2巻発売記念SS:昼食(後編)




「あ。戸部こぶ侍郎じろうだ……」


 小さく呟いたしゅうの声に、露覚ろかくは入口の方を見たまま頷いた。

 女官に案内されて歩いてきたのは、涼やかな表情で官服の裾を靡かせる、露覚の上司だ。

 その姿は、よく見れば案内する女官よりもほっそりとしているのに、背筋を伸ばした凛とした姿勢にはどこか迫力があり、小柄なことを全く意識させない。

 この存在感は、身に付けたくて備わるものではないだろうな、と『戸部侍郎』という役職に納得してしまう説得力があった。


「あぁ、露覚達も昼食でしたか」


 奥の方へと歩いてきた戸部侍郎は、すぐにこちらに気付いたらしい。颯爽とした足取りで近付いてくると、鉄壁のような冷たくも見える表情を少しだけ緩めて声を掛けた。


「あ、お疲れ様です、侍郎」

「お疲れ様です……!」


 露覚と愁が若干緊張気味に返事をすれば、戸部侍郎はそれに気付いたらしく、雰囲気を和らげるかのように気安く口を開く。


「お二人とも、ちゃんと食べましたか?」

「あ、はい、十分頂きました」

「戸部侍郎も、どうぞごゆっくり召し上がってくださいねっ!」

「えぇ、有難うございます。では」


 部下達に気負わせないよう、軽い雑談を振ってくれたらしい戸部侍郎。恐縮しつつも何とか返答し、愁が食事へと促せば、戸部侍郎は一瞬柔らかく微笑んで礼を言うと、さらりと前を通り過ぎていく……。


