第7話 希望の島に春よ来い

 12月16日。

 ダイヤンの街の酒場、繁栄の大地亭には、朝も早くから街の男たちがたむろしていた。相変わらず、朝から酒の杯を傾けているのだが、この日はいつもと少し様子が違っていた。

 騒ぎもせずに暗い酒を飲んでいることに変わりはない。だが、男たちの顔には、後悔とか、沈痛な面もちとか、うっすらしたおびえといった表情が浮かんでいる。

「たわけどもめ。船乗りのお嬢ちゃんたちを街から追い払うとは、まったく話にならんことをしおって。どうするつもりだ」

 カウンターに近いテーブル席から、自治会長オジジアンが客の男たちに厳しい声で言い、厳しい目をしてぐるりと見渡した。彼の隣で、鍛冶屋のマックスウェルも、いかつい顔に厳しい表情を作って、男たちをにらみつけている。

 おとといの14日、街の住民は暴徒になって、マリアンヌたちに罵声を浴びせ、石を投げつけて、街から追い払ってしまった。熱に浮かされたような気分でその時は暴力的な行為に走ったが、一日おいて冷静になると、それがあまりに軽率な行動だったと、反省するようになったのである。

 この冬を越すための食料や燃料など、必要なものを買いそろえて、このダナン島に持ってきてくれたのは誰だったか。

 それはマリアンヌたちだろう。

 島の将来を心配して、夢を思い出して、希望を持つように自分たちを叱咤激励したのは誰だったか。

 それはあの船乗り娘、マリアンヌじゃないか。

 今さらながら、恩人といえる人たちを街から追い出すという暴挙を悔いるようになったのだ。

 あとになって事を知ったオジジアンとマックスウェルが、島の男たちをどやしつけて、それを思い起こさせたので、彼らも沈痛な面もちになっているのであるが。

「けどよう、俺はみんながやってたからやってただけでよ……」

「そうだよ。だれかはじめにやった奴が悪りいんだよ。オレたちは別に……」

「なに言ってやがる。おめえは思いっきり石を投げてたじゃねえかよ」

「それは貴様もだろうが」

 酒場の中では、責任転嫁やなすり合いの言葉がほうぼうから飛び交うようになった。

「やかましいわ! ガキじゃあるまいし、つまらん言い合いなんかしてるんじゃねえ!」

 マックスウェルの怒号が響いた。

「し、しかしよ鍛冶屋の旦那。俺たちはほんとうに乗せられただけでよ……」

「ぐだぐだ言い訳すんな! 根性を叩き直してやる、歯ぁ食いしばれ!」

 言い訳した男のひとりに、マックスウェルはサザエのような鉄拳を振り下ろした。

「やめい、マックスウェル。殴ってもはじまらん」

 オジジアンが静止したので、彼の鉄拳は男の鼻先で寸止めされた。

「おめえらに言っておくがな。オレが殴らないとしても覚悟はしておけよ。あのお嬢ちゃんは艦隊を率いる提督さんだ。その気になれば、部下たちを率いててめえらに仕返しして、思い知らせてやることもできるんだぜ」

 彼の言葉を聞いて、男たちは目を丸くし、そして顔を見合わせた。ただの、よそから来た小娘としてしか見ていなかったが、彼の指摘したとおり、彼女は多くの部下を束ねる、私設艦隊の司令官。それに、彼女が伴っていた男たちは、強面で強力そうなのがそろっていた。

「お前ら、ほんとうにとんでもないことをしてくれたな」

 マックスウェルの言葉に、男たちはうつむいて、言葉が出なかった。自分たちの思っていた以上に事は重大だったと、今さらながら気がついたのだ。

「マックスウェルの旦那。わたしは、あのお嬢ちゃんが仕返ししてくるよう人物には見えないんですがねぇ……」

 酒場のおやじが、弱々しく、口ひげをもごもごさせて言った。

「おやじ、そいつは見込みが甘いだろう。誰だって、恩をあだで返されたら頭にくるだろう。オレなら、相手を金床みてえに殴るぜ」

「あのお嬢ちゃんと旦那は違うでしょう……」

「そうだ! おやじ、あんたが真っ先に俺たちの盾になりゃいいんだ!」

 酒場の客のひとりが立ち上がり、おやじを指さして叫んだ。

「だ、だ、だってそうじゃねえか。おやじが総督に『囚人船のうわさを流していたのは、船乗りのお嬢ちゃんだ』ってチクったからこんな事になったんじゃねえか。何が原因かって言ったら、おやじじゃねえか」

「おやじ、そうなのか!?」

 マックスウェルが目をむいておやじをにらみ、万力のような力でおやじの喉元をつかんだ。

「ぐっ……やめてください旦那。確かに総督に告げたのはわたしですが、それにはわけが……」

「よせ、マックスウェル。ここで誰の責任かなどと言い合うのは意味がない」

 オジジアンが静かに言った。

 そのとき、酒場の入り口が乱暴に開き、街の男がひとり、息せき切って中に飛び込んできた。

「た、た、た、大変だぁ!」

「なにかあったか?」

 オジジアンの問いかけに、男はぜえぜえと荒い息をしながら答えた。

「あの船が港に帰った来たんだ! 船乗りのお嬢ちゃんのインフィニティ号だよ。それで今、大勢の男たちが上陸して、街に向かってきているんだ!」

 男の報告に、酒場の中がざわめいた。

「ほら、言わんこっちゃない! どうするんだおめえら」

「まさか……ほんとうにわたしたちに仕返しするために舞い戻ってきたのか……」

「皆の衆、静かにせい」

 オジジアンが声を張り上げた。その声に従って、酒場の中は静まり返った。

「島の者のことは、自治会長であるわしの責任だ。わしがあのお嬢ちゃんにあってわびを入れる。いざとなれば、わしの首で勘弁してもらおう」

「会長をひとりで行かせられるものか。オレもついていくぜ」

「わたしも行きましょう。会長より、わたしのほうがわびるべきです」

 オジジアンの決意に、マックスウェル、そして酒場のおやじが続いた。すると、「俺も行く」「おれもついていく」「オレもわびを入れる」と、街の男たちが次々に立ち上がった。

「うむ、わかった。わしに付いてくるがいい」

 自治会長オジジアンは、口をぎっと真一文字に結ぶと、男たちを連れ立って酒場の外に出た。


 インフィニティ号がダイヤン港に入港すると、十人ほどの留守番役の乗組員を残して、すべての乗船者が上陸した。その中には、金鉱から解放された労働者たちや、海賊の砦から救出されたスコットとドリスも含まれている。

 上陸したマリアンヌたちは、まっすぐに街の広場に向かった。

「さてと……ここからが勝負ね。みんな、準備を始めるわよ」

 彼女が指示を出すと、仲間たちや乗組員たちが広場の中に散り、作業を始めた。露店を片づけて場所を確保する者。たき火をして、料理を始める者。

 プトレマイオスが、大きなコンテナを肩にかついで持ってきた。

「お嬢、演壇はこれで作ればいいんじゃねえか」

「そうね。じゃあ、広場のど真ん中に作ってちょうだい」

 彼女の指示に従って、プトレマイオスと幾人かの乗組員が、コンテナを積み上げて、ロープでしっかりと固定し、櫓のような演壇を作り上げた。壇上の高さは人ひとり分くらいの高さだ。

彼女はその上に登って実際に立ってみた。

「うん。これなら広場に集まった人たちみんなを見渡せるわ」

 即席で組み上げた演壇の出来に、彼女は満足そうにうなずいた。その高い位置から広場のはずれに目をやったとき、彼女は自治会長のオジジアン、鍛冶屋のマックスウェル、酒場のおやじ、そのほうに数人の男たちが広場にやってくるのを見た。

「提督、島の人たちがさっそくやってきたよ」

 男たちがやってきたことに気付いたアッシャーが彼女に言った。

「ちょうどよかったわ。会長さんたちに、ここに来てもらって」

 アッシャーはオジジアンたちの一行のところに行き、広場の真ん中にある演壇に案内した。

 演壇の上にいる彼女の前までやってきたオジジアンは、地べたに座り込むと、額の後退した頭を地面にこすりつけるように土下座した。

「すまん、お嬢ちゃん。島のもんのしでかしたことをこの通りお詫びする。どうか許してくれ。このわしの命ひとつで勘弁してくれ」

「ちょっと会長さん。なに言ってるの」

 マリアンヌはあわてたように演壇から飛び降り、会長の頭を上げさせた。

「この島のためにいろいろ手を差し伸べてくれた、恩人であるお嬢ちゃんたちを、事もあろうにみなで追い出すなどとんでもない。大変すまん事をした。お嬢ちゃんたちの怒りも当然だろう。だが、このわしは島の自治会長。島の者を代表してこの通り謝る。わしの顔に免じて、島の者の命は勘弁してやってくれ」

