小学生同士の、たぶん、真っ当な恋愛。

タナカつかさ

第1話

「――ねえ、サッカーしようよ!」

 その日も、彼女は変わらなかった。

 天真爛漫な笑顔を浮かべ、和気藹々とえくぼを作り男子を遊びに誘っている。

 世界一有名な水道管工と同じオーバーオールを穿いて、ゲームみたいに走って跳んで滑ったりは出来ないけど、同じくらい毎日走って跳んで滑っている。

 ほんの少し内に弧を描いたショートカットの、まるで男の子みたいな女の子――

 誘われた男子は、鬱陶しそうにそれを断った。

「ええー!? やだよ!」

「えー、いいじゃん別に、細かいこと気にしないでさ?」

 だけど、彼女は諦めない、彼女はそれでも誘おうとし、男子は全力で面倒臭がる。

「そんなの無理だって!」

「そんなこと無いって」

「そうそう、絶対無理!」

「えー、そこをなんとかさぁ?」

「ええーっ?」

 何故なら彼女は女の子で、彼らは男の子――男の子と女の子は一緒に遊ばない、それが僕らの世界の鉄則だ。小学生に上がるまでには誰でも倣うことだ、激しくぶつかり合う運動スポーツなんて以ての外、体の強さが違う。

 それだけで本気で遊べない、それに男の子と女の子では文化が違う。

 可愛いなんて興味ないし、ねちねちとした陰口なんかもっと嫌いだ。そんなだから、まともに会話なんて出来ない。

 それに男の子みたいにずっとサッカーがしたいわけじゃないだろう、どうせ一回か二回の気まぐれだ、本気じゃない。こっちは一日休んだだけで下手になる、球蹴りとか女の子がどれだけ下らないと思っていても僕達は遊びに全力だ、だから手加減はしたくない。

 女の子は男の子の遊びに手を出さないで欲しい、正直、邪魔だ、それが本音だ。

 言いたくないけど、みんなそう言いたそうにしている。

 それは男子だけではなく、本来彼女の仲間である女の子達だってそうだ。

「――きっとああやって男の子に好かれようとしてるんだよ」

「男の子が好きなんだ」

「可愛い子ぶって」

「信じらんない」

 今まさにヒソヒソと、わざとかな? 聞こえるように言っている。

 男の子と仲良くしようとする子なんて気に食わない。女の女たる証、猿とは違う知性が泥まみれで自慢の品性に傷が付くと思っているのかな?

 それ以外にも理由がありそうだけど、まあ、意識高い系の彼女達にとって男子は知性の低い猿だ、そんなのと一緒に遊ぼうだなんて信じられないのだろう。反面、それはまるで男の子と仲良くしてみたいに様に見える。

 多分できるならそうしたいのだ――本当は漫画やアニメ、映画やドラマみたいに恋愛してみたいのかもしれない、でも現実はそうはいかない。

 教室中が泥だらけの芋だらけ、野生の猿が飛び回るとんだ期待外れの動物園だ。

 だけど彼女、天ヶ瀬風あまがせ ふうはそんなこと気にしない。

「え~、ドリブルとかシュートとかしたかったのに」

 彼女は男子の事をただの遊び相手か普通の同級生、列記とした自分の仲間だとしか見ていない。

 はっきり言って頭おかしい女の子だ。

 だけど彼女はいつも楽しいことしてその瞳をキラキラさせていた。


 例えば、それは昼食の時間、

 

「なあ天ヶ瀬、アレやれよ、あれ」

「うん? えへへ~、よーし……!」

 悪戯めいた男子にそう言われ、彼女は意気揚々と席に立ちあがる。

 それから既に皮を剥いた冷凍ミカンをおもむろに手に取り、天井に掲げてアピールし、

「じゃあいくよ?」

 まるごと一個――何の躊躇いも無く、笑顔でまるっと丸々口の中に頬張った。

 噛むことは疎か満足に溶かすことも出来ないオレンジの物質を、リスの様まん丸に頬張った内側で、モグモグモグ、唇を閉じたまま限界一杯から顎を動かして、自信満々な顔をしながらゴリゴリと咀嚼していく。

