第10話 受付嬢アリエスの受難 2

 心の整理がつかぬまま用意したお茶は急ぐあまり茶葉の良し悪しもまともに確認していなかったのだが、「うむ、うまい」と満足げに二口目をすすったギルド長の様子から、どうにか粗茶を出さずに済んだようだ。確認せず淹れてしまったと気付いてから内心ひやひやしていたアリエスはほっと安堵の息を吐いた。このギルド長はお茶に五月蠅いのだ。それだけでなく、来客に対して安いお茶を出すのも失礼に当たる。

 テーブルの上に湯気が立ち上る。用意したカップは三つだ。

 一服して落ち着いたギルド長が口火を切った。

「さて、アリエスが茶を淹れとる間にも簡単な話は聞かせてもらっておるが、もう一度詳しく話してくれるかね」

「んじゃ、最初から」

 そうしてグレイヴァルトが語ったことは荒唐無稽とも思える話だった。

 宝箱からモンスターが出てくるとか、なんだそれは。宝箱や革袋に擬態して生物が近づくと襲ってくるダマックというモンスターはいるが、厳重な鍵がかかった宝箱に入れられたモンスターなど聞いたことがない。ましてそれが住み慣れたダンジョンから自分で冒険者にくっついて出てくるなど前代未聞だ。

 そもそも、ダンジョンに生息するモンスターにとって冒険者とは、少々厄介な食糧もしくは天敵という位置づけにあるという。唯一モンスターを従わせられる調教師テイマーといえど、使役するモンスターを決して自分から傷つけない代わりに仲間として戦えば食糧も治療も保障すると、何度もダンジョンに通い行動で示してモンスターに刷り込むことでやっとダンジョンから出たがらないモンスターを連れ出すことに成功するのである。

 刷り込みもなしにダンジョンからモンスターが望んで出てきたなどと聞いたら世の調教師たちはまず冗談だと笑い飛ばすに違いない。それほどありえない事なのだ。

 唖然とするしかないアリエスの隣でギルドマスターは「ふむ、」と片手で長い顎髭をなでる。問題のモンスターはグレイヴァルトの膝の上で時折「むいむい」と鳴き耳らしい部分を動かすくらいで大人しくしている。

「やはり何度聞いても信じられん。本当に君たちが秘密裏に連れてきたのではないと?」

「それが事実なもんで。神にでも誓いましょうか?」

「そこまではせんでいい。ただ、グレイヴァルト殿の話が真実であったとして、そのモンスターが無害であると保証できるのかね。……先に言っておくが、ワシはこのようなモンスターを見たことがない。似たようなモンスターも記憶にないのでな、君の証言だけで判断することは出来ん。物的証拠、あるいは今ここで証明できるものがあるかね?」

「物的証拠はないし、証明できるものもない」

 きっぱり断言するグレイヴァルト。

 ギルド長が渋面になる。

「それではそのモンスターを街に入れておくことは出来ん。無論、ギルドに登録するなどもっての外だ」

 当然の反応だ。時にモンスターから人々を守る冒険者ギルドの長としては、安全性が保障されない危険なモンスターを安易に街に入れられるはずがない。いくら信頼と実績のある冒険者の頼みでも無理だ。

 白い毛玉のようなモンスターも、今は大人しくしているが何がきっかけで凶暴になるかわからない。冒険者としても活躍してきたギルド長でも見たことがないなら、特殊な環境にしか生息しない固有種か全く未知の新種のモンスターだということになる。近似種もいないとなれば、その習性を参考にして予測するのも不可能だ。

 しかし、グレイヴァルトはあっけらかんと、

「でも、登録してもらってオレのパーティに加名しないと、オレの精神が死にます」

 と厨二病か?と思えるような返答をする。

 精神が死ぬってどういう意味だ。まさか「オレの右腕には実はドラゴンが……」とか言い出すんじゃなかろうなこのおっさん。

 アリエスが口を挟むことはできないため、聞きに徹して微笑しているつもりだが、もしかしたら眉間にしわが寄っているかもしれない。

「というと?」

「こいつ……この毛玉はオレの癒しなんで。取り上げるって言うなら全力で抵抗します。というか誰にも譲らん、特に毛玉を危険なモンスターだと認知する輩に渡して堪るか!!」

