(5)リームの過去
リームが育ったのは、王都クロムベルクにあるピノ・ドミア神殿という場所だった。
王都の中でも城に近い中心部、貴族の邸宅が並ぶ地域にあるその神殿は、騎士や貴族が出入りする壮麗な造りの大神殿だ。
そして、このピノ・ドミア神殿は、もうひとつの顔――孤児院としても有名だった。
神殿に孤児院があるのは珍しいことではない。しかし、ピノ・ドミア神殿は、その孤児のほとんどが訳あって貴族の親に捨てられた子であるという点において、他の神殿とは大きく異なっていた。
妾の子供であるため、未婚の母であるため、将来跡継ぎ問題をおこさないため。理由はさまざま、捨てられる年齢も様々である。
どこの家の子であるか分かり、親がこっそり面会に来さえする子供もいれば、布ひとつにくるまれて神殿の前に置き去りにされそれっきりだという子供もいる。
布施に苦労していないピノ・ドミア神殿では、孤児にも街の商人などが通う学舎並みの教育をあたえていた。公用語の読み書き、計算から、簡単な地理まで。神殿の雑務の手伝いや、街外れの畑で農作業はあるものの、衣食住に教育までついている環境は、貧しい農村の子供などより余程恵まれた生活と言えた。
「でも、私たちは捨てられたんです。預けられたんじゃない。もし本当に世間から隠したいだけなら、どこか遠くの街で使用人と乳母に育てさせればいいんですから。神殿に置いていくということは、縁を切ること。それを今更、やっぱりうちの子ですー、なんて、ねえ」
「うーん……でもほら、何か事情があったとか」
「事情なんてあって当然。だって、オトナの事情ってやつがまったくなければ、私たちは全員捨てられてなかったはずですもん」
いくら恵まれた生活が保障されていても、自分が親にとって『存在しては困る子供』であるという現実は、子供たちの幸せに影を落とし続けた。
親は、愛する子供の幸せを考えてピノ・ドミア神殿という場所を選んだのだと、神官からは聞かされてはいるが――頭で理解はできても、素直に納得できぬ部分はある。
「そもそも最初は、養子が欲しいってことだったらしいんですよ。たまにあるんです。子供のいない貴族や商人が、そこそこ教育の行き届いた手頃な子供を探して神殿に来ることが」
ふんっと鼻を鳴らすリームは、大人びた口調であるが子供っぽい憤りがありありと見えた。
「で、私が指名されたんですけど、貴族って好きじゃないんで断わったんです。そしたら、実は本当の子なのでどうしても私で、とか言い出して……信用できませんよね? ね?」
「それはまあ、そーかもねぇ」
「だから、神殿から逃げ出したんです」
前例はあった。むしろ、珍しくないことだった。
貴族の養子になることを拒んで、あるいはその生まれによる特殊な事情で。なかには単に神殿の規律に嫌気がさしてという者もいたかもしれない。
ピノ・ドミア神殿の孤児たちの間では、神官たちには秘密の脱走方法が確立されていた――どちらかというと黙認されていた、ということなのだろう。
有力商人の養子となり今では商業ギルド有数の実力者となった元孤児とその仲間たちによる紹介状の用意、まぎれこむ荷馬車の手配。
ピノ・ドミア神殿とそこに集う孤児たち、そして神殿を出ていった孤児たちが特殊であるからできることだ。
割り当てられている身の回りの品を袋に詰めれば、ひとかかえで済んでしまう。路銀の足しになりそうなものを神殿に残る仲間達が少しずつ提供してくれるのが慣習になっていた。
別れの刻は、夜が明ける前。漆黒に塗られた夜闇が、わずかに蒼みかかったころ。
紹介状はもう手に入れていたし、商品を運ぶ馬車にまぎれこませてもらう手配もすでにできていた。
リームは元々15歳になったら神官の道を選ばず、独り立ちしようと思っていた。夢もある。それに向かうのがちょっと早くなっただけだ。
不安な気持ちを振り払い、運命の女神へと祈りの言葉を呟くと、神殿を駆け出した。
仲間たちと離れ、かりそめの親の手を拒み、たったひとりで生きる道へ――。
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