月が綺麗ですね。 短編集
星成和貴
第1話
「お疲れさまでした」
バイトが終わり、わたしは挨拶をして店を出た。
「あ、内田さん、待って」
後ろから先輩が急いで向かってきた。わたしはそれが嬉しくて、でもそれを悟られたくなくて、自然な感じでその場に立ち止まった。
「夜も遅いし、今日も送っていくよ」
「はい、ありがとうございます。でも……」
「うん、俺も散歩したかったし、ついでだから」
そう言って先輩はゆっくりと歩き始めた。わたしのペースに合わせて。
先輩はいつもそうだった。
夜、バイトが終わると、先輩の家は逆方向なのに、ちょっとした理由をつけて、わたしに気を使わせないようにして送ってくれる。
わたしが歩くのが遅いのに気づくと、それ以降、先輩もゆっくりと歩いてくれる。いつもはもっと、速いのに……。
でも、先輩が優しいのはわたしにだけじゃない。他の人にも、誰にでも優しかった。それが嫌で、でも、そんなことを思ってる自分がもっと嫌だった。
でも、もっと嫌なのが、こうなるのが分かってて、引き留めてほしくて、わざと一人で先に店を出て、それなのに喜んでる自分。
わたしはただの後輩の一人。先輩はわたしのことなんてそんな風にしかきっと、思ってない。だから、わたしの先輩が好きだっていう気持ちは誰にも言わない、言えない秘密。
でも、こうして二人でいるとたまに気持ちが溢れて、抑えきれなくなりそうになる。
それでも、それを伝える勇気なんてわたしにはなくて、だから、わたしは先輩の優しさに甘えるだけで……。
そっと先輩の顔を見上げると、その向こうに満月が輝いていた。
今日は旧暦の8月15日、中秋の名月。だから、あんなにも綺麗に……
「あ……」
「内田さん、どうかした?」
無意識に出ていた声に先輩は優しく微笑んで聞き返してくれた。わたしは、
ほんの少ししかない勇気をかき集めて、
足りない分は先輩の笑顔に勇気をもらって、
そして、昔の文豪に言葉を借りて、
初めて想いを口にした。
「月が、綺麗ですね」
これが、勇気のないわたしにできる、せいいっぱいの告白。
わたしは先輩の顔を見ることができなくて、下を向いてしまった。
先輩は今、何を思ってるのかな?
わたしの想い、気付いてくれたのかな?
でも、叶わないならむしろ……。
と、急に先輩の手がわたしの手を握った。
「俺もそう思ってたよ」
顔を上げると、先輩は空を見上げていて、表情は分からなかった。でも、少しだけ顔が赤いような気がした。
暗いし、ほとんど見えないから、わたしの気のせいかもしれない。
先輩の言葉ももしかしたら、文字通りの意味なのかもしれない。
でも、それでも、わたしは嬉しくて、先輩の手を握り返した。
その手は優しくて、温かくて、わたしを幸せにしてくれた。
空を見上げると、綺麗な月がわたしたちを見守ってくれていた。
今日、先輩と見た月をわたしは決して忘れない。
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