 人間技じゃない、どうして歯に染みないのか。

 そして十数秒、ごくっと全てが喉奥に流れ込んだ。

 彼女は口を開け、舌の裏にも歯茎の奥にもそれを隠していないことをアピールする。

 虫歯一つない――その大変綺麗で豪快な食べっぷりに周囲の男子はこぞって歓声を上げていく。

「ゴリラ! ゴリラ!」

「男女!」

「男女!」

 決して褒め言葉ではない、しかし彼女は全く気にせずむしろ調子に乗り勝鬨を上げ始める。

「イエーイ!」

 ついでにウホウホと胸を叩き、本当にゴリラの真似までし始めた。

 それは女の子にとって不名誉極まりない立派な誹謗中傷だと思うのだが、今の彼女にとって最高の褒め言葉なのかもしれない、男の子にも女の子にもできないことを平然とやってのける――そんな彼女は今この教室気鋭のエンターテイナーだ。

 ある日はバスケットボール、ある日は野球、またある日は鬼ごっこ――

 警ドロ、カードゲーム、腕相撲に指相撲、何かと男の子に混じって遊ぼうとして、率先して泥だらけになろうとしている。

 彼女はいつも楽しいことを探しては見つけて、毎日を楽しんでいる。

 そこに男の子も女の子も関係ない、そう言いたげに、はしゃいで、騒いで、大忙しだった。

 ただそれは子供の世界の話で――

「――天ヶ瀬さん! 全くあなたという子は本当に落ち着きの無い!」

 先生にとって、それは単なる迷惑行為でしかない。

「もう少し大人しくしなさい、まったく、あなたは女の子なんだから女の子らしくしないといけないのよ? それと食事中はそれ以外の事をしない!」

 ただでさえ落ち着きのない男子が彼女の行為で活気づくと更にまずい、というのはまあ分かる。

 だから先生は先生らしく貴重な時間を割いて彼女をお説教をしてくれているのだ。

 もちろん、彼女を扇動した男子たちも一緒だ、同じ教室なのでついでにその他大勢の同級生まで巻き添いだ。まったくいい迷惑である、それはまるで彼女の中に潜む深刻な病や悪魔を祓おうとするかのよう真摯に行われている。

「貴女がどんなに男の子に憧れてもなれないから諦めなさい、特別な事をすれば特別な人に成れるわけではないの。個性っていうのは他人とは違うことをする人を指すのではなく他人と同じことをした上で違う答えを出すこと――その結果、その人らしい人に成ることなのよ?

 つまり個性とは感性で、一人一人の心の在り方と言えるでしょう。だから一人として本当に同じ人はいません――その結果として周りにいる人と違うことをしてしまうというのは当たり前のことかもしれないわね? でもそれは集団行動の規律やマナーを蔑ろにしていい事ではないのよ?」

 熱弁を振るうその姿は誠意と善意と優しさに満ち溢れている。

 けど正直「ダメなものはダメ」の一言で済むことだと思うのは僕一人ではないだろう。

 教室のあちこちで、もうウンザリとため息が音を立てずに鼻から漏れている。

 ただ、

「――いいですか? 天ヶ瀬さん」

「――はい先生!」

 先生は先生として、先生の言うところの個性を育むために彼女の為に足りない知識や知性の発達を促そうとあえてそんな無駄な言い回しをしているのだろう。

 本当のところは分からない、何せ人の心なんて本当は当人にしか分からないんだから。

 先生の説教は本当は生徒への八つ当たりかもしれないし、単なる自己満足かもしれない。

 それどころか、案外自分が本当は何をしたいのかも分からなくなって思いつくまま取り留めも無く長ったらしく話をしているだけかもしれない――

 人の心なんて、他人どころか自分のものすらよく分らないものだ――それだけに他人はおろか本人さえ知らない可能性が眠っているらしいんだけどね?

 とりあえず。

「本当に分かったんですか?!」

「はい! 分かりました!」

 当の彼女は何もかも分かっているようで、何も分かっていないようにも見えた。


 じゃあ何故、彼女はそんな分かり切ったことが出来なかったのか。

 お昼を静かに食べられなかったり、我慢が出来ず教室でバレーボールを使い友達とサッカーごっこのリフティングをしたり。

 それはただ単に、彼女がそうしたかっただけだと僕は思う。

 その行動に深い意味は無い――ただなんとなくやった。

 やりたいからやった。ただそれだけで、男子も女子も関係なくその遊びに興味があっただけだろう、今やりたいことをやりたいように、自由にしているだけではないだろうか?

