いらっしゃいませ、クレーマー様
虹音 ゆいが
いらっしゃいませ
「篠宮く~ん、今手空いてるかなぁ~?」
間の抜けた声が私を呼びます。商品の陳列を直す手を止め、私は歩み寄ってくる彼に視線をやりました。
「はい、大丈夫です。どうかなさいましたか? 店長」
「うん、それがさ……また来たんだよ、彼女」
「あぁ……」
〝彼女〟。店長である彼が声を潜めてそう言うのは、決まってとあるお客様がいらっしゃった時です。
「やはり、彼女は私を……?」
「うん、篠宮君をご指名。行ってくれるかい?」
「かしこまりました」
店長に向けて腰を折った私は、足早にカウンターへと向かいます。
ここは家具販売店、『
けして規模は大きくなく、従業員もアルバイトの子を含めても20人程度の小さなお店です。私、
大学を卒業してもう4年……まだまだ若輩者ですが、先輩従業員の足を引っ張らない程度には日々の業務も板についてきました。
今まで私がやっていた仕事は新人のアルバイトに任せる事が増え、私は本来の仕事である接客業の腕を磨くべく、日々お客様の応対をさせていただいています。
ですが、今から私が応対させていただくお客様は、普通のお客様ではございません。
「秋津さん、お客様はどちらに……?」
カウンターに立っている学生アルバイトの秋津さんに小声で尋ねると、秋津さんはほっとしたように私を見た後、さりげなく視線を投げます。
その先には、商品として展示されているソファー。10万円を超える、どちらかと言えば高級と言って良いソファーに、〝彼女〟が腰掛けているのが確かに見えました。
「店長から聞いてると思いますけど……クレーマーらしいので、気を付けてくださいね」
「はは、ありがとうございます。行ってきますね」
私を気遣ってくれる秋津さんに笑みを投げ、私は〝彼女〟の下へ向かいました。
そう、〝彼女〟はクレーマー様なのです。当店で扱う家具の質、性能に対し、様々な意見を投げかけて下さるお客様です。
どのようなお店にもクレーマー様はいらっしゃると思いますが、〝彼女〟は筋金入りと言ってもいいほどのクレーマー様のようです。なにせ、1ヵ月に5回は当店に足を運んでくださるのですから。
さて、お客様に対しては真摯に向き合うのが接客業の基本ですが、〝彼女〟に対しては些細な非礼も許されません。私は小さく深呼吸を重ね、
「草加様、大変お待たせいたしました」
細心の注意を払いつつ、〝彼女〟……
相変わらずお美しい女性です。少し幼げな顔立ち、それとは対照的にブラウスとロングスカートでシックに纏められた服装。ファッションに疎い私ですが、それが草加様という一人の女性を最大限輝かせるべく考え抜かれたモノであることは容易に想像がつきます。
確かお年は、21歳だと仰っていましたね。近くにある某大学に通っておられるとの事。有名校ですので、学力も相当なのでしょう。いやはや、大したものです。
「……やっと来たわね、店員さん!」
草加様は立ち上がり、顔をしかめて私に詰め寄ります。はい、いつもの草加様ですね。
「遅くなりまして申し訳ございません、草加様」
「どうしてあなたはいつもカウンターにいないの? 毎回わたしを待たせて悪いと思わないの?」
「はい、申し訳ありません。私も他の業務に手を取られている事が」
「言い訳は聞きたくないです!」
顔を真っ赤にして草加様はお怒りでございます。ここはいつも通り、彼女を落ち着かせる事から始めましょう。
「重ね重ね、申し訳ございません。お詫び……になるかどうかは分かりませんが、本日は誠心誠意、草加様にお力添えさせていただきたく存じます」
「ぅ……わ、分かりました! わたしの話、たくさん聞いてもらいますからね!」
「かしこまりました、草加様」
良かった、落ち着いて下さいました。まだお顔は赤いのでお怒りそのものは収まっていないのでしょうけど、ひとまずは良しとしましょう。
「それでは草加様、本日はどのようなご用件でございましょうか」
「えぇ、こっちに来てください!」
早足で歩きだす草加様。私も急いでその後ろに付きます。
……ふむ。普段の接客では私がお客様を先導するものですが、先導される、というのは少々不思議な心地ですね。
「――――ちょっと、店員さん! 聞いてますの?」
……っ! いけません、接客の最中にお客様以外の事を考えるだなんて、店員失格です。しっかりしないと……。
「申し訳ございません、少々ぼーっとしておりました」
「何をしてるんですか!? まったくもぅ……仕事で疲れてるんじゃないです? 自分の体調ぐらいはちゃんと管理してください」
「お気遣い、ありがとうございます」
草加様はとてもお優しい方です。こうして気遣いのお言葉を掛けて下さることは一度や二度ではございません。素晴らしいクレーマー様なのです。
「……で! これなんですけど」
そう言って草加様が足を止めたのは、座椅子や小さなソファーの売り場です。
「これは……確か半年ほど前、草加様にお買い上げいただいた物ですね?」
「よ、よく覚えてるわね。わたしが買った事だけじゃなく、買った時期まで……」
「大学が長期の休みに入るので、快適に毎日を過ごせるような座椅子を、との事でしたよね。勿論覚えておりますよ」
あの時は、1時間以上悩まれた後にこの座椅子を買ったはず。さて、この座椅子に何か問題でもあったのでしょうか。
「この座椅子ね、昨日壊れちゃったの」
「それはそれは……残念でございます」
「半年よ半年! 座面はもっと早くヘタれちゃったし、それでも頑張って座り続けたら今度は骨組みがばきっ! ってなっちゃった。壊れるの早くない!? 不良品だったんじゃないでしょうね」
なるほど。座椅子が早く壊れた事に怒ってらっしゃるのか。