「君、もしやそっちが本音だね?」

「そうですとも!?この数十年癒しも何もなくストレスと戦って何度胃が痛んだか!!むさくるしい男所帯で何度癒しが欲しいと願ったか!!!そこに天から降ってきたこの!!!毛玉!!!誰が相手だろうが毛玉をオレから引き剥がそうとするなら斬り捨てるからな!!!!!」

「むいい!」

 毛玉を片手で頭上に掲げつつ、勢いよく立ち上がって宣言するベテラン冒険者。

 建前をかなぐり捨てて心の底からの本音をぶちまけた。

 それに同意するかの如く鳴く毛玉のモンスター。

 グレイヴァルトの言葉が偽りでない証に、彼の利き手は腰に佩刀している太刀の柄に添えられている。よくよく全身を確認すると、武器や防具さらには回復ポーションや麻痺毒などの消耗品も整えた完全武装である。最初から実力行使で抵抗するつもりで冒険者ギルトに来たようだ。アリエスの顔は完全に引きつった。うまく笑えている気がしない。

 ギルド長はその咆哮を聞いて長々と息を吐く。手にした杖を一度だけカンッと鳴らした。

「グレイヴァルト殿。君の本音は聞かせてもらったが、やはり無理じゃ。認められん。このような前例を作っとると後々街がモンスターで溢れかえるわい」

「なら、ウチのパーティの本拠地ホームを他に移す。サンツ周辺の戦力はガタ落ちだ。自惚れてるわけじゃないが、そこそこの実力は全員持ってるんでね。他の街に行っても冒険者ギルドの席はあるだろう。オレたちが困ることはない」

「それは、このワシを脅しているとみてよいのかね?」

 スッとギルド長の目が細められる。気のせいではなく、応接室内の気温が一気に下がった。

 ふるり、とアリエスの体が震える。

 グレイヴァルトは柄に手を置いたまま、「そう取ってくれて構いません」と挑発的な笑みを浮かべた。

「ま、毛玉の登録を許してくれるんなら、何もしませんよ?少なくともオレから取り上げるとか、毛玉を殺すとか、実験台にするとか言わなければ」

「……調子に乗りおって、縛り上げて性根叩き直してくれる」

「おお怖い怖い、元気あり余った短気な爺さんはこれだからなあ」

 おどけて肩をすくめるグレイヴァルトの掲げた手から、白い物が落ちた。

 確認するまでもない、毛玉のモンスターだ。

「むむい!むい!」

 それはびょんっとボールの様に飛び跳ねるとギルド長の顔面に直撃した。

 一瞬のこととはいえ、グレイヴァルトに意識を向けていたギルド長は避けることもできずにまともにぶつかる。

「ぶっ!?」

「ギルド長!?」

「むい!むいむい!!」

「よし、いいぞ!そのままもう一撃……あだっ!?」

 そしてギルド長の顔面にぶつかって跳ね返った毛玉は、グレイヴァルトの方にも弾丸の如く飛び上がってその顎に直撃した。

「ぐおおおおお……」

「いっだあああああ」

 それぞれ襲撃を受けた場所を手で押さえつつ、痛みに呻いてうずくまる。ベチィンッ!!とそれはそれはいい音をさせていたのでかなり痛むはずだ。

 冒険者二人を一撃で行動不能にした毛玉のモンスターは再び跳ね返ってテーブルに着地。アリエスの方に振り返る。もしかして、アリエスもあの一撃を喰らうのか。サッと顔が青ざめた。

