魔女
ゆっくり会計士
第1話
アリスは誕生日にミセス・ステンゲールにクッキーを焼いてもらった。
それは信じられないほどおいしかった。
ステンゲールさんはアリス・ルーファの隣に住んでいる40代の気のいい未亡人だ。
旦那さんは9歳のアリスが生まれる前に馬車に轢かれて亡くなったらしい。
ステンゲールさんが隣に越してきたのは半年前。
顔立ちはなかなかの美人、ただしわし鼻だった。
そして、いつもにこにこしているものの、ちょっとミステリアスな雰囲気があった。
「ステンゲールさんはきっと魔女よ」
アリスはこっそり親友のアン・レイクに言った。
言ってるうちに自分でもそれを信じた。
こんなことを言ってるのがばれたら、ステンゲールさんにイモリに変えられてしまうかもしれない。
バカバカしいとは思いつつ、夜恐くてベッドで震えた。
もしかしたらステンゲールさんは千里眼でなんでも知ってしまうかもしれない。
その日、アリスは9歳になった。
両親は庭にテーブルを出し、ご馳走を並べた。友達が3人きた。
もちろんそのうちの一人は親友のアンレイク。
お隣のステンゲールさんがクッキーを焼いてくれて紐がついたクラッカーと一緒に皆にくばった。
彼女が紐を引っ張ると、パンと音がして紙吹雪が出る。その中に紙片があった。
なにか書いてある。
彼女はそれを拾ってにっこり笑った。
「そのクラッカーは今はまだ鳴らしてはダメよ。あなたたちが本当に人生で困ったときに紐を引くと、どうすればいいか教えてくれるわ」
楽しそうにステンゲールさんが言った。
お誕生会は控えめに言っても大成功だった。
皆が楽しんだ。
会が終わって後片づけをしていると、パンと音がした。
「何しているの?」
「クラッカーを開けたの」
「困ったときにあけなきゃだめよ」
「あたしは中に何が入ってるか知りたくて仕方ないの。だから今困っていたのよ」
アン・レイクはいつもこうだ。我慢するということが苦手な子なのだ。
アンはクラッカーから飛び出した紙片を拾い上げると、にっこりと笑った。
「なんて書いてあったの?」
「あら教えないわ。魔女のアドバイスだもの」
翌日アン・レイクは行方不明になった。
アンは町の親せきの家に行ってくるといって出かけた。
誘拐かもしれない。
アンの両親は半狂乱。
近所は大騒ぎ。
アリスの家にも何度も警察が来た。
心当たりはなかった。
あのクラッカー以外は。
誕生会に来たルルとカロラインに訊くと、二人ともクラッカーをその日に開けていた。
見せてもらったが、紙に書いてあったのは普通のことわざだった。
『男はみんな狼だから気を付けよう』
『火のもとにご用心』
なんてことのないおみくじだったね、と言うふたり。こういうものは見た瞬間に魔法が消えてしまうのだ。
でも本当に?
アリスにはアン・レイクがステンゲールさんの言いつけを破って、あまりに早くあのおみくじを見たから災難に遭ってしまった・・・と思えてならなかった。
アリスはクラッカーを開けなかった。
一週間が経った。
アンのお母さんがやってきた。
「アリス、あなたステンゲールさんのことを魔女だといってたわよね」
アンがしゃべったんだろうか。そうとしか思えない。
世間ではアンは町の危険な連中に連れ去られたという噂だった。
「あれは冗談です、ミセス・レイク」
「でも私たちは、ステンゲールさんのことを何も知らないわ。半年前にやってきて、ご主人を亡くしたとか、、、それも彼女がそう言ってるから」
震える声のアンのお母さんはげっそりやつれて、眼だけがギラギラしていた。
「もしかしたら、何か知らない?思い出さない?なんでもいいわ。一番の親友だったでしょ」
すごく怖くて「知らないと」と首を振ることしかできなかった。
アンのお母さんはそのあと病院に入院した。
ほんの少しだけステンゲールさんについて悪いうわさが流れた。
前にアリスが魔女だと言ったせいだ。
ステンゲールさんは引っ越すことにした。
見送りで、アリスが申し訳なくてしょんぼりしていると、彼女は笑って「気にしないで」と言った。
◆
月日が流れ、アリスは19歳になった。
みんなアンのことを思い出さなくなっていた。
アンの両親以外は。
アリスの父はある日脳の血管が破裂して亡くなった。
アリスは母の勤める時計工場で事務の職に就いた。
母親は工員をしていたが、病気になった。
ガンだと言われた。
医者からそう聞いてアリスは泣いた。
涙を拭いて保険の証書を探した。
そして引き出しの奥にあのクラッカーを見つけた。
しばらくそれが何かわからなかったが、やがて全部思い出した。
あの誕生会
気の合う親友
喪失
私はなぜあの気のいい中年女性を魔女だなんて言ったのだろう。
気の毒なステンゲールさん・・・
そしてアリスは今困っている。
母親の死と直面することにおびえている。
アリスはぼんやりしたままクラッカーを鳴らした
ポンと音がして小さな紙が舞う。
その中の少し大きな紙片がひらりと床に落ちた。
アリスは拾って目を通す。
そして、そこに書いてあったのはアリスが予想もしてない言葉だった。
『彼女は裏山の洞窟にいる。今が三日以内なら彼女は生きているかもしれない』
意味が分からなかった。
彼女?
裏山?
三日?
そしてひらめいた。
アリスとアンが子供のころ遊んだステンゲールさんの家の裏にある山。
ある日そこの斜面の岩に洞窟があるのを発見し、二人で隠れた。
小さな少女たちの冒険。
アリスは走った。
あれからずっと空き家になっているステンゲール家の庭を走り抜け、裏山へ。
あいまいな記憶をたどる。
植物が成長し、どれも記憶と違う。子供の頃はすべてが大きく見えた。
30分後、なんとか洞窟にたどり着く。
入口が木の枝や草で覆われて見えない。
手のひらが切れるのも構わず、枝を、草をつかんで引きはがす。
穴が見えてきた。せまい洞穴にかがんで入る。
そこに小さな少女がいた。
彼女は白骨化していた。
手足を縛られて。
アリスは心の中で悲鳴を上げた。
遺体のそばには紙片が落ちていた。
『あなたは裏山の洞窟で青いサファイアの指輪を見つけるでしょう』
あとで警察が調べると、遺体はサファイアの指輪をつけていた。
アリスは震える自分の肩を抱きながら洞窟を出た。
「あの人はみんな知ってたんだ・・・
私たちが洞窟を見つけたことも、アン・レイクがこらえ性のない子供だったことも、私が大人の言いつけを守りすぎることも・・・ああ、これをもらって三日以内に私がクラッカーを開けていれば・・・なんてこと」
そういえば他のおみくじには何と書いてあった?
去年ルルは男に騙された。
3年前カロラインの家は火事になった。
ふたりとも、もうこの世にいない。
見上げると空が曇り、雨が降ってきた。
雨の中、アリスは震えが止まらなかった。
警察はミセス・ステンゲールを探したが見つからなかった。
まるでそんな人は最初からいなかったように。
魔女 ゆっくり会計士 @yukkurikaikeisi
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