第19話 悪徳に染まる



 魔法や御法といったものは、魔力を糧に神々の法則、力を借りるというものだ。

 そして起こされる結果は、現象。

 放ち終われば、雷ならば自然の法則に沿って散り、炎ならば水をかければ消える。

 故に平九郎の取った行動は単純明快、縮地にて泉まで移動し躊躇い無くその身を沈める事だった。


(糞っ、炎が止まらねぇじゃねぇか! こりゃあ根比べだな)


 水の中だから火傷は最低限で済むだろう、だが炎の御法は放ち終わっていないのか燃焼が続いたままだ。

 だがこの状態が何時までも続く筈が無い、ヨハンが完全に事切れるか、それとも復活を果たすか。

 どちらに決まるにしろ、平九郎の肺活量が鍵だ。


(七番を起こすか、奴を斬るぐらいは保つだろうぜ)


 本来ならば、彼の死を願う事が正常というものだろう。

 しかし人斬りは、聖騎士の復活を望んでいた。

 久々に血が滾っていた、何せ一撃で死なない存在である。


(堅かったな、あの鎧。となれば剣だって堅いに違いないぜぇ――、カカカッ、がっかりさせてくれるなよぉ)


 超人剣術の使い手である平九郎は、当然の如く鉄を切断する事が出来る。

 通常ならば必殺の一撃、門を守っていた探索者達の様に体が二つに分かれていた筈だ。

 だが、そうならなかった。

 鎧は凹むに止まり、次善として狙った鎧の継ぎ目を狙い、ようやく手足を斬り飛ばせた始末。


(クク、これだから人斬りは止められねぇのよ。俺もまだまだ未熟、次は諸共に……斬る)


 鎧の硬度は体感した、次で斬れるだろう。

 だが問題は、鎧に掛かっている守護の魔法。今のヨハンは並の存在ではない、今度は生身の部分すら同じ強度で来る筈だ、――否、そうでなければ面白くない。


 平九郎が戦意をギラつかせている間、彼の予想通りにヨハンにもまた変化があった。

 人は血を多量に流せば死ぬ、それも四肢を失えば一度にどれだけ流れるか。

 人は脳天を割られれば死ぬ、最強の種と名高いドラゴンですら同じだ。

 だというのに。


「――――…………ぁ」


 時を遡る様に、まず割られた頭が復活した。

 切り落とされた四肢が淡く光りを放ち胴体へと浮遊。

 そのまま、傷ひとつない状態で見事にくっつく。

 そうだ、ヨハンは死んでいなかったのだ。

 四柱の祝福が、フレイディアへの愛が、平九郎への憎悪が脳を斬られてなお魂を繋ぎ止めて。

 だが死の痛みを覚えてしまった、その心までは直らない。


(僕は、僕が、負け、ま、負け、あああああああああああああああああああああああああああああっ!!)


 四柱もの祝福を得てなお、愛する物が残した世界で唯一の秘薬で体を癒してなお。

 負けた。

 自慢の魔法をいとも簡単にいなされ、四肢を斬り落とされて、完膚無きまでに負けた。


(うぁ、あ、ああ、ああ――――)


 突き立てられた刀の切っ先が脳裏から離れない。

 頭蓋骨を砕かれ、脳に刃が刺さる感触が今でも残る。


「『か、神々よ。も、もたらされたるききき奇跡にっ、かっ、感謝します――』」


 幸か不幸か、命を繋いでいる事に感謝を。

 祝福がなければ確実に死んでいた。

 しかし。愛と理想に、復讐に燃えさかっていた聖なる騎士は立ち上がれなかった。


(怖い)


 強く目を瞑っても、死の痛みが、死に行く光景が強く強くこびりついて離れない。

 上手く呼吸が出来ない、手が震え、肩が震え、首筋は強ばり歯が噛み合わずカチカチと鳴る。


(勝てない、今の僕では絶対に、次は死ぬ、死んでしまうっ!!)


 直接的な死への恐怖、同じくらいに大きい、仇を取れない恐怖。


(このまま、何も為せずに死ぬのか? フレイディアの仇も討てずに? 王子だって! 父上にだって言いたい事があるっ! あの肥溜めの様な街にもっ、ゴルデス商会の時期頭領とやらにもっ)


 このまま死ぬ訳にはいかない、何としても、何としてでも。


(このまま死んでしまえば、――フレイディアは何の為に死んだんだ)


