第18話 達磨さんが転んだ
フレイディアを刺殺した後、ヨハンを気絶させるのは実に容易かった。
妻に愛を誓った直後の惨劇だ、余程鉄火場を潜った持ち主でも無い限り、即座に反撃に移るのは無理難題と言うものだ。
ともあれ、彼を殺さなかったのは他でも無い。
平九郎の愛する妻の糧として、生け贄にする為だ。
一方で気絶されたヨハンであったが、平九郎の見立てとは違い、意識だけが起きている状態だった。
人斬りの峰打ちは確かに肉体を機能不全に陥らせたが、幸か不幸か精神的衝撃が心だけを繋ぎ止めたのだ。
「その前にだ、……はぁん、これが万能の霊薬に匹敵するってなぁ。那凪にでも使うかねぇ?」
(何故! 何故! 何故! あああああああああっ! フレイディア! フレイディア! 何故だぁ! さっき愛を誓ったばかりじゃないかっ!)
倒れ伏した彼女の手から、小瓶を奪いゲートの魔力光に透かして見る。
こんなちっぽけな物の効能がどうあれ、金貨数十枚に変わるなら万々歳だ。
暢気な平九郎と正反対に、ヨハンの心中は憎悪で燃えさかっていた。
「追加報酬に……いや、今使うか、とっておくか……」
(何故だ! 何故殺した平九郎さん! 貴方も僕を裏切ったのか! 父と同じように裏切ったのかっ!! 良い人だって信じたのにっ! 畜生、畜生……フレイディアアアアアアアアア!!)
迷いながら、命の灯火が尽きようとしている彼女の体に刀を刺そうとした瞬間であった。
「依頼達成おめでとうございますアニキ! ささ、その小瓶をどうぞ此方へ。オレ達がサラ様の所にちゃあんと届けときますから」
「やっぱり着けて来てやがったか。――ほらよっ」
「うわぁっ!? ――っとっとっとぉっ!? 貴重なモノなんだからそんな気軽に投げないでくださいよアニキっ! もし落として割ったりしたらサラ様に怒られるのオレなんですからねっ!?」
「――はは、ちゃんと受け取ったじゃねぇか。男が細かい事を気にするんじゃねぇぞ」
少し離れた所の木の後ろから現れたのは、ゴルデス商会率いるサラの丁稚アイクであった。
彼の後ろから、護衛と思しき黒尽くめの男が二人。
サラ操る死霊騎士ではない、生きている人間。
名前は直ぐに出てこなかったが、サラ直属ではなくセバスチャンの麾下だった筈だ。
体は動けなくとも、ヨハンの耳は平九郎達の声をしかと捉えて。
(何故だっ! 何故そんな風にしていられるっ! フレイディアを殺しておいてそんなのうのうと笑っていられるっ! 許さない、絶対に許さない――――)
「アンタ達もこんな所までお役目ご苦労さん、だがな、隠れるならもうちょい上手くやりな。コイツ等は見抜けなかった様だがな、俺からしてみりゃあ裸踊りしてるぐらいに目立ってたぜ」
「ちぇっ、最初からバレてたのかよ。今度こそアンタを出し抜けたと思ったのになぁ」
「ヘヘっ、賭けは俺の勝ちだな。言っただろう平九郎さんが気づかない筈無いって」
二人の内一人はアイクから小瓶を受け取り、小箱にしまって雑嚢へ。
残る一人はフレイディアの首に剣を刺し、死を確かめた後、気絶しているヨハンを縛り上げる。
「あ、何だ? 持って帰るのかそいつ?」
「死んでも生きててもサラ様には使い道があるってね」
(糞っ! 動け、動けよっ! 殺すっ、殺してやるっ! 皆殺しだっ! 平九郎さんもコイツ等も! あの街の住人丸ごと殺してやるっ! だから動けっ、動いてくれ――――)
依頼人がご所望なら、人斬りとしても引き渡すのに異存は無い。
だが折角の生け贄が、と多少の未練を飲み込みながら。抜き身のままだった七番に付いた血を懐紙で拭き取り鞘に納めて。
(神よっ、ミノス神よっ! どうか貴方の力でこの咎人達に裁きを与えたまえっ! 我に御身の力をっ! 悪を討ち滅ぼす力を分け与えたまえっ!)
