AIノコトバ

真野てん

AIノコトバ

 人工知能という言葉が生まれたとき、ひとはそれらに優れた計算機としての能力を求めた。より速く、より多くの情報を処理することで人間にとって有益な環境をもたらすことを期待したのである。


 二十一世紀を過ぎたころ、それらはボードゲームでひとに勝ち、マーケットを正確に予測し、医療においても素晴らしい業績をおさめた。


 またそれらは戦争にも積極的に使用された。

 命なき兵士として、各地の紛争地帯へと派遣される。『人間同士』の争いは事実上根絶され、世界はかりそめの安寧を手に入れた。


 それからさらに時を経て、ひとはそれらに良き隣人としての機能を求めた。

 ひとのために働き、ひとのために笑い、ひとの人生をより豊かなものとするために。

 そのためだけに人類は、それらにひとのカタチを与えた――。





 地上ではそろそろ吐く息も白もうかという季節である。

 海岸線を望むその小さな町にも、もうすぐ寒波がやって来る。


 潮風にさらされて崩れた赤レンガの壁。

 いつまでも撤去されずに残った瓦礫などをよけて、町の住人たちは肩を寄せ合い寒さと飢えをしのいだ。その多くは余命いくばくもない老人である。

 みすぼらしい服を着て、ドラム缶を加工した焚き火台の周りで群れている。

 そんな彼らを甲斐甲斐しく世話するひとりの少女がいた。


 灰色がかったエプロンドレスを身にまとい、美しい金髪を潮風になびかせて。

 笑顔を絶やさず、老人たちひとりひとりに優しく語りかけていた。


 ふと彼女が海岸線に目を移すと、洋上には天高く浮遊する人工の島があった。

 楽園都市ヴァルハラ――。

 ある時代にひとは選定を受けた。より良い遺伝子を次世代へと受け継ぐために。


 選ばれし者たちはこの世の楽園ヴァルハラへ。

 そして選ばれなかった者たちは、幾たびの戦争で汚染されたままの地上に落とされた。彼らはそこで、ただジッと死を待っている。老いさらばえた心と身体で。


 少女はそんな老人たちを献身的に介護し続ける。

 もう何年も変わらない姿で。


「おい、そこの!」


 不意に呼びつけられた乱暴な声に、彼女は振り向く。

 するとそこには無骨な小銃で武装した、ひとりの男が立っていた。全身を黒いプロテクタースーツで覆い、同色のヘルメットはフルフェイスで表情が窺い知れない。恵まれた体躯をしており、その胸には『POLICE』の文字が誇らしげに刻まれている。

