(20) 泣き上戸の酔っ払い

 警備兵らしき団体客が入ってきて、にわかに酒場の密集率が上がった。夕飯時から酒を飲む豪放さは兵士のさがか、あるいは魔物の襲撃がなくて暇なのか。


「場所を変えよう」


 ラカンが火焔酒の残りを一気に飲み、勘定をまとめて支払い酒場を出ていく。ヒロシィも真似して薬草酒を飲もうとしたが、強すぎてむせた。咽ている場合ではない、と思いながら、何とか飲み干して後を追う。店を出ると少し遠くで待っていたラカンが歩き始めて、ヒロシィは黙って隣に並んだ。どこを目指すでもなく、夕闇に長い影を伸ばす城塞都市の舗道を二人で歩く。


「出会った時に、おかしいと思ったんだ。魔王を倒すために旅をして、王都にいたこともある経験豊富な戦士が、どうして魔王城から遠く離れた田舎村に立ち寄ったのか。反対方向なのに」

「旅の始め辺りで訊かれたな。なんと答えたかは忘れたが」

「俺も忘れたよ」ヒロシィはすぐに返した。「何となく納得して、他のことに夢中になっているうちに記憶の隅に追いやってしまった」


 今にして思えば、ヒロシィを探していたのだろう。女神マガリナから同じように説明を聞かされた時、尋ねたのかもしれない。心臓を激痛が襲い、ハンドルを握る力が入らず、意識の最後に視界に映っていた青年のことを。


 彼はどうなったのか。そして自身が倒れた後、コントロールを失って暴走したトラックが引き起こした悲劇を知る。当然、次に、彼は自分と同じように異世界へ転移されるのかを問うだろう。女神は正直に答えたはずだ。隠す理由がない。


「他の二人を容疑から外したのはどうしてだ。トラックの運転手とやらは、中年の男にしかできないのか?」

「ウェルウェラはハーフエルフで、耳も尖ってるじゃないか。テルモアだって金髪だし」

「外見ぐらい、どうとでもなる。女神に頼めばいい」


 ラカンが口元を緩めた。可能性としては排除しきれないが、本気ではないだろう。少し考えると、反論はすぐに浮かんだ。


「ウェルウェラはこの世界に生みの親がいた。あれも含めて壮大なお芝居という線もあるけど、それなら最初からいないことにした方が簡単だ」

「なるほど。理に適っている。テルモアは?」

「ペダルに足が届かない」

「違いない」


 二十年以上マガリナ聖教会で生きてきたテルモアが、異世界から来た新参者であるはずがない。けれど、そんな真っ当な反証はもう必要なかった。軽いジョークで十分だ。


「俺は予備というか、保険だったんだね」

「それは違う。女神からすれば、どちらが倒しても良かった。使える魂が二つ得られたから、二つとも使ったのだ。結果、勇者が二人、この世界に降り立った」


 ラカンが夕焼けを見上げて、目を細める。その視線は遠く、過ぎ去った記憶を見ているようにヒロシィには思えた。ヒロシィの目には紫とオレンジ色のグラデーションしか見えない。この世界でも、星が恒星の周りを公転しているようだ。それとも、逆なのだろうか。


「俺は西の田舎村からスタートした。ゲームなど大してやってこなかったし、漫画や小説も読まなかったから最初の頃は世界観に慣れなくてな、苦労したぞ」

「自宅に籠ったりはしなかったの?」

「それ以前に、自宅が無かった。金と装備だけ持って、いきなり出発だ。こうしてみると、待遇に随分違いがあるな」

「こっちは交渉して勝ち取ったからね」


 女神は最初、簡素な旅支度のみで出発させようとしていた。ヒロシィが駄々をこねなければ、強制的に旅費や食費を稼がねばならなくなったはず。女神の加護の存在を考えれば、魔王城から遠く離れた魔物などすぐに倒せるようになるから、あとは転がるように強くなる。今になって思えば、そういう流れだったのだろう。