 その優雅さすら感じてしまう言動に、思わずぽかんと目で追うことしか出来ない露覚と愁。


 庶民にしても白すぎる髪を、隠しもせずに靡かせているのに、色合いだけでは計ることの出来ない風格は一体どうしたものか……。


 女官に案内されて歩いていく、戸部侍郎の姿から視線を外せないでいると、


紗耶さや様、今日もお忙しかったようですね。お食事はいつもの量で大丈夫でしょうか?」


 配膳台の前にいた才葉さいようが、にこやかに問い掛けた。

 すると、示された膳をチラリと覗いた戸部侍郎も、親しげな調子で頷く。


「はい、それでお願いします、才葉。今日もとっても美味しそうですね」

「あらぁ、嬉しいお言葉ですこと。お口に合うと良いのですけれど」

「合わなかったことがないので、無用の心配ですね」

「あはははは、お上手ですこと。ではお持ちいたしますから、どうぞお席に着いてくださいませ」

「いつも有難うございます」


 楽しそうな会話を交わした戸部侍郎は、待っていた女官に促されて席へと移動していく。

 そしてその後ろを、膳を持った才葉が追いかけた。


「……なんか……あぁやって女官達が周りを取り囲んでるのが、自然に見えちゃうから凄いよねぇ……」


 ぽつりと呟く愁の言葉に、無言で頷く露覚。

 視線の先には、丁寧に椅子を引かれ、ふわりと音もなく着席する戸部侍郎がいた。

 すぐに才葉が膳を差し出し、戸部侍郎は美しい姿勢で食事を始める。


 そこまでを見つめてから、嬉しそうに掃除へと戻っていく若い女官……。


「……いや、ていうかそもそも、あの女官は掃除してただけじゃないの? なんで席まで案内してるんだろ……」


 露覚は、自分も疑問に思っていたことを代弁してくれた愁に、再び深く頷いた。

 案内なんて、混んでいて席を探している時に、少し待って欲しい旨のお願いをされた時ぐらいしか覚えがない。

 尚書達だって、勝手に空いている席に座っていたような気がするのだが……。


「――して差し上げたくなるのよ。……わからないかしらねぇ、うふふふ」


 才葉だ。

 戸部侍郎に一礼して戻ってきたかと思えば、立ち尽くす露覚たちに、内緒話のように口元を押さえてそれだけを告げると、上機嫌に厨房へと引っ込んでしまった。


 そのふくよかな後ろ姿を無言で見送った二人は、少しの間、言われた言葉を反芻する。


「…………戸部侍郎……って、官吏にはちょっと怖がられたりもしてるけど、女官には凄く人気だよね……」

「あぁ。うちじゃあ戸部こぶ尚書しょうしょと並んで、周りの視線を集めているな」

「……僕より小柄なのに、何が違うんだ……」


 似て非なる、絶望的な差に気付いたらしい愁が、悲壮な表情で頭を抱えた。


「いや、侍郎は戸部の『氷華ひょうか』だ。誰もあんな方と張り合えるわけがない」

「…………全く慰めになってないけど?」

「そうか……」


 恨めしげな目で見つめられ、本気で困る露覚。


 配属したての頃はともかく、今ではもうしっかりと戸部侍郎に傾倒けいとうしている露覚からすれば、女官に人気があるのも流石だと納得するだけなのである。むしろ誇らしいからもっと褒めてくれ、とまで思っていたりするのだから重症だ。


「うーーーん。何があそこまで目を惹くんだろう……。姿勢? 行儀作法も完璧……まずはそこからか……うーーん……」


 すごすごと席に戻った露覚達は、お代わりを貰った白湯さゆに手をつけるのも忘れて、食事をする戸部侍郎をコソコソと観察していた。

 唸るように自分との違いを探す愁に付き合って、露覚も改めて上司の姿を見つめる。


 どこにも不自然さがなく、すっと滑らかに箸を動かして食事を進める戸部侍郎。

 あの髪色からして、庶民出のはずなのだ。それで、あそこまでの行儀作法を身に付けるのは大変な努力が必要だっただろう。

 露覚たちも、官吏としての立場に恥じぬよう訓練してきたつもりではあるが、幼い頃から身に染みた癖はどうしても滲み出てしまうものがあった。

 それを一切悟らせず、お手本のような立ち居振る舞いをするなんて、並大抵の研鑽じゃない。

 しかも公式行事での食事ではなく、日常の、執務の合間の食事なのだ。あからさまにダラけている者達も少なくない中で、これは相当目立つ。


(……何事も手を抜かれない方だからな……)