「ちょっとちょっと。それは勘違いもいいとこよ」

「大丈夫ですよ。マリアンヌさんは街の人に危害を加えたりはしません」

 彼女の後ろから、スコットがそう言った。オジジアンは驚いた顔でスコットを見上げた。

「スコット先生! スコット先生じゃないかね! どこに行っていたんだい!?」

「ええ……しばらく土牢に監禁されていまして……」

「土牢に監禁!?」

「はい。そこをマリアンヌさんたちに助け出していただいたところなんです。詳しいことはまたお話ししますよ。ところで、家内は今どうしていますか?」

「おお。奥さんならマックスウェルの家におるよ」

「先生、今すぐ奥さんを呼んでくるから待っていてくれ。きっとよろこぶぜ」

 うれしい知らせをもって、マックスウェルはどたどたと走って自分の家に向かった。

「会長さん、街のみんな。今から大事な話をしようと思うの。島の人たちをみんな、この広場に集めてもらえないかしら。ひとり残らず集めて欲しいの」

「大事な話だって?」

 オジジアンが聞き返すと、彼女はうんとうなずいた。

「そう。それもうれしい知らせよ。島の人たちみんなに聞いて欲しいの」

「ふむ……。わかった、街の者を集めてこよう。おうい、皆で手分けして、街の者をみんな呼んでくれ」

 彼は同行した男たちに呼びかけた。男たちは街の中に散っていって、住民を広場に呼び出し始めた。しばらくすると、呼び出しに応じた住民たちが、わらわらと広場に集まってきた。

 人が集まってくる中に、マックスウェルに連れられてミシェルがやってきた。

「あっ、ミシェルさん! スコットさん、ミシェルさんが来たよ!」

 マリアンヌがスコットに伝えるより早く、スコットは妻のほうに向かって駆け出した。

「ミシェル!」

「あなた!」

 ミシェルは夫のところに駆け寄ると、彼の深い懐の中に飛び込んだ。スコットは妻の身体を抱きしめる。彼女は彼の胸に顔を埋め、腕の中で肩を震わせていた。

「ミシェル。心配させてすまなかった」

「あなた……いいの。無事に戻ってきてくれて、ほんとうに良かった……」

 彼女は、聞こえるか聞こえないかの涙声で答え、もう二度と離ればなれにはしないと言わんばかりに、夫の巨躯に抱きつく腕に力を込めた。

 夫婦が再会をよろこぶ場面を、マリアンヌたちは晴れやかな気持ちで見守っていた。

 その間に、広場には街の住民が、男も女も子供も続々と集まってきた。

「あっ、物知りのお姉ちゃんだ」

 街の子供がドリスの姿を指さして言った。子供たちが数人、彼女のところにやってきた。

「どこに行ってたの? お姉ちゃん」

「急にいなくなっちゃってさ。帰っちゃったかと思った」

「また勉強教えてよ」

「ふふっ、わかったわ。また先生になってみんなにおもしろい話をしてあげるからね」

 意外なことに、ドリスは子供たちに人気のようだ。集まってくる子供たちに、彼女は笑顔で答えた。

「ドリスさん、この子たちは?」

 アッシャーが訊ねた。

「調査の合間に、子供たちに勉強を教えたり、話をしたりしていたのよ。この島には学校が整っていないの。子供たちは勉強が必要だし、勉強をしたいとも思っているのよ」

「そうなんだ……。島のためにしなきゃいけない事って、みんなが開拓に戻れるようにするだけじゃないわね」

 マリアンヌは考え深い顔になった。

「将来を考えたときに、教育は欠かせないものよ。この島の未来も、ディカルトの未来も、いずれはその子供たちが背負っていくんだからね。だからこそ……」

 ドリスは真剣な目でマリアンヌの目を見つめた。マリアンヌもまた、決意した目で見つめ返した。

「なんとしても、この島を変えなきゃね」

 彼女は声に出して決意を新たにした。そんなところへ、プトレマイオスののんきな大声が響いた。

「おーい、お嬢。飯ができあがったぜえ」

 その大声と同時に、かぐわしい香りがぷぅ~んと漂って、広場に広がっていった。

「わかったわ。じゃあ、そろそろ始めるわね」

 マリアンヌはコンテナを積み上げて作った演壇に登った。そこから眺めると、広場に集まった街の住民たちの姿をみんな見渡すことができる。

 彼女はいったん深呼吸すると、大声で民衆に呼びかけた。

「みんな、集まってくれてありがとう。あたしの話を聞いて欲しいの」

 彼女の呼びかけに、住民たちは視線を彼女に向けた。「なんだーか」「あー、またあの娘かね。今度はなんかいね」などと、小声で言い合っているのがざわざわ聞こえる。

「あたしたち、みんなが怪魚がいて危険だって言っている北側の海を調査してきたのよ。怪魚なんていなかったわ。そのかわり、すごいことを発見したの。……聞くより、実際に味わってもらうほうがいいね。ごちそうしてあげるから、食べて食べて」

 彼女の言葉に続いて、乗組員たちが集まった住民たちに、さっきから作っていた料理を器に入れて振る舞った。スケトウダラのスープ。ニシンの塩焼き。そして、ゆでたブルーム・クラブに焼きがに。北側の海で獲れる新鮮な海の幸がたっぷりとある。

 これらは、インフィニティ号が北の海岸から出航準備をしている時間に、プトレマイオスが中心になって漁をして得たものだった。わずかな時間でスケトウダラもニシンも大量に獲れたし、かにもたくさん獲れた。北の海域が豊かな海であることを証明する証拠として、街に持ち帰ることにしたのだ。

 住民たちは渡された料理を食べてみた。

「うっ……うめえぞぉぉぉ! こいつはんめえ~!!」

「この島に来て、こんなうまいもの食ったのは初めてじゃ!」

「な、なんかしらんけど、涙が出てきたわい……」

 マリアンヌたちの提供した、北側の海域の魚介類料理に、住民たちは喜びの声をあげながら大騒ぎで食べていた。中には、あまりのおいしさに感動して涙を流している人たちまでいる。男も女も子供たちもよろこんで、それはおいしそうに食べている。演壇の上からその様子を見ていたマリアンヌも、なんだかうれしくなった。けれど、そこでとどまってもいられない。彼女は話の続きを始めた。

「よろこんでもらえてうれしいわ。だけど、みんな考えてみてよ。みんな、この島に長いこと住んでいるのに、ありもしない怪魚のうわさのせいで誰も漁に出なかったから、これまでこんなにおいしいものが近くで獲れるなんて知らなかったのよ。もったいない話だと思わない? たくさんの魚といい、このかにといい、あたしたち交易で商売している船乗りに取ったら魅力的な交易品なのよ。島の宝物じゃない」

「おお。そげだ。漁をすれば金を儲けることができるわい」

 聴衆の中から、漁業に関心を向けた人間が出てきて声をあげた。

「だらが。海に出たら怪魚に食われちまうがや」

「おめえこそだらだかの。お嬢ちゃんの話を聞いていなかったんか? 怪魚なんておらんって言ってたじゃないか」

「てことは、船さえあれば、魚を捕って一稼ぎできるわけだな」

「船買う金はどげすーや」

 一部の住民の間で、漁業の可能性に前向きな議論がなされている。それを聞いて、彼女は手応えを感じた。島の人たちは、自分たちの生活にあきらめきっているわけじゃない。

「話を続けていい? 島の宝物はこれだけじゃないわ。あたしたちは北海岸から上陸して、山地のほうも探索してみたの。みんなが、人喰い熊が出てくると信じている山をね。熊がいる形跡なんてなかったわ。それより、山は立派な松の木なんかでいっぱいだったわよ。材木として切り出せば、船を造る木材としていい値段で買ってくれるはずよ。それに、赤松の林だから、秋になれば松茸がたくさん生えてくるわ。松茸も、島の立派な特産品になるわよ。ね、この島は捨てられるにはもったいないほど、宝物でいっぱいじゃない」

 彼女の話す言葉に、島の人々はうなずきながら耳を傾けている。自分たちのほうが何年もここに住んでいて、島のことはよく知っているはずだったが、彼女の話は新たな発見ばかりだった。

「北の山地で見つけたとっておきの宝物を見せてあげるわ。さあ、持ってきて」

 彼女の指示で、船員たち数人が宝箱を三つ、住民の前に持ってきた。そして、蓋を開けて住民たちに中身を見せた。

「おおおーっ! 黄金だ!」

「金だ! 金が入ってるぞ!」

 宝箱の中身は、マリアンヌたちが海賊から奪った隠し金山で手に入れた金の延べ板だった。貧しい生活を続けていた住民たちは、めったにお目にかからない、あるいは初めて見る純金に大きな歓声を上げた。中には、宝箱に駆け寄って金の延べ板をさわろうとしたり、手に取ろうとするものもいる。