 その結果、男の子と遊んでいるように見えるだけで――

 それは特別でも異常でもなく十分『普通』である。

 だから寝耳に水、今日のお説教もあんまり響いていないと思う。

 男の子も女の子も関係ない――当然そこには「男の子と仲良くなりたい」とか「自分が男の子になりたい」という気持ちもない。彼女は別に「女の子を止めたい」わけでもなく「女の子が嫌い」なわけでもなく「女の子らしくない自分が嫌」なわけでもないだろう。

 きっと今はただ、女の子らしくすることにも興味がないだけだ。

 ……それは特別なことだろうか? 

 大人だって大人らしくないときがあるし、男だって男らしくないことは多い、だから女の子が女の子らしくなくても全然普通だと思う。

 このとき僕は、彼女がそれほど変わった女の子ではないと思っていたんだ。



「――やーい男女男女!」

 目の前に横っ跳びをする猿が居る。

 名前、なんていうんだっけな? 横っ跳びする猿の名前――もちろん同級生の名前は名字なら覚えている。

あえて割愛するけど、帰り道の通学路でその猿と同じような猿が横っ飛びやスキップ、バスケットボールのディフェンスの真似をして彼女の周りを飛び回っていた。

 そう、あろうことか、その猿達は放課後、一人の女の子を囲んでいたのだ。

「男女! 男女!」

「――しつこい」

「何だよ男女」

「うるさい!」

 そんな猿たちにその女の子――天ヶ瀬さんも流石に業を煮やしほんの少し声を冷やしていた。

 普段から本気で怒る子じゃない彼女が――だけどそんなことは全く無視した様子で、

「だから何だよ男女」

「鬱陶しい」

「おまえほんとにコカンにないのか? 男女」

「う・る・さ・い!」

「やーい男女~」

「もうしつこいってば!」

 しつこく揶揄っている、その珍しく度が過ぎた雰囲気についに、

「……あーもう、本気でうっさい!」

「何だよ、男女のくせにいまさら女らしくすんのか男女」

 彼女は憤慨し拳を振り上げそれを追い払おうとする。

 確かに、女の子に言うには過ぎた揶揄いだと思った、彼女が怒るのも仕方ないと思う。きっと、心の中では悲しいんじゃないだろうか?

 ただ、そんな何人もの男子に囲まれながら怯えるどころか逆上して拳を振り上げてる時点で相当女の子らしくないとも思う。

「う~る~さ~いぃぃぃぃぃ――っ!」

「うわっ、完全にゴリラ」

 真っ当な女の子ならこういう時、完全にお猿さんを無視するかキャーキャー徒党を組んで、正直、同レベルの争いを繰り広げるものだ……うん、同レベル同レベル、実はかなり女の子らしいんじゃないだろうか?

 まあ、ギリギリのギリギリでじゃれ合いなのだろうかこれは。

 本当に暴力として、彼女は本気で拳を当てに行ってはいない。

 それを男子たちも分かっているようで、彼らも彼女に本当の暴力を振るおうとはしない。言葉と態度でこそ彼女を嘲笑うものの、彼女が拳を振り上げても決して同じ様に拳を上げたりしない。紳士的に、数が多いにもかかわらず、後ろから襲ったり髪を掴んだり羽交い絞めにしたり――

