2000光年のアフィシオン 最終話03


 ──またしても、となって俺は我に返った。どうやらショートカットアンカS A Cを使うと記憶が一時的に飛ぶらしい。でも行きよりは遥かにマシだった。この状況がまだ容易に飲み込めるのだから。


 眼前に広がるのは、またしても深い青空。さっきまでのアフィスドゥス星とは違って、所々に雲が浮かんでいるのが見える。

 地球だ。間違いなくあれは地球の雲。しかしその雲は、遥かに浮かんでいる。


 機体を失った俺は、身一つで大空へと放り投げられていた。完全なる自由落下、終端速度でのスカイダイヴ。体感での高度は約3万メートル、ほとんど成層圏。おそらく、生身での限界高度だ。

 ヘルメットのHUDは全く機能していない。当たり前だ、コネクトしていたアフィシオンは2000光年の彼方。通信できるハズがない。


 クソッ、QE-Xの野郎! やってくれやがったな! いや、母親だから野郎ではないのか? 違う、今はそんなどうでもいいことを考えてる場合じゃない。とにかく、この状況をなんとかしなければ!

 高高度からの自由落下。しかもミゼラリの身体を抱えて。一体どうやって生還しろってんだ。冗談にも程があるぞ。


 諦めて死を受け入れるのは簡単だ。諦観に浸るなんて、死んだ後でも遅くはない。

 まずは飛行服のハーネスについていたフックで、ミゼラリと自分を固縛した。そして自身の装備を確認する。古い名残で、飛行服には小型のが付いている。気休め程度の、粗末なパラシュートが。

 しかしだ。こんな小型のパラシュートで、本当に着地できるのか。落下速度はもう終端速度。これ以上早くなることはないが、それでも時速に換算すると、地表間際で200km/hを超えることだろう。


 パラシュートを開くタイミングが、きっと生死を分ける。こんな訓練はしたことがないから、本当にぶっつけ本番ってヤツだ。

 抱えたミゼラリは、いやミゼラリの中のオカッパリフィアはまだ目を覚まさない。でもそれでよかった。こんなところでコイツに意識を取り戻されたら、それこそ堪らないからな。


 そうこうしているうちにも、高度は問答無用で下がり続ける。地表が近づいて来る。あと数分で、地表にタッチダウンだ。

 こんなに長いスカイダイヴは経験がない。だけど、少しだけ、ほんの少しだけ。

 身一つで墜ちていくことが気持ちいい、と思うのも確かだった。



 体感高度、1500mになったところで。間の悪いことに、分厚い灰色の雲に突っ込んでしまった。ほとんどストームと言っていいほど、その雲の中は荒れ狂っている。視界はゼロ。猛る雨と渦巻く風。最悪の条件だ。

 ヘルメットのバイザーに、雨粒が張り付いては飛んでいく。視界不良、それも最悪のレベル。まだ雨が目に入らないだけマシだろうか。

 ひどい雨で飛行服が一瞬にして濡れた。シャワーを浴びたみたいに濡れ鼠になる。抱えた彼女も同じようだったが、しかしまだ目を覚まさない。


 どうする。雲を抜けるまで待つか。それともこの暴風雨の中、パラシュートを開くか。

 瞬間の判断だった。空の上では、機体に乗っていようがいまいが、一瞬の判断が生死を分ける。

 皮肉なものだと思う。機を失っても、本質は変わらないようだ。


 俺は決断した。よしんば雲を抜けても、この雨風は変わらないだろう。それならば。

 ここだ! そう確信して、俺はパラシュートを思い切り開いた。ぱっと傘が開き、途端に強い下向きのGがかかる。腰につけたハーネスが、ぎりりと腰を締め付ける。


 開いた! と安心したのも束の間だった。周囲の豪雨と、地上からの暴力的な上昇気流に煽られて、やはりパラシュートはそのバランスを完全に失ってしまう。


 ──クソッ! こんなことならもっと訓練しておくべきだった!


 パラシュートは空中で煽られ、下手くそなダンスをするように絡まり合う。

 傘がしぼむ。心臓が締まる。予備のパラシュートはない。当たり前だ、軽量化を良しとする戦闘機乗りに、無駄な装備を積む余裕なんてないのだ。



 地上まで、あと目測800m。雲は抜けたが嵐は止みそうにない。酷い嵐の中で、ついに地表を目視した。迫り来るその地面。未だに自由落下中。「自由」との言葉とは裏腹に、まるで思い通りにならない落下が続く。

 この状況下、どうやって絡まったパラシュートを開く? 何か方法はないのか!

 ちくしょう、こんなところで! ここまでやり遂げたのに、どうして……!


 あぁ、ちくしょう。バタつくパラシュートだった布を見ながら思う。

 俺はもう一度、もう一度フランに会いたい。会ってあいつを思い切り抱きしめたい。それだけなんだ。俺がここに帰ってきた理由なんて、ただそれだけ。

 だから。死ぬことは絶対に許されない!



