第51話

 混沌に満ちた風呂から上がった後は自由時間となった。夕食は点呼の役割も含めて一年全員が集まることになっているので、女子の風呂が終わるまで待っていなければならない。


 部屋の中でババ抜きをしていた僕は、揃った二枚のカードを放り出して寝転んだ。


「あがり」

「マジかよ」


 大輝が絶望に染まったような目で、手元に残った無数のカードを眺める。争いに参加していた四人の内、残っているのは雨宮と大輝だけだ。


「九条君、残念だけど……あがり」

「は⁉ 嘘だろおい!」


 雨宮がそろったトランプを投げ出し、勝負は大輝の負けとなった。


「罰ゲームな、大輝」

「そうだぞ、九条。お前も俺と同類なんだよ…はは」


 勝負に負けたのは確かだが……お前は別の方面だろ、一色。


「……罰ゲームって、確か自販機で全員分のジュースを買ってくるんだよね。……あ、僕はミルクティーで」


 散らばったトランプをを拾い集めながら雨宮が言うので、僕はそれに追加で情報を付け足す。


「奢りという事を忘れるなよ、大輝。因みに僕はコーラで」

「九条。俺はコーヒーのブラックでいいぞ」

「お前ら、まじで敗者に容赦が無いな……」


 大輝はそうぼやきながら財布を取りに行き、全員の飲み物をもう一度確認してから部屋の外に出て行った。


「……」

「……」

「……」


 後に残されたのは、僕、一色、雨宮。一色と雨宮は普段から仲が良さそうなのでいいが、僕はこの二人の事をほとんど知らない。

 親交を深めるべく、試しに雨宮に話を振ってみた。


「雨宮」

「ん?」


 雨宮は拾い集めたトランプを片付けながら振り向いた。風呂上がりだからか、濡れた髪に上気した白い肌、それに人形のような端正な顔立ちが相まって、なんだか妙な気分になりかける。温泉ではずっと前を隠していたが……こいつ、男……だよな? 


 僕はじっと雨宮を見つめて、そして軽口のつもりで言った。


「結構綺麗な顔してるって思ってたんだが……彼女とかいるのか?」

「え……」


 なぜか雨宮は赤くなった。そしてカタリと音を立ててトランプを床に置き、答える。


「いる……けど、別にそういうアレじゃないよ」

「そういうアレ、とは」

「アレはあれ。僕にも色々あるんだよ」

「な、なるほど……」


 どうやらそれ以上話す気はないらしく、雨宮はふいと明後日の方向を向いて赤くなった顔を隠した。

 というわけで一色に尋ねる。


「……で、一色。雨宮の彼女ってどんな人?」

「あっ」


 雨宮が慌てて防ごうとするが、時すでに遅し。一色はにやりと笑って答えた。


「許嫁だよ。雨宮の家は名家だからな。……お相手もこの学校にいるぞ」

「え、マジ?」

「本当だ」

「一色君……」


 中々迫力ある目つきで雨宮が睨むので、一色は焦ってたじろいた。


「いやすまん。……ほら、他人の恋愛って酒の肴に最適だろ?」

「一体お前は何歳なんだ……」

「あのね……いや、やっぱりいいや。でも、それ以上話したら精神的に殺すからね、一色君」


 怖っ。いや、眼つきがガチなんですけど。


「結城君も、あんまり詮索しないように」

「してしまったら?」

「……バラす」

「すみませんでした」


 ひれ伏して謝ると、どうやら雨宮は許してくれたらしく、いつもの穏やかな微笑で応えた。「バラす」という単語が一体どちらの意味を表すのかは僕には分からないが、ひとまずこいつは絶対に怒らせてはいけないリストに追加したほうが良いだろう。