 それをやったら悪戯ではなく、本当に本当の意味で男の子ではなくなってしまう、だから女の子に暴力は振るわない。

 それだけが男の子の男の子たる由縁だからだ、だからって蚊のようにその周囲をいつまでも飛び回る男子もどうかと思うけど、

「――うっさいうっさい! あーもう本当にうっさいんだよ!」

「超男女~!」

 男の子の僕には本当には分からないけど、女の子だってそういう何かがあるだろう、口喧嘩とか男の子相手には絶対全力じゃない筈だ。

 だから今、同レベルの罵り合いをしているんだろう。

 そして彼女はとうとう堪忍袋の緒が切れたように、大げさに頭の上まで拳を振りかぶった。

「いい加減にしろ――――っ!!」

「じゃーなぁ――――っ!」

「あははははは!」

 すると彼女を笑い者にし、お猿さん達は一目散に逃げ出して行く、彼女はそこでほどほどに追うそぶりを見せるけど、それ以上追い駆けはしなかった。


 その先で、彼らも決して彼女を待とうとはしなかった。

 それも当然だ、彼らと彼女は最初から一緒に帰っていなかった。

 彼らにとって彼女は本当の友達ではない、たまたま同じタイミングで昇降口を出て、そのまま話をしていただけ、それは彼女も同じだ。

 たまたま同じ場所に居て、偶然そこで絡まれてそのまま一緒に帰っていただけ、同じ教室で勉強をし、時々偶然話をするだけ――

 それは本当は友達ではない、同じ場所にいるだけのただの他人だ。

 それが昼の話を蒸し返して、偶然あの状況になった。

 だけど彼女はそんなことをウジウジ気にするような女の子ではない。

 こんなの毎日だ、彼女じゃなくても誰かが誰かを笑って喧嘩して、何事も無かったかのようにするだろう。

 そう思う、けれど――

 彼女の歩幅が狭くなっているのは、気のせいかな?


 男の子と一緒に歩いていたから、歩幅を合わせる必要がなくなっただけかもしれない。

 本当にそうかな? 

 彼女は一人で歩いていた。

 僕はたまたまその近くを歩いていた。

 彼女はこれくらいの事で傷付かない、こんなことは日常茶飯事だ。

 酷くか細い、その背中は、本当は傷付いているんじゃないのか?

 そんなことはない、きっと明日になったらケロッとして教室に居るに決まっている。

 本当は分からない。

 彼女が何を感じているのか、何を考えているのか。

 でも――


「……天ヶ瀬さんは、女の子だと思うよ」

 僕は、どうしても我慢出来ずに声を掛けてしまっていた。

それが届いたのだろう。途端、彼女はびっくりしたように振り返った。

 突然背後から声を掛けられたならそうかもしれない、まして一緒に帰っているわけでもない男子からなら――いや、もしかしなくとも、そもそも僕がすぐ後ろを歩いていることに気付いていなかったのかな? 多分そうだろう。

 やっぱり僕の自意識過剰かもしれない、これ、余計なお節介だったらどうすれば、まあいいか、それならそれで僕がバカだったっていう事で。

 彼女は僕の事に気付くとしばし何事か僕の事をじっと見ていた。不意に人と遭遇した猫のような、警戒と好奇心が入り混じったような複雑怪奇な微表情で。

 そして、

「……ああ! 大丈夫だよ? 落ち込んでると思ってる?」

 ややあって、どこか嬉し気に、なにやら可笑し気に眼を細めながら微笑んで来る。

 ひょっとしなくとも、僕がヒーロー気取りで彼女を慰めようとしているとでも思ったのだろうか? 

 でも、残念ながらそれは違う、これは彼女に対する公正にして明大なる評価なのだ。

 決して慰めや同情ではない――だから僕は彼女の眼をしっかり見て言わせて貰う。

「――ううん、思ったことを言っただけ。天ヶ瀬さんはいつも男の子みたいなことしてるけど、普通に女の子だと思うし」

「普通にって――」

 彼女はまた可笑しそうにほんのり笑った。まあこういうとき、どうせなら可愛いとかキレイって言う方がいいことぐらい僕にも分るよ?

 けれど、僕はどうしても彼女に彼女の本当の良さを知って欲しかったんだ。

 だから、

「――普通に。他の女の子みたいに女の子女の子してないから」

「……女の子女の子?」

 嘘を吐かず、お世辞も使わずに言わせて貰うと、彼女はなんとも言えない顔で訊き返してきた。

 どうやら彼女の辞書にその言葉は無かったようだけど、

「――うん、女の子女の子」

 なんとなく分るだろう、それはいわゆる女の子を気取った女の子のことだ。

 いつでも可愛く、服や髪型、ちょっとした仕草まで気にしている、女の子であることに自信を持っている女の子、おすすめ角度のキメ顔まで用意して、自分の一番かわいい処を分かっていて、恋話が好きで、噂が好きで、変に黄色い声で話したり――

 挙げればきりが無くなるけど、それは女の子の良い所も悪い所も全部混ぜ込んだ、嫌に甘ったるいアイスクリームみたいなものだ。

 その点、彼女は非常に女の子らしくない。

 好きなお洒落や可愛い服の話もしない、綺麗にスカートを翻したり、用意していたような可愛い顔もしてこない、喧嘩してもすぐに泣くどころか勇敢に挑んでくる――

 キャーキャーじゃなくてぎゃあぎゃあ騒ぐし、土塗れの埃塗れの泥だらけで。

 これを女の子女の子していないと言わずして何といえばいいのか? もしかしたら褒め言葉じゃないどころかまともな評価ですらないのかもしれないけど。

 いい意味で、自分が女の子だってことを全く意識していない。

 でもそのお陰で、

「……僕達さ、女の子にちょっと話し掛けただけで好きだとか付き合ってるって話になるでしょ? それかすぐ喧嘩になって、口で負かされるか、逆に泣かせちゃう……だけど、天ヶ瀬さんだとそういうのが無いから、すごく取っ付きやすいんだ。それでつい男子みたいにしつこく揶揄っちゃうんだ。……要するに、みんな甘えてるんだよ」