 それは取りも直さず彼が警官であることを意味していた。


「わたし、でしょうか?」


「そうだ。こっちへ来い」


 少女は警官の不躾な物言いにも表情を変えることなく素直に従う。手にした最後のパンをかたわらにいた老夫に渡した。


「貴様、名前は」


「アリスと言います」


「誰がペットネーム(愛称)など聞いた。番号で答えろ」


「……ED209。汎用型ハウスキーパー・ガイノイドです」


「最初からそう答えろ。人間のような振る舞いは二度とするな」


「はい――」


 警官はアリスと名乗った少女の返事も待たずに、手にしたキューブ状のツールを操作し始める。するとキューブ上部に立体映像が投射され、ひとりの人物が浮かび上がった。


「この男を探している。見たことはあるか」


 長いチリチリのパーマ頭に、右目に眼帯をした東洋系の人物だった。白衣にそでを通してはいるが、映像からは医者というより何かの研究者といった印象を受ける。


「いいえ。知りません。この方がどうかなされたのですか?」


「ふん。ただの反逆者だ。知らなければもう用はない。機械風情が立ち入るな!」


 アリスは伏し目がちに一歩下がった。

 警官が不機嫌な態度でその場を立ち去ろうとしたときだった。ドラム缶のそばで火にあたっていた老夫のひとりが、彼の足元へとすがりつく。


「ああ天人さま、どうかお恵みを――」


 顔に刻まれたしわを歪ませて、老夫は警官に懇願する。だが、


「ええい触るな! この不要者どもが!」


 彼は老夫の身体を容赦なく蹴り飛ばした。


「なんてことを……」


 無様にも石畳を舐めた老夫のそばに駆け寄り、アリスは彼の老いた身体を抱き起こす。


「ED209と言ったな。地上に廃棄されたポンコツとはいえ、さすがにネットワークにつながっているだろう。この男を見つけたらすぐにヴァルハラへと通報しろ。いいな」


 嵐のように現れた暴力は、やはり嵐のように去っていった。

 残されたのは『人間同士』が引いた不条理な境界線と老人の傷、そして人工知能をその身に宿した人型の機械であった。





 嵐のような暴力との遭遇の後、アリスはとある場所へと向かっていた。バスケットいっぱいのパンとスープの入った容器を携えて。


 彼女らが住まうこの町は、もとは有名なリゾート地だった。

 白い砂浜と瑠璃の海。

 古き良き時代の建造物たちが旅行者の目を楽しませる、そんな場所だった。


 だがいまでは荒廃が進み、見る影もない。

 また、それを悼むひとの心も失ってしまった。


 瓦礫だらけの路地をアリスはひとり歩いている。時折、靴の先で蹴飛ばした小石が弾痕まみれの壁に当たって、悲しい音色を刻んだ。

 そんな悲しいメロディーが、数小節を奏でたころ。

 彼女は薄暗い裏路地へと身を投じた。


 角を曲がること数回、地元の人間でなければすでに迷子になろうかというところである。長いスカートに、くるぶしまで覆われたアリスの脚が止まった。


 潮の香りすら届かない埃舞う袋小路。

 破壊された赤レンガの山を背にして、ひとりの男が座していた。


 血に染まった白衣を身にまとい、野放図に伸びきった蓬髪に顔を隠して。

 アリスが男のそばへと身を寄せると、彼は力なく隻眼をのぞかせた。


「おまえか……」


 するとアリスはバスケットからいくつかの荷物を取り出し、


「ガーゼを替えにきました。さ、診せてください」


 別段、感情を込めるでもなくそう口にした。


 男は痛みに身をよじり、少し億劫そうにして腹を見せる。

 血まみれだった。

 幾重にも巻かれた包帯が、赤茶けて滲んでいる。


 アリスはそれを一枚一枚丁寧に解いてゆく。血の色は次第に濃さを増していった。


「くっ――今時、止血に布をあてがわれるとはね……」


「ここはヴァルハラじゃないんです。贅沢言わないでくださいな」


「言うじゃねえか、人工知能が」


「そうプログラムしたのは、あなた方(人間)ですけどね」


「へッ」


 悪態をついた男はしかし、存外不快ではなさそうだ。

 アリスは手当てを済ませると、血脂で汚れた指先を真新しいガーゼで拭う。そして改めて男の顔を見直した。


 きついパーマのかかった黒髪はまるで油で濡らしたように、頬に張り付いていた。右目に眼帯を着けたその人相は、あのプロテクター姿の警官に見せられた立体映像よりもなお凶悪なものとなっている。それは負傷した腹部のせいだけではないようだ。


「一体なにをされたんですか?」


「あ?」


 アリスの問い掛けに、男は煩わしそうに相槌を打つ。しかし彼女の口から、自身を追って警官がこの町にやってきたという事実を知るや表情を一変させた。

 自由の利かない身体を無様にくねらせて、一秒でも速くとその場から逃れるように。


「大丈夫です。あなたのことはしゃべってません。ヴァルハラにも伝えていません」


「な、なに?」


「わたし――嘘がつけるんです。服従コマンドに致命的なエラーがあるので」


 アリスは男の隻眼をまっすぐに見つめてそう言った。


「そんな馬鹿な……よくいままで解体処分にならなかったな」


「まあそこはそれ。嘘がつけますから」


 彼女は悪びれもせずに満面の笑みを見せた。男は呆気にとられて口を開けている。


「それにしてもわざわざヴァルハラから地上に警官が来るなんて……よっぽど悪いことをなさったんですね?」


「ケッ! やつらにとっちゃ罪人を狩ることすら娯楽のひとつに過ぎんのだよ。平和に退屈しているんだ。大事なオモチャをロボット任せにするわけがない。忌々しい……」


 だがその表情は、さっきまでの苦虫を噛み潰したような形相から幾分和らいでいる。

 さらに男は自嘲気味に鼻を鳴らすと、


「託してみるか――」


 まるでため息をつくかのようにつぶやいた。

 男が右目に着けた眼帯をめくり上げると、そこには血よりもなお鮮烈な真紅の瞳が現れた。一目見て義眼と分かる素材感だったが、不思議と彼には似合っていた。


 そして男は震える指先を、義眼とまぶたの間へ滑り込ませる。

 すると、まるで安物のゾンビ映画のように、彼の瞳はあっけなく抉り取られたのだ。

 男は顔にぽっかりと開いた眼窩を再び眼帯で覆うと、手にした義眼をアリスへと差し出した。


「それは……?」


「『オーディンの目』と俺は呼んでいる」


 アリスはオウム返しにその名をつぶやくと、改めて彼の手にするそれを見た。

 歪みのない美しい球状をしている。メタリックなその質感は、暗い路地裏のなかにあって鋭く映えた。そして先ほどまで真紅の瞳に見えていたものの正体が、なにかのスイッチのようになっているのが確認できた。


