(21) さようなら勇者たち
高い城壁を越えて、夜空に衛星ハシビロが見える。集合時刻はとっくに過ぎていた。宿屋に帰ったら、ウェルウェラに大目玉を喰らうだろう。今日ぐらいは許してもらいたいものだ。ゆっくりと歩きながら、二人は宿屋を目指す。
「ラカンはさ、今どれぐらい強いの?」
お互いの本名を教えあっても、自然とこの世界の名前でお互いを呼んでいた。前の世界の関係よりも、呼び慣れたヒロシィとラカンという間柄がしっくりきた。
「俺にも分からん。一年で魔王を倒せるところ、三年みっちり鍛えたのだからな。基本的な職業は全て習得したし、魔法やスキルも大抵使える」
「魔王を単体で、変身する隙さえ与えず倒してるもんね」
「それでも、お前たちがギリギリ倒されない程度の戦闘を演出したり、死体の氷結魔法が溶けきるように最後の間に辿り着く時間調整をするのは、骨が折れたがな」
「ああ、そうか。その辺りも加減されてたんだ」
「そうだぞ。覚えているか、十傑の三の時なんて――」
とりとめもない旅の思い出話は、いつまでも続けられそうな気がした。しかし、今度はヒロシィが言う番だった。一度間を開けてしまったのは失敗だったな、と反省しながら、言い出すタイミングを待っていた。
「あのさ」
「どうした」
「実は、さっき皆と別れた時に、宿屋まで一緒にウェルウェラと歩いたんだ。魔導書館が途中まで同じ道だから」
「ほう」
「それで、その、この旅が終わったらどうするのか聞いて、やっぱり魔導都市で仕事を探すんだって」
「お前は元の村で宿屋をやるんだったか」
「そのつもり」
「離れ離れになるな」
「そうなるね」
「それで」
「うん。まぁ、だから宿屋で一緒に暮らすのは無理だって言われたよ」
しばらくの沈黙の後、ラカンは短い相槌を重ねた。
「そうか」
「でも、会いたいなら会いに来ればいいし、自分も会いたくなったら会いに行くって言われて、何というか、うん、良い感じになったよ」
「そうか」同じ相槌。しかし、今度のそれは心なしか優しかった。「それは良い感じだな」
「ラカンのおかげで、勇気が出たから。お礼を言っておこうと思って」
「俺は何もしていない」
「いや、今回の事件がなかったら、多分言えないままだったよ」
ヒロシィはウェルウェラの表情を思い出し、頬が熱くなるのを感じた。人生であれほど心臓が高鳴った時はない。次に何を言われるか、ウェルウェラの言葉を待つ時間は永遠にすら思えた。
「だから何ていうか、やっぱりこの世界に残ろうと思ってて、俺は俺なりに楽しくやっていくつもりだから、気にしないでくれって、言いたかったんだ」
「なんと言うべきか、喧嘩しないように気を付けろよ」
「それはウェルウェラに言ってくれよ」
「怖くてとても言えん」
「世界最強のくせに」
「魔法が当たれば痛いのは変わらん」
「ラカンは、どうするの?」
「俺か。昨日答えた通り、しばらくは各地を巡って魔物の残党を始末する旅だな。何しろ、俺が魔王にトドメを刺さなかったせいで、二年弱もの間、魔物が蔓延る期間が延びたのだから。その罪滅ぼしも兼ねて、放浪しようと思う」
「その理屈で行くと、俺も半分責任がある気がするな」
「お前の分も、俺がやる。そうさせてくれ」
「分かった。また村に来たら、宿屋に寄ってよ」
「約束しよう」
「あ……マガリナ像」
閉め切った商店に挟まれるような形で、マガリナ像が置かれていた。魔王城の庭園にあったものより小さく、半分ほどしかない。ヒロシィは何度かこの路地を通ったが、他のことに夢中で全く気付かなかった。街中だと、こういうタイプもあるようだ。扱いが狸の置物に近い。
「報告、しておくか」
「そうだね。今思えば、女神マガリナは最初から勇者が二人いたのを知っていたんだから、そりゃすぐに気付くよ。流石女神とか感心していた自分がバカらしくなってきた」
「そう言ってやるな。女神は俺の意図を汲んでくださったのだ。もしあの場で、勇者は二人いて、そこで兜を被って顔を隠している男が犯人ですよ、と明かされたら全てが台無しだった。俺たちも、今こうして並んではいなかったはずだ」
「納得いくような、いかないような」
「ところでヒロシィ、女神を呼ぶ作法だが、かしこみかしこみはないだろう。二拍手一礼も神社だし、あれで笑いそうになったのが、一番ピンチだったぞ」
「えー、じゃあどうやるのさ。祈るだけでいけるの?」
「いけるはずだ。俺が前の仲間と冒険していた頃は、それで通じた」
祈るだけで良かったのか。ヒロシィは意外に思った。内心の自由が侵されている気もしたが、神様は法律よりも上にあるようだ。
ヒロシィとラカンは両手を合わせて祈った。小振りな女神像が輝き、ハシビロ光とはまた別の光が天から降り注ぐ。
――そこに貴方たちがいるということは、事件は解決したのですね。