 多分、分け隔てなく話せる女の子だからこそ遠慮が無くなってしまうのだろう。

 半分くらいそれは男子の無神経さだけど、残りの半分は彼女の魅力である。

 だけど、

「……それってやっぱり女の子らしくないってことじゃないの?」

 確かに、彼女のそういうところを他の男子は男女とかゴリラとか言うけど、なんだかんだで男子が教室で一番親しい女子は概ね彼女であるあたり男子の本音が覗える。

 だからむしろ、

「ううん、今の僕らにとって天ヶ瀬さんはすごく魅力的な女の子なんだよ?」

「ええー、ウソだー?」

 まあ、簡単に信じられないのも分かる、これまで散々女の子扱いされていなかったのだ。でも一番身近で確かな例がここに存在している。

「――本当だよ? 例えば僕なんか、天ヶ瀬さんが凄くキレイに見えてる」

「お世辞?」

「ううん、本当にそう思ってるだけ」

 彼女はしばし僕の眼を見て、

「……それはなんとなく分かるけどさ」

 どうやら、嘘を吐いていないと信じてくれたようだ。しかし、彼女は人のことをちゃんと見ている人なのだと思う。

 先生の話は聞き流しているようであったのは――お説教の様式美だとして。

 彼女は柔らかく微笑み、

「……初めて話したけど、キミ、変わってるね?」


 ぽつり、ぽつりと、ゆっくりと歩きだす。

 別に一緒に帰るって決めたわけじゃないけど、同じ方向に、同じ道を歩き始めて、なんとなく彼女の隣に並んでその歩幅をチラッと確認し――

 それに合わせて、一緒に歩くことにする。

「――まあ、クラスで仲間外れになるだけはあるよ」

「ふふ、自分で言うかな」

「隠すほどのことじゃないね?」

 そう、自分でいう事じゃないけど、僕は所謂仲間外れだ。

ただイジメられているわけでも無視されているわけでもない、みんなは休み時間のゲームに漫画の話やスポーツで遊んでいて――僕は図書館で文字だけの本を読んでいる。他の人よりちょっとだけ一人でいることが多いだけだ。

 教室でも、それは変わらない。

 ふと彼女はその事を思い出したのか、

「――そういえば、キミ、いつも本読んでる?」

「うん、好きだからね? 教科書では省略されてるところまで載ってて結構面白いよ?」

 それが僕の個性だと思う、教科書を読んだのはみんな同じで、でも僕はその先が気になってさらに読む、先生が言うところの『同じことをして違う結果に行きつく』その人らしさって奴だろう。

 僕にはそれがそういう事だった。結果、みんなから一つはみ出している。

 でも、それは他の人より好きなものが一つあるという、ただそれだけのことだ。

 で、

「――天ヶ瀬さんは?」

「うん?」

「天ヶ瀬さんは何が好き? ――本とか何でも」

 何故だか、彼女は驚いた様に目を丸くした。お互いの好きな事の話をしようとしただけなんだけど、何かおかしかったのだろうか?

 また僕の目を覗き込む、と、彼女はまたそこから何を読み取ったのか、いつも通り溌溂とした顔をして、

「――うん、ボクはね? 男の子っぽい物の方が好きなんだ」

 こういう仕草を見ると、ひょっとして彼女は破天荒でも無邪気でも天真爛漫でもなく、実はものすごく思慮深いんじゃないかと思うけど気の所為かな?

