??話 一人きりの夜

 ‎✿ ‎


『——また明日。』


 永遠くんの声が、耳の中に残る。

 あの時の苦しくて切なくて、でもどこか幸せそうな、永遠くんの顔を思い出していた。

 永遠くんが何を思って、何を考えてあんな顔をしたのかは分からないけれど、ただ一つ分かる事がある。


 自分に背中を見せていた人が、くるりと振り返って、『また明日』と手を振ってくれる。

 小さな言葉でもそれは約束に変わり、やがては私達を繋いでくれるんだ。

 明日という、小さくて、けれど大きな未来。

 そこへ辿り着く為の近道は、こんなにもすぐ近くにあったんだ。

 それは普段なら気付かない事だけれど、こういう何気ない時に気付いてしまう。

 そして、それに気付いた時に思ってしまうんだ。


 ——私、幸せだ。


 その温かさを知ってしまったから、一人になった瞬間に沈黙が私を襲う。

 慣れていたその静寂が、今は何故だか寂しく思う。

 一人きりになって口を動かす事もないし、私は気の向くまま空を仰いだ。

 窓から見える空は、いつの間にか暗闇に覆われている。

 空には、半月とも三日月とも言えない歪な形の月がポツリと輝いているのを見て、急な虚しさが襲ってきた。

 どうしようもない感情が押し寄せて、胸をいっぱいにしていく。

 その感情が、どうやら目元まで押し寄せてきたらしく涙腺を刺激した。

 ……駄目だ、泣きそう。

 笑わなくちゃ、とは思っても笑顔を見せる人がいなくては意味がない。

 夕食まで、少し時間がある。

 何かをしなくちゃいけないという使命感に駆られて、私は自分のベットに備え付けてある棚に手を伸ばした。

 足を動かす事は出来なかったけれど、リハビリのおかげで手は動くようになった。

 棚を開けたら、そこにあったのは便箋。

「……。」

 何となく取り出してみたはいいものの、別段誰かに気持ちを綴ろうとは思わない。

 そういえば、今まで、誰かに手紙を渡したことが無い事を思い出す。

 自分自身に、『誰に思いを伝えたい?』と尋ねてみると、その答えはすぐに返ってくる。

 自分自身の回答が、私らしくて頬が緩んでしまった。

 そうとなれば、手紙を書こう。

 どんな始まり方で、どんな内容を書くのか決まって無いけれど、思うがままに文字に綴ろう。

「色織さん? 夕食の時間です。」

 ペンを握ろうとした時、看護士さんが夕食を持ってきてくれていた。

「あら、何かしようとしていたの?」

「はい、でも大丈夫です。」

 看護士さんの質問に、私は首を横に振ってから便箋を棚の中に戻す。

 先走って書いても、意味の分からない手紙になるだけだ。

 きちんと時間を作って、自分の気持ちをちゃんと考えてからこのペンをとろう。


 私は自分の前に出されたお粥を口に運ぶ。

 その日のご飯は、いつもよりよく喉を通っているような、そんな気がした。




 ‎✿ ‎




 夕食を食べ終えて、ぼーっとしていると、いつの間にか消灯時間が過ぎていた。

 病室で一人きりの夜。

 私以外に誰もいない空間。

 夜の闇が病室を包む。外を見ると月が高く登っていて、満開の桜がキラキラ輝いていた。

 今日も皆の沢山話せた。私はまだ皆の中に入れるのだろうか。

「……。」

 一人きりだと、色々なことを考えてしまう。

 今までの過去や、これからの事を。

 最近、私の周りには色んな人がいて、そのせいかやけに一人は冷たく感じる。

 あんまり暗い話は私に似合わないけど、こういう夜には思い出してもいいだろうか。

 永遠くんにも話していない、私の話を。



「永遠くーん! おおーい! 」

 私はいつも永遠くんを待っている。待ち合わせの時はいつも私が先に来て、永遠くんを待っている。

 でもその日だけは違っていた。それはクリスマスイブ。

 聖夜の夜、私よりも先に来ていた永遠くんは凄く寒そうで、街灯の下に立っていた。

 オレンジ色の暖かい光が、永遠くんの頬を優しく照らしていた。

 いつもよりも大人っぽくて、私は一瞬目を奪われる。

 ぽつりと、私を待ってくれている。

 それだけで凄く嬉しくて、愛おしくて。

 願ってはいけないことだけど、クリスマスの空気に流されて私は思ってしまうんだ。


 ——本当に永遠くんが私の恋人ならいいのに、と。




 願いはいつも叶わない。私はそんな事を分かっていながら心のどこかで夢見てしまう。

 一人でずっと居たら、永遠くんに会わなかったら。

 そうすれば私も永遠くんも、こんなに苦しい気持ちにならなくて住んだのかもしれない。

「……なんてね。」

 一人ぼっちの病室でクスリと笑ってしまう。

 ああ、知っている。私は永遠くんに出会えて本当に幸せなんだ。

 例えそれが、ハッピーエンドじゃなくても。


 そうだ、こういう時こそ手紙を書こう。きっとすぐに来てしまう未来を文字に起こそう。

 便箋を取り出して、今の気持ちを全部書いてしまおう。

 ありのままをさらけ出して、色織雪葉の最後の願いをありったけ綴ろう。

 永遠くんはこの手紙を読んでどう思うのだろうか。私が世界から消え去って、何を考えるのだろうか。

 ……消える。私がもう、永遠くんと会えなくなる?


「——あれ? 」

 便箋を大きな雫が濡らす。それに頬に違和感がある。

 それからやっと理解した。これって、涙だ。私の……涙?

 今まで消える未来が当たり前で。だから辛いなんて思わなかった。

 でも今は……辛い。苦しい。悲しい。

 胸が何かで縛られたかのように痛い。


 ——消えたく、ない。


「うっ……うぅ……。」


 涙はどれだけ手で押さえつけても止まらなくて。どんどん溢れて両手がびっしょり濡れてしまった。それでも涙と一緒に気持ちが溢れてくる。

 消えたくない。消えたくない。消えたくない。

 ただその思いだけが先走って、涙と共に流れ落ちていく。

 大粒の雫が、月光に照らされて宝石の様に光を放つ。

 もし、涙が全部流れきったら。その時はこんな感情も流れててしまうのだろうか。

 そうしたらきっと、永遠くんの前でちゃんと笑えるようになるだろうか。

 私は、溢れる涙を必死に拭いながら、ペンをとった。

 そしてゆっくりと文字を書き出す。

 そこに綴るのは、私の願い。祈り。思い。私の永遠くんに対する全て。

 ペン先を走らせながら、考えたのはもうすぐやって来る未来の事。


 私がいなくなっても、世界は変わらない。

 当たり前の様に朝日は登るし、鳥は囀る。ただ違うのは、そこに私という存在が居ない事。

 でも、それを違和感として感じ取ってくれる人は少なくて。

 ああ、でも永遠くん達は悲しんでくれるのかな。

 私が消えたら、泣いてくれるのかな。

 そんな都合のいいことを考えてしまう。

 もし、この手紙を読んだ永遠くんがこの世界に絶望してしまったら。

 もし、永遠くんが神様を恨んでしまったら。


 走らせていた手をピタリと止める。

 本当に手紙にするべきなのは、きっと永遠くんの希望だ。

 私が居なくても、一人になっても前を向いて道を歩んで行けるような、そんな希望。

 そして、それは恐らく私の本当の願い。

 私は永遠くんに、色織雪葉という人間を忘れて欲しかった。

 だって、私が彼の記憶の中で生き続けられる訳が無いと思ったから。

 でも永遠くんは、私が想像している以上に色織雪葉という存在を大切にしてくれた。

 だから今は、忘れて欲しいなんて思わない。

 今私の願いは他にある。

 それは……。


 手紙に封をして、戸棚に入れる。

「大丈夫、だよね。」

 その言葉は暗闇に消えていった。

 もしかしたらそれは自分に向かって言ったのかもしれない。

 もしかしたらそれは永遠くんに向かって言ったのかもしれない。

 その答えは誰にも分からないけれど、それが正解なのかも。


 それから眠りにつく時、私はふと有り得ない事を考えた。

 もしも私が渡った世界とはまた別の世界で、私も永遠くんも笑い合える世界があったなら。

 手を繋いで、春も夏も秋もそして冬も。二人で歩ける世界があったなら。

 そんなありもしない世界を考えて、私は笑ってしまう。

 でも思うんだ。


 本当にそんな世界があるなら、その世界の私に言いたい。どうか永遠くんの事をちゃんと見て欲しい。

 自分だけじゃなくて永遠くんの心をちゃんと考えて欲しい。


 そんな事を思って、私は少し深い眠りの中へと入っていった。

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いつか桜の降る頃に 桜部遥 @ksnami

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