 ヨハンは渾身の力を振り絞り立ち上がる。

 直後、平九郎に首を落とされる幻影を見た、ガクリと力が抜けて膝を着く。

 今なら理解出来る、かの極東出身の男は全力では無い。

 隠していると確信した、一度放てば必殺の秘めたる剣を。次に戦いが始まればそれが彼の最後だ。

 青ざめた顔で、濁り始めた瞳で、歯を食いしばりながら剣を支えに立ち上がる。


「立た、ないと……、何を、何をしても、ぼ、僕は生き残るんだ――――」


 生き延びて、生き延びて、力を付けて。 

 そしていつか、ヒトデナシの人斬りを殺す為に。


 同じ頃、平九郎も状況の変化に気づいていた。

 何故ならば、少し前から炎の燃焼の勢いが弱まってきたからだ。


(あ゛あ゛? ったくド素人が。このまま燃やせばお前の勝ちが見えたかもしれねぇのに、騎士道に乗っ取り正々堂々と、神々よ我の勝利をご覧あれ。――なんて言いだすつもりかい? なら、……起きろ“七番”)


 次の瞬間、七番は那凪は目を覚ました。

 愛する夫の呼びかけに気づかぬ妻はない、それに加え人の姿に戻るには十分な生命は蓄積されて。

 夫との見えない繋がりで得ていた情報が、彼女に流れ込む。


(――旦那、様?)

(おうよ、まだ完全には起きれないだろう? だからアレをやる、魔力を回せ)

(…………後の事はお任せくださいませ)


 頼んだ、と短く言い平九郎は水中を踏み出した。

 彼女が起きたのなら、彼に負けはない。

 その手始めに、水中だというのに彼の足下には足場が出来ている。

 七番が魔法で凍らせたのだ。


(手前は良い女だ)

(あら、貴男だって良い男よ)


 人斬りは勢いよく泉から飛び出すと、ヨハンに獰猛な笑みを向けて。

 次に魔法を使った瞬間が勝負だ、滅多に見せない曲芸をお見舞いする心算だ。


「よぉ、生き返った気持ちはどうだい? 残念だなぁフレイディアが生き返らなくてよ」

「……その手には乗りませんよ。貴方相手では怒りに身を任せては犬死にだ」

「こりゃまたエラく物分かりが良くなったじゃねぇか。――なら話が早い、死んで俺の金になってくれよ」


 油断無く正眼に構える平九郎を前に、聖騎士は剣を大地に突き刺したままだ。

 だがそれは戦意を失った訳ではない、先程の憤怒が何処に行ったかと思う程に青ざめてはいるが、瞳はしっかりと生きている。


(しかし、妙だなァ。何か気にくわん、剣の錆にするに相応しい青臭さだった筈だが。――奴さんに何があった?)

(…………旦那様? 単に遣りすぎたのでは?)


 故郷での暮らしも似たようなものだったとはいえ、生活の為の人斬り家業。

 だがそれを好んで選んでいるのは、命の遣り取りがこの上無く趣味であるからだ。

 人斬りの“けらく”に身を震わせる平九郎としては、死への恐怖も同様に“けらく”

 ヨハンの反応が余程真っ当というモノだ。


「――そう、金だ。金ですよ平九郎さん」

「何が言いたい?」

「貴方は金で僕達を殺す事を依頼された、しかし、見立てでは見逃す算段もしていた筈だ。これでも見る目だけはあると思っているんですよ」

「…………続けろ」

「今、この場だけは見逃してくれませんか? 勿論、貴方が僕達を殺して受け取る筈だった金額は用意します」


 この後に及んで哀れに命乞いだろうか、しかし殺意は感じる。

 平九郎は居合いで殺す事も視野に入れて、ひと先ず納刀した。


「はっ、出来ねぇ事を言うんじゃないぜ。仮にお前さんの実家に頼ったとして、逆さに降っても金は出てこないじゃねぇか」

「ご存じでしたか、ですが宛は二つあるのです。一つは王子の財。この僕ならば容易に持ち出す事が出来ます。そしてもう一つは平九郎さんもご存じ、ゴルデス商会から頂きます。――これでどうです?」

「ふぅむ、非常に興味深い提案だが。前者はお前さんが戻ってくる保証ねぇだろうが馬鹿たれが。後者は意味不明に近いぞ阿呆。そのゴルデス商会は俺の雇い主で親父さんの飼い主だろうが、どうやって金を引き出すんだ?」


 頭をかち割った所為で気狂いにでもなったか、と平九郎は本気で心配したが。

 ヨハンの出した答えに、呆然と口を開く事となった。



「――僕を、奴隷としてゴルデス商会に引き渡してください。そこで成り上がってみせます」



 何をどう言えば分からなかった。

 先程まであんなに憎しみを募らせていた戦士が、事もあろうに元凶である組織に下るという。


「おい、おいおいおいおい? 手前ぇ、正気か? 気でも狂ったか? どうしてくれるんだよっ! 俺は全力で殺しに来るお前とっ! 命の削り合いをしてぇんだぞっ!? ――カァッ、何を言い出すんだ! フレイディアを殺したのは俺じゃねぇかっ! ほら、とっとと能書き垂れてないでかかってこいよっ! さあ続きを殺ろうぜぇっ!!」