祈りが届いたのか、それとも精神が肉体を上回ったのかヨハンの小指がピクリと動く。
しかし平九郎達はそれに気づかず会話を続ける。
「俺にも使い道があるんだがなぁ……」
「斬り足りないかい人斬り? なぁに、報酬は上乗せされる筈だから我慢してくれや」
「というかアニキ、必要経費がウチ持ちって言ってもですよ! バッサバッサ殺しすぎですって! 門番の代わりは幾らでも居るって言ってもタダじゃないんですし! 適当な言い訳でっち上げるのオレなんですからねっ!! あ゛あ゛~~、セバスチャン様にまた嫌みを言われるぅ!!」
頭を抱え大げさに嘆くアイク、それを見て笑う平九郎と護衛二人。
どうやらご丁寧にも馬車で迎えが来るらしい、ならば後はそれに乗って悠々と凱旋するまでだ。
彼らが警戒心を最低限に落としたその時だった。
かの聖騎士は“当たり”を引き当てる。
(婚姻の神ヒエロゥよっ! 真実の神ガミーよっ! そなたらに祝福に受けし者が汚されたっ! 僕と愛を誓ったフレイディアが殺されたのだっ! 愛が汚されたのだっ! 薬神ドゥルガーよっ! 貴方の敬虔なる使徒が無惨に殺されたのだっ! 報復をっ! この冒涜者どもに死を以て贖いを!!)
その瞬間、突如としてヨハンに四つの光の柱が降り注ぎ。体から炎が巻き上がったのだった。
「うぎゃああああああああああああっ! ひっ、燃えるっ、燃えてるっ! 誰か消してくれ、熱いっ、熱い――――」
「『屑は塵となって消えろ』」
「ギリーさんっ!?」
「ボサっとしてんなアイク! 水だっ! 水汲んでこいっ! 糞っ!? 何が起きたっ! 人斬りっ! コイツは気絶してたんひゃねぇのかっ!」
「聞きたいのはこっちだっ! この坊ちゃんは魔法が使えないんじゃないのかっ! どう考えても魔法の炎だっ!」
平九郎は再び七番を抜刀すると、ヨハンから距離を取った。
今まさに水を汲んでいるアイクには悪いが、もう助からないだろう。
「小僧っ! 手前ぇは逃げて迎えと合流しろっ! おいアンタもだっ、とっとと逃げ――」
「『お前もだ三下が』」
「ぐぎゃああああああああああああっ!!」
「ガルーダさんっ! 畜生っ! 後は任せましたアニキぃっ!! 遺体が残ってたらサラ様の駒にして貰いますから! また会いましょうお二人ともおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
「――ったく、逞しいガキだ。長生きするぜ」
二人が助からないと見るや、即座に逃走を始めたアイクに苦笑しながら、平九郎は燃えさかる炎を睨みつける。
状況はすこぶる悪い。
「俺も勘が鈍ったかねぇ、確かに気絶させたと思ったんだがな」
火は瞬く間に湖畔の木々に燃え広がり、同時にその中心である人型の炎は、護衛から小瓶を取り戻し飲み干す。
直後、ヨハンの体が黄金色の光ったかと思えば、身に纏う炎が鎧の形に収束し。
現れたるは、四柱に祝福されし恩讐の聖騎士。
嗚呼、嗚呼、嗚呼、全くもって――相手にとって不足無し。
平九郎は己の闘争心が、唸り声を上げ始めたのに気づいた。
眼前の彼は、フレイディアの薬によって最高潮の肉体を得、神から力を授けられた強敵。
もう坊ちゃんと侮ることは出来ない。
「どうしたヨハン、そんな派手な格好こさえてよぅ。舞踏会でも行くつもりかい?」
「『――っ! 黙れ悪党がっ!』」
「まぁまぁ、そう怒りなさんな。憎悪は身を滅ぼすだけだぜ?」
「『貴方がそれを言うのかっ! 他ならぬフレイディアを殺した貴方がっ!!』」
悪びれもせず嘯く人でなしの人斬りに、ヨハンは激昂した。
平九郎はその憎悪を飄々を笑い飛ばしながら、ある事に気づいていた。
声だ。
かの騎士の声には、先程から魔力が込められている。
(これまた厄介な、殆ど神降ろしと変わらねぇ状態じゃねぇか)
神降ろし、それは敬虔な信徒に己が身に神が憑依させる業である。
神の無尽蔵な力によって、その一挙手一投足、その言葉一つが“御法”となり“魔法”となった状態で、命と引き替えに神敵を討ち滅ぼす、高位神官の最終手段。
歴史上、単身でひとつの国家を滅ぼしたそれと、今のヨハンは同等であるのだ。
(違ぇな、同等じゃあるめぇ。恐らくだが、理由はわからんが命と引き替えの力って訳じゃなさそうだ)