 戦々恐々怯えていると、雨宮が「あれ?」と呟いた。


「結城君、スマホ鳴ってるよ」

「え? ……ああ、本当だ」


 雨宮に礼を言って、鞄の上でぶるぶる震えるスマートフォンを手に取る。画面に表示されていたのは『天沢春菜』というアプリのアカウント名だった。

 通話ボタンを押し、耳に携帯を当てる。


「もしもし?」

『あ、もしもし結城君? 私だよ。水城』


 水城さんか。さっきのの話の続きをするつもりなのだろうか。


「……ああ。一時間ぶり」

『だね。九条君はいる?』

「いや、いないな。今全員分のジュースを買いに行かせてる」

『そ、そっか。……あ、九条君が返ってきたら、この通話の内容を余さず伝えてね。大事なこと言うから』

「大事な事?」


 頭の中で色々と予想してみたが、それがまとまる前に水城さんが言う。


『夕食まで、そっちはあと二時間くらい時間があるでしょ? その隙にこっちの部屋に来てほしいんだけど』

「え、あれ本気だったのか?」


 よく実行しようと思ったな。


『本気も本気だよ。色々と面白そうだしね』

「何が?」

『なんでも。それは良いから、とりあえずこれから言う私の指示をしっかり聞いてて』

「……まあ、聞くだけなら」


 僕は携帯を握り直し、片手に自習用のノートを持ってきてペンを握る。水城さんは一度息を吸い、何かを読み上げているのか淀みない口調で話し出した。


『じゃ、行くよ。まずは――』





*  *  *





「買ってきたぞ」


 大輝が腕とポケットに上手い事飲み物を詰め込んで現われたのは、それから五分後の事だった。


「ほら、自分のは自分で取れ。俺は動けん」

「ありがと、九条君」

「ありがとよ」


 雨宮と一色はそれぞれミルクティーとブラックコーヒーを取り、残ったコーラが僕の元に回ってきた。


「ほら、拓海も」

「ああ。サンキュ」


 大輝からペットボトルを受け取ると、ひんやりとした触感が風呂上がりの肌に心地よい。

 蓋を開けて甘い液体を喉に流し込んでいると、大輝が僕のノートを覗き込んできた。


「なんだそりゃ」

「作戦だ」


 僕は簡潔に答える。大輝は首を傾げた。


「作戦って、なんの?」

「女子部屋への侵入」

「はぁ?」


 呆れたように大輝は言ったが、何か思い出したのかすぐに表情を改めた。


「……まさかとは思うが、春菜の指示じゃないだろうな」

「いや。携帯は天沢さんのだったけど、実際に話したのは水城さんだ」

「そうか。それなら……いや、でもなあ」


 悩ましそうに大輝は腕を組む。何か思い当たるものでもあるのだろうか。

 それを聞いてみると、大輝は、


「絶対に碌なことにはならんぞ」


 とだけ言った。恐らく、天沢さんから数多くの試練を与えられてきたからこそ言えるのであろう。それは尊重する。

 だが……


「行かないという選択肢は無い。特に大輝、お前は」

「……どうしてだ?」


 僕はスマートフォンに手をかざし、大輝に見えるように掌で影を作った。

 大輝がそれを見て目を丸くする。


「これ……いや、マジかよ春菜のやつ⁉ いつ盗りやがった⁉」

「山頂で飯食ってた時らしい」

「あぁ……油断した。確かに、これは行かざるを得ん」


 スマホのメッセージアプリに表示されていたのは、表紙にでかでかと太い文字で「九条大輝」と署名された自然教室のパンフレットだった。これが無ければスケジュールが分からないどころか、点呼の際にもっと不味いことになる。


「晩飯の時に班員全員提出しなきゃならないんだろ? 取りに行くしかねえよ」

「もはや脅迫だな、これ」

「いやいや、春菜が本気を出したらこんなもんじゃないぜ。といっても、大抵は危害を加えてきた奴にしかこういう事はしないんだが……」


 これで本気じゃないのかよ……恐ろしいな。


「……まあ、あいつが来いと言ってるなら素直に行ったほうが良い。行かなかったら面倒くさいことになる」


 そう言って大輝は苦虫を嚙み潰したような顔をした。


「具体的には……?」


 僕が聞くと、大輝は首を振りながら答える。


「まあ、まず拗ねられるな。ガキみたいに。……それから、一日中付きまとってきて鬱陶しい。家まで付いてくることもある」

「それから?」

「こっちが謝るまでベタベタ引っ付かれる」

「……それから?」

「……それだけ」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


「ただの惚気じゃねえか⁉」

「るっせえ! お前に言われたくねえよ!」


 ぐるるる、と僕たちは縄張り争いをする豹のように睨み合う。


「……まあ。取り敢えず、春菜たちの部屋にパンフを取りに行くのは確定だ」

「……そうだな。まあ、妥当な判断だ」

「…………」

「…………」


 僕たちは再度互いに角突き合わせた。


「信用はしてるが………大輝。雪菜の私物に触ったらただじゃおかねえからな」

「お前こそ………あり得ないとは思うが、春菜の荷物、漁るなよ」

「…………」

「…………」


 しばらく互いの瞳を睨んでいた僕達だったが、どちらからともなくふっと笑みがこぼれた。


「……まあ、まずは部屋に辿り着けるかどうか、だけどな」

「だな。教師に見つかったら大目玉じゃ済まねえよ」


 クックックッと笑い合う僕達を、雨宮と一色がドン引きの様子で遠巻きに眺めていた。


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悲劇の主人公が知り合った美少女は、実は幼馴染だった件。 アラタ ユウ @Aratayuu

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