女神マガリナの言葉に、ヒロシィとラカンは顔を見合わせ、無言で頷き合った。
「はい、女神マガリナよ。密室で殺された魔王の謎は、全て明らかになりました。女神のお導きにより、真実に辿り着けたこと、深く感謝いたします」
「女神マガリナよ。貴方の依頼通り、魔王を討つことができました。時間がかかってしまったこと、申し訳なく思います」
――勇者ヒロシィ、そして勇者ラカンよ。ありがとう。貴方たちの活躍により、この世界に安寧が取り戻されることでしょう。約束通り、このままこの世界で生涯を全うしても、転生して元の世界に戻っても構いません。
「俺は、この世界に残りたいと思います」
「同じく、魔物の残党を狩らねばと考えております」
――よろしいでしょう。貴方たちの生に幸多きことを願っております。
女神マガリナは誰に願うのだろう。ヒロシィは不思議に思った。女神ジョークなのかもしれない。指摘する雰囲気ではなかった。
――それでは、さようなら勇者たち。私はいつでも貴方たちと共に、この世界を見守っています。
光が消えて、再び女神像の顔に薄い夜の暗さがかかる。
使命は、果たされた。無意識のうちに背負っていた重圧から解放されたような気がして、ヒロシィは身体が軽くなったような気がした。ラカンも同じように感じたのか、肩を回していた。
「さて、そろそろ宿屋に行かんとな。店が閉まってしまう」
「憂鬱だなぁ。二人とも待ちくたびれてるよ」
「俺が説明するから安心しろ。事情が事情だ、仕方あるまい」
宿屋に着くまでの間、ヒロシィは開口一番の文句と同時に飛んでくる火球をどう避けようか思案していた。ラカンも言っていたが、ダメージがなくとも痛いことは痛いのである。
しかし、宿屋のロビーに着いてみると、待ちぼうけているはずのウェルウェラとテルモアの姿がなかった。部屋だろうか。受付に尋ねてみたが、二人とも戻ってはいないという。何かあったのか。いや、あの二人をどうにかできる存在など、そうそうない。世界を救った偉大な魔法使いと、偉大な僧侶には違いないのだ。
しばらく待っていると、宿屋の扉がゆっくりと開き、ウェルウェラとテルモアが気まずそうに顔を出した。
「遅かったね、二人してどこ行ってたの?」
「あ、いいえ、違うの。テルモアとは、ちょうど今、宿屋の前でばったり会って」
「あうう、ごめんなさいなのです。あまりのことに時間を忘れてしまって」
しおらしい態度の二人は珍しい。魔女の帽子を両手でぎゅっと掴むウェルウェラの後ろで、テルモアがもじもじと指をこねている。
「一体、何があったんだ」
「そう! 聞いてよ、あのね!」
「驚きの噂を耳にしたのです!」
ラカンが聞くやいなや、堰を切ったかのように二人同時に喋り始めた。その勢いの強さに、世界最強の男がたじろいでいる。
話を簡潔にまとめると、ウェルウェラの生き別れの姉・チャルメラが、どうやらこの城塞都市で目撃されたのだという。テルモアの方も、失踪していた大司祭が教会にひょっこりと顔を出し、挨拶してまたどこかへ消えたらしい。
二人とも、それぞれ噂の真相を突き止めるべく奔走していたようだ。ラカンの仲間である彼らは、魔王の討伐をもって、隠れる必要はなくなったと判断したのかもしれない。
「多分だけど、南の宿屋にいると思うよ。ほら、あの高そうなところ」
「どうしてヒロシィにそんなことが分かるのよ」
「そうなのですよ。推理できるわけないのです」
「勇者を廃業したから、次は探偵になろうかと思ってるんだ」
ウェルウェラとテルモアは不思議そうにヒロシィの顔を見て「向いてないわよ」「向いてないのですよ」と同時に言った。そこまで言われると、本当に目指してみようかな、という気持ちがヒロシィの中で湧きあがってくる。
「では、確かめてみるか。これから皆で、南の宿屋に出かければいい。探し人が見つかったら捕まえて食事に参加させよう」
「どうしたのよラカンまで。いるわけないでしょ」
「なぜ笑っているのですかラカン。変なのですよ」
「さっき少し飲んでいたから、まだ酔っているんじゃないかな」
じゃあ行こうか、と返事も待たずにヒロシィは路地に出た。続いてラカン、少し遅れてウェルウェラとテルモアが何か言いながら追いかけてくる。
衛星ハシビロは先程よりも更に高く昇っていた。いつか見た夜と同じ眩しさに、ヒロシィは目を細めた。
〈密室殺魔王事件・了〉
――――――――――――――――――
表題作はここで終わりです。読んでいただきありがとうございました。良かったら感想や星などいただけると嬉しいです。
続きが浮かんだら、同シリーズで短編や長編を追加していきたいと思います。『エルフの里の殺エルフ』なんて、どうでしょう。
密室殺魔王事件 杞戸 憂器 @gorgon_yamamoto
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