 ともかく、

「少年漫画とか?」

「うん、スポーツものとか結構好きだよ? 女の子の漫画はいまいちピンと来なくて」

「そうなんだ、僕は少女漫画も結構好きだけど、他には?」

「あとはお弁当とか――キャラ弁とか見た目より、でっかいおにぎりドーンに唐揚げバ~ン!の方がいいかな?」

「それ、分かる!」

「でしょ? 遊びも噂話とかファッションとか、髪型で遊んだりカッコいいアイドルの話とかより外で遊ぶ方がずっと楽しい」

「――サッカー?」

「今日は一緒に遊べなかったけどね? 服もキレイとかカワイイより動きやすくてカッコいい方が好きかな?」

 僕たちはいつの間にか普通に話をしていた、男の子と女の子だけど普通に話をしていた。ほんの少し勇気を出したからかな? それとも、何か別の理由なのかな。

「ああ、それでいつもズボンなんだ」

「うん、スカートだと捲れちゃうし自由に遊べないからね?」

「じゃあ絶対に捲れないスカートがあったら?」

「そりゃ穿くよ、絶対穿く! ……でも面倒臭いし、やっぱり穿かないかな?」

「――どうして?」

「だってボクがスカートなんか穿いたら、絶対みんな面白がって揶揄ってくるもん、そういうのはすごく面倒」

 そうなんだ、でも、勿体ないな。

「でも穿いたら似合うと思うよ?」

「えー、どうして?」

「だって天ヶ瀬さんキレイだから」

 そこで、彼女は立ち止まった。

「……ねえ、キミ、もしかして本当にボクの事が綺麗に見えてる?」


 太陽が西から登っている。

 そう言いたげに、目を丸くしている彼女はどうやら自分の事を『カバは痩せるとキリンになる』ぐらいに捉えているのかもしれないけど。

 嘘じゃない、本当だ。

「――うん、それはもちろん」

「うそ、そんな風には全然見えないよ?」

 皆そうは思わないのかもしれないけど綺麗に生え揃った睫毛はお化粧をした女優さんみたいだし、手足は本当にすごく細くて華奢で男の子らしさも女の子らしさも削ぎ落とした透明な硝子細工みたいだと思う。

 確かに、大人の女のひとみたいに胸やお尻が真ん丸なわけじゃないし、いや、それどころか同級生と比べても女の子の部分は相当痩せボッチなかもしれない――きっと彼女の言う通り、彼女がスカートを穿いて来たら男子も女子もみんなおかしいと思うのかもしれないけど――

 だけど、僕にはそんなところさえ、綺麗に見えていた。

 確かに彼女は女の子らしくない、男の子みたいだしそれどころかそれ以上のお転婆さんかもしれないけど、それがとてもキラキラしたものに感じられて仕方が無かった。

 こんなにキレイな女の子は他に居ない、それは可愛いとか女の子らしいなんてものより遥かに綺麗なキラキラなんだ。

 だから、

「――本当だよ、他の女の子よりずっとキラキラして見える」

 それを包み隠さず言うと、彼女はまたこちらをじっと見て、それから何でもなかったように止まっていた足を動かし始める。

 それに追随する。

「……うーん、例えばどんなところが?」

「んー、そうだなあ……」

 歩きながら思った、ありていに言ってそれは彼女の全部なのだけど、こういうときそれは言わない方がいい事だけは知っていた。

 さて、しかしどう説明していいのか。彼女がどうしてキラキラして見えるのか、それは彼女が女の子らしくないから――単純な意味で『他人とは違う』というそれではない。

 それだけでは決して彼女キラキラして見えなかっただろう。

 彼女がどうして輝いて見えるのかと言えば、それは多分、

「…………自然なところかな」

「――自然?」

「うん、女の子は女の子っていうだけで本当は綺麗なのに、なんでか変に自分を可愛くしようとしたり綺麗になろうとすることがあるでしょ? そういうって不自然だと思うんだ、ただのお化粧とかおめかし程度ならともかく、妙に甘えた声とかくねくねした仕草とかさ、余計なことだと思うんだけど……」

