第13話 祈りを刺すのは
ゆったりとした足取りで玄関先に現れたのは、有凪だった。
「このような場所で大声を出すだなんて。なんとはしたないこと」
声こそ優しいが、視線が知紗に向いていることを零慈も勇佑も感じ取っていた。
「有凪、知紗を部屋に連れて行ってくれ」
「ええ。ですが旦那様、
「知紗が見送ると聞かないんだ。いつも見送りなどしないだろう?…気味が悪い」
嵩慈は吐き捨てた言葉を知紗に向けると、有凪は一層笑みを柔らかくした。
「まあなんという心掛けでしょう。知紗にもそのような良心があっただなんて」
「ああ全くだ」
「………………………」
零慈は、ただ茫然と両親の姿を見つめていた。
知紗が可笑しいと話している訳ではない。笑みを浮かべて話す両親が、いつにもまして微笑ましげに見えたのだ。
「では、頼んだぞ。零慈、待たせたな」
「ええ旦那様、お任せくださいませ」
「……!」
思わず、息を呑み込んだ。
周囲の温度が一気に下がったかのような有凪に声に、表情に零慈は袂を掴んでいた。
「零慈」
声にハッと顔を上げると、有凪が微笑んでいた。
いつもの、微笑み。
「気を付けて行って来るのよ」
「は、はい」
嵩慈の後ろをついて行こうとして、零慈は再び振り向いた。
先程と変わらない有凪の笑み。そして表情の意図が読み取れない知紗。
拭えない一抹の不安を振り切るように、零慈は嵩慈を追いかけた。
そして、陽が差すようになった頃。
「零慈」
挨拶周りの最中、嵩慈が零慈に見向きもせず話し掛けてきた。
「どう思った」
「先程のことでございますか」
「ああ。知紗のことではなく、有凪のことだ」
「母、上…のこと」
「あいつは、どうなると思う?」
間髪入れずに話す嵩慈に、零慈は言葉をどう選べば良いか分からず、少しの間沈黙が流れる。
「正直に言え。お世辞などいらん」
「…もう、どうにもならないのではないですか。母上は、母では…母を名乗る別の人のように思えて、母上を真正面から見ることが出来ません」
「それは、全て知紗がやったことだと思うか」
「勿論でございます。知紗が母上も困らすようなことを何度もすることでこのようなことになったというのに、知紗は何も分かっていないのです。あの笑みで今日も家を……壊すのでしょう?」
背中の嵩慈に訴えると、何か刺さったのか嵩慈が振り向いた。
「ならば、どうすれば良いと思う?」
その問いに、零慈はスッと息を吸い込んだ。
「知紗を、殺せば良いのです」
「……」
正直な今の気持ち。いっそ知紗が消えれば。あの幼き頃に見た有凪が戻って来る。
そうとしか、零慈には考えられなかった。
「お前にそれが出来るのか」
「父上はどう思われますか?」
今度は、逆に零慈が嵩慈に問う。
「それで万事解決するなら良いがな。それが本当に有凪の為になると思うか───それから先は考えたのか」
「…え?」
「目先の思いだけで実行すれば、有凪の思いを踏み
「しかし、母上があのようになってしまわれたのは間違いなく知紗が原因ではございませんか!父上もよくご存じのことで…!」
「ああ。だがな、あれでも有凪は知紗のことを、大事にしているんだぞ」
零慈はただ目を剥いた。
あり得ない。知紗のことで病んだはずの母が、知紗を大事にしているなど一番聞きたくない言葉だ。
「知紗は今どのような状況か考えれば、自ずと答えは出るはずだ。お前はいずれこの家を継ぐ。この東雲家が未来永劫続くように願うならば、その願いを刺すようなことを、今お前は言ったんだ」
零慈は嵩慈を見つめたまま、何も言えず立ち尽くしていた。
しかし。
「零慈、お前にこれをやる」
そう嵩慈が言い、目の前に差し出されたのは、短刀だった。
「これは……」
「代々当主に受け継がれている短刀だ。俺はいつも守り刀として持ち歩いているのだが、次期当主はお前だ。持っておくが良い」
「な、
「知紗を殺すのだろう?」
「!?」
「正直な気持ちを話せと言ったのは俺だ。今のお前の思いは受け取ったが、本当にこれから先も知紗に対する思いが変わらないのなら
「父上…」
「何が東雲家にとって正しいのか誰にも分かるまい。何処かで蹴りをつけなければならない時が出て来るかもしれん。いずれそうなった時、お前が生きることも赦さん。…全てを、終わらすんだ」
グッと嵩慈は零慈の手に短刀を握らせた。
そして背を向けると
「行くぞ。まだ終わっていないからな」
低い声が零慈の身体を撫でた。
「…全てを」
零慈は何度も呟いていた。
理解をしようも理解し難い思いが渦巻き、零慈は重い足を一歩踏み出した。
赤と衝動 柚宇 @reddress_yu
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