 しかし、ヒロシィは屋敷を得たことで2年も引き籠った。あまつさえ村の宿屋として商売まで始めて溶け込んでしまったのである。その間、ラカンは真面目に冒険をしていた。社会人とニートの意識の差といえば、それまでである。


「丸一年、俺は女神に言われた通り各地を回りながら、徐々に魔王城へと近付いていった。マガリナ教の大司祭と、エルフの魔法使いを仲間にして、三人の少数精鋭ながら俺たちは勝ち進んだ。それこそ魔王城まで、一度も止まらなかった」

「そっか。仲間もいるんだね」

「一人では厳しいのは事実だからな。仲間を作れという女神の話を忠実になぞっただけで良かった」

「三人で魔王城に?」

「ああ、一年と数カ月経った頃だ。俺は程度がよく分からなくてな、少し警戒して、女神の設定した期間よりも余分に鍛えた。そうしたら、あっさり魔王を追い詰めることができた」

「追いつめたってことは、倒せなかったの? 変身を残していたとか?」

「おお、よく知っているな。途中で大型の竜に似た異形の怪物になったぞ。それが最終形態だそうだ。中々強かったな。仲間の二人は攻撃に耐え切れず気絶させられた」


 流石は魔王、期待を裏切らない。しかし、ラカンの口ぶりからすると、それでも余裕を感じられる差があったようだ。


「あと一押し、最期の一振りという瞬間に、俺の頭にこれまでの冒険の記憶が走馬灯のように駆け巡った。そして、その時になって、俺は気付いてしまったんだ。ヒロシィ、いや、その時はまだ名も知らぬ、俺が運転していたトラックが轢き殺してしまった青年が、この世界に存在することを」


 いつの間にか噴水広場に来ていた。日が落ち、遊んでいた子供の姿はどこにもない。露天商は撤収のために広げた荷物を片付けていて、待ち合わせらしき大人の男と女がチラホラまばらに立っている。


 ラカンが噴水の縁に腰掛け、ヒロシィも同じように座った。


「俺が魔王を倒してしまったら、今もまだ勇者として旅をしているかもしれない青年はどうなる。俺が本当にやるべき事は、魔王討伐で良いのか。そう思ったら、剣を振れなかった。気付いた時には仲間二人を回収して、魔王城から逃げ出していた」

「魔王はギリギリで勇者が撤退したと思っただろうね」

「だろうな。実際、あの時は実力もまだ肉薄していたと言えなくもない」

「仲間二人には、何て言ったの?」

「正直に全てを話した」ラカンは頭を掻く。「だいぶ怒られたがな、まぁ最終的には協力してくれたよ。何といっても、一年間苦楽を共にしてきた間柄だ」

「協力って」

「ヒロシィ。お前を探して、お前が魔王を倒すのを見届ける協力だ。ところが待てど暮らせど、お前が現れない。同時にスタートしたはずなのに、女神の加護を持った勇者らしき人物が他にいる噂も一向に聞かない。方々手を尽くしたが、やはり見つからなかった。俺は仲間と手分けして、行ったことのない街や村をしらみつぶしに探したんだ。そしてようやく、あの村でお前に出会った」


 そして、ヒロシィは旅の戦士ラカンに触発されて、旅立ちを決意した。自発的に村を出たと思っていたが、あれは促されていたのか。ヒロシィは驚きながら過去を思い返す。確かに、ヒロシィを奮起させたのはラカンの言葉だった。ラカンはベテランの戦士だから、強くて頼りになると素直に思っていた。


「仲間二人も他の街に聞き込みに出ていたのでな、当初は自然な形で合流する予定だったのだが、ウェルウェラが現れたことで事情が変わった」

「ウェルウェラが? どうして」

「仲間のエルフの魔法使いというのが、ウェルウェラの腹違いの姉、チャルメラだったのだ。妹と顔を合わせて仲良くなんて今更できないと泣きつかれて、気付かれないよう後方から援護する役回りになった」