 何故かふと、執務中を思い出してしまい、若干の肌寒さを感じてしまう露覚。

 ……午前中の、戸部侍郎の本領発揮を思い出してしまったのだ。


「あれ、露覚、どうかした? 寒い?」

「……いや……」


 冷めた眼差しで書類と部下を見比べていた迫力は、そりゃあもう言葉では表現出来ない程の圧迫感で……。

 午後からも冷気が吹き荒れるかもしれない……なんていう予想は、今は一旦置いておこう。うん……。


 不穏な思考を振り払った露覚は、不思議そうにする愁に首を振る。


 そして……。


 そのまま暫く、愁の戸部侍郎観察に付き合った。


 手早くも、決して焦って見えない所作で、綺麗に食事を終えた戸部侍郎。

 量が少ないのもあってか、本当に短時間だ。


 箸を置くと、長い睫毛を軽く伏せて手を合わせ、さっさと立ち上がった。

 恐らく執務に戻るのだろう。お忙しいと、いつもそうだ。

 自分もそろそろ戻って、出来ることがあればお手伝いさせて貰おう、なんて考えていると、戸部侍郎はその細く綺麗な手で、空になった膳を持ち上げた。


 そして慣れた様子でスタスタと配膳台の方へと歩いていく。と、それに気付いた若い女官が、慌てて近付いて膳を受け取りに行った。


「紗耶様、いつも有り難うございます……!」

「ご馳走様です。こちらこそ、いつも気付いて取りに来てくださって、有り難うございます」


 感謝の言葉と共に膳を渡す戸部侍郎に、女官の頬が紅潮する。


「そんなっ、滅相もございません。私の仕事でございますから……っ。……あ、今日は白湯のお代わりは……」

「すみません、もう戻りますので」

「そうなのですか……」

「また今度、時間がある時には宜しくお願いします」

「はい、ぜひ!」


 戻ると聞いて残念そうにした女官が、戸部侍郎の落ち着いた言葉で、ぱぁっと明るい表情になった。

 そして、恥じらうような一礼をすると、足取りも軽やかに厨房へと膳を持っていった……のと入れ違いに、今度は才葉が厨房から出てくる。


「あらぁ。紗耶様ってば、もうお戻りに?」

「はい、ちょっと忙しくて……。あ、今日の炒め物は、味噌の風味が良かったですね」

「まぁっ! お伝えしなかったんですけれど、やっぱりお気付きになられたんですね。あの炒め物、紗耶様に言われた通り、少し味噌を入れてみたらとっても美味しくて……!」

「それは良かったです。私は言ってみただけですのに、美味しいお料理にしてくださったのは、さすが才葉ですね」

「まぁま、嬉しいことを言ってくださいますね。明日のお食事も張り切ってしまいますよ」


 そう言って嬉しそうに笑った才葉に、涼やかな微笑を返す戸部侍郎。

 その後も軽いやり取りを何回か交えると、さらりと官服の裾を翻し、扉の前で礼をする才葉を残して食事処を出ていってしまった……。


 一連の流れを見つめていた露覚は、上司の姿が見えなくなると、ふむ……、と真顔で頷いた。


 これが人気の秘訣か……と、華麗な立ち回りをする上司に感心するしかない。前もご本人達に言ってしまったが、女性の扱いがお上手なのだ。……他意は無く。


 そこまで考えてから、ふと前を向くと、


「……うん。分かった」


 神妙な面持ちの愁が、こちらを見て呟いた。


「…………?」

「……珍しく露覚が、膳を下げるのを手伝った理由。よぉく分かった」

「…………」

「抜け駆けは狡いぞ! 僕だって戸部侍郎のことは見習うべき人だって、ずっと前から思ってたんだからねっ」

「抜け駆けでは……」


 何かに思い至ったらしく、頬を膨らませて文句を言う愁に、少しの後ろめたさを感じて視線が泳ぐ。

 確かに、先ほど膳を下げるのを慌てて手伝ったのは、以前に戸部侍郎の行動を見て、自分もやってみようと思ったからなのだ。それは認めるしかない。


 すると、露覚の反応を見た愁は何かに閃いたように拳をぽんと叩く。


「そうだ。僕もあんな感じで会話をするように心掛ければ良いんじゃないか。そうすれば戸部侍郎みたいに……!」

「それは無理だろう」

「…………」


 さも簡単そうに言うものだから、思わず執務中のように淡々と意見をしてしまった。

 当然、失敗だ。


 更に頬を膨らませた愁が、無言でこちらを見つめてくる。

 その様はどこか子供っぽい可愛らしさがあり、そこが愁の良さだと思うのだが……本人的にはそうはいかないらしい。


「あー……ほら、その、人には向き不向きというものがあって……」

「…………」

「だから……愁の場合は、今のままを可愛がられていると思う。同期の俺が言うんだから間違いない」


 実際とてもそう思うのだ。

 才葉が話し掛けてきたみたいに、年下の子供を相手にするように親しげに声を掛ける者達が多いことを知っている。


 ただ、少し無理な主張で誤魔化そうとしている自覚はあった。これで愁が納得するわけがないか、と思いつつも、表情筋の動きが乏しいお陰で、苦労せずに真剣な表情で愁を見つめれば……、


「え、そう? そうなの? このままが良いの??」

「…………」


 そういうところだぞ。

 ……なんて。


 新発見とばかりに目を輝かせる愁に、野暮なことは言わないでおくことを選択した露覚は……、少しだけ、話術の経験値を手に入れた。……のかもしれない。


(戸部侍郎を見習うというのは、なかなかに難しそうだ……)


 果てしない道のりを思い、内心溜息を吐いたのだった。




<完>




***

体調を崩してしまい、後編の更新が遅れてすみません><

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■璃寛皇国 ひきこもり瑞兆妃伝■ 〜日々後宮を抜け出し、有能官吏やってます。〜(Web版) しののめ すぴこ @supico

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