69の星

烏川 ハル

ほくろの数

   

「今から星を数えてみようかな?」

 そう呟いた男の唇が、夕子ゆうこの目元に触れる。

 右の目尻にある黒子ほくろにキスをしてきたのだ。それも、チュッとついばむような軽めのキスではなく、ペロペロと舐め回すような濃厚なキスを。

 続いて男は、舌を這わせたまま、右頬の黒子ほくろへと移動。さらに顎の黒子ほくろを舐めた後、左の耳たぶを、そこにある黒子ほくろごとカプッと咥える。

「やだ、やめてよ」

 夕子ゆうこの口から、思わず抵抗の言葉が漏れた。

 とはいえ、形だけの『抵抗』にしか聞こえない。何しろ二人とも、一糸まとわぬ姿で抱き合っているのだから。

 既に夕子ゆうこは、男の手と舌で全身を撫で回された後であり、すっかり身体からだが出来上がっていた。手足の指先まで一本一本丁寧に、そしてゴロンと体を返されて背中も――レズに目覚めてから開発された性感帯も――舐め回されて……。それこそ3年ぶりに男のモノを受け入れる、という態勢になっていたのだ。

 だから「らさないで」という気持ちから「やめてよ」と言ったのだが……。そこを正直に告げるのは照れがあるので、もう一つの『やめてよ』の理由を口にする。

「私、黒子ほくろが多いのがコンプレックスなの」

「知ってるよ。でも……」

 夕子ゆうこは心の中だけで反論した。知っているわけがないのに、と。ついさっき会ったばかりなのに、と。

 今日が初対面の男に抱かれていることには、今さらながらに自己嫌悪を感じる。だが会ったばかりのはずなのに、まるで男は夕子ゆうこ身体からだを知り尽くしているかのようであり、彼の愛撫で身も心も溶かされてしまっていることも、夕子ゆうこは自覚するのだった。

 そんな彼女の葛藤を知る由もなく、男は言葉を続けている。

「今日はみんなに話したいことがあります。俺はみんなが大好きです」

 そう言って、夕子ゆうこの首筋の黒子ほくろを愛おしそうに舐める男。

 黒子ほくろに向かって『みんな』と言うからには、本当に全ての黒子ほくろを愛撫するつもりなのだろう。むしろ黒子ほくろはチャームポイントだと、言葉ではなく行動で示してくれるのだろう。

 夕子ゆうこは、フッと心が軽くなると同時に、わずかに苦笑もした。でも『今日は』というのは不自然ではないか、と。それは前々から知り合っている場合に用いる言葉のはず、と。

 二周目の全身愛撫を受けながら。

 目を閉じた夕子ゆうこの頭の中に、この男との出会いの場面が、自然と浮かんでくる……。



 今から3時間ほど前のこと。

星華せいかちゃん! 星華せいかちゃん! 本当に、いないの?」

 アパートの扉をドンドンと叩く夕子ゆうこ

 目的の扉は一向に開く気配がなかったが、代わりに隣からガチャリという音がする。隣室の扉が、少しだけ開いたのだった。

「隣の姉ちゃんなら、引っ越したぞ」

 ドアの隙間から、どこか寂しそうな表情で顔を出したのは、夕子ゆうこ星華せいか――行方不明の恋人――と同じくらいの年頃の男。イケメンというほどではないがシュッとした顔立ちであり、昔の夕子ゆうこだったら「好みのタイプ!」と思ったことだろう。

 しかし、今の夕子ゆうこは、同性愛に目覚めてしまった女だ。星華せいかによって女性の良さを叩き込まれた身体からだであり、もはや男に魅力を感じることなど無理になっていた。

「ああ、うるさくしてすいません。どこに引っ越したのか、わかります?」

「いや、それはわからん。すまんな」

 ドアノブに手をかけたまま、男は本当にすまなそうな顔で告げる。続いて、

「あんた、夕子ゆうこさんだろ?」

「えっ、なぜ私の名前を……。あっ、もしかして星華せいか、私に何か言伝ことづてを残して……?」

「いや、期待を持たせて悪いが、それも違う。あんたへの伝言のたぐいは一切なかったが……。ただ、立ち去る時に挨拶の中で言われたのさ。『恋人だった夕子ゆうこが訪ねてきたら、よろしくお願いします』って」

「そうですか……」

 がっくりと肩を落とす夕子ゆうこ

 メッセージがなかったことも悲しいが、それだけではない。星華せいかが『恋人の夕子ゆうこ』ではなく『恋人だった夕子ゆうこ』と過去形で述べていたことが、大きなショックとなっていた。

