背信

深川夏眠

背信


 デッキチェアで優雅に読書するはずだったのに、落ち着かない。早々と船旅に飽きた息子の心を捉えたのは優雅な身ごなしの青年で、にこやかに立ち話する二人をさりげなく監視せずにいられなかった。駆け出しのモデルか俳優の卵といった風情だが、どことなく残忍な気色けしきは何に由来するのだろう。

 結婚記念日と息子の誕生日が近いので、まとめてお祝いだと、この旅を計画したのは夫だったが、言い出しっぺが仕事に追われて、次の寄港地から乗り込む手筈になったので、それまでの間、私が一人であの子を守らなくてはならない。

「お母さん、これ」

 駆け寄った息子が差し出したのはタロットカードの悪魔。意味は堕落、誘惑、破滅……。彼は息子を手懐てなずけて私に取り入るつもりなのか。だが、背筋の悪寒は思いのほか快美で、罪の意識が頭をもたげた。


 悪夢にうなされて跳ね起きたら、息子が消えていた。パジャマの上にコートを羽織って客室を飛び出すと、風の中に重い水音が轟いた気がして足が竦んだ。

「お母さん、どうしたの?」

 息子は眠れず、船内を探検していたと暢気に告げた。部屋へ戻れと命じて甲板に出ると、人だかりをすり抜けて去っていく青年の姿。

 いつ、どこから乗船したのか、何故、嘘をついたのか、手摺りの前に夫のものと思われる見慣れた革靴が片方、そこに添えられた悪魔のカード。今度は向きが逆、すると……表象されるのは「リセット」か。

 つまり、私の目を盗んで秘密の絆で結ばれていた男たちが、ここで関係を清算したのだ。



                  【了】



◆ 初出:パブー(2016年12月)退会済

画⇒https://cdn-static.kakuyomu.jp/image/51vORPPY

*縦書き版は

 Romancer『掌編 -Short Short Stories-』にて無料でお読みいただけます。

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

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背信 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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