 ──その時だった。

 ヘルメットに響く。無線? 神経接続ではなく、無線だと? 一体誰だ、誰がこんな古い通信手段を──、



「──相変わらず無茶なマニューバじゃねぇか、アルバ!」


 極限の状況下で、ついに頭が狂ってしまったんだと思った。ここにアイツがいるハズがない。でもこの声は。そう、この声は。


「いつも言ってんだろ? お前はな、もうちょい慎重なマニューバをしたほうがいいぞ」


 声の主が、ニヤリと笑った気がした。声だけなのにそう確信する。それくらいもう聞き慣れた、それなのに懐かしく感じてしまうこの声は。


「……これがマニューバに見えるのか、フォッカ!」


「ずいぶん気持ち良さそうに飛んでんじゃねぇか。今度は女の子まで抱えて? いいご身分だなぁ、全くよぉ!」


「フォッカ、お前どうして、」


「感動の再会は後で、ってヤツだな。そのままじっとしてろ。訓練でお前がオレに勝てなかった分野、覚えてるか?」


 酷い暴風雨の中、フォッカはするりと機体を俺たちに近づけて、完璧なタイミングでベイラーキャッチャーを展開させた。強力なフックが俺のハーネスに一発で固縛される。針の穴を通すようなコントロール。悔しいがお見事、としか言いようがない。


「自由落下なんざ、欠伸が出る速度だぜ。キャッチ完了だ、アルバ。いつ見ても惚れ惚れすんだろ? オレのキャッチングはよぉ!」


 アカデミ時代。どうしても、フォッカに勝てなかったことがあったのを思い出した。どれだけ訓練しても俺が全く上手くならなかった、ベイラーでのキャッチング。フォッカはこれが、何故か最初から完璧に上手かったのだ。


「昔から、エースの相棒はキャッチが上手いって相場が決まってんだよ。遥か昔、もうなくなっちまったけど、ベースボールってスポーツはそれが決まりだったみたいだぜ?」


「そんなことはどうでもいいんだよ、フォッカ! お前、よく生きてたな。本当に、よく生きてた。ありがとう、生きててくれて本当に、良かった……」


「んだよ、しばらく見ねぇうちに気持ち悪くなってんぞ、お前! 待ってろ、すぐ地上にぶん投げてやるからな! 気持ち悪いお前は空に置いてけ、ハハハッ!」


 フォッカは軽口を叩き、機をゆるやかに減速させた。フォッカの駆るアフィシオンは、滑るように嵐の空を飛んでいく。

 眼下に、HQ本部が見える。あぁ、ついに帰ってきた。俺の帰るべき場所に。自分の本当の居場所に。

 自分の居場所は、空の中だと思っていた。空にこそ自分の存在価値があると、そう本気で思っていた。

 だけどそれは間違いだったんだ。

 人間の居場所は、やはり地上だ。だからこそ人間は、空に憧れるのだろう。


 オープンベイで待ち受けられるランディングポイント。そこにふわりと、まるで羽のように着地する。


 2000光年の大飛行を終えて。

 ついに俺は、約束の地へと帰還した。




   ──────────────




「すっかり大冒険だったみたいだな、アルバ。どうしてキミはいつもそうなんだ? あぁそうか。脳みそを空に置いてきてしまったんだな。可哀想に」


 慌ただしい日々が瞬く間に過ぎ、それから数週間が経った、ある日の夕刻。綺麗な夕焼けが見える、基地の高台のベンチ。そこで俺とフランはエピメテウシアン・コーヒーを飲んでいた。

 キリッとした苦みが美味い。フランの淹れてくれるコーヒーは、どうしてか自分の淹れるものより断然美味いのだ。コツを訊いても、フランは教えてくれないのだが。


「アルバ、聞いてるのか?」


「聞こえてるよ、フラン。そっちの具合はどうなんだ。俺の冒険の話なんて、後で嫌というほど聞かせてやるよ」


「……まぁ、そうだな。体調は良いよ。すこぶる快調だ。やっと退院が許可されたし、こうしてコーヒーを味わえるようになったしな。色んなことに感謝する日々、ってやつさ」


「そうか。まぁ、そりゃなによりだな」


 俺はそう言いながら、マグカップを傾けた。コーヒーの良い香りが鼻腔をくすぐる。こんなに落ち着いた時間は、一体いつぶりだろうか。


 あれから。そう、フランに言わせれば俺の大冒険が終わってからと言うもの。敵機は一機たりとも現れていなかった。ショートカットアンカの反応も皆無。俺が空中に放り投げられた時の反応が、どうやら最後のものだったらしい。

 脅威だった敵はもういない。つまり。これにて終戦、というヤツだろうか。


「アルバ、なにを考えているんだ? ヘンな顔してるぞ。あぁすまない、ヘンな顔は元々だったな」


「うるせぇな、フラン。その悪い口、閉じてやろうか」


 俺はそう言いながら、フランのほっぺたを摘んでやった。フランはそのまま、クスリと小さく笑う。そう言えば、昔からフランはこんな風に笑っていたような気がする。なんとなく、懐かしくなるその仕草。