「ですが草加様……接客させていただいた時、使用頻度や使っている状況により座椅子の寿命はかなり早まってしまう、とお伝えしたように記憶しておりますが」
「う……そりゃあ、毎日座り倒してたけど。でも、それで骨組みまで壊れるのはおかしくない?」
確かに……仰ることは分からないでもないですね。
座椅子の骨組みが壊れるとなると、よっぽど体重の重い方が使用していたか、よっぽど妙な力の掛け方をしたか。ですが、草加様はとても華奢な方ですし、座椅子を壊すのは難しいように思えます。
となると、確かに商品の不良、だったのでしょうか。
「そう、ですね……分かりました。商品の状態次第では、こちらで新品に交換いたしますので、よろしければ壊れた商品を当店までお持ちいただいて」
「わたしに持って来いって言うの!?」
「……失礼しました。当店の配達員をご自宅まで向かわせて商品を回収いたしますので、恐れ入りますがあちらで住所をご記入いただけますか?」
何度も草加様のご自宅には商品を配達していますので住所は分かっているのですが、店の規則として新しく伝票を書かなければなりません。私は草加様をカウンターにご案内
「ちょ、ちょっと待って! 今日はそれだけじゃないんです!」
しようとしたところ、何やら他にもご不満がある様子。伝票は後にするとしましょう。
「はい、お伺いします」
「先週買った食器棚なんだけど」
先週……あぁ、覚えております。以前お買い上げいただいた収納ボックスに割れがあった、と当店にお越しいただいたとき、収納ボックスを新品にお取替えしたついでに組み立て式の食器棚をお買い上げいただきましたね。
「商品にキズなどがございましたか?」
「いいえ、新品のぴっかぴかだったわ」
「それは良かったです。でしたら、どのような問題が……?」
「…………いの」
はて、急に声が小さくなって聞き取れませんでした。
「もうしわけございません、もう一度よろしいでしょうか?」
「……だから! 組み立てられないの!」
ああ、いけません。お顔の赤さと声の大きさ、さながら火山の噴火のようです。
しかし、組み立てられない、ですか。
「あの商品、簡単に組み立てられる、って話じゃなかったかしら!?」
はい、そのようにご説明しました。メーカー様がそれを一番のウリにしている商品でしたし、私も一度組み立てた事がありますが、組み立てを失敗する方が難しいような商品だったのですが。
「店員さん、あなたわたしに嘘をついたのかしら?」
「いえ、そのような事は……」
困りましたね。恐らくこれは、組み立て方をアドバイスして解決するような問題ではなさそうです。大きな声では言えませんが、草加様の組み立て技術に根本的な問題があるような気がしてなりません。
…………、よし、こうしましょう。
「草加様。それでは後日、私が草加様のご自宅にお邪魔させていただくのはいかがでしょう?」
「…………は!? 店員さんが、わたしの家に……?」
うろたえる草加様。私は笑みを絶やさずに頷きます。
「私が草加様の代わりに商品を組み立て、座椅子もその時に回収させて頂こうと思いまして。勿論、草加様のご都合次第ですが」
大学生の女性だ。私のようなアラサーの男を家に招き入れるのは抵抗があるでしょう。狼狽えるのも仕方ありませんね。
草加様はしばらく考え、こくんと小さく頷いて下さいました。
「……え、えぇ。分かりましたわ。店員さんが、来てくれるのよね?」
「はい。もしも私にご不満があるようであれば、他の者を向かわせ」
「いい! 店員さんが……店員さんで、いいですわ!」
良かった、納得していただけた。ではこちらへ、と私は今度こそ草加様をカウンターにご案内します。
そちらで住所をご記入いただいた後、伝票を作成する機械を操作しながら私は店長に報告しました。
「すみません、店長。後日、私がお客様のご自宅を訪問して商品を組み立てる運びになりました」
「あぁ、そうなんだ~」
「すみません、その間は販売員の仕事が出来ませんが……」
「いいのいいの! 彼女はまぁ、確かにクレーマーなんだけど、個人的には頑張って欲しいと思ってるからさ~」
……頑張る、とはどういう事でしょう? 尋ねようとしましたが、店長はどこかに行ってしまいました。
「ちょっと、まだ出来ませんの!?」
おっといけません、草加様がお怒りです。
私は急いで伝票を作成し、彼女の下に舞い戻ります。
「お待たせいたしました。それでは、こちらの伝票をお持ちくださいませ」
「ええ。……確認だけど、3日後の午後2時に、来るのよね?」
「はい、その予定でございます」
「分かったわ」
草加様は伝票を大事そうにバッグにしまい込み、歩き出します。
「1秒でも遅れたら、分かってるわよね? 店員さん」
「はい。けして遅れないと、お約束いたします」
「どうだかね」
草加様が入り口に近づいていく。お帰りになられるお客様にしつこく付いていくのは良くない、と考えているので、私はカウンターの前で草加様をお見送りします。
やがて自動ドアが開き、私がいつものように最後の挨拶をしようとしたその時、
「店員さん。あなた、紅茶は好き?」
草加様が突然そんな事を仰ります。何故そんな事を訊くのか良く分かりませんが、私は笑顔で返しました。
「はい、とても好きです」
「そう、なら良かったわ」
少しだけ。ほんの少しだけ笑みを浮かべた草加様は、そのまま自動ドアの向こうへと出て行かれます。
私は改めて、彼女の背中に向かって腰を折りました。
「またのお越しをお待ちしております」
いらっしゃいませ、クレーマー様 虹音 ゆいが @asumia
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