玉ねぎ知性体(自立型不動生殖知性体《onion》)

阿賀沢 隼尾

玉ねぎ知性体(自立型不動生殖知性体《onion》)

「凄い! これは凄い発見だぞ! 小林くん!!」

 研究室の中に入るや否や、筒井教授が感嘆の声を上げて両手を握って来た。


「ど、どうしたんですか? 筒井教授」

「遂に! 遂に長年の私の研究成果が実る時が来たのだ! 見たまえ!」


 教授は興奮気味に遠隔操作で映っている「人工生命体研究室」のモニターを指指す。

 そこには、学校のプール並の大きさの容器の中に培養液で浸された玉ねぎが数個入っていた。


「あれがどうかしたんですか?」

「君の目は節穴なのかね!? 近くでもっと良く見たまえ!」


 モニターをよく見ると、画面に映っていたのは玉ねぎなんかでは無かった。


 確かに、植物の枝のような薄緑色の長い物体が水面上に浮かんでいる。

 更に、水中では、玉ねぎの実のようなものが成っており、他の玉ねぎの実に根を生やして結合しているのをモニター越しから確認出来た。


「教授。なんで、玉ねぎなんて育てているんですか……」

「ノンノン」

 筒井教授は、右手の人差し指を左右に振って、

「違う。違う。それは、玉ねぎでは無い。もっと、もっとよく見たまえ。小林くん」

「え……?」


 マウスを使って、「実」の部分を拡大する。


 こ、これって――――。

「――――脳」


「そう。脳だ」

「人の脳なんですか?」

「いいや。私が人工的に作り出した擬似脳細胞だ。擬似脳神経だ。顕微鏡で見たら分かるが、人の脳細胞とは若干形が違う。それに。それにだよ。小林くん。このデータを見たまえ!」


 筒井教授は私の手の上に、掌を乗せてマウスを操作しコマンドをクリックする。

 脳内の活動電位(電気信号)と血流濃度のデータが液晶画面に現れる。


「これは、この玉ねぎ達に電気刺激を与えた時の脳細胞の活動電位と血流濃度のグラフだ。右のデータが人の。左のデータがこの玉ねぎ達のだ。私は、この玉ねぎ達を〈自立型不動生殖知性体〉――――通称、《onion》と名付けた」


「〈自立型不動生殖知性体〉ということは、つまり、この玉ねぎ達は勝手に増殖するという事ですか!?」

 教授は大きく頷き、

「うむ。そうだ。実験はこれからだがね。今後は、《onion》が増殖するとどのような変化が起こるのか観察していかなくてはならない。小林くん、これを見て感動しないかね」


 いきなり同意を私に求められても困る。

「そうですね。そう言えば、教授の研究テーマは『植物と動物の知性の相違』でしたよね」

「ああ。そうだとも。小林くん。人の脳内構造を模倣したのだ。まだまだ四個しかない発展途上だからね。これからがとても楽しみなのだよ」


「で、でも、玉ねぎの根って繋がっていませんよね」

「むっ……」

 あ、機嫌を悪くさせてしまったみたいだ。

「そ、それはだね。仕方が無いのだよ。形が玉ねぎに似ているから別にいいではないか。微弱ながらも、神経が繋がっているのは、彼らなりの生存本能に従っての事なのだと私は思うのだ」


「と、言いますと?」

「これは、あくまで私の仮説なのだが……。こうして、お互いの神経と神経を繋げることによって情報を共有しているのではないかと考えられるのだ」

「なるほど。確かに、それは一理ありますね」

「今後は、この仮説に基づいて研究を進めてみようと思う」

 その日の会話はそこで終わり、私は自分の研究に没頭した。


 ――――――――――――――――

 ――――――――――――――――


 ――――それから数週間後。

 久しぶりに筒井教授の研究室に入ると、教授はパソコンのモニターに釘付けになっていた。


「教授、おはようございます」

「小林くん!!」

 声をかけた瞬間、両手を教授に握られた。


「私は世界的。いや、歴史的偉業を成し遂げたぞ!!」

 教授はそう言いながら、パソコンの画面の前まで手を引く。


 パソコンに映し出された光景に私は唖然とした。

 以前の数倍の《onion》が培養液の中を埋めつくしていた。

「私の仮説が証明されたのだ!! しかも、今回の研究で驚くべき事実が判明したのだ! 小林くん、人の脳は場所ごとに機能や役割が異なることを知っているかね?」


「はい。もちろんです。人の記憶を保存する海馬とか、快感や不快感、恐怖感を感じる扁桃体。人ならではの理性的な判断や合理的判断をすることが出来る大脳などの事ですよね」