自力で魔力を扱う術を持たない身故に、正確さは保証しかねるが。
戦士として、人斬りとしての本能がヨハンの状態を見抜いた。
何時でも切りかかれる様に嗤う平九郎に、聖騎士は憤怒に燃えさかる表情で睨みつける。
「『何故、フレイディアを殺した』」
「あん? 馬鹿かお前、そんな事も分からないのか?」
「『言えっ! 何故殺したんだっ! 貴方の腕なら殺さずに済んだ筈だっ!! 同じように愛する者を持つ身ならっ! 彼女を殺す事なんて出来ない筈だっ!』」
綺麗事をぬかし燃えさかるヨハンに、ヒトデナシは呆れた様に答える。
「馬鹿かお前さんは。ああ、悪かった。馬鹿じゃなきゃぁ、のうのうと手前ぇの女を目の前で殺されて気絶してねえわなぁ、カカカッ」
「『この悪党があああああああああああっ!』」
「親父さんに習わなかったかい? 悪党でも善人でもな、人を殺すのに大層な理由は要らねぇんだ。――“生きていたら邪魔だったから”突き詰めればそれさね」
平九郎がフレイディアを殺したのは、那凪を生かすのに邪魔だったからだ。
そこにどうして、ヨハンやフレイディアの意志を介在させなければならないのか。
人斬りの答えに聖騎士は腰から剣を抜き放ち、二人は互いに剣の切っ先を向けあいながら、じりじりと円を描くように距離を保つ。
そして。
「人が掴めるモノってぇのはな、この手に握れるモンだけさ。残念だったな、フレイディアはお前の手に握れる女じゃなかったらしいぜ」
「『貴方がフレイディアを語るなアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』」
両者は激突した。
真っ直ぐ走り出す平九郎に対し、予備動作もなく作り出されたヨハンの六つの火球は、二つが直線に、二つがジグザグに、二つが弧を描いて飛んでいく。
平九郎は最初のをひょいと右にずれて避け、続く二つを纏めて斬ったかと思えば、即座に左へ飛ぶ。
「ひゅう、やるもんだな」
「『落ちろよぉっ!!』」
着地前の平九郎が目にしたのは、弧を描いていた火球が直角に曲がり此方に向かう光景。
並の探索者なら為す術なく直撃していただろう、だが平九郎は“並”から遠く外れた人物だ。
器用にも宙で姿勢を変えたかと思えば、刀と鞘で二つの火球を受け流し。
「カカカッ、一手馳走してやろう」
着地の一瞬、ヨハンの視界から消える。
平九郎の修める無銘剣術の基礎、縮地である。
だがヨハンもさるもの、人斬りが後ろに回り込んで逆袈裟に刀を振るうのに気付き。
「『そんな大振り――――ガァッ!?』」
「何だぁ? 飾りが邪魔で動けないってかぁ? キヒヒ、じゃあ動きやすくしてやるよ!」
しかして遅い、いかに四柱の祝福を受け薬で肉体が万全になっても。彼が平九郎の剣速を防ぐには、経験も素質も足りない。
直撃の衝撃で鎧が凹み返す刀で籠手が弾き飛び、続く神速にて放たれた四つの斬撃で四肢が宙を舞った。
「おっと、はははっ。すまねぇなやり過ぎたわ」
「『ギィヤァアアアアアアアアアアアアアアア!!』」
ヨハンはいとも簡単に達磨にされた痛みに、困惑と絶望の叫びを上げた。
最初の太刀は確かに防いだと思った、だが防御の為に繰り出した剣をすり抜け鎧に直撃した。
残りの四つは視認する事すら出来なかった。
完全に、――ヨハンの負けであった。
(僕はっ、僕はっ、僕はっ! ここでっ、畜生っ、まだだっ! まだ終わってないっ! たかが手と足を失っただけだああああああああああっ!)
血涙と血反吐をまき散らし、憎悪に塗りつぶされた形相で蓑虫の様に蠢く聖騎士。
それを、平九郎は冷めた目で見ていた。
(あー、思ったより歯ごたえがなかったなぁ……、久々に手応えのある獲物だと思ったが、こりゃあがっかりだぜ。仕方ない、完全に死ぬ前に今度こそ生け贄にして――)
(覚悟が足りなかったっ! 僕には全てを投げうって殺すという覚悟が足りなかったっ! ああ、神々よ今一度願いを聞き入れ給え! 命を捧げるっ! この僕の命を捧げようっ! だからっ! どうかフレイディアの仇を――――)
そして、ヨハンに近づいた平九郎が彼の脳に刀を突き立てたまさにその時。
かの人斬りの体は、業火に包まれたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます