第4話

4.


 アサキがゴシック・フォレストの出口前に辿り着いた時、出口の前はおろおろするアトラクションスタッフや警備部の者で既に騒然としていた。時刻は十八時を回り、アトラクション自体はもう閉まっている。集まっている人々の端に黒髪のカツラを被ったユリと、護衛の桂とかいう名のSCドールを発見したアサキは、物陰から回り込んで彼女らに近づいた。

「おい、ウチのポンコツは連中を追っていったのか?」

 横から声をかけると、驚いたユリがびくりと跳ね、すばやく桂がユリを庇う。

「そう警戒するな。悪いようにはせん、多少今の状況を説明してくれるとありがたい」

 苦笑交じりにそう言うと、アサキの姿を認めたユリが安堵の息をついて言った。魔女姿のユリは桂に守られるようにして、魔女の三角帽子を胸に抱いて立っている。

「アサキ様。――はい、サク様はシャル……逃亡した天使たちを追って行かれました。それで、あの……シャルたちは、ドールではなくて……」

 喋りながら、だんだんとユリの青い双眸に水膜が張ってゆく。

 胸の三角帽子を抱きこむように竦んだ肩が、小刻みに震え始めた。

 とうとうこらえ切れなかったのか、涙が頬を伝って落ちる。一つ嗚咽をのんで、ユリは俯いた。

「ああ、サクから聞いている。人間だったようだな。結局私はまだ実物を見てはいないが……環境に順応・適応するうちに姿を変えた者たちが居るのは知っている」

 ドールだと思っていた相手が人間だった。何もそのショックだけで、この少女は泣いているわけではないだろう。声を殺して泣き始めたユリの様子に悲しさと、その中に入り混じる悔しさを認め、アサキはそっと息を吐いた。面倒事はサクに押し付けるつもりだったのに、肝心の所にあのポンコツは居ない。指示を仰がれれば間違いなく「逃げた連中を追え」と命令した事は分かっていながらも、八つ当たり気味にアサキはサクを内心で詰る。

 順応と適応は生命の生命たる証であり、その発展の原動力でもある。

 今己の中にある可能性を最大限に呼び覚ますことで地球と全く異なる生活環境に順応し、科学技術を用いる事でたった数百年の間にその環境に適応――すなわち環境に合わせた進化を遂げた人々に対して、アサキは大きな敬意の念を抱いている。生命としての可能性を振り絞り、人間としての知恵と技術を振り絞って新しい世界を切り拓いた彼らこそ、ヒトという種の力を最大限に使いこなした人々だと思うからだ。その可能性を広げるために全力を尽す姿は、開拓者という名に最も相応しい。

 そんな人々を、どういう経緯があったにしろ、鎖に繋いで機械人形と偽り見世物にするなど、アサキにとっては許しがたい所業だった。

 ドール技術者の端くれだからこそ分かる事もある。そういった、環境への適応によって生命が見せる姿の美しさなど、人間の頭の中だけで考えて、思いつけるものでもないのだ。ある程度のデザインが浮かんだとしても、三次元の世界に、思い通りに作り上げるのは至難の業である。生命の、そしてAHMの美しさとは外見のことばかりではない。その外見を実現する内部構造、物質的性質にこそ素晴らしさは存在するのだ。

 そんなわけで、アサキは非常に憤っていた。人権侵害への義憤や、天使たち個々人への同情などとは全く違う次元で。

「悔しいのか?」

 ぶっきらぼうにアサキは尋ねた。何が、とも確認せずに。

 ユリが一瞬眼を見開き、更に大粒の涙をいくつも零す。そのまましゃがみ込んで、本格的に泣きじゃくり始めた。

「悔しい、です……。わたくし、何も、何も知らなくて……お父様や、お兄様がシャルを……こんな酷いことっ……、背中に傷が一杯あって、ずっと、ずっと前からきっとシャルは……」

 今にもはちきれそうになっていた感情を、ユリが必死で言葉にかえて絞り出す。何事かと集まった周囲の視線からユリを庇うように、腰を落とした桂がその背に腕を回した。

「でも、悔しいのは……わたくし、シャルに……信じて貰えなかった……! きっと、当然っ、でも、大好きだったのにっ……! 絶対、わたくしがシャルを助けると決めて――」

 あとはもう、言葉にならなかったのだろう。悲痛な声は嗚咽に変わり、ユリは桂の懐にしがみついて泣き始めた。その様子を立ったまま見つめ、アサキは静かに声をかける。

「救いたかった相手に信じてもらえず利用された。それがショックだったんなら、別に気にする必要はない。お前はまだ何もしていないからな。何もしていない者が信じて貰えないのは当然の事だ」

 恐らくサクがいれば、また「言葉を選べ」と怒るのだろうが、残念ながらアサキにはこれが限界だった。嗚咽すら止めて固まってしまったユリにひとつ溜息をついて、アサキは更に続ける。

「――っ、上手く言えんが……。お前はまだ何も、お前として為していない。ならば、今誰に、お前の何を否定されたからと言って、傷つく必要もないはずだ。否定されて傷つくほどの何物もそこにはないからな」

 知らぬ事が悪だと言うならば、この少女は今現実を知った。

 為さぬことが罪だと言うならば――。

「信じて欲しいなら、動け。必ず自分が助けると決めていたんだろう。まだ何も終わっていない、奴らを救えるのはお前だけだ」

 周囲のスタッフたちは、割られたガラスの破片を集めるなど片づけをしながら周辺にたむろしており、警備班の者は仲間が逃げた連中の後を追っているのか、無線で連絡を取り合いながらその場に立っているだけだ。幸いと言うべきか、未だ警察官の姿は見えない。事の発覚を恐れたパーク側が、警察に通報をしなかったのだろうか。

 アサキはこの件に関して、非常に憤りを覚えていた。しかし、事が公になり、大スキャンダルとして「天使」たちがマスコミの餌食になるのも見たくはない。そして、そうなってしまえば、わざわざツクヨミまで上がってきた自分の取り分も無くなる。ついでに言えば、自分を頼ってきたこの少女を、見捨てたくない気持ちも多少はあった。

「ここで諦めれば、その時こそお前は、奴らを見捨てた事になるんじゃないのか?」

 我ながら、偉そうな事を言っている。そんな自覚はあったが、ユリが諦めてしまえば、そこでこの件は終わりである。依頼人が諦めた内容に首を突っ込む気はアサキにもないし、そんな事をしても十中八九無駄骨となるだけだ。この一件にグレゴリー家の経営者たちが関わっているにしろ、いないにしろ、彼らとの直接交渉というカードを持っているのはユリだけである。

 軽く下調べした限りではあるが、このグレゴリー・パーク全体の企業風土は、そこまで悪徳に傾いてはいないようだった。こんな事件が起きる時点で、風通しが良く働きやすい企業とは言えないのだろうが、この件についてトップが把握していない可能性は十分にある。なんと言っても、都市一つ分サイズの王国なのだ、ここは。

 トップ相手の直接交渉で両者の妥協点が見つかれば、これ以上事を荒立てずに丸く収まるかもしれない。ついでにアサキは、調停役をこなした恩をグレゴリーに売る事も出来る。

 しゃがみ込み、俯いていたユリがのろのろと立ち上がった。

 まだその肩は頼りなげに震えており、涙に濡れた三角帽子はくしゃくしゃに握られたままだ。しかし、立って床を踏みしめた、二本の足の確かさにアサキは笑う。

「諦めません。わたくしは、シャルを助けたい……! 何もしない、出来ないままでいるのは嫌です!!」

 まだ涙を一杯に溜めた碧眼を決然と上げ、キール電子店に乗り込んできた日と同様に真っ直ぐアサキを見上げたユリが、そう宣言する。無言のままユリに寄り添って立ち上がった桂は、そっとその肩に手を乗せていた。




 ユリが決意と共に立ち上がった頃、既に外は日没時刻を過ぎていた。グレゴリー・パークのアトラクションゾーンでは、暗く落とされた人工照明の代わりに、各種アトラクションの灯りや街路を彩る電飾が辺りを賑やかに照らしている。三十分後に、パークの名物でもある華やかな夜間パレードが始まるらしい。園内を流れるアナウンスに従って、場所取りに向かう家族連れなどが歩いていた。そんな中、まるで天使になりそこなったような、奇妙な格好の一団がその流れに逆らい、ゾーンの辺境にわだかまる暗がりを求めて走っている。

 夜間パレードの終了までやっているアトラクションも多数あるが、ゴシック・フォレストのように十八時には閉まるアトラクションも存在する。そんな、既に営業を終了し人影のない場所を選んで走る彼らを、奇異に思う者は多少いただろう。しかし、それがこのパーク自体を揺るがすような大事件の中心人物たちだなどとは、誰も想像しなかったに違いない。このアトラクションゾーンでは誰もが仮装していたし、客にしては妙だと勘ぐる者がいたとしても、せいぜいパレードに参加する予定のアクターが、慌てて走っていると思う程度のはずだった。

 その奇妙な一団――逃亡するケインらは、確実に彼らが追い詰められているのを感じていた。

 グレゴリー・パークの警備班らしき連中の包囲網が、徐々に狭まってきている。ケインらは初め、近くの業務用の出入り口を目指して走ったが、業務用の自動扉は全て権限を変更して封鎖済みだったらしく、ユリから取り上げた管理者用のセキュリティ・カードでも開かない。二、三箇所試していずれも無駄だったため、ケインたちは業務用出入り口からの逃亡を諦めざるを得なかった。

「こうなったら仕方ない、正門から出ようじゃないか」

 そう言ったのはゼルエル――本名はサルマという名の、小柄なケインの友人だった。セントラルゾーンも含む、グレゴリー・パーク全体の正面出入り口がこのアトラクションゾーンと、もう一つのメインであるカジノゾーンの正面にある。グレゴリーパークに入園した人々は、まずこの巨大で豪華で常識外れな、いかにも非日常を象徴するような正門をくぐって正面エントランスゾーンに入る。彼らを次に出迎えるのが左右に開いたグレゴリーパークの二大看板、アトラクションゾーンとカジノゾーンの入り口なのだ。

「他のゾーンに逃げても……どうせ出口はないだろうしな」

 別の仲間が同意する。この月の中の別天地は、その非日常性を作り上げるために、徹底的に管理された巨大な箱庭だった。出入り口は厳重に管理され、それ以外の場所からの侵入や脱出はほぼ不可能だ。滞在する事自体に金を払うアミューズメント・パークである以上、それは当然の事ではあったが、こうして脱出を試みてみると監獄のようで気味が悪い。

 一方で、この巨大な監獄から抜け出しさえすれば、ツクヨミの中には逃げ隠れる場所が山ほどある。かつての住人のほとんどがアキツ本土に降りたため、ツクヨミ内部はそのほとんどの区画が閉鎖されていた。そして本当は閉鎖されている区画の一部には、惑星外からの移民やツクヨミ表面の超微重力工場で働く出稼ぎ労務者が勝手に住み着いている。

 元々ケインらも、そういったスラムに住む仲間だったのだ。

 十数年前、戦争によって故郷をなくしたケインもまた、移民――むしろ難民としてこのツクヨミに流れ着いた。しかし保護を求めるあてもなく、このグレゴリー・パークに近いスラムに住んでいた所を、ゴシック・フォレストの責任者に声をかけられたのだ。

 最初はグレゴリー・パークの非正規従業員として雇用し、ゆくゆくは正規雇用も夢ではない、という話だった。しかし、いざ契約書を交わしてパーク内に入ってみれば、その身を拘束され、見世物として陳列され、就業時間外ですら足枷によって監視・管理されてゴシック・フォレスト内の寮から出る事が出来ず、ほぼ監禁されたような有様だったのだ。

「なあ、俺たち逃げて良かったのか……?」

 後ろを走っていた仲間の一人が、ぽつりと呟いた。

 ケインらは本当ならば、ユリを介してグレゴリー社長と直接交渉がしたかった。

 確かに監禁され、見世物にされる状況は耐え難い屈辱だったが、パークを逃げ出して戻った先のスラムに、明日の希望などありはしない。ケインらを使っていると周囲に知られる事を、異常に恐れるゴシック・フォレストの責任者の様子から、もっと上役の人と直接話が出来れば何か変わるかもしれないと期待したのだ。

「仕方無ェだろ。あのまま捕まったんじゃ、またぞろゴマ塩頭のクソジジイに握り潰されるだけだ。王国のお姫さまとはいえ、あんな世間知らずのお嬢ちゃんに、あの狡いジジイを何とかするような力は無ェよ」

 別の一人が、苛立たしげな溜息と共に吐き捨てた。ゴマ塩頭とは、ゴシックフォレストの責任者の事だ。確かに、ユリのような子供一人の主張など、あくどい大人の前では簡単に潰されてしまうだろう。彼女の地位は高い。だが、その地位の高さに彼女自身に対する「信用」はまだ全く加味されていないのだ。ただの子供の駄々――そう丸め込まれてしまった時、それを押し退けるほどの力がユリにあるとはケインにも思えなかった。

 そして、それより何より、あの時此処に居る人間の大多数の心を占めていたのは、何を置いてでも逃げ出したい、という恐怖心だった。




 この宇宙において最大の国家は「宇宙最前線惑星連邦(FSPF)」通称「連邦」と称されている国だ。

 この連邦は二十年前、その勢力を広げるための軍事力の切り札として、自律人型戦闘機――現在で呼ぶところのコンバット(CM)型ドールを投入した。このCMドールは別名キリング(殺戮)ドールとも呼ばれ、侵攻した連邦側に一切人的被害を出さずに、次々と周辺諸惑星を蹂躙した。非力な子女を装うため人間偽装機能に特化した隠密型から、白兵戦特化型、あるいは戦車や戦艦等の脱着可能な汎用自動制御システムに近い操縦特化型まで、ありとあらゆる型のドールが人間の代わりに戦場に現れ、人間であれば到底及びもつかないような、無慈悲で苛烈極まる戦果を上げたのだ。

 今ここツクヨミに、戦災難民として流れ着いたケインを始めとした貧民の多くには、このCMドールの恐怖が身体の芯まで灼き付いている。奴らはケインたち人間とは全く別の存在だった。存在する意義そのものが違う相手に、同情や共感は期待できない。「心が有る」と言われていても、その良心や感情の尺度そのものが全く違うのだ。全く意思の疎通も理解も不可能な相手が、武器の塊、殺戮の道具として自律行動する様は、まさしく「無慈悲」という言葉を具現化したようなものだった。

 あの桂と呼ばれる、ユリの連れていた女性型護衛ドールは、ケインや他の戦災経験者に、そのCMドールの恐怖をフラッシュバックさせる恐ろしい存在だった。その桂が、展示ガラスを砕いて突入し、人間離れした動きでケインに攻撃を仕掛ける様は、その場に居た者の平常心を奪うに十分過ぎたのだ。