 教授は大きく首を縦に振り、

「そうだ。だがね、人の脳には〈可塑性〉というものがあってだね、脳の一部が損傷を受けても他の脳部位が損傷を受けた部位の代わりの働きをする事があるんだ」

「つまり、損傷を受けた部位を他の部位が補うということですね」

「うむ。そういうことだ」


「なるほど! バイトを途中で辞めた人の仕事を他の人がするのと同じわけですね!」

「あ、ああ。そ、そういうことだ。いや、それよりもだね――」

 教授はコホン、と一つ咳をしてから、


「それともう一つ。さっき、人の脳はそれぞれの専門分野で働いていると言われているが、実はそれだけではない。それぞれ個々で働いているわけではなく、全体で情報の共有、バックアップをしているのだ。簡単に言えば、みんなそれぞれ最低限のステータスを持っているということだな」

「あ、だから、一つ欠損したとしても補うことができるということですね」


「そういうことだ。で、これを見てくれ。驚くべき事実を発見を私はしたのだ」

「どれどれ?」

 モニターを見てみる。

 脳はそれぞれの《onion》の脳に複雑な編み目を作るかのように神経線維を伸ばしていた。

 更に、教授はタイムモニターで早送りをしながら実験の様子を私に見せてくれた。


 その結果に私は思わず息を呑んだ。

「筒井教授。これって……」

「ああ。《onion》はもしかしたら、人よりも知能が高いのかもしれん。普通、人の脳一つで様々な部位に機能が分化しているものだが……。最初は、我々人の脳と同じだった。が、時間が経つにつれて。《onion》と《onion》の神経線維の繋がりが強固になっていくにつれて、その役割が細分化、専門化していっているのだ。それはさながら――――」

 そう。


 それはさながら、大手の大企業のように。

 しかも、それぞれの情報をお互いに欠かさず共有し合っている。


「見たまえ。このデータは色んな外的刺激を《onion》の様々な部位に与えた結果だ。赤い線一本一本が、電気信号が通った神経線維の数だ」

 教授はそう言って、Enterのボタンを押す。


 そうすると、他のとは明らかに異なる。

 明らかに他の所より濃い部分が画面の中央に浮かび上がった。

「これって……」

「ああ。この一番赤が濃い所は、恐らくonionの情報を整理する場所なんだろうな。そこで色々削除したり、改変したり。私はね、小林君。人の脳だけじゃない。神経細胞が《組織化》することを私は発見したのだよ。この前、情報処理能力も計ってみた。するとだね、人の数十倍もの情報処理能力を誇ることが分かった」


「な……!?」

「それだけじゃない。記憶力も、認知能力も全ての機能が人よりも上なんだ。これは驚くべき発見だよ。これは人の脳でも流石に出来ない。どんなに情報の並列化をしようが、ここまでのものは無理だろう。私は、世界で最も賢い生物を生み出してしまったのかもしれない」