「こらこら、待て。押すんじゃない」

 金にさわろう、あるいは取ってやろうと試みる住民たちを、船員たちはしきりに追い払っている。

「なんと、金を見つけるとは。お嬢ちゃん、これはいったいどこで手に入れたんじゃ」

 オジジアンが驚いた表情で彼女に尋ねた。

「北の山地にはね、海賊たちの巣くっている隠し金山があったの。あたしたちはそいつらを追っ払って金山を奪い取ったわ。そこで手に入れたものよ」

 マリアンヌは答えてから、演壇の彼女からみて左側にあたる一角に手を差し伸べた。そこには、みすぼらしい作業着を着た男たちが何十人と立っている。島の住民たちには初めて見る顔だった。

「この人たちは、その金山に連れてこられて働かされていた人たち。あたしたちが解放して、一緒にここまで連れてきたわ」

 マリアンヌは一度沈黙して、広場に集まった住民たちを見渡した。聴衆は彼女が、今度は何を話すのかと思いながら彼女に視線を向けた。

「みんな、よく考えて欲しいの。海には怪魚が出るって言ううわさ、山には人喰い熊が出るって言ううわさが流れて、みんながそれを信じ込まされていたせいで、島にたくさんある宝物のことを、これまで何一つ知らなかったのよ。それで、この街に閉じこもって、この島にはなんの未来もないとかなんとか言いながら、くらーいお酒に浸りながら暮らしてきていたの」

 彼女がそう言うと、人々は互いに顔を見合わせながら、うつむいた。島のことについてはよく知っている、よそから来た小娘がなにを言っていると思って聞いていたが、ここまで証拠を挙げて話をされては、自分たちのほうが島のことを知らないことを認めざるを得ない。

「あたしはみんなを責めてなんかいないわ。そんなことより、みんなに気付いて欲しいのよ。みんな、うわさを信じ込ませれて、この街に閉じ込められていたんだよ」

 彼女の言葉に聴衆たちは顔を上げた。マリアンヌの顔からスマイルは消えている。きりっと真剣な目をして、彼女は言葉を続けた。

「みんなを体よくこの街に閉じ込めて、北側の海域にも山地にも行かせなかった理由は分かり切ったこと。山地の中にいる金山の存在を知られたくなかったからよ。海賊たちと手を組んで、自分が金山で儲けていることも知られたくなかった。それはね……」

 彼女がそこまで話したとき、アッシャーが大声で叫んだ。

「提督! 総督が来たよ! 兵隊も連れてきてる!」

「いよいよお出ましか。いいタイミングだな」

 演壇のかたわらで警備していたジュリアスが、サーベルを手にして演壇の前、マリアンヌの手前のあたりに立った。プトレマイオスが演壇に登ってきて、マリアンヌの後ろに立った。簡易の組立でも頑丈にしてあるので、太ったプトレマイオスが乗っても、演壇が壊れる様子はない。

「こらっ。なんの騒ぎだ。総督であるわしの許可なしに集会は認めておらん」

 武装した兵士たちを引き連れて、アブシントス総督がふんぞり返った様子で広場に乗り込んできた。そして、演壇の上に立っているマリアンヌに指を突きつけた。

「またお前か、小娘が! 退去命令を無視し、しかもまた騒ぎを起こしおって。すぐさまこの集会を解散せい! そして、とっととこの島から出ていくがよい!」

 自分に指を突きつけながらわめく総督に向かって、マリアンヌは逆にびしっと指を突きつけた。

「だまらっしゃい、ちょび髭! あんたのしてきたことはもうすべてお見通しなのよ! あんたが海賊と手を組んで、隠し金山でぼろ儲けしてきたこと。それがばれないように、島の人たちをだまして、北の山地にも海域にも行かせないようにしてきたこと。おまけに、金山の存在を知ったスコットさんを海賊たちに拉致させたこと。あんたのたくさんの悪事は丸ごとお見通しよ!」

 高らかに言い放ったマリアンヌの言葉に、聞いていた島の住民たちは大きくざわめいた。

「戯言をほざくな。何を証拠にそんなでたらめを言う」

「金山と海賊の砦は、昨日あたしたちが攻め落としたわ」

 彼女の言葉に総督は一瞬目を見開いた。

「なっ、なにっ! ……いや、そのようなものが北の山地にあるなど吾輩は知らんし、聞いたこともない。さては、島の者が知らないことをいいことにでっち上げたのだな!?」

「しらばっくれるのもいい加減にしなさいよ。証拠もつかんでいるんだからねっ」

 そう言うと、彼女は一枚の手紙を彼に突きつけた。海賊の砦から発見された、海賊の大将に宛てられた総督の手紙だ。彼女は、総督と住民たちの目の前で、手紙の内容を読み上げてみせた。

「どう? これでもまだしらばっくれる気!?」

「ふん。そんなニセ手紙で吾輩を陥れようとしても無駄だ。吾輩が何年この島を総督として支配していると思っておるか。島の民衆よ、こんなよそ者の言うことなど信用してはならん」

 こめかみに青筋を立て、ピンと跳ね上がった口ひげをぷるぷるけいれんさせつつも、総督は彼女の断罪を真っ向から否認した。とはいえ、言葉は早口になり、うわずった甲高い声になっているので、動揺していることは明らかだった。

「ふーん、なるほど。あたしがこの島を訪れたばかりの船乗りだから信用しちゃいけないって言い張るのね……」

 彼女は演壇の右側に顔を向け、目で合図した。その合図に、スコットがうなずいて、演壇の上に上がった。

「ならば、わたし自身が証拠になりましょう」

 演壇に立ったスコットを見て驚愕の表情になった。

「サ、サザーランド博士! なぜここにいるのだ!」

「海賊の砦に監禁されていましたが、マリアンヌさんたちによって解放されました。総督殿には心配をおかけしましたが、この通り無事ですよ。」

 彼は皮肉を込めて総督に返答したあと、集まった住民たちを見渡した。

「わたしであれば信頼してもらえるでしょう。ならば、なぜわたしが消息を絶ったか、すべてお話ししましょう」

 それから、スコットは住民たちに、自分が行方不明になったいきさつについて話し始めた。川の探索中に金を発見したことから、かつて掘られていた坑道を見つけ、疑いを持ったこと。総督を問いただしたところ、総督は存在も関与も否定したが、その直後にスコットは何者かに拉致されたこと。そのあと船に乗せられ、海賊の砦の地下牢に閉じ込められ、マリアンヌたちによって助け出されるところまで、彼は自分に起こった事柄について、淡々とすべてを語った。

 彼の話を聞いていた住民たちは、怒りの表情を浮かべるようになった。総督に敵意を込めた視線を向ける者もいる。

「どうなの? これでもあんたは自分の悪事をしらばっくれる気?」

 マリアンヌが総督に向けて言うと、総督は顔を真っ赤にして彼女の顔をにらみつけた。彼女は総督の反応をものともしないで、続けて演壇の左の方に手を差し伸べた。その方向には、金山から解放された労働者たちが集まっている。

「まだあるのよ。あんた、囚人船が来るのはデマだって言って、あたしたちがそれを広めたからって追い出してくれたわよね? ここにいる人たちは、あんたによって金山に送り込まれた人たちよ。あたしがうわさに聞いたとおり、つい先頃送り込まれた人たちもいるわ。それも、あんたが指示を出してね! しらばっくれても無駄よ、その書類もここにあるんだから」

 彼女はまた、一枚の紙を手にとって、総督に向けて突きつけた。これも、海賊の砦の中を捜索して、手に入れたものだ。

「お前が俺たちを、あの地獄の金山に送り込んだのか!」

「俺たちをひどい目に遭わせやがって! お前のせいで、鉱山で死んだ仲間もいるんだぞ!」

「思い知らせてやるからな! 覚悟しやがれ!」

 労働者たちは総督に向かって怒鳴り声をあげ、怒りをぶつけた。

「ええい! ごちゃごちゃとぬかしおって! ここまで言われてはこの吾輩も黙ってはおらん! 強制執行だ! 衛兵ども! この小娘を引っ捕らえろ!」

 身体じゅうの血が頭に上ったように顔を真っ赤にし、目もつり上がり、巻き髪の頭髪も逆立てて激昂した総督は、従えていた兵士たちにわめいた。兵士たちはその命令に従って、槍を構えてマリアンヌのほうに向かって進み出た。

「お嬢には指一本さわらせねぇぞ! 来るならきてみやがれ! まとめてぶっ飛ばしてやるぜえ!」

 演壇の上からプトレマイオスが吼えた。そして、太い腕を回して彼女の肩に手を置いた。

「それ以上こっちに来たら、オレのドミトリー=ズブローニンⅧが黙っちゃいないぜ」

 ジュリアスがサーベルに手をかけ、進んできた兵士たちに低い声で威嚇した。演壇を守る彼のもとに、セレウコスが10人ほどの武装した乗組員と共に加わって、演壇の前を固めた。