「けど、ここまで騒ぎがでかくなってりゃ、もうゴマ塩一人じゃ片づけられないだろ」

 当初の目論見通り、グレゴリーパークの上役が出てくれば事態が好転するかもしれない。そう一人が期待の声を上げた。

「しかし、警備スタッフは増えているが、警察官の姿は無いぞ。やはり王国全体が握りつぶす気では……」

 別の一人が、安易に楽観視するなと思案気に止める。

「もういっそ、あのパレードのド真ん中で演説ぶち上げるのとかどうだ?」

 自棄半分の空元気で、そう笑う者もいた。

「馬鹿、おもっくそ見世物になって晒された挙句捕まるんだぜ。俺ら不法入国者なんだ、捕まったら最後、稼ぐアテも食うモノも何もない『故国』に強制送還だよ」

「くそ、ユリ・グレゴリーを奪い返されたのはやっぱり痛いね……」

 皆が口々に言っては溜息を吐く。最後に響いた、サルマの悔しげな言葉がケインの胸に刺さった。ユリのケインを見る目は真っ直ぐに澄んでいた。その瞳の奥に、憧れのような甘い熱が宿っていたのも知っている。彼女はケインをドールと信じて疑っていなかった。なのに、ケインを一人の人格として認めていた。なんと世間知らずで愚かな娘だろう。ドールなどというものはおよそ、そんな生易しいものではないのに。

 だが、己の姿を映して輝く空色の双眸に、己の姿を美しいと歌う鈴の音のような声に、心を動かされなかったといえば大嘘だった。その純粋な善意と好意を踏みにじったという自覚は、少なからずケインの胸を苛んでいる。

「それは言っても仕方が無いさ。もう、僕たちに残された道は、捕まるか、逃げ切るかの二つしか無いんだ。僕は、出来るところまで逃げ切りたい」

 ケインは静かに決意を述べた。逃げた先に何も無くても、もう後には退けないのだ。

「とりあえず、パークを出ちまえば隣のエリアには幾らでも隠れる場所があるはずさ。あのバカでかい門さえ突破すれば私らの勝ちだ」

 皆を鼓舞するように力強くサルマが言う。視線を上げた先にはアトラクションゾーンの入り口の向こうに、色とりどりにライトアップされて、昼間よりも更にどぎつい存在感を主張するパークの正門がそびえている。暗視に強く視力の弱いケインから見ればそれは、極彩色のモザイクで出来た異様な光の柱であった。




 パーク正門の周囲は夜間パレードの周回予定地である。更にはパークそのものの玄関と言う事もあって景観が良い。それゆえパレードの背景としても様になるため、多くの見物客がエントランスゾーン周辺に陣を張ってパレードを待っていた。ギリギリまで人目につかない場所を選んで走ってきたケインらだが、ここから先は物陰などなさそうである。

「いっそ、パレードが始まってからなら、客の注意もそれるんじゃないか?」

 そんな意見を言う者もあったが、辺りを見回せば着実に制服姿の警備員の数が増えている。ケインの肩車に乗って、物陰から正門の様子を見ていたサルマが首を横に振った。

「それも厳しいだろうね。もう随分の警備員が出入り口に張り込んでるし、やっぱ客に何かあったらマズイってのもあるんだろ。ゾロゾロ増えてるよ、連中」

 サルマはゼルエル――力の天使の名をつけられただけあって、小柄な体躯の割に非常に筋力がある。そして、その視力も常人の二倍以上あるらしい。視力が高くても身長が無いため、大したものが見えないと嘆く彼女を肩車に乗せるのは、以前からのケインの役割だった。きびきびした性格のサルマは、彼ら元天使たちが何かをする時、大抵リーダーシップをとってくれる。

 彼らの周囲を探し回る連中の足音は、刻一刻とその輪を縮めていた。視界の悪い環境に適応して聴力を発達させた仲間の耳には、それがはっきりと分かるという。

 覚悟を決めたケインらは、人垣が出来始めているメインストリートを避け、一階がフードコート、二階がレストランになっている建物の中を突っ切って正門を目指す事に決めた。二階のレストランはパレードを鑑賞しながら食事が出来るため、遠目に見ても多くの人が入っている。しかし、人垣に遮られてしまう一階ならば多少、人が少ないのではないか。そんな期待があったからだ。

