った。彼女の好意を利用しその身を拘束して、危害を加えると脅迫に使ったのだ。どんな事情があったにせよ、その事がユリを傷つけた事に変わりは無い。自分の容姿に初めから、奇異な物を見るような視線も、恐怖も見せずにただ真っ直ぐ「綺麗」と言ってくれた少女だったのに。

ランドマークとして、このゾーンの営業終了時間まで煌々とライトアップされている時計塔から、どうやって客と警備班を遠ざけたのかケインには検討もつかない。不審に思ってサクに尋ねたところ、彼のマスターが手なり口なり使って何とかしたのだろう、との事だった。

 罠かもしれない。そう思う部分は正直なところあった。だが、「信じてみるしかない」と言うサルマの言葉に、ケインは頷いた。今更逃げられないというのもあった。だが、サクに言われた「ユリを信じて欲しい」という言葉に、ケインは応えたかったのだ。

ケインはサクに背負われたまま、無人で静まり返っている時計塔のエレベーターに乗り込んだ。エレベーターが静かに上昇を始める。そして――。

 最上階。時計塔の天辺にある展望室に到着したエレベーターが、静かに扉を開けた。

 時計塔本体はライトアップされているが、展望室は夜景を鑑賞するために照明を落としてある。サクの背から降りてエレベーターを出たケインの目の前に、煌びやかな光の洪水を背景にした、小さな黄金色の髪の魔女が立っていた。

 可憐な魔女――ユリは祈るように両手を組み、正面からケインを見上げる。

 困惑したまま、ケインは恐る恐るユリに右手を差し出した。震えるその手が、ユリの小さく白い手に包まれる。「ごめん」と口にした言葉は、頼りなく震えて消え入りそうだった。

「いいえ、わたくしこそ……。脚、大丈夫ですか?」

 桂に蹴られた脚は派手に炎症と内出血を起し、無残に赤黒く腫れ上がっている。それを痛ましげに見つめたユリが、一つ涙を零した。桂を責めないで欲しい、と俯くユリの傍らに、いつもと同じように無言で、その桂が佇んでいる。常にバイザーをかけた顔は表情が読み取れないが、その立ち位置は正しく、護るべき誰かに寄り添う者の場所だ。

 ケインの視界が一気に滲む。熱い涙が目頭に溜まり、頬を伝って流れ落ちた。

「……大丈夫。そのドールはユリを護りたかっただけだ。彼女にも心があって、それが彼女にとって一番の幸せなんだから」



「本当にごめん。裏切ってしまった君にも、君を傷つけることで苦しめてしまった彼女にも」

そう言ってユリを抱きしめたケインに、ユリが抱きつく。抱き合って号泣し始めた二人を傍で眺めていたサルマが、安心したように溜息をついた。隣のサクも同じように安堵して、邪魔にならないよう端に立っていたアサキに近づく。

「で、どうなりそうですか?」

 本来ヘビースモーカのアサキが、火の点いていない煙草を口にくわえて揺らしながら肩を竦めた。パーク内は全面禁煙である。

「何とでもなるだろう。姫君の愛されっぷりは見事なものだからな。それに、お前が連中を追っている間に近場の連中をけしかけて、例の施設内を探索させた。拘束具も監禁施設も立派なものだったし、あの桂とかいうSCドールを介して軽く連絡を取ったところ、やはり上の連中は全く関知してなかったようだしな」

 この時計塔を人払い出来た時点で、殆ど上層部の説得は成功していたらしい。警備班に捕まった他の天使たちも保護され、あとはリーダー格であったケインとサルマが、示談に応じるかどうかが焦点という所まで、いつの間にやら来ていたようである。

「何か……必死に逃げ回ってた彼らが気の毒になってきたんですが……」

「うるさい、私の手腕の成果を何だと思っている」

 ケインらに同情したサクを、アサキがふんぞり返って一蹴する。手腕と言うか、どうせかなり強引な事を言ったりやったりしたのだろう。そう想像して呆れるサクに、得意げにアサキが続けた。

「まあ、人間をドール扱いしたロクデナシ共への処罰は、それなり提案しておいたからな。それに、それ相応の報酬は頂けそうだ。お前の失言くらい許してやろう」

 どんな提案なのかは聞きたくも無いが、アサキのことだ、情け容赦という言葉とは無縁だろう。その上機嫌な様子に呆れながら、サクはぼそりと呟いた。

「大人ってキタナイ」

 冷静に見れば、これは全部スキャンダルのもみ消しで、アサキはその仲介人をする事で、漁夫の利を得ただけではなかろうか。

「ふん、いっちょ前に本物のガキのような口をきくな、このポンコツが」

 ばしり、とサクの頭をはたいて、アサキが面白そうに笑った。

 サクのこういう反応も、アサキ好みだからそうなっているのである。…………多分。




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