 僕にはそれが不自然で、不純物のように感じられる。対して、

「天ヶ瀬さんは、凄く自然なんだ」

 彼女は遊ぶときも笑う時も不自然に自分を着飾らない。

 なんでもあるがまま、感じるままに振る舞っている様に見える。

 多分、彼女のキレイに見えている部分はそこなのだろう。

 彼女の女の子らしくない部分の奥に見え隠れしている、空気とか常識とか理想とかいう観念――それらが正しいとか悪いとかじゃなく、自由に思うまま生きている所だ。

 彼女は自分の中にあるそんな偽らざる部分で生きている。

 だから余分なものが無い、不自然じゃない――

 そう、目の前に居るのは不純物の無い、とても純粋な女の子なんだと思う。

それはつまり、

「なんて言うのかな……僕にとって天ヶ瀬さんは『本当の女の子』なんだよ」

「……えへへ、それはちょっと嬉しいかも」

彼女は目を丸くした後、そう言うと、照れ臭げに、恥ずかし気に満面の笑みの半分を吊り上げイヒヒと男の子っぽく笑った。

 でもその少しだけはにかんだ笑顔はちょっとだけ女の子っぽいとも思うんだ。

「……ありがとう、君、やっぱりいい人だね?」

「そうかな? ただの変わり者だと思うけど」

 これは最初に言った通り『天ヶ瀬さんは女の子だと思う』ってだけの話なんだ。

 それは特別な事じゃなく、ごくありふれた個性の話で――僕は他の人は少し別の感じ方をしていて、彼女から見た僕が良い人なのも彼女ならではということ。

 多分、他人から見たらどうなるのか分らないって話だ。

「――じゃあ、それかすごくいい人だね?」

「うーん、そうかなぁ……」

 彼女は誤解しなかったけど、普通、これだけ彼女の事を褒めたら、彼女を好きだと思うのだろう。

 でも、彼女に対するこの感覚は恋心ではないと思う。

 彼女はキラキラしている。でもそれは、一つの事に囚われていない彼女の自由が本を読むことだけが一等好きな僕にはとても綺麗なものに見えているだけなんだと思う。

 それだけ自由に『好き』や『楽しい』が沢山あるっていうことは、毎日がキラキラ輝いて見えるようなものだろう、だから毎日楽しそうに笑う彼女は実際キラキラして見えるのだ――それは女の子への好意ではなく、目に写る何かをただキレイだと思う事と同じだろう、そこにあるのは綺麗な石を眺めているのと同じような感覚だ。

 僕は彼女と手を繋ぎたいとか恋人になりたいとか全然思っていない。

 だからどう考えても、これは恋心じゃないと思っていた。

 それから僕達は好きなテレビ番組やゲームの話――最近流行りの芸人や俳優に――よく聞く音楽や、休みの日の過ごし方までなんて色々な話をした。

僕たちは多分今、他の同級生達より仲良くなっていた。

 それでも友達未満、知り合い以上って所なんだろうけど。

 仲良くなったからかな、帰り道も大分過ぎた頃、彼女はそわそわと僕に何か訊こうとしてきた。

「――あのさ」

「ん? なに?」

「――あ、やっぱりなんでもない」

 僕は彼女の話を聞こうとした。だけどすぐ彼女はそれを止めてしまった。一体どうしたのかと思うけど、

「うん? ……そうなの?」

「うん、そうなの。なんでもないなんでもない」

 僕はそれを訊ねるのを止めた。

 多分、本当にいまは聞かなくていい事なんだろう。女の子が本当は聞いてほしい時は、もっとこう、後ろ髪を引かれるような態度を取るはず。

 彼女は何やら非常に楽し気な表情を浮かべている、僕が訊かないことに未練が無いのだ。

 本当は一体何を閃いたのか気になるところだけど、

「――あ、ボクはこっち」

「僕はこっちかな」

 とある交差点で、お互いに別々の方向を指し示した。

「お別れだ、じゃあまたね? 星野くん」

「――うん。また明日、天ヶ瀬さん」

 軽く手を上げ挨拶をする彼女に、僕も手を上げ返事をした。

 それから彼女は鞄を握り直し、軽く笑って勢いよく走り、通学路を帰り始めた。

 実は急いでいたのかな? と思いつつ、遠くなっていく彼女の背中をなんとなく見送って、僕も僕だけの帰路へ着いた。

 これで明日になるまで彼女には会えない――けど、明日には会える。だから最後に彼女は僕に何を尋ねようとしたのか、僕はもう全然気にしていなかったんだ。

 