「まあ、見ず知らずの他人である俺に『よろしくお願い』されたところで、何も出来やしないんだが……」

 男は、空いた方の手で頭を掻きながら、ドアノブを掴む手に力を入れて、

「……とりあえず、うちでシュークリームでもっていくか?」

 夕子ゆうこを招き入れるかのように、扉を大きく開いた。


 それから数分もしないうちに。

 夕子ゆうこは『見ず知らずの他人』である男の部屋で、テーブルの前に敷かれた座布団に、わずかに足を崩す形で座っていた。

 我ながら、不用心な話だと思う。「男は狼なのよ」という言葉があるように、襲われても仕方がない状況ではないか。夕子ゆうこは本来、もっと警戒心の強い女性だったはずなのだが……。

 軽く部屋を見回すと、女性の部屋のように小綺麗に片付けられており、室内の備品にも、男性のものというより、女性的な繊細な感性のイメージがあった。

 そして、テーブルの上には、シュークリームと紅茶。紅茶からは、夕子ゆうこの好きなダージリンの香りが漂っている。まさか、星華せいかから夕子ゆうこの好みを聞かされたわけでもなかろうに。

「ちょうど、近くのケーキ屋で、一日限定100箱のシュークリームを一箱購入したばかりでなあ。まあ一人でも食べきれないことはないんだが、せっかくだから……」

 対面に座った男が、言い訳じみた口調で説明する。夕子ゆうこの視線の向かう先を、紅茶ではなくシュークリームだと勘違いしたのだろう。

 夕子ゆうこは軽く笑いながら、

「ありがとうございます。あのお店のシュークリーム、私と星華せいかも、よく買って食べましたわ。いきなり『シュークリーム食べたくなったから、買ってこい』と言われたこともあって……」

 今思えば、星華せいかの態度がおかしくなったのは、その辺からではないだろうか。

 だが、いきなりその話をしても、聞く側は混乱するはず。まずは、二人の馴れ初めからだ。

「私と星華せいかが出会ったのは……。あれは3年前のことだった」

 口調すら、遠くを見るようなものに、どこか他人事な感じに変えて。

 夕子ゆうこは語り出した。



 当時、夕子ゆうこには付き合っている男がいた。

 元をたどれば、大学に入って一年目の夏。音楽サークルで知り合った先輩と関係を持ったのが、彼女の初体験。

 別に『ヤリサー』というわけではなかったので、サークル内で肉体関係のある男女が存在するとしても、それは正式なカップルばかり。自分には無縁な話だと思っていたから、夕子ゆうこは最初、自分自身に驚いた。「なんとなく素敵な先輩」という程度で、恋愛感情なんていだいていなかった相手に、ふとした勢いで処女を捧げてしまうなんて!

 それでも関係を持った以上は、恋人として付き合いましょう。互いに明言こそなかったが、そんな形で始まった付き合いだった。大学時代はずっと恋人関係で、卒業後も普通に続いている以上、このまま別れることはない――いずれは結婚する――と夕子ゆうこは思い込んでいた。

 だから「明日は大事な話がある」と言われた時も「そろそろプロポーズかな?」と考えてしまい、デートの前の晩は緊張して、なかなか眠れなかったくらいだ。

 ところが、いざ会ってみると……。

「ごめん。別れよう」

 まるで真逆だった。

 別に夕子ゆうこに対して大きな不満があったわけではなく、何事もなければ、普通に結婚まで至ったかもしれないこと。あくまでも恋人は夕子ゆうこだったが、純粋に性行為を楽しみたくて、時々セフレを作ることもあったこと。コンドームは使っていたが、それでも半年前からのセフレが、最近妊娠してしまったこと。その『セフレ』には、他に関係を持っている男はおらず、しかも産むつもりであること……。

「だから……。結婚するなら、そっちとするべきだろう、と思ってさ。仕方ないよ。俺だって、夕子ゆうこの方が好きだったんだが……」

 そこまで耳にしたところで。

 バチン!

