11.惨めな自分、強い彼女

個室でひととおり戻して、口元をふきふきトイレを出る。


彼は外で待っていた。

もう用事は済んだだろうに、どこまでも世話焼きだ、と心底呆れる。


「ありがとう。もう、大丈夫」

「顔色ひどいぞ」

「うん、まあそれは……薬飲んだら治る」

「餌が目の前にあるのに?」


皮肉めいた言い方をされて、ハンカチをポケットになおす手を止め睨みつけた。

佐田は腕を組んで知らん顔している。


「自分のことをそんな風に言うのはやめて」

「……そうだな。よかった」


夕梨は眉間に皺を寄せる。

その発言の意図を掴めずにいると、彼が少し間を置いて追って言った。


「さっき、すごい顔してたから」


自然と、握る手に力がこもった。

情けなさで涙がこぼれそうになる。


「大丈夫だよ、おまえは。心配するなよ」


落ち着いた、柔らかい声音が鼓膜を撫でるように振動させる。


何度も彼と自分とを比べては嫌になり、惨めに思うのに、それでもまだ甘えてしまう。


「––––ごめん。やっぱり……欲しい」


弱々しい声で彼に縋る。

心も体も、もうずっと渇きに飢えているのだ。

すると、佐田から返事ではなくお願いをされる。


「鬼嶋、約束して」

「……なに、を?」

「自分を卑下しないって」


どうして、と夕梨は答えた。

そんなの不可能に近い話だ。

こんな惨めな姿を晒して、どうやって自分を嫌悪しないでいられる、と。


佐田は自分のことのように哀しげな表情を浮かべた。

夕梨の肩にそっと手を置いて、語りかけるように呟く。


「そんなことない。鬼嶋は強い。おまえの言うとおり、俺はおまえのことを何も知らない。けど、これだけはわかる」


––––鬼嶋は、強い。


佐田は同じ言葉を繰り返した。


「遺伝子なんて逃げようのないモノに囚われて、辛くて苦しいことをたくさん経験してきて、それでも必死に戦ってるおまえは偉い。すごく、誇れることだと思う」


軽くて、安っぽい言葉の羅列だった。

でもなぜだか怒りは覚えない。

それにそぐわないほど、彼の瞳は真剣で、子供のような幼い熱が宿っていた。


その表情が、仕草が、彼が嘘を言っていないことを証明している。


「だから、俺にできることをしたい。絶対助けになるから」


清々しいほどはっきりとして、まっすぐな、力強い物言いだった。

今度こそ本当に泣きそうになって、笑って誤魔化す。


「相変わらずだね、佐田」


顔を上げて、精一杯の笑顔を見せる。

嬉しくて、嬉しくて、なのに、この喜びを口にする術が見つからない。


「ありがとう」


やっとひねり出した感謝は月並みの言葉だった。

佐田は頷いて、彼女の手を取り、その首筋に触れさせる。


夕梨は静かに牙を立てた。

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佐樂みこと @sakura-mikoto

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