 地団駄を踏み怒鳴り散らす人斬りに、常人ならば気絶しても不思議じゃない殺気に怯えながら聖騎士は頭を下げた。


「申し訳ありません平九郎さん、今の僕は貴方に逆立ちしても勝てないでしょう。ですので、確実に殺せる力が付くまで時間が欲しいのです」

「はぁっ!? 俺は今! お前を殺したいって言ってるんだよっ! ぼやぼやしてねぇで剣を抜けってんだっ!」


 苛立って一歩踏み出した人斬りを見て、ヨハンは剣から手を放した。

 続いて、片膝をついて首を垂れる。


「お願いします、何時の日か必ず貴方を殺しに行きますからっ! ゴルデス商会で成り上がり、我が父を殺し、商会も、この街も全てを灰燼にする時間を僕にくださいっ!!」


 悔しそうに絞り出された叫びは、確かに平九郎の耳に届いて。

 彼は天を仰ぎ目を手で覆う、草木の焼け焦げた臭いが妙に勘に障る。

 何故、どうしてこうなったのだ。

 人斬りはまだ目指す剣の道の半ば、四柱に祝福された前代未聞の魔法騎士ならば、仮に高みに至れずとも新たなる一歩が見えたかもしれないのだ。


(何か、何か理由は無いのかっ!?)

(…………諦めましたら? 旦那様)


 七番の呆れた声も、今の平九郎には届かない。

 目の前に最高のご馳走があるのだ、しかも食べきれば金まで手に入るオマケ付き。

 それをみすみす逃すというのか。


「――っ! そうだ、俺はお前を殺す依頼を受けたんだった! こっちも金が必要だからなっ! なっ! だから剣を取れ、そして全力で戦って俺に殺されろって、な、な?」

「…………いいえ、今の僕は戦いません。もし平九郎さんがどうしても僕を殺したいと言うなら、どうぞこの首を落としてください。そして出来るなら、フレイディアと同じ墓に。地獄で彼女と共に先に待っています」


 こうなった戦士を、どうして斬れようか。

 平九郎は殺す“けらく”に魅入られた男だ、しかし、剣を持つ者として今のヨハンを殺す事はサラに、ゴルデス商会に睨まれても絶対に出来ない。

 わなわな震え、指をわきわきさせて刀の柄を握ろうとした彼だったが、空振ると共に腰が軽くなる感覚。

 次の瞬間、音もなく現れた誰かが彼の手を静かに握る。


「そこまでですわ、旦那様」


 その低い体温、涼やかな声、ともすれば咽せかえりうそうな濃密な花の匂い。

 わざわざ確かめるまでもない、平九郎の最愛の妻、那凪である。

 一方ヨハンは、突如現れた傾国の美女に思わず顔を上げ、疑問が思わず口から出ようとしたがその美貌に驚き出てこない。


「あの小娘には私が直接交渉して言いくるめておきましょう、旦那様の高ぶりが収まらないのであればこの身で癒しますわ。――それに、この坊やの提案通りにするのが、きっと一番愉しい事になります」

「………………他ならぬお前がそう言うならよぉ。けっ、お前を商会に奴隷として引き渡してやるよっ! 宣言通りに強くならねぇと殺しに行くし、今度依頼があれば問答無用で殺すからなっ! 精々、あの小娘に尻尾でも振っておけっ! ――――帰るっ!!」


 ぺっ、と唾を吐き捨てて、ドスドスと歩き始める平九郎。

 その三歩後ろを続く那凪に、ヨハンは慌てて立ち上がり深く頭を下げた。


「奥方とお見受けしますっ! あ、ありがとうございますっ!」

「あら、感謝を言うのは此方よ。この街に着たばかりの貴方なら兎も角、今の貴方は四神からの祝福という計りきれない価値があるの。うふふっ、さぞかし高値が付くでしょうねぇ……。さ、後は黙って着いて来なさいな」