 総督方の兵士と、マリアンヌの仲間たちのにらみ合いが起こった。

「えーい、何をしておる! あの小娘の仲間どもも皆引っ捕らえろ! 抵抗するものは殺せ! たとえ島の人間でもだ!」

 総督がわめき立てた。道をあけるために兵士が槍を振り上げると、そばにいた住民たちは後ずさりして散らばった。逃げ遅れた島の人に向かって槍を振り上げ、身体をひっぱたく兵士たちもいる。たたかれた人の悲鳴が上がった。

「待ちなさいよ! 島の人たちにまで手を出すなら黙ってないわよ!」

 マリアンヌはそう言うと、プトレマイオスの手をどけて演壇から飛び降り、たったひとりで兵士たちの真っ正面に立った。そして、兵士たちの先頭に立っていた、隊長格の兵士と向き合った。

「あたしの仲間も、島の人たちも傷つけるってんなら、あたしは絶対にそんなこと許さないからね。あたしを捕まえたいなら、どうぞ。だけどね、ほかの誰にも手を出させないわよ」

「ふん、ひとり出てくるとはバカな娘だ。衛兵、そいつをふん縛ってしまえ」

 総督が彼女をせせら笑い、兵士たちに命令した。

「待った。提督、悪いがそれには従えねえ」

 ジュリアスがマリアンヌのそばまで来ると、彼女を背中にかばうように立った。そして、ゆっくりとサーベルを抜き放つと、それを兵士たちの方向に差し向けた。

「提督を捕まえたいんなら、オレの屍を越えていけ。そうなる前に、何人でも道連れにしてやるけどな。来るなら来てみろよ」

 ふんがぁっ! と大きな声がして、プトレマイオスが演壇から飛び降りた。肥えた体格の割に身軽な跳躍だ。彼はどしいんと音を立てて着地すると、マリアンヌと兵士たちの間に入って仁王立ちになり、丸太のように太い腕をぶんぶん振り回した。

「お嬢は俺様が守ってやるんだぁっ!! お嬢をとっつかまえようってんなら、その前にてめえらひとまとめにしてぶっ飛ばしてやるから覚悟しろ! うおおおおっっっっっっっっ!!」

 彼の吼え声で、兵士たちは二、三歩後ずさりした。

 その間に、マリアンヌの周りには、彼女の仲間たちやインフィニティ号の乗組員たちがあつまり、垣を作るように取り囲んだ。

「マリアンヌさん、恩人であるあなたに手出しはさせませんよ」

 彼女を取り囲む人垣に、スコットとミシェルが加わって、彼女のそばに立った。

「今度は俺たちが提督さんを助ける番だぜ!」

「てめえの思い通りになんかさせねえぞ!」

 鉱山労働者たちが続いて立ち上がって、マリアンヌの周りを固める人垣に加わった。その上にさらに、オジジアン、マックスウェルを先頭に、島の住民たちの一部が彼女の側に立った。そして、その数は、総督の目の前で続々と増えていく。

「なっ。なぜに島の者までが、その小娘を守ろうとする。吾輩に対する裏切りか!?」

 ピンと跳ね上がった口ひげを小刻みに震わせながら、総督はうろたえ気味に言った。

「裏切り? それは筋違いな話ね。むしろ、総督殿がこれまで島の人たちを裏切ってきたつけが来たのよ。もう観念する事ね。この島はもうあなたの思い通りにできるところではなくなったわ」

 全長3フィートはある大型のボウガンを両腕に抱えたドリスが総督に告げた。その大型ボウガンには矢がつがえられている。

「提督さんを捕縛することはあきらめなさい。さもないと、わたしの矢があなたの肝臓を貫くことになるわ」

「アブシントス総督。島の者はもうあなたの言うことを聞くことはない。あなたをもはや、この島の総督として認めることもない。この島に無用なのは、船乗りのお嬢ちゃんではなく、あなたのほうだ!」

「そうだそうだ!」

「だらずの総督はもういらん。去んでくれ!」

「働かないくせに威張り腐りやがって。もとからお前のことなんか嫌いだったんだよ!」

 島の自治会長であるオジジアンが厳然と言い渡すと、住民たちの群衆から総督に向けて次々に罵声が飛んだ。これまでの長年に渡る総督への不満が爆発して、罵声と怒号のざわめきは嵐のように大きくなった。

「えーい、やかましいやかましいやかましいわ! この吾輩は連邦政府から派遣された植民地総督だ! 誰がなんと言おうと、この島の支配者はこの吾輩だ! この島は吾輩のものだ! 衛兵ども、かまわん! よそ者も島の者も、吾輩に逆らうものは皆殺しにしろ!」

 総督は衛兵たちにわめき散らした。

「おっ、やんのかコラァ!」

「向かってくるならこっちも容赦しねえぞ!」

 島の住民たちは臆することなく、総督配下の兵士たちに立ち向かった。そして、石や土くれなどを、次々と総督に向かって投げつけた。

「ねえ、兵隊さん。ちょび髭総督に従って、あたしたちと戦う? 兵隊さんたちからしたらそっちのほうが筋なのかもしれないけど、きっと『悪徳総督に味方して一般人を傷つけた悪い兵隊』って言われるようになるわよ。それでもいい?」

「誰が悪徳総督だ! 衛兵たちは吾輩の配下だ。吾輩の命令に従うに決まっておろう。こら、何をもたもたしておる! その小娘と反逆者たちを始末しろ。そいつらは国家反逆罪だ! 吾輩が決めた。さあ、はやくかかれ!」

 マリアンヌや島の住民たちと、総督の狭間に立たされた兵士たちは、しばらくの間動けない様子でじっとしていたが、ついに隊長格の兵士が口を開いた。

「マリアンヌ・シャルマーニュ提督……でしたな。小官も、何をなすべきか理解しているであります」

 そう言うと、隊長以下兵士たちは、総督のほうに向き直り、彼を包囲した。

「ラエナス・アブシントス総督。あなたを連邦政府に対する背信行為の容疑で拘束します」

「なっ、なにいっ! とち狂ったか! 貴様らまでも吾輩に逆らうのか!」

「ここまで総督閣下の悪行が暴露されてはやむを得ません。住民の騒動を収拾するためにも、閣下を拘束し、本国に送還することが最善であります。連れていけ」

 隊長の指示で、二人の兵士が総督の両脇を抱えた。

「ちょっと、ちょっと待て。冗談だろう。なんだ、今日はエイプリルフールか? 冗談が過ぎるじゃないか。おい、聞いているのか」

 ついさっきまで強気に威張り散らしていた総督は、事態の急変に驚倒し、目玉が飛び出そうになるほど目を見開いた。そして、錯乱したようにまくし立てた。兵士たちはかまわず、総督の両腕を取って引き立てながら、官邸の方向に引き返していった。

 連れ出される総督に、住民たちは歓声を上げ、そしてさんざんヤジを浴びせかけた。

 広場から連れ出されるとき、総督は振り返って、マリアンヌに向かって叫んだ。

「吾輩をこんな目に遭わせおって。覚えておくがいい。吾輩の後ろには『白金のキメラ』の首脳陣が控えているのだ。覚えておけ。白金のキメラを敵に回すことは恐ろしい災難になるぞ。今にすごいことになるからな。覚えておけ」

「白金のキメラ? なにそれ?」

 彼女は首を傾げた。

 総督はさんざんにわめきながら、兵士たちに連れられて広場から退場させられた。

「島の者たち。この日は我々の勝利の日だ! 悪徳総督を追い出して、島は我々のものになったのだ! 皆の衆、よろこぼうじゃないか!」

 オジジアンが声高に呼びかけると、広場に集まった住民たちから大きな歓声が響いた。

「そうだ! だらず総督が隠してた金山に行って、わしらも金を取ってくるだわ」

「そげだわ。金を掘ったらわしらも金持ちになれるぞ」

 金山の存在を知った住民たちは口々に言い合い、北の山地に向かおうと沸き立ったが、演壇上に戻ったマリアンヌはその話をさえぎった。

「残念だけど、もう金は出てこないわ。掘り尽くしてしまったのよ。もともと、この島にはいい鉱脈がなかったのよね」

「なんだ、そげかね」

 彼女の言葉に、島の住民たちは落胆して、また沈み込んでしまった。

 そんな住民たちに、彼女は元気な声で語り続けた。

「だけど、落ち込むことはないわ。金山なんかなくったって、この島には宝物がたくさんあるじゃない」

「宝物がたくさんだって?」

 住民のひとりが怪訝な様子で訊ねると、彼女は大きくうなずいた。

「そうよ。さっきもいろいろ並べたでしょ。北の海域は豊かな漁場なんだし、山地にはいい木材があるわけだし。だけどね、それ以上にすばらしいものがこの島にはあるじゃない」

