最終話 海辺の病院

 何かやわらかいマットの上に仰向けで横たわっていた。顔に、ひんやりととした風が当たり潮のにおいがした。うっすら目を開けると窓越しに雲ひとつ無い青空が広がっていた。窓の外で子供の遊ぶ声が聞こえた。ここは、どこだ!心の中で叫んだ。


 「あら、気がついたのね」女の声が聞こえた。声の方に目をやると、水色の服をを着た看護士の女性が、何かゴム製の細い管についたメモリを調整していた。左手に目を落とすと手の甲に針が刺さっておりテープで止められていた。「ここは、どこですか?」と言いながら起き上がろうとしたが、力が入らない。

「まだ、無理しないで、いま先生を呼んできますから」と私の顔を覗き込んで云った。その時、胸のネームプレートに”看護士、村田”と書いてあるのがみえた。どうやら、病院のベッドの上のようだ。


 しばらくして、白衣を着た男と一緒に戻ってきた。男は、「担当医師の竹中です。大丈夫ですか? 意識ははっきりしてますか?」聴診器を私の胸に当てながと云った。「ここは、どこですか? 私は何故ここに居るんですか? どうやって来たんですか?」と矢継ぎ早に質問した。

 「何も覚えてないんですねえ・・」竹中医師は云った。「昨日の朝、急患で運ばれてきたんです。救急によると、表の浜のベンチの傍で倒れているところを、犬を散歩中の女子高校生が発見し救急に通報、救急が到着したとき、あなたは心肺停止の状態だったそうです。」「応急処置で心臓マッサージを施し何とか蘇生しましたが、意識不明の状態でこの病院に運び込まれたんです。救急によると、一昨夜、台風が通過したときにカミナリにうたれたのではないかと言ってました。」「何故、暴風雨の中、あんなところで何をしていたんですか?」


 何がなんだか判らなかった。幾ら考えても、何も思い出せない。竹中医師が聞いた。「あなた、ご自分の名前を言えますか?」 ○○○です。と云った。「良かった、名前は覚えてるんですね。それじゃあ、もう少し、ゆっくりすれば、その内思い出しますよ。では、」それから看護士に「あと、よろしく!」と言って病室の出口に向かった。「先生!」私は、呼び止めた。「タバコ持ってないですか?」竹中医師は振り向いて、「院内は全面禁煙です。それに、言い忘れていましたが、あなたの肋骨二本にヒビが入っています。あの夜、どこかにぶつけたんでしょう、深く息をすると痛いですよ、点滴で抑えてはいますが・・」と云って病室を後にした。


 その言葉に驚いて、ベッドの上で起き上がろうとした時、胸に痛みが走った。そのまま、元の仰向け状態に倒れこんだ。村田看護士が体温計を私の脇に差し込みながら、「体温測りますね。」1分ほどすると、ピッピッと音がなり、差した体温計を取り出した。「未だ、微熱がありますねえ、無理しないで、休んでください!」「風が冷たくなってきたので、窓閉めておきますね!」と言って出て行った。


 それから、1週間が経った。胸の痛みは無くなった。点滴もはずれ、トイレも一人で行けるようになった。食事もおもゆから普通食になった。記憶に関しては、あの夜神戸のパブで女の子と飲んでいたこと、大きな地震に遭ったことは思い出したが、余りに現実と乖離しており、辻褄が遭わないので、竹中医師の往診時は適当に話しを合わせた。記憶もある程度は戻ったと判断されたようだ。ここに運ばれてから、10日目に退院の許可が下りた。

 一階の支払い窓口で支払いを済ませたときに、○○さん!と声が掛かった。振り向くと竹中医師が、退院おめでとう!と云って、未だ封を切っていないセブンスターと100円ライターを退院祝いといって差し出した。それを受け取り、本当にお世話になりました、と頭を下げ、表に出た。


 外は、病室のベッドの上で目覚めた時と同じ晴天だった。潮風が少し、冷たかった。散歩中の女子高生に発見されたというベンチまで歩き坐ってみた。金管楽器の音色、小太鼓のトントンという継続した音、それに大太鼓のドン・・ドンという音が断続的に聞こえた。振り向くと、体操着を着た、小学高学年の男女10数名が先生らしき男性の指揮のもとブラスバンドの練習していた。運動会の準備で練習でもしているのかなと思った。

 

 先程竹中医師に貰ったセブンスターの封を切り、一本取り出し口に咥えた。百円ライターで火をつけようとしたが、風が邪魔してなかなか点かない。一瞬風が止み、タバコに火が点いた。誰かが、両手で火を被い風を遮ってくれたような気がした。煙を胸の奥まで吸い込んだ。もう、胸の痛みは無かった。吐いた煙が、風に吹き飛ばされた。

 

 そのベンチに坐って、ずっと海を見ていた。遠くに、能古島が見える。あの水彩画と同じ景色だった。砂浜には誰もいない。

 ずっと誰かを待っていた。”いつも一緒にいるよ”心の中で呟いた。


   

   そよ風を近頃冷たく感じ

   手にもつタバコまでが何となく重く感じられ

   疲れているんだよいつもより

   みずようかんを食べたいと

   ひとり思った

 

 

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みずようかん 小方 樫 @tkg0310

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