「──おいおい、そう言うことは家でやれよな。ここ、一応共有スペースだぜ? 仲睦まじいお二人さん」


 振り返ると、フォッカが居た。いつの間に。フォッカはニヤリと笑いながら、ゆっくりと歩みを進める。


「元気そうじゃねぇか、二人とも」


「なんだ、死に損ないのフォッカか」


「おいおい、もうちょいマシな言い方あるだろ?」


 あの戦い。銀色の悪魔QE-Xとのドッグファイトから、まさかの生還を果たしたフォッカ。あの局面でフォッカは、元来の臆病なマニューバを実践して、機体のコントロールが奪われる寸前でベイルアウト緊急脱出したらしい。

 つまり限界を超えた死闘を繰り広げていたのは、もぬけの殻になった遠隔操縦のアフィシオンだったワケだ。

 どうりで。あの不遜で傲慢なマニューバは、遠隔操縦のウザスだったってことだ。


「お前、何しに来たんだよ。仕事は?」


 俺がそう問うと、フォッカは大げさに肩をすくめてみせる。


「敵がいねぇのに仕事なんかあるわけねぇだろ。だからまぁ、驚くほどヒマでな。散歩くらいしかすることがねぇ」


 フォッカはけらけらと笑い、隣のベンチにどっかりと腰掛けた。そしておもむろに、ゆっくりとした動作で煙草に火をつける。


「フォッカ。煙草はやめてくれるかな。せっかくのコーヒーが不味くなる。まぁ、キミがここにいる時点で、充分に不味くなってるわけだけど」


「おいおい、命の恩人にそりゃねぇだろ!」


 フォッカは笑った。俺たちも釣られて笑う。それはこの時代にそぐわない、とても平和な時間だ。

 何だかんだ言いながらフランは、フォッカにもコーヒーを淹れてやった。フォッカはそれを受け取り、言葉を継ぐ。


「しかしよ、こうして見るとやっぱり不思議だよな」


「何がだい?」


「お前だよ、フラン。アルバは不思議には思わねぇのか?」


「まぁ、違和感がないと言えば嘘になる。でも、それも最近はなくなったな。姿形は変わってしまったけど、中身は間違いなくフランだよ」


「へぇ、アルバ。僕の姿を見て違和感を感じなくなったのか。ひょっとして、キミはいわゆるロリコンってヤツなのかい?」


 の顔をしたフランは、そう言うとニヤリと笑って見せた。


 地上に帰還してからのこと。ミゼラリの中に入っていたオカッパリフィアは、何をどうしても目を覚まさなかった。そこでツインテリナは、眠ったままだったオカッパリフィアの身体に、どんな手段を使ったのか知らないがリフィアの意識を繋げたらしい。


 あいつは身体を取り戻してからというもの、懲りずに元気に空を飛んでいるようだ。空バカ、ここに極まれり。


 つまり、フランがミゼラリの身体を受け継いだのはそういうことだ。フランも望んでいたし、俺はそれでいいと思っている。ロリコン呼ばわりはもちろん望んでいないが。



「──なぁ、アルバ。ひとつ質問してもいいかい?」


 フランが俺に問うた。俺は視線をフランに投げる。


「2000光年先の、約束の地。そこはどんな場所だったんだ?」


「あ、それオレも興味あるな。どっかのバカが機体を捨ててきたから、ログも残ってねぇし。だから実際にそこを見たのは、人類でお前だけだぜ、アルバ」


 フランが問い、フォッカが重ねる。

 あの場所。2000光年離れたアフィスドゥス星。

 そこは、約束の地ではなかった。生還したからこそ言える、これは真実だ。


 本当の約束の地、それは。

 から2000光年、離れた場所。

 

 ──愛する人がいる、この

 ここが、本当の約束の地なのだ。



 その時、頭上から轟音。見上げてみると、一機のアフィシオンが雲をたなびかせて飛んでいた。きっと件のオカッパリフィアだろう。

 もう敵を墜とすために飛ぶことはない。だから、これからは楽しむために空を飛ぶ時代になるのかも知れない。

 ゆっくりと終わりに向かう地球でも。それくらいの娯楽はあって良いはずだ。


「──アルバ、聞いてるのかい?」


「聞こえてるよ、フラン」


 アフィシオンが飛んでいく。俺たちは目を細めて、それを眺める。


 これからもきっと、色んなことがあるだろう。敵という脅威は去ったが、何も問題は解決していない。

 そもそも人類が幸せになる方法なんて、本当にあるのだろうか。



 ──そうか、簡単なことだ。

 良き相棒も、そして最愛の人も。嬉しいことに、俺の傍にいてくれる。それにここは約束の地だ。だからいつか、それは見つかることだろう。



 その答えはきっと。

 この、空の中にある。





 【終】


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YプロリレーNo,14 薮坂 @yabusaka

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