 大きな音を立てて相手の頬を引っぱたき、夕子ゆうこはその男を置き去りにして、レストランを飛び出したのだった。


 店から出て、しばらく歩いてから、公園のベンチに座り込んだ夕子ゆうこ

 いつのまにか雨が降ってきたが気づきもせず、濡れるに任せていたら、

「何かあった、って顔ね。この雨、あなたの涙雨なのかしら?」

 傘を差し出してきたのが、見ず知らずの女性。つまり、星華せいかだった。

 心が弱った状態とはいえ、もしも相手が男であったならば、さすがに警戒しただろう。だが相手が女性だったが故に、夕子ゆうこは油断した。

 そして。

 星華せいかの部屋へと導かれた夕子ゆうこは、言葉だけではなく、身体からだでも慰められることとなり……。

 この日、同性愛の道へと足を踏み入れたのだった。


 それから3年近くの間、幸せな日々が続いた。おかしくなったのは、ここ最近のことだ。

 急に使いっ走りをさせられた段階で、夕子ゆうこは異変に気づくべきだったのか。そのうち星華せいかは、中二病のような発言を口にし始めたのだ。

「ごめん、夕子ゆうこ。もう別れないといけないわ。私の仕事は、この世界を破壊することだから」

「……えっ?」

「私の壮大な世界征服計画を教えてやろう。この惑星ほしの人間を少しずつ理解して、最適な侵略プランを考える……。その『理解』の第一歩として、私自身で、人を愛する必要があった。夕子ゆうこは、その対象に過ぎなかった」

「ちょっと、星華せいか! 何を言ってるの?」

「ごめん、夕子ゆうこ。でも単なる研究サンプルではなく、私が夕子ゆうこを『愛した』ことは事実だから」

 そして。

 星華せいか夕子ゆうこの前から姿を消したのだった。



「……どう思います?」

 語り終えた夕子ゆうこが、顔を上げて、男に目を向けると。

「どうって……。きっと、やむにやまれぬ事情があったのだろうなあ」

 彼は、切なそうな表情を浮かべていた。

 それを見て、夕子ゆうこは心をギュッと掴まれたような気分になる。ああ、この人は中二病のくだりも馬鹿にするのではなく、心の底から私たちに共感して悲しんでくれたのだ、と。

「とりあえず……」

 男は立ち上がって、夕子ゆうこの背後に回り込み、

「……今の俺には、これくらいしか出来ないが」

 ヨシヨシと言わんばかりの手つきで、夕子ゆうこの背中をポンポンと叩く。

 心の中が温かくなる夕子ゆうこ。出会った日の星華せいかも、全く同じ仕草で、心の氷を溶かしてくれたのだ……。

 そのまま、夕子ゆうこは男の腕に身を任せて。

 少しトロンとした目を男に向けると、それがアイコンタクトになったのか、男の唇で口を塞がれた。




 そして、今。

 夕子ゆうこはベッドで安らかな寝息を立ていた。

 男は黙って彼女を見守りながら、ふと自分の首筋に手をやる。そこには、出来たばかりの痣が一つ。

 前戯の最後に、

「星は全部で69だ」

 内心で「やっぱり」と思いながら告げた彼に対して、夕子ゆうこが甘噛みしてきたのだ。キスマークとして残るくらいに強く。

「おいっ!」

「数えるのやめてって言ったのに、やめてくれなかったから。これが罰ゲームです」

「これ、あとが残るぞ……」

「ふふふ……。この勝負、お前の負けだ!」

 別に勝負なんてしていないのだが。

 そう思った男は、ふと考え直して、

「いや、勝負というならば……」

 ニヤリと笑いながら、『前戯』から『本番』へと移行。

「あんっ! ようやく……!」

 夕子ゆうこの甘い嬌声を耳にした段階で、彼は「勝ったのは俺の方だろう」と感じた。

 実際、事後の夕子ゆうこは、こうして眠ってしまったくらいだ。久しぶりの男との性交で、身も心も満足したのだろう。

「キセキのチカラだ」

 夕子ゆうこが聞こえないのをいいことに、声に出して呟く男。

 男にしてみれば、夕子ゆうことは初対面ではなかった。これまでの3年間、『星華せいか』として愛をはぐくんできた相手だ。その軌跡キセキがあってこそ「再び口説き落とせた」という奇跡キセキに繋がったのだ。

 だから彼女の黒子ほくろが69個であることも知っていたし、その数が彼の生まれ故郷である『惑星No.69』と同じなのは、何かの縁だと思っていた。

 そう、彼は地球人ではない。地球侵略に来た宇宙人、その偵察部隊の一人だったのだ。

 地球人の『愛』を知るために、その相手として、たまたま拾ったのが夕子ゆうこ。だが、その夕子ゆうこを本気で愛してしまったのが、大きな誤算となった。

 そもそも彼ら偵察部隊は、一人の地球人の姿を3年間しか借りられない。だから夕子ゆうこを愛し続けるには、『星華せいか』ではなく別の姿を用意する必要が生じていた。

 本来、偵察任務は3年で終わらせて『惑星No.69』に戻り、実行部隊に引き継ぐはずだったのだが……。

「おそらく俺は、このまま地球に定住するのだろうな。3年ごとに姿を変えて」

 夕子ゆうこの寝顔を眺めながら、宇宙人は独り言を口にするのだった。




(「69の星」完)

   

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69の星 烏川 ハル @haru_karasugawa

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