炎上
――
朝には、ならなかった。
「あっつぃ」
季節外れの真夏日、炎天下の深夜2時。うだるような暑さに、おもわず飛び起きる。寝る前にかけたはずのエアコンは、なぜか止まっている。
「故障かなぁ、サイアク……」
手元にあるリモコンのスイッチを何度も押すが、全然反応が無い。こんな、暑さでエアコンが使えないなんて、まるで地獄のようだ。
―― ブーッ ブーッ ――
さっきから、スマホのバイブの音がうるさい。SNSの通知だろう。いまだに止まる気配が無い。
「本当に、暇人ばっかり……」
眠い目をこすりながらスマホの画面を見る。
「あれ?」
SNSの通知だと思ったら、違った。それは、兄からの電話だった。私が寝ている間、ずっと呼び出していたみたいだ。
通話ボタンを押すと、すぐに、スマホ越しから兄の大きな声が響いてくる。
「おい、寝てたのか、起きろよ!」
「ふぁぁ……こんな時間に電話してこないでよ。ていうか、眠いんだけど?」
「お前、寝ボケている場合じゃないぞ。起きろ、炎上しているぞ!」
炎上……ああ、SNSのことか。どうせ、あんなのは一時的に盛り上がっているだけ。時間さえかければ、鎮火するのに。兄の心配症には少しうんざりする。
「大丈夫だって。どうせ、あいつらは何にも出来ないんだし。そのうち、収まるから」
「収まる? そんな訳無いだろう」
「本当だって。このぐらい平気だよ」
「お前、話が通じているか? 燃えているんだよ!」
「うん、そうだね」
「家が!」
「……え?」
――家が、燃えている?
ようやく目が慣れてきた。天井には真っ黒の煙が充満している。カーテン越しに、真っ赤な模様が広がっている。
火だ!
まさに、今、家が燃えている。兄が電話越して伝えてきた状況が、はっきりと、この目に飛び込んできた。
見たことないくらいに大きくて、この世の物とは思えないほど、鮮やかな赤色で。それこそ、SNSに投稿したらバズるだろう。
私は状況を完全に理解した。暑いと思ったけど、それもそのはずだ。だって、火事の炎で熱かったんだから。
間違いない、ここいたら、死ぬ。殺される。
「やばい! 逃げなきゃ!」
ベッドから飛び出して立ち上がるが、天井の煙を吸い込んでしまう。
「ごほっごほっ!」
頭がクラクラとしてくる。もうろうとする意識でまっすぐに歩けない。覚束ない足取りだけれど、なんとか部屋のドアに駆け寄り、ノブを掴んで開けようとする。
「あつい!」
火の手がすぐそこまで迫っているのかもしれない。経験したことがない熱さが、私の手を拒絶する。それでも、やけどを覚悟で握りしめて、えいっと力をこめる。けれど、なぜだか、それが開くという様子は無い。
「なんで? 開かない!」
ドンドンと体を思いっきりぶつけて押し込んでみるが、ピクリとも動かない。どうやったって、私を逃がしてくれない。
「そうだ、窓! そこから脱出すれば……」
自分の部屋は2階にあった。飛び降りたら、どこかしら怪我をするだろう。骨折するかもしれない。でも、死ぬよりはましだ。
窓に近づき、カーテンを開けると、ガラスは赤く染まっている。けれど、もうここしか道は無い。ダメ元で窓に手を掛ける。
でも、ダメだった。炎が強すぎて、とてもじゃないけど触れない。窓の枠が熱で溶けてきている。赤い悪魔たちが、入れてくれとばかりにドンドンとガラスを叩く。こいつらから逃れる術は、もはや無い。
―― バキバキッ! ――
炎が、ついに部屋の中にまで入ってきた。壁が崩れ落ちる。煙と熱が、私の身体を取り囲んできた。
読みかけの漫画も、お気に入りの服も、集めていたコスメも、すべてが炎に包まれる。本当は液体だったかのように、元の形が失われていく。
日常が、アイスクリームのように溶けて無くなる。まるで、地獄のようだ。
「いや……だれか……助けて!」
だれか……そうだ!と思い出した。さっきまで、兄と通話中だった。慌ててスマホを握りしめて、私は叫ぶ。
「お兄ちゃん、助けて! 逃げられなくなっちゃった!」
けれど、スマホ越しから期待した反応は無かった。慌てて画面を見ると、通話終了のマークが大きく表示されている。それは、とっくに切れていたようだった。
「うそでしょ……」
何度と掛け直してみても、つながることは無い。
「どうして……」
逃げることも、助けを求めることも出来ない。こんな形で、人生が終わるなんて……
―― ブーッ ブーッ ――
スマホがバイブで震える。けれど、兄からの電話では無かった。ずっと見ないようにしていた、SNSの通知だった。恐る恐る、それを開いて確認する。そして、書かれている内容に絶句する。
<こいつの家、特定したんだけど。ここでしょ>
<これから凸実況をアップするから>
<現場中継、乙>
<ていうか、火をつけたの誰だよwww>
<すげぇ、燃えている>
<ざまぁwww>
火に包まれている自宅の動画、笑っている顔文字、罵倒する文言。私の投稿に次々と返信がついていく。そのたびに、リツイートといいね!のカウンターがぐるぐると回る。
「もしかして……家……燃やされたの……?」
私に対する憎しみが、怒りが、悪意が、炎となって襲い掛かる。
―― いいね! いいね! いいね! ――
ああ、炎上が止まらない。
炎上が止まらない 石屋タマ @ishiyatama
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