 幸いにして、ストリート沿いよりも警備が手薄だったフードコートに、ケインらは一気に走り込む。

 中は薄暗く照明を落としてあり、様々な色に光を変える巨大なシャンデリアが、中央に一つ吊るしてあった。内装はドラキュラ城の晩餐会、とでもいった雰囲気で、中央では年代はバラバラながら盛大にドレスアップした(中にはゴシック・ロリータのような格好も混じっている)人々が、生で楽器を演奏し、くるくるとダンスを踊っている。

 飛び込んできたケインらに気付いた数人の警備員とホールスタッフが、慌てて客らを避難させ、応援を呼ぶために大声を上げる。一気に騒然となったホールに何事かと眼を丸くしながら、客らしき人々がダンサーたちを囲むテーブルから壁際へと避難した。

 その中で、中央の楽団とダンサーたちだけが、何事もないかのように演奏とダンスを続けている。

「こいつら、全部ドールだってのかい!?」

 ケインに背負われ、ホールに突入したサルマが驚きの声を上げた。

 円舞を続ける人形たちを避けて対岸の出口を目指すが、騒ぎを聞きつけて集まってきた警備員に出口を塞がれてしまう。ゴールを見失ったケインらは咄嗟に次の方向を定められず、てんでバラバラにホール内に散ってしまった。

 とうとう袋のネズミになったケインたちを取り押さえようと、警備員たちがホールに続々と駆け込んでくる。煌びやかなシャンデリアの光と、優雅なロンド。この大騒動におよそ似つかわしくない音楽と光の中を、ケインたちは逃げ惑った。

 逃げ場をなくしたケインは、とうとう踊り続ける人形たちの中に突っ込んでしまった。

 人間を感知して緊急停止したドールにぶつかり、ドールがダンスパートナーを巻き込んで派手に倒れる。連鎖的に何組かの人形が倒れ、金属骨格や樹脂がぶつかるガチャガチャという音が周囲に響いた。

 ドールを恐れるケインの足が竦む。

 人形たちは、ある物は関節が外れ、ある物は衣服が破れ髪も乱れたまま、何事もなかったかのように立ち上がっては再び踊り始める。

 動けないケインの背からサルマが飛び降りた。周囲の警備員たちは、動かなくなったケインをめがけて走り寄ってくる。サルマは、近くで立ち上がろうとした女性型ドールの足を引っ掴むと、力任せにそれを警備員たちの方へ投げ込んだ。

 警備員たちが悲鳴を上げて左右に避ける。放り投げられたドールは宙を舞い、床で一度バウンドすると食事用のテーブルに強かにぶつかって壊れた。その隙にケインの腕を取ったサルマが走り出す。

「もう無理だ、サルマ。これ以上は……!」

 ケインはドールが苦手だった。いや、恐れていると言っていい。何故なら彼の故郷は十数年前、実戦投入され始めたばかりのCM(戦闘)型ドールによって、破壊しつくされたからだ。

 彼の故郷は大きな連合国家と連合国家の狭間に位置する小さな国だった。

ケインらの国を含む連合国家は、AHMそのものを開発した国と戦争状態に陥り、国境に位置したケインらの国は真っ先に蹂躙された。

その時、当時まだ幼かったケインが見た物は、壊れてなお破壊の為に突き進む殺戮人形の群。

自らの任務遂行以外の事に一切の興味を示さず、無表情のまま黙々と故郷を更地に変えたドールたちの姿を、以来ケインは忘れる事が出来ない。

 ダンス人形たちの姿に恐怖がフラッシュバックしてしまったケインには、もう逃げる気力が残っていなかった。サルマが彼を叱咤しながら引っ張るが、桂に蹴られたため痛み、恐怖に萎えた足はそれについていかない。身長差も祟ってとうとう転んだケインに、巻き込まれてサルマが悲鳴を上げる。もう終わりだ。そう、強かに肩と腕を床に打ったケインが覚悟した、その時だった。

「すぐ後ろが出口です、逃げてくださいっ!!」

 少年の怒号と共に、巨大なシャンデリアが天井から降ってきた。



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