「もしかして、仲間の大司祭っていう人も」

「そうだ。テルモアが親同然に慕う、失踪したマガリナ聖教会の大司祭だ。こちらもモイズ神殿で仲間になる予定が、テルモアの登場で予定が狂った。孫娘同然のあの娘が旅立とうと言うのに、邪魔をするわけにはいかないと言われて、大司祭も後方支援になったのだ。ま、これは裏話だ。もしウェルウェラとテルモアに出会わなくとも、十分強い仲間に出会う予定があった、ということだな」


 かつてのラカンの仲間が、後ろからついてきていたという事実は衝撃だった。そんな授業参観みたいな旅だったのか。気付きもしなかったし、怪しいと思ったことすらない。しかし、言われてみると、いつもギリギリの戦いだったのに、丁度良くギリギリで何とかなってきた。見えざる調整によって、難易度が維持されていたのか。


「仲間の話はどうあれ、俺は、ヒロシィ、お前に魔王を倒してもらえればそれで良かった。だが、旅が終わりに近付くにつれて、考えが変わってきた。というより、本当にこれで良いのか、自分でも迷い始めた」

「魔王を倒したら、旅が終わってしまう。旅が終わって、俺が転生を選択するか、この世界に残るか。その時になってみないと分からないってことだね」

「そうだ。俺自身が、魔王を倒す直前で心変わりしている。ヒロシィ、お前がどうしたいのか。どうありたいのか。どうしても、それを確認しなくてはならないと思ったのだ」


 ラカンが立ちあがり、噴水の縁に座ったままのヒロシィに向き直る。そして膝をつき、両手を地に付けた。ヒロシィは驚いて腰を浮かせたが、ラカンは構わず頭を地にこすりつける。


「私の本名は寺地正蔵しょうぞう。長谷川君、すまない。私の運転するトラックによって、君は死んだ。私が殺したも同然だ」

「ちょ、止めてよ、目立つから。いいよ、そんな事しなくても」

「いや、させてくれ。私は地球で君の人生を奪った。それは取り返しがつかない。だからせめて、今の生が幸福であるように、充実した勇者としての旅をしてもらいたかった。だが、それも結局、言い訳に過ぎなかった。君の幸福は、私が決めるものではないのだから。本当は君があの青年だと分かった時点で、私は正体を明かし、君に謝るべきだったのだ。それが言えず、君と旅を続けるうちに、正体を明かせなくなってしまった。いざ魔王城に突入する段になって、このまま己の罪を伝えずにいることが卑怯に思えて、自分を赦せなかった。私は、君に糾弾してほしかったのだ。俺が君を

殺した運転手だと言えないがために、君に気付かせるように仕向けた。罰を受けて解放されたいがために、あんなことを……」


 この世界に土下座の文化はない。しかし、広場の噴水前で中年男性が若者に頭を地に着けて謝罪する様子は、明らかに周囲の人目を引いた。


「いいってば。別にもう気にしてないし、最初から怒ってもいないよ。そりゃあ、運が悪かったなぁ、ぐらいには思ったけど、あれは事故だ。ラカンが、いや、寺地さんが悪いわけじゃない。心臓麻痺になったのは、寺地さんのせいじゃないだろ。女神マガリナも言ってたじゃないか。形あるものは、いつか壊れるんだ」


 女神像の右腕が壊れた時、女神マガリナは事故の結果については怒らなかった。あれは、この結末を見越して、ヒロシィに赦しを促したのではないか。今のヒロシィにはそう思えてならない。


「単独行動の話をして、氷結魔法で死体の浄化を防ぐヒントを出したのは、俺に気付かせるためだろう? 本当は、糾弾されたかったんじゃなくて、赦されたかったはずだよ。俺の今後を願ってくれるなら、とりあえず立ち上がってくれ。白い目で見られてるから、本当に」

「すまない……謝りたくて、それでも、言えなかった」


 ヒロシィに引っ張られ、顔を押さえながら立ち上ろうとするラカンは、周囲から泣き上戸の酔っ払いに見えただろう。まだ二人で旅をしていた頃、新しい街に行く度、酒場で酔い潰れたラカンを、こんな風に介抱しながら宿屋に連れて帰った。懐かしい思い出だ。


 けれど、今のラカンなら多少酒が入っていようと、自分の足で歩けるだろう。

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