第9話 受付嬢アリエスの受難 1
ギルド長の応接室は現在、異様な空気に包まれていた。
「え、えー。申し訳ない。最近耳が遠くなったようでしてな。アリエスから話は聞いておりますが、もう一度言ってくださらんか」
アリエスの隣に座り脂汗を流すギルド長が向かい側に座るこの街有数のベテラン冒険者に向かって言った。
「
一言一句違えず改めてそう宣う冒険者――グレイヴァルトにギルドマスターは横目でアリエスを見た。その目には謝罪の意が込められている。
――だから!!言ったじゃない!!!信じられないけど本当だって!!!まだ疑ってたのこのジジイ!?
グレイヴァルトの衝撃的な発言を終業間近に受けたアリエスは、まっすぐギルド長執務室に突撃し、何事かと驚く前線どころか全体が更地になった老人に息せき切って事情を話した。しかしこのハゲ老人は何度も本当だと説明するアリエスの言葉をいまいち信用せず、件の冒険者を一度この応接室に通すように言ったのだ。なぜかアリエスも同伴で。
そしてギルド長の疑念はいま完膚なきまでに払拭された。アリエスの主張が正しかったという――なんならアリエス自身もいっそ間違いであってほしいと思っているが――最悪の答えがたった今目の前の冒険者から齎されたので。
長年サンツで冒険者として働いているベテランが正気で言っているという事実。さしものギルド長も俄かには信じがたかったのだろうが、こうも堂々と冒険者ギルド最高権力者の前でギルド規定違反行為をしたい、と宣言するグレイヴァルトの様子にやっと冗談ではないと気付いたらしい。せめてアリエスの二回目の説明で理解してほしかった。
何度もギルド長に訴えていたお陰で、夕方の終業時間から既に二時間ほど経過している。ただただ説明に時間を食われただけであるのに冒険者を二時間も待たせるなど、本来ならいつまで待たせるんだと文句を言われても仕方がない。幸い、グレイヴァルトは平謝りするアリエスをおおらかに許してくれたが、これが気の荒い冒険者だとちょっとした騒動に発展することもある。一度の説明で理解して応接室に通していれば、グレイヴァルトの冒険者ギルドに対する心証も悪化せず、アリエスもいつもより少し遅いくらいの時間でさっさと帰宅できただろうに。
石頭爺め、と恨めしく思いながら、アリエスはただギルド長の隣で静かに控える。
額の汗を拭いたハンカチを仕舞うと、ギルド長が言葉を選びつつ口を開く。
「あー、グレイヴァルト殿。それは、えー、ギルドが制定している、その、規定違反に当たることは、あー、理解、していると……少なくともついこの間まではしていたと思うのだが、えー、理解しての事かね?」
「もちろん」
当然だとあっさり頷くグレイヴァルト。
だったらなぜその質の悪い冗談じみたことを言い出すのか、そこのところを激しく問い詰めたい。
アリエスの心中を察したわけでもあるまいに、ギルド長は非常に小さくくぐもった声で「なら何故そうなるのかね」と呻いた。思うところは同じようだ。
「――ごふん。……では、君が言っていることが無茶な、否、無理な要求であることも理解しているかね?」
「もちろん」
と、こちらもあっさり頷かれる。
罪悪感の欠片もない返答に「そこまで分かっとって……何故……」とつるりとした頭を抱えるギルド長。アリエスは、唯一の救いはもうこれ以上今回のストレスでギルド長の髪が犠牲になることがないくらいかしら、などとつい失礼なことを考えた。
「むむい?」
誰も言葉を発さなくなった空間に突然、グレイヴァルトでもアリエスでも、当然ギルド長でもない第三者の声が響く。
ギルド長がバッと顔を上げ、腰に差していた特殊な金属でできた杖を引き抜き、臨戦態勢をとった。アリエスも身を固くする。
冒険者ギルドの応接室は、情報漏洩防止のため、対人に特化した特殊な魔術を扱う
「むい、むいいー」
「あ、こらもうちょっとじっとしてろ」
音の発生源と思われる場所――グレイヴァルトの腹あたりがもぞもぞと動いた。当のグレイヴァルトは突然の闖入者の声に驚いた様子もなく、身構える様子もない。着流しの合わせを片手で押さえているだけだ。
――というより、自分の腹に向かって話しかけていない、この人?
アリエスと同じことを思ったのか、油断なく杖を構え音の発生源辺りを注視しながら、ギルド長が静かに問いかけた。
「………………グレイヴァルト殿。君の腹が動いとるように見えるのだが、ワシの老眼のせいかね?」
「いや、それは……」
「むい!」
ぴょこん、とグレイヴァルトの着流しから三角形のふわふわした物体が飛び出した。ギルド長に話しかけられて、押さえていた手の力が少し抜けたらしい。
――もしかして。もしかしてこのおっさん冒険者……!?
それが何なのか理解して引きつった顔から血の気が引いていくアリエスとは対照的に、ギルド長は少なくとも表面上は冷静に「グレイヴァルト殿?」と説明を求めた。
誤魔化すのは無理だと悟ったグレイヴァルトは懐からその三角形の耳らしきものと目が二つずつ付いたサッカーボールほどの大きさの毛玉、にしか見えないものを取り出して膝に乗せた。両手で挟んだ毛玉――アリエスの推測が正しければモンスターを平然と触る。
「お察しの通り、さっきの鳴き声はこいつです」
「すると、君の言うパーティに加名したい調教していないモンスターというのは」
「それもこいつです。大人しいんでそう警戒しなくても大丈夫ですよ」
「ワシが聞きたいのはそういうことではないんじゃが……はぁ。君が言うのなら信用しよう。ただし、ワシが危険だと判断したら即座に魔法を使う。よいかな?」
「それはもちろん」
「ならよい。……アリエス、茶を入れてくれんかね。君も飲みなさい」
「あっ、は、はいっ」
ギルド長の一言で強張っていた体の緊張が消える。アリエスは急いで隣室の給湯室に向かった。
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