2号室「感謝」
ある春の日、窓の外で遊ぶ子を微笑んで眺めながら、彼は小説を書いていた。
何度も打ち直し、何度も悩んで。
でも、彼は本当は小説を書いてはいけない。
だって、彼は。
彼は───小説を書くと死んでしまうから。
彼の白い左手には6桁の数字。
あれは彼が生まれた時からある模様で、人生で書いた文字数だけ減っていく。
今でこそ6桁だけれど最初は8桁の数字があったのだそうだ。
そして数字が無くなると彼は死んでしまう。
そういう、特殊な体質なのだ。
数字が彼に影響を与えたのは高校生のとき。
ネット小説を書いていた彼は、数字が1桁減ったことに気づいた。
最初はそれだけだったけれど、数字が減るにつれ様々な症状が彼を襲った。
7桁目の数字が少し減った時。
彼は、風邪をひいた。
あまり風邪を引かない体質だったので、珍しいな、と思った。
7桁目の数字がまた少し減った時。
彼の聴力が少し下がった。
医者は、音楽の聞きすぎだからと小説をすすめた。
7桁目の数字がなくなった時。
彼は、気胸を患った。
彼は激しい運動を避け、小説に没頭した。
6桁目の数字がいくつか減った時。
骨が弱くなって足を痛めた。
彼は、歩けなくなった。
そして、今。
彼の左手の数字は12786。
次に何が起こるか分からないから、彼は入院した。
最後に小説くらいは書き上げたいから、と彼は小説を熱心に書いた。
小説を書くことで死に近づくとは知らず。
長い時間をかけて、彼は小説を書き上げた。
左手の数字は、残り5文字になっていた。
身体もぼろぼろで死にかけの彼は、最後に一言だけ、この世に残していった。
ありがとう
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