 朝、昨日の内に準備した鞄に背負う。

 太陽が東から西に登っている。学校に着いて教室で僕は友達に挨拶をした後、てきとうに話をしてから席に座り本を読み始めた。

 そして、

「おはよー」

「おはよう」

 みんな教室に入るなり決まった挨拶をする。

「おはよう」

「おはよ~」

 気の合う友達同士で先生が来るまで話をする、全員揃うまでそれが続く、今日も変わらない光景だ。

 そしてまた誰かが入って来た。

「おはよう――」

 それは特定の誰かにではなく、そこにいる全員に向けられた声だった。

 聞き覚えるある声、毎日聞く同級生の声だ。

 けどその声に、何故だか教室中がざわついていた、一体なんだろうかと思うけど、物語の先が気になるので耳だけそちらに向ける。

 そして変わらず眼を本に落としていた。

 しかしパタパタパタと妙に足取りの良い上履きの音が、僕に向かってくる。

 そして、

「――おはよう」

 女の子の声――明朗快活なその声の主は、どうやら僕に話しかけて来たようだ。

 声が近い、それが誰なのかは教室に入ってきた時から知っていた。

 けど特に意識はしていなかった、でも教室の方はざわめきがどことなく大きくなっていた。それは朝一で女の子がわざわざ男の子に声を掛けたからだろう。

 特別に挨拶をする、そんな関係になったのだと誤解されてもしょうがない、ああ、これは後でそうとう揶揄われるだろう、だけどわざわざ挨拶してきた相手を無視するわけには行かない。

 僕は読み耽っていた本から目を離した。

「おはよう――」

 顔を上げ、そして彼女を見て――

 息を止めた。


 ……スカートだ。


 彼女がスカートを穿いている。

 この教室で絶対にスカートを穿く筈のない彼女が、靴と腰の間から透明な肌をチラチラとさせていた。

 それはただの同級生の筈だけど、教室中がざわついていた。

 それは群青のデニム生地――腰の所だけキュッと締まった、素っ気ないくらい真っ直ぐストレートなスカート。

 何の飾りも付いていない、可愛いでも綺麗でもない、どこか男の子っぽいそれは、とんでもなく彼女らしいスカートだ。

 教室は今もその衝撃にざわめき続けている、それも当然か、僕も正直驚いた。

 しかしなるほど、昨日の態度はそういうことだったのかと納得する。

 彼女は、スカートも栄える身体を更に良く見せるように、一番見て欲しい処だけを見せるように、まるで手足の無い彫刻みたいにそれを押し出していた。

 それでも、彼女は別に、可愛いとか綺麗とかそんなことを言って欲しいわけじゃないだろう。

 分かり切ったお世辞や、工夫を凝らした美辞麗句――正面からの褒め言葉を聞きたいわけでもない筈だ。

 それにどう答えればいいのか、僕は知っていた。

「――天ヶ瀬さんらしいと思うよ?」

 僕は彼女に真っ直ぐに笑い掛ける。

 スカートを穿こうと穿かまいと彼女は変わらない、彼女は今までずっとキラキラしていた。

 だから、それを聞いた彼女は――

「……ありがとう……!」



 教室が三度ざわついた。

 僕は一番好きな本から手を離す。

 多分、女の子に見惚れたのはこれが初めてかもしれない。

 ああ、なんてことだ、それまで僕は自由な彼女の事をただキレイだと思っていた。

 だけどそれを見た瞬間、僕は胸に奇妙な穴が開いたような違和感を覚えていた。


 そしてそれきり、僕と話をするでもなく、彼女は自分の席に着いた。そこですぐ彼女は彼女の友達達に囲まれて、何やら姦しげに話し始める。

「――ねえ! ちょっとちょっとどういうこと!?」

「――うん? なにが?」

「もう! 誤魔化さないでよ、なに? なにがあったの!?」

 彼女はいつも通り無邪気に溌溂としている、その最中、僕にいくらか視線が突き刺さっている気がしたけど。

 僕は気にせず再び本に眼を向ける。

 だけどページの上に、唇が幸せそうに弧を描く。白昼夢のようにその光景がキラキラとしている。

「えー? 別に何でもないよ?」

「うそ! 絶対何かあったでしょ!?」

 気にしない、気にしない。

 でも眼球の中で、柔らかく眉をしならせ目尻が落ちるほどに眩しく微笑んでいる。

 文章を遮り、甘酸っぱい夏の蜜柑を頬張るえくぼが蜜に赤くなる。

「もう何もないよー」

「ええー、教えてくれないの?」

「だって何も無かったんだもん、そんなのどうしようもないじゃん――」

 必死に文字を追掛けようとしても目に焼き付いて離れない、彼女の言葉を否定するようそれらの光景が目の前を横切り続けている。

 今もそこにあるように。僕は否応なしにその光景を反芻していた。

 それはとびきりの女の子の笑顔――

 

 もしかしたら、彼女はもう〝自由〟ではなくなったのかも知れない。


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