第3話 服の色は何がいい


 教師をしていた私ですから、さほどに派手な色合いのシャツなど持っていません。

 いや、さような派手なシャツは異端であるとさえ思っていたのです。


 あれは、取手の学校にいる時でした。

 上司の車を運転して、水戸の野球場に、夏の県大会の応援に出かけた時でした。

 これに勝てば、甲子園大会に進めます。


 当時、最新の調光レンズなるものを入れたばかりのメガネを、私はしていました。


 いつもの眼鏡屋さんに行って、近視が進行したようなので、レンズの交換をしに出かけた折のことでした。


 これから夏場に向かい、新しいレンズが出ました。

 太陽光線を浴びると、自然に、レンズがサングラスになるんです。


 私の新しい物好きを知っている店主の誘いの言葉です。


 お客様にはピッタリ、なんてほだされて、私、そのレンズで新しいメガネを作ってもらったのです。


 日頃、学校では、ほとんどが室内での仕事です。


 朝一番に、職員室に入って、出るのは、夜もすっかりと暮れたころです。

 その間に、私が移動するのは、生徒の待つ教室、上司への報告に彼の広い部屋、息抜きに図書室でペラペラと雑誌をめくる、そんな程度です。

 ですから、レンズが外に出るとサングラスになるなんて得意技などすっかり忘れて、私は、上司と水戸の球場の炎天下の中に身を置いたのです。


 上司が私を振り返り、妙な顔をし出しました。

 調光レンズがその威力を発揮し出したのです。


 君、生徒の前で、サングラスとは如何なものかって、仏頂面で、上司が言うのです。


 それで、私、気がついたのです。

 私のメガネ、すっかりサングラスとなっていることを。


 私、その日の試合、ほとんどぼやけていて、覚えていないんです。

 

 まだ、サングラスが与太者のもの、不良のもの、ギャングのものというイメージが強くあった時代です。


 今となっては、堅苦しい教員時代の懐かしい思い出でとなっているエピソードです。


 そんな堅気の稼業から足を洗って、さぞかし、派手好みになったかといえば、人間の性格はさほどに流動的にはいかないようで、せいぜい、ジーンズをはくくらいで、いまだに堅苦しい姿形をしているのですから嫌になってしまいます。

 

 オーストラリアに行けば、どこに行くもビーサンですまします。ちょっとしたレストランでも、ビーサンで行けるのですから、あの国はいい国です。

 ですから、その影響もあり、銀座や浅草に、この夏場に出向くとき、私は、半ズボンにビーサン、それに、遠近両用メガネの上に、サングラスをつけて、まるで、オーストラリアからやってきた日系オージーのように振舞って、せいぜい、日頃の憂さを晴らしているのです。


 そんな夏のある日、甥っ子から電話がありました。


 今度、香港に出張で行くことになった、ついては、香港に何度も行っている私から話を聞きたいというのです。

 お安い御用だというわけで、とある夏の日、その甥っ子が、健気にも手土産を持って、つくばの我が宅にやってきたのです。


 ガイドブックに載っているところは、それを読めばわかるから、生の貝の美味しい、香港人ばかりが行く店の場所を教えたり、そういう店に入ったら、出されたお茶で、テーブルに置かれた箸を洗えとか、朝は、ホテルで飯など食うな、どうせ、ホテル代は会社持ちなんだから、ホテル代がもったないなんて、いちいち、細かいことは言うな、そうではなく、青年は街に出ろ、そして、ニッポン製造のインスタントラーメンに湯を入れて出す街の食堂に行け、あるいは、香港の粥を啜れと、役にも立たないあれこれを伝授したのです。


 この甥っ子、私の大学の後輩なんです。


 こうして、たまに会いにきてくれるんです。

 彼、慶応にも合格した秀才なんです。


 慶応に行きたい素振りを見せたので、私は、断固、反対と、親でもないのに、電話をしまくり、私の後輩にしたのです。

 した以上は面倒を見なくてはなりません。


 ですから、入学祝いに、スーツを仕立ててやり、なんだかんだと小遣いもやり、東京に出ることがあれば、彼を呼んで、ちょっとしたレストランで、あるいは酒場でご馳走もしていたと言うわけです。


 先輩をたて、こうして、何かと私の意見を聞きに来るのですかが、かわいいやつです。


 香港に行くときは、服装にも気をつけなくては行けない。

 それが私の最後のアドバイスでした。


 白を着ていけば、保守派に間違えられる。

 黒であれば、民主派になる。

 赤は大陸からやってきた共産党員だ、下手をすると、黒服の連中にリンチにあうやも知れぬ。

 黄色は雨傘運動の生き残りだ。

 そうなれば、今度は白服の、日本のやくざも顔負けの香港マフィアに袋叩きにあう。下手をすれば、香港の海に重石をつけてほん投げられるぞ。


 じゃ、何色を着ていけばいいのかと、甥っ子、笑いながら言います。


 そんなこと、自分で考えろと、私も意地悪な目つきで言います。

 さて、甥っ子、波乱万丈の時代のうねりの香港で何を見てくるやら、きっと、土産は、タイガーバームに違いないって。

 だって、私、肩が痛くて痛くて仕方がないって、甥っ子にぼやき続けていたからです。


 我が宅の、香港で買ってきたタイガーバーム、そろそろ無くなる頃合いですから……。

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香 港 良 知 中川 弘 @nkgwhiro

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