(8)店主の知人
ファラと呼ばれた紺色のドレスの女性は、視線で黒ローブの男を示した。
「ラングリーは、宮廷魔法士なの。さっきの魔法は見事だったでしょう。ごめんなさい、私も許可してしまったのよ。ティナちゃんも良い勉強になるかと思って」
「宮廷魔法士……なるほどね!」
ティナの視線に、大仰なお辞儀で答えるラングリー。小憎らしい笑顔は、どこか愛嬌があった。
ファラは、状況が把握できず傍観しているリームの前に行くと、優雅にドレスの裾を折り膝をついて、目の高さを合わせて語りかけた。その口調はどこまでも優しい。
「初めまして。わたくしはファラミアル・サティアス。あなたがリームね」
「はい……」
「ごめんなさい。あなたの親があなたを手放さざるを得なかったのは、わたくしのせいでもあるの」
「!?」
「でも、あなたの親はあなたの誕生をとても喜んでいたのよ。神殿に受け渡した後も、毎日のように魔法で様子を見ていたの。そうよね、ラングリー?」
「おっしゃるとおりです」
「リーム、あなたに寂しい思いをさせた責任は、確かに親にあるのかもしれません。恨まないでというのは無理な話でしょう。でも、逃げないでほしい。背中を向けずに、ちゃんとこれまでどんなに辛かったか、寂しかったか、伝えてほしいのです」
「…………」
リームは何も答えなかった。いや、答えられなかった。そんなの知らないと叫びたい気持ちもあったが、ファラにはそう言わせない何かがあった。
それでも、自分を捨てた親に会うのは怖かった。相手が何を言うのか、自分が何を言ってしまうのか、怖かった。
ファラは立ち上がって、横で見守っていたティナに言った。
「少しリームを借りてもよろしいかしら? 一晩でいいのよ。この子の母親がいるのはストゥルベル領だから、ティナちゃんに送ってもらうまでもなくわたくしの翼で十分」
「それは本人次第だけど……なんでファラさん自ら?」
「ストゥルベル家はエイゼルの叔父にあたる家なのよ。つまり、リームの母親はわたくしの義理の従姉妹です」
「うあ、それはちょっといろいろと厄介そうな……」
「な、なんなんですか、ティナ、その哀れみの目はっ!?」
勝手に話を進めていくティナに、リームがくってかかる。というか、ティナが貴族と知り合いだったなんて初めて知ったし……しかも、どうやら自分の遠縁の親戚らしいではないか。
天涯孤独の捨て子として生きてきたリームは、ちょっとドキドキしながらちらっとファラを見上げた。そんなリームの頭をファラは優しく撫でる。
「大丈夫よ、緊張してしまうのは当たり前でしょうね。フローラも急に会えるなんて知ったら、きっと緊張で取り乱して泣き出してしまうでしょう」
「まったくもっておっしゃるとおりでしょうねぇ」
何故かうんうんと大きくうなずく宮廷魔法士ラングリー。そんな彼にファラは視線を向けた。
「ラングリー、先に行って知らせておいたほうがいいのではないかしら? わたくしたちはゆっくり行きますから」
「では、仰せのままに。リーム、またあとでな!」
ラングリーが呪文を唱えて杖をふると、紫色の光がはじけて、そして消えた。ラングリーの姿とともに。
「すごい……」
リームは呟く。魔法についての詳しい知識はなかったが、空間移動の魔法がとてつもなく難しいということは知っていた。王都内でそれなりの規模であるピノ・ドミア神殿付きの魔法士でも、数人が集まり大きく複雑な魔法陣を使ってこなしていたのだ。それを杖の一振りでこなしてしまうとは。
宮廷魔法士。『青』と並んで魔法士のエリートと称される役職だ。世界を旅してまわることの多い『青』とは逆に、宮廷の執務室で研究にこもることが多いと言われている。
なので『青』に比べて地味な印象をいだいていたのだが……宮廷魔法士も格好いいかもなぁ、と、リームは思うのであった。
「さあ、リーム。行ってくれますね?」