 彼女は、島に広がる平原の方向に、腕を大きく広げて手を差し伸べた。

「このダナン島には、こんなに広くて立派な土地があるじゃない。ディカルト諸島の中だと、どこに行ってもこんなにいい土地はないわ。それはみんなも知ってるでしょう。知ってるから、ここに農場を作って豊かになろうと思ってやってきたんでしょ」

「けどよう、おれたちゃ何年もここを耕し続けているが、ちっとも暮らし向きはよくならねえし。がんばって開拓しても意味ねえんだよ……」

 住民の中から、あきらめきったような弱気が言葉が聞こえてきた。

「何言ってんのよ。開拓はまだ始まっていないようなものじゃない。あきらめて何もしなかったら、何も生まれてきやしないわ。努力が必ず報われるとは限らないけど、成功した人は、必ずと言っていいほど努力しているって、お説教されたことがあるわ。きっと、それは島のみんなのほうがわかっていると思うけど、精を出して耕して、種をまかなかったら、作物を収穫できないじゃない。だから、開拓をあきらめちゃだめよ。がんばらなきゃ」

 彼女は語気を強めてそこまで言ってから、一呼吸置いた。

「まあ、これまで苦労してきたわけだから、疲れてしまうのもわかるわ。だから、あたしもただただがんばれって言って終わりにするつもりはないわ。この金を置いていくから、これを資金にして島の開拓をしてちょうだい。だけど、条件があるわ。ほんとうにみんなが開拓の資金にするなら置いていくけど、その金をお酒に替えるとか、その金で国に帰るっていうなら、あたしたちがもらって行くわよ。あたしたちの戦利品なんだから、当然その権利があるんだからね」

「ちょっと待てよ。条件つけるなんてあんまりだぜ」

「別にあんたたちが掘り出したわけじゃないでしょ」

 住民の中から不満の声があがったが、彼女はつんと横を向いて答えた。

「だから、掘りだした金のいくらかは、それを取る権利がある人たちに返さなきゃね。ひとつ分は、これまで金を掘らされていた人たちの分よ」

 彼女の言葉に従って、乗組員のひとりが宝箱をひとつ、鉱山労働者たちの前に置いた。彼らはその金を一人一人手にとって、喜びに沸き立った。地獄の強制労働から解放され、その上にやっと報酬を得たからだ。

「それを使って、この島に新しい村を作ったらいいわ。あるいは、この町に住んで働くか。それだけの資金があればいろいろできるんじゃないの?」

 彼女がそう言うと、労働者たちはあ然とした顔を上げて彼女を見た。

「提督さん、俺たちはこの島に残らなきゃいけないのか?」

「解放されたから、故郷に帰れると思ったけど、だめなのか?」

 マリアンヌは彼らのほうに身体を向け、じっと見つめて言った。

「みんなにそれぞれ故郷に帰ってもらってもいいんだけど。でも考えてみて。このまま故郷に帰っても何が待っているのかな。人によっては監獄に連れ戻されるだけかもしれないし、その日その日の仕事もおぼつかない生活をしなきゃいけない人もいるんじゃない。だから、いい仕事につられて、だまされて連れてこられたんでしょ」

 彼女に言われて、彼らは現実に立ち返らざるを得なかった。確かに、故郷や都会に戻っても、生活は苦しいだけなのは目に見えている。それぞれに金が分けられたとしても、それがいつまでも手元に残り、生活を潤すわけではないだろう。

「言っちゃなんだけど、みんなは半端者や落ちこぼれと思われちゃってるじゃない。だから、そう思っている人たちを見返すためにも提案したいの。この島は人を求めているわ。街を作ったり、道路や水路なんかを造ったり、畑を耕したり。みんなの手で、この島を作っていくのよ。そうして成果を上げたら、胸を張って生きられるようになるんじゃない。それに、この島で自分たちの財産を築けるかもしれないよ」

 彼女の勧めの言葉に、労働者たちは顔を見合わせた。

「それはいい。わしは自治会長として、働いてくれる新たな移住民を歓迎しよう」

 オジジアンが付け加えた。

「島の住民は流出が続いていて、街はさびしくなるばかりじゃ。今の人数では、この広い土地を開拓していくにも、街を建て直すにも人手が足らん。どうか、この島に残って、わしらと働いてくれないか」

 自治会長の説得を受けて、労働者たちの心は動いた。貧しい日雇い労働者として、あるいは法を犯した犯罪者として、世間からさげすみの目で見られていた自分たちが、だれかに求められることなど、これまで考えもしなかったことだ。

「提督さん! おれはやるぜ!」

「おれも! ここに残って、街作りを手伝うぜ」

 鉱山労働者たちは、次々に彼女の提案に賛同して名乗りを上げた。希望もなく石を掘り続けた金山の労働とも、ただ生活に追われた街の生活とも違う、希望のために働くことに、彼らは決心したのだ。

「よかった。一からやらなきゃいけないことだから大変だけど、希望を捨てなかったらきっと、この島もみんなの生活も豊かになるわ。ひとかけらの希望も、無限大の可能性をもっているんだから」

 マリアンヌは今度は、島の住民たちのほうに身体を向けた。

「新しい移住者はみんなやる気を出してくれたわ。みんなはどうなのよ。またもう一度、開拓に戻って、昔持ってた夢を取り戻そうよ。苦しかったこともみんな昔のことにしてしまおうよ」

 住民たちはなかなか踏ん切りをつけられない表情をしている。彼女の説得に、それでも少し心が動かされている者もいるのだが、過去の失敗を考えると決心がなかなか付かないようだ。

「ひとついいことを教えてあげるわ。スコットさんは自分の農場で大豆を育てて、成果を上げているわ。その大豆をオデルにある交易所で見てもらったの。そしたら、結構いい値段で買い取ってくれたのよ。そして、東大洋沿岸では大豆の主立った産地が存在しないから、この島で大豆栽培が成功して特産品になったら、大陸にも輸出することができるような産物になるかもしれないわよ」

「マリアンヌさん。それはほんとうですか?」

 スコットが訊ねると、彼女は大きくうなずいた。

「スコットさんにもらった、大豆の一袋をオデルの総合交易所で買ってもらったの。これはその代金。スコットさんに返すわね」

 彼女は金貨3ターバルを彼に手渡した。

「スコットさんは大豆栽培の権威ある先生よ。そして、みんなに農業を指導するためにこの島に来てくれているの。スコットさんはいつでも、みんなを助ける気でいるのよ」

 彼女の言葉の後に、スコットが付け加えた。

「そうです。わたしは皆さんをお助けしたい。それは、わたしの夢のために、皆さんの助けをいただきたいからです。わたしはこの島を農業の楽園にしたいのです。ここはディカルト諸島のどこにもない、すばらしい沃野です。ディカルト諸島の住民すべての食料をまかなうほどの穀倉地帯になるかもしれない。その夢は、わたしひとりでは実現させられません。皆さんの協力を得て、はじめてかないます。共に助け合って、この島を『見捨てられたフロンティア』から真のフロンティアに変えていきませんか」

 スコットはいつも通りのおだやかな表情だったが、口調は確固として、力強く自らの夢を語っている。そして、その目は少年のように輝いている。その姿を見た住民たちは、彼をまぶしく感じた。

 同時に、徐々に自分たちの持っていた夢が、胸の奥底から光を戻しているのを感じていた。

「わかるよ……おれたちも。だけど、もうすぐ冬だし、今からやる事なんて」

「あるわよ」

 消極的な発言をする住民に向かって、マリアンヌは言いきった。

「あるわよ。やることだったらいくらでも。畑や村、あるいは山地のほうに行く道はぼろぼろだから、新しく道をつけ直したりとか、畑に水を引く水路を造ったりとか、街を直したり、港を修繕したり、やらなきゃいけない事はたくさんあるじゃない」

 彼女は乗組員たちに、用意していた土木道具などを持ってこさせた。そして、それらを彼らの目の前に並べる。これは、オデルで仕入れて、彼らに配布するつもりだった品々だった。それを果たす前に島から退去させられてしまったが、荷物そのものは交易所に保管してもらっていた。

「これは、みんなが街作りをできるように買ってきていた土木用具よ。みんなが自分たちの島、自分たちの街を作り直すためにがんばるって約束してくれるなら、これらを譲ってあげるわ」

 彼女は演壇から降りて、並べられた土木道具の中からつるはしを一本、よいしょと持ち上げて、両手で捧げるように持った。

「あたしができるのはここまで。あとは、島のみんなにしてもらわないといけない事よ。おねがい。もう一度立ち上がって、島の開拓に戻って。そして、自分たちの持ってた夢のためにがんばって」

 そう言いながら、彼女は捧げ持っていたつるはしを、島住民たちに向かって差し出した。

 住民たちは沈黙したまま、彼女のほうに目を向けている。

 少しの間、黙したままの静かな空気があたりを支配した。

「……どうなの?」

 彼女はもう一度、住民たちに言った。

 彼女の目の前に、オジジアンが進み出た。

「船乗りのお嬢ちゃん。恩に着る。自治会長のわしが率先して働いて、この島をもう一度、希望の土地に変えてみせよう。あとは、わしら開拓民がしなければならんことじゃ」

 彼はマリアンヌからつるはしを受け取ると、それを右手に持って高く掲げた。

「皆の衆、よく聞け。ここはわしらの希望の島だ。希望のために、豊かな土地を手に入れるために、わしは働くことにする! この島で豊かな農地を手に入れる望みのある者はわしと共に働こう!フロンティア精神を呼び覚ますのじゃ!」

「おうよ! オレも一丁やってやるぜ!」

 続いて応じたのはマックスウェルだった。彼は大きな木槌を手に持った。

 そのあとから、島の男たちがひとり、またひとりと応じるようになり、マリアンヌたちから土木道具を手渡された。そして、その数はどんどん増えていった。島の男たちだけでなく、島に残ることに決めた元鉱山労働者たちも、マリアンヌたちから道具を受け取った。

 島の全員とまではいかないが、住民の半数かそれを上回る男たちが、もう一度開拓に戻ることを決心し、マリアンヌたちに誓った。

 彼らは再び、フロンティア精神にあふれる開拓者になったのである。

「皆の衆、すぐに街作りを始めるのじゃ。まずは街を作り直すぞ。壊れた道路を直し、廃屋を改装して住める家にする。よいな。皆の衆、ついてこい」

「おーっ!」

 開拓者たちは大声で応じ、さっそく、必要な道具を手にして、作業に向かった。


 ダナン島の住民たちが、開拓に再度動き出してから数日たち、12月19日になった。

 島の復興は、驚くほどの早さで進められている。

 長年、この島の自治会長を務めてきたオジジアンは、連邦政府の政治指導者たちに劣らない、見事なまでの組織力と指導力をみせて、働く男たちを組織し、仕事を割り当て、導いている。

 そして、働く人間は数多く、そして精力的に働く意欲を見せていた。そもそも、このダイヤンの街自体、彼ら開拓民の手で一から築かれた街である。港も道路も用水路も、彼らが建設したものだ。本気を出して働けば、彼らは何でもできる有能な働き手だった。

 働くのは男ばかりではない。女性も、ペンキやモルタルを混ぜたり、炊き出しをしたりと忙しく働いている。子供たちも、小間使いなどの、簡単だけど必要な仕事を行っている。島民あげての大作業になっているのだ。

 島に居残って、復興の様子を見守っていたマリアンヌたちは、自分たちが思っていた以上に、島の立て直しが進んでいく姿に驚いていた。

 厳しい冬を越すために修理が必要だった家は、男たちの手によって次々に修理が完了していった。屋根はふき替えられ、すきま風の抜ける壁は補強され、ペンキやモルタルが塗りつけられる。

 一部で桟橋が壊れていた港も、修繕が行われた。冬の冷たい風が吹き付ける海岸端での作業だが、そんなものものともしない勢いで、熱心に港の整備が行われている。

 ダイヤンの街から北に向かう道路の工事も行われている。ただの轍だった道の土を掘り起こし、石や砂利を下層に埋め、その上に土を盛って、ローラーで整地する。道路脇に側溝を掘り、水はけをよくする。大変な作業なので一日に1マイルも延長しないが、以前とは比べものにならないほどきれいに整備された道路が敷設されている。

 街のある海岸段丘に上る坂のたもとにある、古い石組みの土台の上に、新しい建造物が建設されている。そこは、以前に津波で破壊されたダイヤン砦の跡だが、そこに、街の門を備えた櫓を建てようと言うのだ。

「ここに櫓を建てて、そのてっぺんに、海の上からわかるように照明をともすんだ。海に乗りだして漁業をする人間もいるし、この島が豊かになったら、商船もやってきてにぎやかになる。その時に、港の位置がわからなかったら困るもんな」

 その工事の監督をしていた開拓民の男が、工事を視察していたマリアンヌに言った。

「そうだね。完成したら、きっと有名なランドマークになるよ」

「この櫓が完成したら、なんて言う名前にしようか、みんなで話しているんだ。『マリアンヌの塔』って名前にしようって、一番候補に挙がっているぜ」

「え~。それはさすがに照れくさいよ」

「ははは。それだけ、あんたには感謝しているってことさ」

 そこへ、建設作業をしていた男が現場監督に向かって叫んだ。

「おーい。釘が足りねえよ。材木もだ!」

「おう、わかった。補充してもらうから待ってろ!」

「あ、だったら、あたし行って来るよ。広場にいる会長さんに言えばいいのよね」

「おいおい。お嬢ちゃんに使い走りをさせるわけにいかねえよ」

「いいっていいって。ちょうど、そろそろ広場に戻ろうかなって思ってたところだから」 そう言うが早いか、彼女は街の広場に向かってかけていった。

 一連の復興作業の監督事務所が広場に設営されている。そこにはオジジアンを中心にして、各所の作業を監督し、指示を出したり、必要な作業員や物資を送ったりしている。

「会長さん。櫓の現場で、釘と材木が必要なんだって。急いで送ってあげて」

 オジジアンに会うと、マリアンヌはすぐに彼に告げた。

「おお、そうかね。わざわざ船乗りのお嬢ちゃんが使い走りをしてくれるとはのう。これは急いで送らんといかんが……まだマックスウェルのところから、新しい釘がとどかんのでな」

 彼がそう答えているところへ、マックスウェルが釘を持ってやってきた。彼と連れだって、プトレマイオスが荷車に、2フィート平方、深さ1フィートの大きさの木箱を3箱ばかり乗せて運んできている。それぞれの箱には、できたての釘が山盛りになっていた。

「おう、釘を持ってきたぜぇ」

「ちょうど良かったわ、プット。今、櫓のところで釘が必要になってたところなの」

「よっしゃ。今から一丁届けてやらあ」

 そう言うと、プトレマイオスは釘の入った箱をひとつ、軽々と抱えて、櫓門の建設現場に向かっていった。

「マックスウェルさんも忙しいね」

 マリアンヌがマックスウェルに言った。

「忙しいなんてもんじゃねえよ。寝る暇もないぜ。何たって、あちこちで建築があるから、釘をいくら作っても足りねえんだ。その上、のみやかんなの手入れも舞い込めば、それこそ人手がいくらあっても追いつかねえよ」

 そう言いながら、マックスウェルは心底うれしそうな顔をしていた。

「ほんとにうれしそうね」

「そりゃそうさ。やっと、この島に来た意義を感じているところなんだ。前に言ったろう? オレは飲んだくれて生活なんかしたくねえ、オレは自分の鍛冶屋の腕を役立てるためにダナン島に移住したんだって。長年の夢がやっとかなうんだ。うれしくて、涙がちょちょ切れそうだぜ」

 マックスウェルは太い腕を目に当てて、おいおい泣き始めた。

「この島の開拓が始まって20年、ようやっとこの島は希望の地となろうとしておる。わしらは必ず、この島を希望の地にしてみせるわい。こうなったのは、すべてお嬢ちゃんのおかげじゃ」

 オジジアンは彼女に礼を言い、頭を下げた。

「そんな。あたしはただ、きっかけを作ろうとしただけだよ。働いているのはみんなだし、みんなすごくよく働くから、すごいなって思っているの。島の復興はみんなの功績よ」

「わしらは、そのきっかけを欲しがっていたんじゃよ。それをお嬢ちゃんは持ってきてくれた。島の者のために戦ってまでくれた。感謝してもしきれんよ」

 彼にそう言われて、彼女は照れくさそうにはにかんだ。

 そこへ、酒場のおやじが訪れた。

「会長。おや、提督さんにマックスウェルの旦那もおられましたか。たった今、新作の料理ができたんですわ。試食してもらえますか」

「うん、いいよ」

 食いしん坊のマリアンヌが真っ先におやじのところに飛んでいった。

「スケトウダラの魚肉をすりつぶして平焼きにし、チーズを二枚の魚肉の平焼きではさんで、もう一度軽く焼いてみたのです。どうですか?」

 彼女はその料理を一口食べてみた。

「うん。おいしいかも。あっさりしたたらの身と味のしっかりしたチーズが合わさって、いい感じだよ。ビールに合いそうだわ」

「ええ。いいつまみになりそうだなと思ったんです。今日の晩の打ち上げで、街のみんなに披露しようかと思ってますよ」

「いいね。きっと人気の一品になるよ」

 そう言いながら、彼女はもさもさとその料理、チーズたらを食べ続けた。

「提督さん、わたしは提督さんに謝らないといけません」

 おやじが言うと、彼女は食べかけのチーズたらをくわえたまま目を上げた。

「先に騒動が起きて、総督によって提督さんたちが街から追い出されたときですが、あれは総督の命令によるものなのです。街に騒動が起きたときに、わたしが総督に知らせ、そしてその上で、混乱の原因は提督さんにあると訴えるように言われていたのです。申し訳ないことをしました」

