(6)将来の夢


 しとしとと細い雨が落ちていた。

 庭園に咲く色とりどりの花は、空を覆う雨雲の下でも尚あざやかだ。宝石のような雫に全身を飾っている。


 常に雨露をまとう魔法の花というのも良いかもしれない。今度フローラへの贈り物にしよう。

 高い塔にある執務室の窓から雨降る庭園を見下ろし、頭の中で複雑な呪文を組み立てながら、黒いローブを着た男は遠き地の愛する人を想った。


 と、その窓に、小さな小鳥が飛来した。地味な茶色い翼の、どこにでもいるような小鳥だ。

 小鳥は男がさしのべた手にとまると、ふわっと光をまとい、次の瞬間には空中に小さな映像を浮かび上がらせた。


 街の商店街で、黒髪を肩までおろした少女が買い物をしている。メモを見ながら買っていく品物は、さまざまな日用品だ。小さな体にあまるほどの袋を抱えてよたよたと通りを歩いていく。


 通りの商店がまばらになったころ、少女はある店に入っていった。見た目はどこにでもあるような店構え。看板には青地に黄色の文字で雑貨屋ラヴェル・ヴィアータと書いてある。


『ティナ~、ただいま戻りました~』

『お疲れ様! 重かったでしょ。そこらへんにまとめて置いておいてくれればいいから』


 店の奥に入っていく黒髪の少女。迎え出たのは金髪をひとつに結った若い女性だ。黒髪の少女を先に行かせ、自らは店の戸口から真っ直ぐこちらを見つめた。――映像を見ている男と目が合うほどに。


『どこの誰だか知らないけれど、しつこいのねー。今度は本物の鳥を触媒に使ってるの?』


 女性が差し出した手元に、ぐっと映像が引き寄せられる。女性が呪文を唱えたそぶりはない。ありえないことだった。


『あれっ、違うんだ。すごい……どーやってんの、これ?』


 すっと光が消え、映像はそこで終わった。男の手にとまっていたと見えた小鳥は、魔法陣の描かれた羊皮紙へと姿を戻す。


 金髪の女性。名前がティナ。――なにより、あの不条理な力と、その隠し方の稚拙さは。


「まったく。なんてとこに転がり込んだんだ、お前は……」


 苦笑を含んだ呟きをもらすと、男は執務室を出て行った。このままずっと様子をみているわけにもいかない。

 状況を動かすためには……助力を請う必要があった。





「それで、これ、どうするんですか? 新しい商品なんですか?」

「まぁ、そういうことね。良いものなら、だけど」


 リームが買ってきた品物をひとつひとつ確かめながらティナは言った。リームはうんうんとうなずく。

「それがいいですよ! 飛び跳ねるお皿とか甘い胡椒とか、ヘンテコなものを卸す仕入先とは、縁を切ったほうがいいですって」


 リームを狙う老魔法士たちが現れてから5日。それ以降追手もなく、いつも通り平和に雑貨屋を営む毎日だった。


 ただ、雑貨屋ラヴェル・ヴィアータの『いつも通り』は、ひたすら暇で、たまに来るのは肝試し気分の少年たちやら妙な商品を返品しに来た客やら、という日々であったりする。


 皿もほうきも武器もアクセサリーも、仕入先はもちろん別々の職人のはずなのに、どうしてこの雑貨屋には変なものが集まってきてしまうのか。不思議というより呪われているようだった。


 それとも、しばらくこの店に置いてあると変なものに変化してしまうのだろうか。それはそれで恐ろしい。リームはそれ以上考えるのをやめて、買ってきた品物に意識を向けなおした。


「ほら、ティナ。この小皿可愛い! サロメイッテ村の品物ですよ。良いんじゃないですか?」

「うん、いいかもね。サロメイッテ村って……有名なの?」

「知らないんですか? あぁ、ティナは他の国の出身だっけ……西のシェシェ湖の側にある、国で一番陶器が有名な村ですよ」

「そうなんだ~」


 とりあえずその日はこれが良いあれが良いと相談しながら、客の来ない1日を閉店まで楽しく過ごしたのだった。





 本日の晩御飯はベーコンと野菜の麦粥、小魚チェチェムの唐揚げ、デザートにトムベリーの蜂蜜漬けまである。あいかわらず豪華な食事だ。


「ねぇ、ティナ、そろそろあの話考えてくれました?」

「え? あの話って……あぁ、そうだ」


「あ! ティナ、忘れてましたね!? ひどいです、私にとってすごく重要なことなんですよ!!」

「ごめんごめん。でもやっぱり、他人に教えるとなると難しくて」


「そこをなんとかお願いします! 魔法士になるのが私の夢なんですっ!」


 ティナが実力のある魔法士だと分かったときから、リームはティナに魔法を教えてほしいと頼み込んでいた。


 しかし元々魔法士は誰でもなれるわけではなく、素質が必要だ。そよ風を起こす程度の些細な魔法なら、正しい発音の呪文と魔力をふるうコツを掴むことで半数程度の人は使えるようになる。しかし、実用性のある魔法となると、扱えるのは本当にわずかな才能ある者だけだ。


