第2話 香 港 良 知
もし、ただいま現在の日本政府が、このたびの参院選で圧倒的勝利を収めたのだから、国民ことごとく、おのれの政権に忠誠を尽くせとか、首相を敬い、学校でも首相の写真を飾れなどと官房長官あたりが、記者を前にぶったら、百人いるうちの百人の記者が、まず、間違いなく異論を唱えるでしょう。
なにより、ごもっともと納得する日本国民など誰一人いません。
それでも、強引に、それを強行すれば、きっと、日本人は政権に対して、そっぽを向き、程なくして、政権はその支持を失うことになるはずです。
何を馬鹿げたことを言っているのですかって、あきれ返っている多くの読者のお顔が浮かんでもきます。
でも、この世界には、そのようなことを平気でする政権があるんです。
2017年の7月のことでした。
香港は、返還20周年記念行事の中にありました。
北京から、習近平がやってきて、香港の主だった人物たちをまえに、演説を打ちました。
……中央の権力が治することに、いかなる挑戦も決して容認しない……
それは、威厳にみち、語気を強めた中央政府の、そのトップにある者の、そして、共産主義者がおりおりにつかう、恫喝を露わにした宣言でした。
香港は、長らく英国の植民地であった、いま、栄光ある中国に返還され、早くも20年が経ったことを、しかし、喜ぶ香港人はさほどに多くはなかったのです。
だって、20年前に英国から約束された、そして、保証された高度の自由の期間は50年、残り30年しかなくなったのですから。
そして、北京からやってきたこの英邁にして、核心なる指導者は、その30年も待てないと、そんな口ぶりでスピーチをしたのです。
その後、習近平を揶揄する書籍を刊行し、販売する書店店主が行方不明となり、香港の優秀な学生たち、若者たちも大陸寄りの政策を実行に移す香港政府に対して、果敢に抵抗を試みますが、尽く、その主張は退けられていったのです。
その昔、これらの若者たちの爺さんの世代でした、大陸から共産党が攻め込んでくるというので、全財産を叩いて、多くの者たちが、香港を去り、カナダやオーストラリアへと移り住んでいきました。
しかし、今の若い香港人は、自分たちの生まれ育った香港で、その香港のために、命を張ろうとしているのです。
先だって、ひとつの記事の、そこに付された一枚の写真に、否応なく目がとまったのです。
皆、一枚の小ぶりのポスターを手にかざしています。
そこには、上の方に一行、小さな文字で「守護下一代」と書かれ、その下に大きな、丁寧な明朝体の文字二つが示されていました。
「良知」と。
記事によれば、彼らは、香港の教師たちだと言います。
生徒、学生たちが、自由のために戦っているのに、教師として、安穏としてはいられないというのです。
だから、下一代、すなわち、若い世代を守ろうと声をあげているのです。
そういえば、以前、香港の子供達が、大陸の子のように、整列して、五星紅旗を掲げたり、首に紅い布を巻いて、中国国家を凛々しく歌う、そんな光景を映した映像を見たことがあります。
香港も、中国に組み入れられたら、それなりに中国化していくのだと、ぼんやりとそれを見ていたのですが、どうやら、内部では、そうしたありように鬱屈した思いを持つ者たちが仰山いたようで、今更の如く安堵したのです。
その香港人たちに、中国を永遠に豊かにし、中国人を幸福に導くのは中国共産党だけであると、大上段に構えて、紅い政府は言うのです。
よって、香港人は、中国人として、早くに馴染み、その内部に宿る植民地根性を捨て去らなくてならないとその心に土足で踏み込み、それでも足らなく、さらに、香港の息の根をとめるべく、ちょっと奥まった街深圳に経済拠点を作り出したのです。
香港の命を断つには、経済の本拠と流れを変えるのに如くはないのです。
香港人は自由人であると。
だれからも指図を受けないと、若者たちは、声をあげ、世界の主要な国の新聞に、香港に味方をしてくれと広告を打ったのは最近のことです。
中国の土地でありながら、あのデモ隊の周りで揺らぐ旗は、五星紅旗ではなく、ユニオンジャックであり、星条旗なのです。
サッカーアジア予選では、観客が、中国国歌に背を向け、そして、ただならぬブーイングを放ったのですから、香港人の心意気がよくわかります。
香港の先生たちだって、だから、命をかけた戦いに打って出てきているのです。
その命がけの教師たちの戦いの場に、掲げられたあのプラカードの「良知」とは、共産思想に対する、その押し付けられた愛国教育ではなく、彼ら香港人がそのアイディンティとしてもつ思想であると、私は感じたのです。
物事を批判的に見ること、それが香港でのこれまでのあり方だった。
そして、その中で、すばらしいものが残り、多くの者たちの称賛を得る。
しかし、共産主義はそうではない、付き従えというのだ、何も見るなと、何も言うなと、なにもするなと、すべては党がうまくやるからと。
そんなことは嫌だ、自分たちで何事も判断する。意見を異にするものたちがいても、それはそれでいい、議論をしながら、より良い方へと進めばそれに越したことはないと。
あの「良知」とは、そうした立場を鮮明にすることばであるのだと。
香港良知と同じ考えを持ち、生きている日本人は、その彼らに同調せざるを得ないのだと、同じ教師仲間の命をはった行動に感動をするのです。
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