「なにっ。おやじ、お前なんでそんな策略に手を貸したりしたんだ」

 マックスウェルがおやじに突っかかっていった。

「実は、酒場の経営は赤字になっていて、総督に借金をしてまかなっていたのです。そもそも、酒場の経営自体、総督の許可が必要でした。それで、総督の命令に従わざるを得なかったのです」

「いいよ。もう過ぎたことだし」

 マリアンヌは、まったく気にかけていない表情で答えた。

「それより、おやじさん。もう酒場の経営は大丈夫だよね。あの金の一部を使えば、これまでたまっていたつけは回収できるでしょ」

「そうじゃな。あの金は島の資金じゃ。島の者みんなの金じゃから、たまったつけの分をおやじが持っていけばいい。わしらにとって、酒場はなくてはならんからの」

「それは大変助かります。もう、つけを気にしないでお酒を提供できる。提督さん、これからはわたしの店は、飲んでくれの店ではなく、勤労者の憩いの場にしていきますよ。そのほうが働きがいがある」

 おやじは彼女に誓って言った。彼女は笑顔でうなずいた。

「おーい、提督。新しい資金を持ってきたぜ」

 ジュリアスがそう言いながら、監督事務所に乗り込んできて、ターバル紙幣の札束が入ったケースをテーブルの上に置いた。

「わっ、すごいお金。ジュリアス、これどうしたの」

「総督官邸に乗り込んで、かっぱらってきた。彼らの協力を得てな」

 見ると、ジュリアスの後ろから、街の男数人がついてきていた。その男たちは、マリアンヌの説得のあとにも、島の復興に協力する態度をとらなかった人たちだ。そして、彼らの顔に彼女は見覚えがあった。

「あんたたちは、あたしのところに来て、チキンハートを譲ってくれって言ってきた人たちよね」

「そのとおり」

 ジュリアスが答えた。

「彼らがオレのところに来て、協力したいと言ってきたんだ。それでひとまず、総督官邸に案内させた。それで、税務書類なんかを調べたら、オレのにらんだ通り、あのちょび髭野郎、税率を水増しして徴収し、自分の懐に蓄えてやがった。これらはあいつがそうやってせしめていた分さ。島の復興資金に役立ててくれ」

「そうか。そんなことまでやっていたか。ジュリアス殿、恩に着る。これは有効に活用させてもらおう。資金はいくらでも必要なのじゃ」

 オジジアンはジュリアスの持ってきた資金をありがたくいただいた。

「でも、ジュリアス。なんでその人たちの協力で総督官邸に行ったの?」

 マリアンヌが訊ねると、彼は協力者になった男たちのほうに目を向けた。

「実は、俺たちは総督の従僕なんだ」

 男のひとりが答えた。

「もともとは俺たちも開拓民だったんだが、生活のために総督のもとで働くことになったんだ。だから、総督の不正も前から知っていた。だが、それをだれかに言おうものなら、俺も家族も食えなくなってしまう。だから、誰にも言わなかったんだ」

「あんたにチキンハートを譲ってくれと言ったのも、俺たちが飲みたかったからじゃない。俺たちは総督が、南方の海賊とつながっていたことを知っていたから、あんたたちがそのことに気付いたことの証拠として、総督に注進したんだ」

「それを受けて、総督はあんたたちを追い出すための策略を立てて、街に騒動を引き起こすように俺たちに言ったんだ。街にうわさを流したり、あんたたちに石を投げたりしたのは、実は俺たちなんだよ……」

 彼らはそう言うと、いっせいに彼女に土下座した。

「すまん、許してくれ提督さん。俺たちはしかたなくやったんだ」

「言い訳するんなら、謝ったって意味ないわ」

 彼女はいったん突き放した。男たちは肩がずしりと重くなった気分になった。総督の命令とはいえ、実際に彼女たちを島から追い出す策略を実行したのは事実だ。許してもらえないとしても、しかたないかもしれない。

「謝るんなら態度で示してよ。島のためにめいっぱい働いてくれるんなら許してあげる」

 暗い表情になってしまった彼らに向かって彼女はそう言い、顔を上げた彼らに向かってウインクした。

「ああ。わかった、約束する」

「よし。俺は塩小屋を直して、塩を作るぞ。漁業が始まったら必要になるからな」

 男たちはさっそく、仕事をするために外に出ていった。

 マリアンヌも、監督事務所の外に出てみた。外は曇り空で、風は冷えている。

「あっ、雪だわ」

 彼女は声をあげた。空に立ちこめた灰色の雲から、粉雪が舞い降りてくる。彼女は手を差し出して、手のひらに粉雪を受け止めた。

「これから厳寒の冬が本格化する。じゃが、凍てつく寒さの冬も、わしら開拓民の熱意を冷ますことはできん。冬を越えて春が来るころには、畑をどんどん広げて、このダナン島を豊かにしてみせよう。もう誰にも、ここを『見捨てられたフロンティア』などと呼ばせはせん。わしらがもう二度と見捨てないからのう」

 オジジアンは確信を込めた口調で言い切った。

 彼の言葉を確証するように、はらはらと降ってくる雪を溶かすような熱意を持って、広場の周りでは人々が一所懸命働いている。

「そうね。もう、あたしが心配することはないわ。数年もたたないうちに、ここはきっと、うわさになるほど発展した島になっているだろうね」

 彼女は身体をくるりと反転させて、オジジアンとマックスウェルのほうを向いた。

「会長さん、マックスウェルさん。あたしたち、もう帰らなきゃ。明日にも出航して、ティシュリに帰るわ。ジュリアス、このことをみんなに伝えてね」

「ああ」

 ジュリアスは、仲間たちと乗組員たちに伝えるためにそこから去っていった。

「そうかい。さびしくなるな」

 マックスウェルが名残惜しそうに言った。

「ずっとのお別れじゃないよ。きっとまた、この島にやってくるわ」

「うむ。その日までに、この島を立派な土地に変えておくわい」

 オジジアンが彼女に答えた。

「ならば今夜は、お嬢ちゃんたちの送別の宴をしよう。たっぷり酌み交わそうじゃないか」


 総督官邸の一階、その一番隅の部屋に、ラエナス・アブシントス総督は軟禁されていた。

 これまで自分の手下だとばかり思っていた兵士たち(本当は彼らは連邦陸軍の所属で、総督の直属ではない)によって監視下に置かれ、食事と用を足すとき以外は自由に官邸内を出歩くことさえ許されない。

 傲慢な総督にとって、耐え難い屈辱だった。

「まったく忌々しい。あの小娘め。この吾輩をこんな仕打ちに遭わせおって。島の者どもも許し難いわ。この吾輩を誰だと思っておるのか。吾輩は連邦政府より派遣されたダナン島植民地総督だ。この島で一番偉いのだ。それをよりによって……」

 ダイヤンの街の広場で、マリアンヌたちの送別の宴が繰り広げられている夜中に、彼は苦虫をかみつぶした顔をしながら、ぶつぶつつぶやいて、照明のない部屋の中を歩き回っていた。