 教授の声が若干震えているのが分かった。

 恐怖だ。

 筒井教授は《悪魔》を生み出してしまったと思っているのだ。


 私は必死に教授を説得する。

 これは素晴らしい研究成果だ。

 この研究を誰にもやるわけにはいかない。

「でも、何か彼らにできるわけではないでしょう!? 自分の体を動かすことが出来なければ怖くないですよ。だって、彼らは自分たちでは何も出来ないんですから」

「確かにそうだが……」

「どれだけ知性が高くたって、話すことが出来るわけじゃない。我々が積んできた歴史に勝てる訳ではありません」

 気が付いたら、私は筒井教授の肩を両手でしっかりと掴んでいた。

 せがんでいた。


「し、しかし……」

 狼狽する教授に必死にお願いする。

「先生のこの研究は大変名誉な研究です。大変名誉な研究成果です。これでどれだけ人工知能の研究が、知能、認知心理学の研究が進むことか!!」

 最終的に、筒井教授は私の言うことを渋々承諾してくれた。


 ―――――――――――――――――――――――

 ―――――――――――――――――――――――

 それから、数週間経った日の事。

 早朝から筒井教授から電話があった。

「小林君。私はもうだめだ。この研究を続けることが出来ない。危険だ。危険すぎる。私は世界を破滅してしまうことになる」

「え……!? ちょ、ちょっと、今研究室に行きますから。先生はその場でじっとしていてください」


 胸騒ぎがする。


 それは、教授が「世界で一番賢い生物を生み出してしまったのかもしれない」と言ったあの日からずっと心の片隅にあったものだ。


 お願いだ。

 どうか、どうか何も起きないでいてくれ。


 研究室に行くと、そこに筒井教授の姿は無かった。

 その時、ふとモニターを見ると、培養液が用水路へと流れ込んでいく映像が目に映った。

「くそっ……!!」


 実験室へと走り出す。

 一番恐れていたことが起こってしまった。


 遅かった。


 もう少し早く着いていたらこれを防ぐことが出来たはずなのに。

 くそ。くそ。くそ。くそ。


 実験室に着くと、奥の部屋で筒井教授がうなだれている姿が見えた。

「教授!!」

「あ、ああ。小林君、君か」

 教授の瞳は暗く、淀んでいた。


「もう。駄目だ。今研究は打ち切りだ。このまま続けていたら、この国が、いや、世界中が危険だった」

「何かあったんですか?」

 教授はぽつり、ぽつりとあの日の後に起こった出来事を語りだした。


「あの日の後、私は君に言われた通り渋々研究を続行したのだ。それから数日後のことだった。私はいつも通りパソコンで《onion》のデータを収集していた。その時、パソコンがウイルスに感染したのだ。パッキングをされたのだ。何とか防ぐことができたが、発生源を調べたら《onion》からだった」

「まさか……」

「そのまさかだ。このまま学習を繰り返されたら、世界中のパソコンが使えなくなる。いや、それどころか、原子力発電も何もかも使えなくなる。そうなったら、今まで我々人類が残してきた科学技術が全部パーになってしまう。だから――――」

「だから、そうなる前に《onion》をこの世から抹消したんですね」


「ああ。そうだ」

 もう、教授の目には光が無かった。

「なんにせよ、世界が破滅する前で良かった。未然に防ぐことが出来た。データも抹消する。それで、今後こんなことは決して起こらない。《onion》によって世界が危機に陥れられることは無い」


「でも、でも、これまでしてきた先生の研究が全て、十数年の長い年月を掛けて積み上げて来た研究が無駄になっちゃうじゃないですか」

「ああ。そうだな。でも、これは《無駄》ではない」

 気が付くと、筒井教授の瞳には、微かな光が灯っていた。


「失敗した。この研究が世界を破滅に陥れる危険性がある。それが分かっただけでも大きな一歩だ。私は、今後この研究の一部を世界に公開し、次の研究への礎を造る」

 驚いた。


 普通はここで挫折してしまうだろうに。

「小林君。いいかね。この世には《無駄な研究》。なんてものは存在しないんだ。それを活用するかどうか。その研究に意味と意義を見出すのは自分次第。研究者次第なのだ。それは、どんなことがあっても忘れてはいけないことだ。失敗も立派な前進だ」


「はい!! 先生!」

 教授の目は死んでいなかった。

 常に未来を見ようとする志向。


 ああ、そうだ。

 教授のそんなところに私は惚れたのだ。


 これからもこの人と共に道を歩もう。

 僕は心にそう固く誓った。

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玉ねぎ知性体(自立型不動生殖知性体《onion》) 阿賀沢 隼尾 @okhamu

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