 5日前、ティナは一番にそれを話してリームの頼みを断わった。しかしリームもそう言われることは十分予想していたようだった。


「れ、レィ……レェ……фжη=бп」


 つっかえながらリームが呪文を唱えると、手のひらの上に光の球が生まれた。それは次第に大きさを増し、両手からあふれるほどの大きさになるとフッと空気に溶けるように消えた。


 子供の遊び程度に使われる簡単な魔法で、一般的には指先程度の光を生み出すことができる。それは、光球の大きさが大きいほど魔法の才能があるという指標にもよく使われるものだった。


 リームの作り出した大きさなら、十分魔法士になれる可能性があるものだと、孤児の仲間たちの中では言われていた。ただ大人には見せたことがなかった。神官に見つかると神殿付きの魔法士になるよう教育されるので、神殿付きになるつもりのないリームは大人たちに魔法を扱うところを見られないようにしていたのだ。


「どうですか? ちょっとは魔法の才能、あると……思うんですけど……」

 それくらいじゃ魔法士になれないと否定されたらどうしよう。リームは不安げにティナの様子をうかがった。


 ティナはどこか痛いのかと思うぐらい眉間にしわを寄せて悩んでいた。ちょっと待って、と言うと、片手をこめかみあたりに当てて、たっぷり時間をかけて悩んでいた。


「……んーっと、ね。リーム。たぶんリームは魔法の才能はあると思う。でも私は、ちょっと……自己流? っていうか、きちんとした系統の魔法を学んでなくて……教えるのは無理かなーって思うの。うん。……はぁぁ。そっかぁ、リーム、魔法に興味あったんだー……」


 リームは何故ティナがため息まじりに話すのか分からなかったが、魔法の才能があると言ってもらえたことだけで、不安で重かった気持ちが一気に羽のように軽くなった。初めて孤児仲間以外の、それも(たぶん)すごく優秀な魔法士に認めてもらえたのだ。


「才能、ありますか!? やったぁ! ティナ、私、がんばります! 別に魔法学校みたいに教えてくれなんて言いませんから、ティナのやり方で教えてもらえませんか! お願いしますっ!!」

「え、ちょ、うん、分かった、考えておくよ、だからちょっと落ち着いて、リーム」


 がっしり手をつかまれてキラキラした目で見上げられて、ティナは仕方なくそう言ったのだった。


 ――そして今日。夕食中に再びリームに詰め寄られたティナは、軽くため息をついてリームの頭をこづいた。


「何度も言うけど、本当に私に魔法を教わるのはリームのためにならないと思うの。ちゃんとした師匠につくなり、魔法学校に行くなりしたほうがいいと思う。素質ある人は少ないんだから、引く手あまたでしょ」


「でも、だから危険なんだっていうのが、神殿での常識でしたよ。孤児の仲間でも、魔法の才能があるって分かったら、あやうく誘拐されかけたなんていう子もいました。そしてすぐ貴族にもらわれてっちゃいましたよ」

「貴族のところにいたほうが、魔法をしっかり教えてもらえるんじゃない?」


「とんでもない! 貴族付きの魔法士になんてなりたくないです。私は『青』になりたいんですから!」

「うわ……」

「そんな顔しないでくださいよー、夢は大きくたっていいじゃないですかっ」


 ティナの表情を『なんて無謀なことを』と思っていると判断したリームは、ちょっと照れながら言った。


 通称『青』と呼ばれる魔法のエキスパート、世界最高峰の魔法研究所兼学園のシェイグエールを本拠地とし、人間社会での魔法の不正利用を取り締まる独権集団、『魔法監視士』――その魔法技術は、精霊族や竜族をも超えると言われる。


 ティナとしては別にリームが『青』になりたいということをばかにした意味ではなかったのだが……ただ、彼女にとって色々と都合が悪い夢ではあった。


「そ、そうね。夢は大きいほうがいいよね……。だったら尚更、ちゃんと基本から学んだほうがいいと思うわけよ。魔法士の私が言うんだから本当だって」


「そうなんですか……うーん……分かりました。残念ですけど、ティナから教わるのは諦めます。でも、たまに魔法見せてくださいね?」


「あぁ、うん、そうね……あははは」


 笑って誤魔化しながらチェチェムの唐揚げを食べるティナ。その様子を見ながら、年のわりに聡明なリームは何か隠し事があるんじゃないかと思いはしたが、この店主に謎が多いのはいつものこと、と、あまり深くは考えなかったのだった。

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