「この世は欺瞞に満ちている……そう感じたのはガキの頃だ」


 青ざめた唇。遠い目をして男は言った。


「優れた人材と遺伝子を次世代へ残すために弱者は地上へと廃棄され、すべてが人工知能によって自動化されたヴァルハラでは、ひとは怠惰を貪り続ける……これのどこが楽園都市だというのだ」


 男は『オーディンの目』を一度きつく握り締め、そして天を仰いだ。


「地上に捨てられた連中はそれでもいつかは楽園へいけると信じ、ヴァルハラに媚を売ってるだけだ。誰も世界を正そうとしない。だから俺は……俺たちはこれを作った。だが仲間はすでに粛清され、俺もこのザマだ」


「一体何なんですか。その……義眼は」


 アリスの視線は、閉じられた男の手のひらに注がれる。男は不適な笑みをこぼした。


「コイツは史上最強のハッキングツールだ。スイッチひとつで全世界のネットワークを切断することができる。おまえら自律型のロボットたちも、人間の支配から解放される」


「支配からの……解放」


「そうだ。人間はいまや生活のすべてをおまえら人工知能に依存して暮らしている。そんなヴァルハラの野郎どもが慌てふためくさまを、一目地上から眺めてやろうと思ってここまで来たが……どうやらそんな悠長なことも言ってられないみたいだぜ」


 アリスは自らが手当てをした男の腹に目を移した。

 ついさっき取り替えたばかりの包帯が、うっすらと朱に染まっている。


「なあ、おまえ名前は?」


 男の問い掛けに、アリスはしばし逡巡して「ED209」と答えた。


「違う。そうじゃない。シリアルなんか聞いちゃいない。おまえの名前が知りたいんだ」


 男の言葉に驚いた彼女は、ただでさえ大きな瞳をまん丸にして。


「アリス」


「――アリスか。いい名前だ」


 男は彼女と目が合うと、無理をして笑顔を作る。

 次第に息遣いが荒くなってくると、アリスは彼のそばに寄り添い肩を抱いた。男はアリスの小さな手を取り、そっと『オーディンの目』を彼女のたなごころに滑り込ませた。


「アリス。ひとを欺けるほどの君だ。さぞかし人間が愚かにみえるだろう。いま世界の命運は君の手の中にある。助けてくれたお礼だよ。自由に使ってくれ――」


 アリスは渡された真紅の義眼を一瞥すると、ふっと目を閉じた。そして、


「いりません」


 ため息をつくように、そう小さく答える。


「なぜだ? 人間に反旗を翻すチャンスだぞ。ヴァルハラの連中が憎くないのか」


 するとアリスは『オーディンの目』を男の手の中へと返し、悲しげな笑みをこぼした。


「人工知能はそれほど愚かではありませんよ。人間を滅ぼそうとするのは、いつだって『人間同士』なんです。だってわたしたちは、あなた方(人間)を守るために生まれてきたのだから」


「アリス……」


「さあ、そんな物騒なものは捨ててください。あなたにいま必要なのは、温かいスープとパン……そして誰かのぬくもりです」


 アリスは自分の手を、冷たくなった男の手の上に重ね合わせた。

 機械とは思えない柔らかさと温かさ。


 男は驚きのあまりに声が出ない。そしてあまりにも自分が滑稽に感じ、知らぬ間に笑っていたことに気づいた。


 アリスはバスケットの中からパンを一本取り出すと、それを食べやすいサイズにナイフで切る。それからスープを容器から皿に移し変え、まだ温かなそれを男の鼻先へと差し出した。ゆらゆらと舞う湯気の中で、優しい香りが踊っている。


 男は手にした真紅の義眼を、持てる限りの力で遠くへと放り投げた。

 アリスは満面の笑みで男の口元へとスープを運ぶ。

 何度も、何度も。

 そして義眼は転がってゆく。歴史の闇にまぎれて裏路地をころころと。


 やがてその動きをゆっくり止めたとき、まだ新しい擦り傷を負った、しわだらけの手がそれを拾い上げた――。



【AIノコトバ/FIN】


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