「むい」

「……っえ、」

 ぎゅっと目をつぶり衝撃に備えていたアリエスの予想に反して、顔ではなくソファに座る膝にやわらかな感触が。

 恐る恐る目を開けると、クリクリとしたつぶらな青い目と目が合った。

「え、ちょっ、ななな、なに!?」

「むいむいー」

 予想外のことに混乱するアリエスを置き去りに、白い毛玉のモンスターはアリエスの膝を占拠すると、もぞもぞとうごめいた。毛玉のふわふわした毛がくすぐったい。

 しばらくして座りのいい場所を見つけたのか、毛玉のモンスターは「むむい」と鳴いた後動きを止めた。同時に、痛みに呻いていた二人が回復する。

「ぐ、ぅ……不意を突かれたとはいえ、まさかワシが避けられんとは」

「なんでオレにも頭突き張り手を……ってあれ、毛玉!?なんで受付嬢ちゃんの方に」

「むい!」

「あいてっ!?」

 アリエスの膝に乗る毛玉のモンスターにグレイヴァルトが伸ばした手を、毛玉のモンスターが三角形の耳らしき部分で叩き落とす。バチンッと痛そうな音が響いた。

「アリエス、そのままそのモンスターをワシに渡しなさい。ダンジョンに戻さねばならん」

「え、ええとその、ど、どうしたら」

「ふむ、ではワシが……」

「むい!」

「あたっ!?」

「ギルド長!?」

 同じくアリエスの膝に乗る毛玉のモンスターを持とうとしたギルド長の手を、毛玉のモンスターが叩き落した。こちらもベチンッ!!と痛そうな音が響く。

 毛玉のモンスターは二人の方に向き直ると、耳らしい部分を交差させて「×」を作る。

「むい!むむい、むいむいー!!」

 毛を逆立ててグレイヴァルトとギルド長に威嚇する毛玉のモンスター。その姿はまるで「喧嘩両成敗!」とでも言っているかのようだ。

 ――まさか、ね。

 アリエスは束の間脳裏によぎった考えを否定した。

 しかしこのままでは一向に話が進まない。もし、話が平行線をたどって最終的に冒険者同士の実力行使戦闘になったら、巻き込まれる一般人のアリエスは堪ったものではない。あといつまでも正体不明のモンスターを自分の膝にのせていたくはない。

 どうして私が、と再度己の不幸を嘆きながら、アリエスは口を開いた。

「あの、でしたら、条件を付けて特例で認める、ということでいかがでしょうか?」



「それじゃ、また報告に来ますんでよろしく」

「むいむいー」

 上機嫌で毛玉のモンスターを連れ返っていく冒険者を見送って、アリエスは深いため息を吐いた。

 疲れた。非常に疲れた。一日で抱える疲れの限界突破した気がする。

 その隣でギルド長も淹れなおしたお茶をしばきつつ、「一年分の疲れがたまったわい……」とぼやいた。

 いつのまにかとっぷりと夜は更けて今の時刻は真夜中近く。いつもならアリエスはベッドに入っている時間だ。

 流石に今日はゆっくり風呂に入る気にもなれない。さっさと寝てしまおう、と考えながら、アリエスは帰り支度をするためにソファから立ち上がった。

「アリエス、少し待ちなさい」

「はい?なんでしょう」

 それを、ギルド長が呼び止める。 

 振り返ったアリエスはすぐに足を止めたことを後悔することになった。

「この話を聞いているのは君だけじゃ。故に、アリエス。君をグレイヴァルト殿の専属受付嬢に任命する。あのモンスターのことで何かあればワシに直接言いなさい。人手が必要ならそれも用意しよう。その場合は君が責任者となる」

 とんでもないことを言い出しやがったこのジジイ。

「は!?ちょっ、ちょっと待ってください。私ただの受付嬢で、」

「この話は内密にせねばならん。となれば、知る人間も少ない方がよい。アリエス、成り行きとはいえ、話を聞いた君が適任である。励むように。ワシは寝る」

「なに言ってるんですかギルド長!?私には無理ですから!!ちょっと、聞いてますかギルド長―――!?」


 アリエスとギルド長以外無人となった冒険者ギルドに己の不幸を嘆く悲痛な叫びが響き渡った。

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おっさんパーティが正体不明の毛玉を拾いまして 零始十五焉 @los-16gsl

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