 不意に、部屋の扉のかぎが開けられ、中に人影が現れた。

「ぬ。お前か」

「……白金のキメラ首脳部からの連絡を伝える」

 人影は低い声で言った。

「なんと、連絡を取っていたのか。ならば、吾輩を解放し、吾輩をおとしめた者どもに復しゅうするよう首脳部へ……」

「話をさえぎるな。俺は連絡を伝えに来ただけだ」

 人影は冷徹な声で総督の言葉を断ち切った。

「首脳部の言葉はこうだ。『金山経営に失敗し、これ以上資金調達ができなくなった以上、お前の役目は終わりだ』」

「なにっ!」

 総督はうわずった声をあげた。

「『我々は潜伏中であり、計画準備段階であるにもかかわらず、公の場で我々の存在を明らかにするのは許し難き愚行。その身をもって責任を取ることを命ず』。以上だ」

「な、なぜだ! 吾輩は忠実に資金調達を行い、計画実行のための根回しも行ってきた。何故、その吾輩が責められねばならんのだ! え!」

「わからないか? ならばはっきりと言おう。もう用済みなのだ。もともと、お前のような無能な人材など必要としていない」

 人影は、ずいっと総督のほうに近づいてきた。

 総督の目が限界まで見開かれ、口ひげはわなわなと大きく揺れた。暗がりの中で、顔色は蒼白になっている。うわずった声がかすれて出てきた。

「や、やめろ!」

 人影は、総督の口を手でふさいだ。

「さらばだ、豚君」

 いっぱいに見開かれた総督の目は、驚愕と絶望に激しく揺れた。


 12月20日。

 マリアンヌたちはティシュリに向けた出航の準備をするため、朝早くから港にいた。

 そのダイヤン港に、メインステート島からの定期船が入港してきた。

「ほう。これはいったい」

 定期船の船長は、建設の進むダイヤンの街を見て目を丸くした。前回入港した今月の初め頃には、街は静まり返っていて、人の動きすら感じないほどだったのだ。

 驚いている船長にマリアンヌは近づいた。

「あなたが定期船の船長さんね?」

「そうだが、もしやティシュリのマリアンヌ・シャルマーニュ提督ではないかね?」

「あっ、知ってるんだ。あたしも有名になったのね」

 はじめて会った船長に名前を知られていて、彼女はふふんと笑った。

「確かそう言う名前の船乗り娘がいて、特徴はロングのジンジャーヘヤーと貧乳だと聞いていた。うむ、間違いなかったようだ」

「ちょっと、貧乳は大きなお世話よ。誰なのよ、そんなうわさ流したの」

 胸が小さいことを指摘されて彼女は腹を立てた。

「その提督がこの島に来ているとは知らなかった。それにしても、このダナン島の変わり様には驚いた。いったい何があったのかね」

 彼女はこれまでに起きたことを船長に話した。そして、今は島の復興のために島民あげて働いていること、ダナン島はもはや見捨てられたフロンティアではなく、希望の島に変わってきていることを話した。

「そうかそうか。シャルマーニュ提督、あんたはすばらしい働きをしたな」

「あたしは別に。がんばってるのは島のみんなだもん。それより、船長さん。積み荷は何を積んできたの?」

「うむ。食料と薪炭とワインだな。これまではこれくらいしか需要がなかったが」

「島には材木が足りないわ。これから冬になったら、山から木を切り出すのは無理になるだろうし、林業が定着して材木が島の特産品になるまでは、きっと木材の需要があるわよ」

「そうか、それはいいことを聞いた。ならば、早いうちに木材を積んでここに来ることにしよう」

「それとね」

 彼女は船長に、ターバル紙幣の札束を1万ターバル分手渡した。彼女の金ではなく、島の復興資金の中から彼女に託されていたものである。

「ほんとはあたしに頼まれたんだけど、定期船の船長さんに頼んだほうがきっと早いだろうから。中古船でかまわないの、漁船を買って、次来るときに曳航してきてほしいのよ」

「漁船だって? この島の人間が漁業をするのかい?」

 船長は目を丸くした。

「これまで、怪魚のうわさを信じ込んで海に乗りださなかったんだけど、あたしたちが近海を確かめて、怪魚がいないことを伝えたら、やる気が出たみたい。それに、ここにはたらやニシンや、おいしいかにもたくさん獲れることがわかったのよ。きっと、一番早く特産品になるんじゃないかな」

「何から何まで提督のお手柄だな。わかった。漁船にふさわしそうなスループかケッチを購入してこよう」

「よかった。これであたしも安心して、ティシュリに帰れるわ。次いつこの島に来れるかわからないしね」

 彼女は必要なことを定期船の船長に引き継ぎ終えて、安心したような笑みをみせた。

「今からティシュリに帰るのかい。航海の無事を祈る、気をつけて帰れよ。それと……」

 船長はあごに手をやり、首をひねった。

「つい先ほどなんだが、この島の近海で、見覚えのない船を見つけたんだ。二本マストの小型船で、船影しか確認できなかったが、何か気になってな」

「そう? 情報ありがとう。気に留めておくわ」

 彼女は船長と別れて、インフィニティ号に戻ろうとした。

 ちょうどそこへ、ひとりの兵士がやってきた。総督配下にいた兵士の隊長だった。彼はマリアンヌの姿を見つけると、彼女に近づいてきた。

「シャルマーニュ提督殿。お耳に入れておきたいことが」

「なにかあったの?」

 隊長は声を低くして、彼女に伝えた。

「今朝方、アブシントス総督が自室で首をつっているのが発見されました」

「えっ。自殺したの?」

「おそらくは。ですが、いくらか不審な点がありまして」

 隊長はいったん首を傾げ、

「総督はいつも、上着の左胸に、白金製の大きなメダルをつけていました。キマイラのレリーフが彫られていたものです。それがなくなっていて、捜索しましたが見つからないのです」

「ああ、あのメダルね。でも、それに意味があるのかしら」

「わかりませんが……。とりあえず、事実として報告しておこうと思いまして」

「うん。ありがとう」

 隊長は立ち去った。マリアンヌは重たい話を聞かされて、表情がいくらか曇った。敵対したとはいえ、憎たらしいちょび髭総督とはいえ、死んでしまったと聞かされては、やはり切ない気持ちになる。敵の死を喜ぶように彼女の心はできていない。

 そこへ、大荷物を抱えてアッシャーが坂道を駆け下りていた。

「アッシャー、また遅刻したの?」

「だって、ボクは着替えの衣装が多いんだよ。それを荷造りして持っていくだけで大変なんだよ。ポーターもいないしさ」

「自分のことでしょ。しっかりしなさいよ」

 二人がインフィニティ号に向かおうとしているとき、まだら馬に乗ったドリスが駆けつけてきた。

「待ってちょうだい、アッシャー君、提督さん」

 ドリスに呼び止められて、二人は彼女のほうを振り向いた。

 ドリスは、封筒に入った書類の束をアッシャーに手渡した。

「ティシュリに帰ったら、これをバニパル=シンジケートに提出してほしいの。この島の物産に関する中間報告がまとめてあるわ」

「わかりました。必ず届けます」

 アッシャーは大事にその書類を小脇に抱えた。

「ねえ、ドリスさん。どんな産業ができるって書いてるの? 黙っているから教えて」

 好奇心旺盛なマリアンヌがドリスに訊ねた。ドリスはくすりと笑ってから、彼女に教えた。

「この島には良質の粘土の層があったわ。それを利用して、窯業を新産業として立ち上げることができるかもしれないのよ。職人をこの島に呼んで、陶磁器を作るなら、農業や林業だけじゃなく、工芸品で島に利益をもたらすことができるわね」

「あっ、それはいいかも。うまくいくといいなあ」

 新産業の可能性を聞いて、彼女は自分のことのようにうれしくなった。

 ドリスは二人の顔を見つめた。

「これでお別れね。わたしはもう三ヶ月、このダナン島に残るわ。それが終わって、報酬を受け取ったら、わたしは西方大陸のゴボダに渡るわ」

「西方大陸にですか? どうしてまたそんなところへ?」

 アッシャーが訊ねると、ドリスは微笑をみせた。

「わたし、結婚するのよ。昔からつきあっている博物学者の彼とね。彼は念願のゴボダ大学(世界最高水準と名高い大学)に入ったから、わたしが彼のもとにいかないといけないのよ。そのための旅費が必要だったし、学問一筋の彼に生活の負担をさせるのも悪いから、しばらく分の生活費が必要なのよ。報酬にこだわったのはそのため」

「そうなんだ! おめでとうドリスさん!」

 マリアンヌが祝福すると、ドリスはうれしそうに笑った。

「ありがとう。じゃ、元気でね。二人とも、世界中を旅する身なら、今生の別れでもないわ。またいつか会いましょう」

 そういうと、ドリスは再びまだら馬エリュシオンにまたがり、街に帰っていった。

「ドリスさん、うれしそうだったよね。ね、アッシャー」

 マリアンヌは、かたわらのアッシャーの顔を見上げた。

 アッシャーはうなずいたが、その顔は何となくさびしそうだった。

「あれ? アッシャーてば」

 彼女はニシシと笑って、肘でアッシャーをつついた。

「ドリスさんのこと苦手とか言っていながら、本当は好きだったんでしょ」

「う……。うん、気になってはいたよ……」

 小声で答えた彼の背中を、マリアンヌは思いっきりバシンとたたいた。彼は「あいたっ!」と、大声で叫んだ。

「ほんとはそんな程度じゃないでしょお。まあいいわ。自分の好きな人だったら、幸せになることを願ってあげようよ」

「そうだね」

 彼女にそう言われ、アッシャーはほほえみをみせて答えた。

「さっ、ティシュリに帰るわよ。急いで船に行かないと、みんな待ってるよ」

 マリアンヌは船に向かって駆け出した。

「待ってよ、提督。ボクの荷物は重いんだってば。置いていかないでよ」

 衣装でいっぱいの大荷物を引きずるように抱えながら、アッシャーは必死になって彼女の後を追いかけた。さっきドリスから引き取った報告書類は、絶対に落とさないように、脇にしっかりと抱えながら、アッシャーはインフィニティ号へと急いだ。

 


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