 悪辣に微笑む傾国の美女に、ヨハンは平九郎に感じた物と別種の恐怖を覚えた。

 だがそれも一瞬、直ぐに顔を引き締めてフレイディアの遺体の下へ。


「ごめんよフレイディア。僕が未熟だったばかりに…………君の愛に、僕の愛の全てを捧げるよ。上には帰れないけれど、さぁ、一緒に帰ろう」


 愛に生きる騎士は、大事そうにフレイディアの遺体を横抱きにすると、髪をかき分け額に口づけをし。

 平九郎達の後を追って、悪徳の都へと歩き始めた。


 ――そして街に着いた途端、待ち受けていたのは。当然の事ながら仁王立ちしたサラであったのだ。


「説明、して貰えるわよね? 妾の剣?」

「――チっ、面倒くせぇ」

「ふふっ、お任せくださいな旦那様」


 額に青筋を浮かべる少女と、余裕綽々で悪辣な笑みを浮かべる鋼の女。

 思わずヨハンはフレイディアの遺体を守る様に抱きしめて、しかしそんな彼に構わず物騒な女二人は激突する。

 結論から言うと、那凪の完全勝利であった。




 前日に街の門で、女傑二人が騒いだ事など遠く向かしに思える様な普段通りの夜だった。

 騒がしい街の中でも街の外周部、その西側に人気のない場所がある。

 そこだけは明かりが抑えられ鉄の柵と木々で囲まれており。中には、白い石板がいくつも存在している。

 つまりは、この街唯一の墓地であった。


 記録に残るだけでも百年の歴史があるこのレイドリアであったが。

 悪党ばかり故に死人が出るのは日常茶飯事、遺体処理は貧乏籤を引いた下っ端役人が、城壁の外へ放り投げるだけだ。

 モンスターを飼育するつもりはないが、かの迷宮で生まれた魔物は人を食べる。街には死体は要らない。

 両者が特をする構図である。


 そんな体制が変わったのは、ゴルデスを率いるサラがやって来たからだ。

 死霊を操る魔法と、死神の祝福を受けた彼女はこの街で初めて墓地を作った。

 以降、疎まれていない限り住人はここに死者を眠らせる。


「いやはや、此処も変わったねぇ。ま、定命種は簡単に死ぬ。悪人といえど死せば眠るところも必要だろう。――遺体を持ってくれば金に変えてくれる、くくっ、この悪党の街にはうってつけの商売じゃあないか」


 そんな墓地に一人、黒ずくめの男が忍び笑いを漏らず。暗い事もありその素性は不明だが、もし誰かが居たならその立ち居振る舞いから気品と、長寿種族特有の傲慢さを感じ取ったであろう。

 この男からしてみれば、彼女が作った墓地など悪人に残った一握りの良心を利用した滑稽な商売に他ならなかった。


 はたして、この墓地に眠る者は気づいているのだろうか。

 彼女にとって墓地など死霊兵の保管庫に過ぎず、金で売られた上、死してなお働かされている事を。


「さてはて、興味があるのだよ私には。命ある者に剣は効いた。ならば――物言わぬ魂持たぬ骸ならば?」


 彼はカチカチと歯車の音をさせる奇妙な剣を土の上から刺し、その数秒後、何かを確信をした笑みを浮かべ抜く。

 するとどうだろうか、墓の土が盛り上がり死者が立ち上がったではないか。


「ふぅむ、こうなるとまるであの娘の死霊術の様ではないか。しかし、どういう原理で……興味深い」


 彼はそのご全ての墓を巡り剣を突き立てると、墓地の傍らにある埋葬待ちの遺体安置所に向かう。


「――うむむ、埋葬も死者にやらせているとはいえ、少し手を抜き過ぎではないか? あの小娘。……いや、それともこの臭いさえ香しいと? ありうるな、まったく死霊使いは理解出来ない」


 鼻の曲がりそうな腐臭の中、同じ事を繰り返し。

 そして、この街の死者にしては珍しい花に巡り会う。

 どこぞの高級娼婦でも死んだか、そう彼は考えたが直ぐに改めた。

 その遺体が探索者の格好をしていた事もあったが、何より、見かけた事があったからだ。


「これはこれは……、成る程、三つに一つと踏んでいたが、こうなったか。ならば、より興味深い事態に進行出来ると言えよう」


 彼は躊躇せず剣を突き立て。


「これで可能性が増えた、あの人斬りとお目通り適うかどうか、――その道筋もまた興味深い事だ」


 彼は剣の汚れを丁寧に拭き取ると、その布を燃やして去る。

 その後には動き出した死者が続くが、彼が指を振り何か魔法を唱えると、不思議な事に墓地の外に出ると皆一様に見えなくなって。

 そして、墓地で動く者は何一つ無くなった。

 墓地と遺体安置所の異変がサラに伝わったのは、次の日の夜の事だった。



※この後は物語後半戦の予定でしたが、一身上の理由に付きここで一旦打ち切りです。(気が向けばまた続き書きます、その時まで完結扱いにしときます)


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迷宮街暗黒秘剣帖 和鳳ハジメ @wappo-

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