「えっ!? え、いや、その……」
突然おとずれた決断の時に、さらに思わぬ方向から追い討ちがかかった。
「んー、リーム、行くだけ行ったら? ファラさんに逆らうのは得策じゃない……ていうか、無理だと思う、普通に」
「ティナまで!? そんな、私……私、無理だよ……」
「もう、そんな泣きそうな顔しないの! 私も一緒に行ってあげるから! ……ちなみにリーム、高い場所って平気?」
「え……? 別に嫌いじゃないけど。なんで……?」
話の行方が見えないのはリームだけらしい。
ティナとファラはお互い視線を交わして、にっこりとうなずきあった。
空は東から青紫と濃紺に染め上げられていき、わずかに西のかなたに橙色がほっそりと残るばかりとなった。
街の家々は夕飯時だろう。通りを歩く人の姿は少なく、ただ食堂兼酒場は活気づいている。主要となる大きな通りには治安部隊が点々と魔法の明かりを点けていた。
「わざわざ今から行かなくてもいいと思うんですけど……」
不満げに呟くリーム。ファラとティナの3人で歩いているのだが、貴族の奥方と、身の回りを世話をする少女×2にしか見えないだろう。この街で貴族を見かけることがないわけではないが、日も暮れるというのに武装した従者が1人もいないというのは珍しいかもしれない。
「こういうのは思い立ったが吉日なのよ」
「そうですね。残念ながらわたくしも日々の勤めがある身ですから、付き添える時間が限られていますし」
だったら私は別に母親(らしき人)になんて会わなくってもちっとも問題ないんだけどー。
とは、この貴族の奥方には、さすがに言う気が起きないリームであった。
ピノ・ドミア神殿に来る貴族は何十人も見たことがあるが、ファラほど纏う空気が違う貴族は滅多にいなかった。華やかでいて重厚な、つい目を惹かれてしまう、それでいて畏まってしまうような存在だ。
本当にこんな人が自分の親戚なのだろうか……あれ? でも義理のってことは血はつながってないんだな。
そんなことを考えていると、ティナとファラが立ち止まった。魔法の明かりの並ぶ大きな通りを過ぎ、民家の並ぶ地域に差し掛かったところだ。
そろそろランプが欲しい薄闇の中、夕飯をかこむ家族の楽しげな声がわずかに聞こえてくる。
「このあたりでよろしいのかしら?」
「ま、うちの店から離れてくだされば、どこでもいいんですけどね。えーと、上に行ったほうが?」
「えぇ、もちろん。広さが足りませんから。お願いできるかしら」
「お安い御用ですよ」
相変わらずリームから見れば訳の分からないやり取りをした後、ティナは呪文を唱えだした。つっと地面に光の輪が描かれ、リームたち3人を囲む魔法陣を描き出す。
その魔法陣は最初は分からないほどゆっくりと、次第に速度を増して上空に浮かび上がった。上に乗る3人ごと宙に浮き上がる形となり、バランスを崩しかけたのはリームだけだった。
ティナにしがみつきながら下を見下ろすと、並ぶ民家がぐんぐんと小さくなっていく。通りに点々とならぶ魔法の明かりと、家々のランプの明かりが集まって、ひとつの光の絵を成しているようだ。
「すごーい……きれい!」
「こんなので喜ぶのはまだ早いわよぉ、リーム。これからファラさんの背に乗って優雅な夜空の旅なんだから」
「せにのって?」
何かを聞き間違えたのだと、リームは思った。
ティナは意味ありげな笑顔でファラに視線を送り、ファラはにっこり頷いて魔法陣の端から1歩踏み出した。
あっとリームが息をのむより早く。
街へと落下するファラは漆黒の闇に包まれた。
東空の果てから広がる夜闇より、なお濃い闇。
闇は刹那に大きく膨れあがり、リームは魔法陣の下で巨大な何かがバサリと羽ばたくのを聞いた。
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