第12話「親友の彼氏と、一つ屋根の下。」
******
翌朝。
ベッドから起き上がるなり、眠気眼で階段を下りる。
今日から新学期。
また、勉強だらけの毎日が続くのだ。
「公希ー。庭の犬にエサやってよ」
「…ふぁーい」
そして俺がリビングに入るなり、キッチンに立つオカンにそう言われた。
俺がエサを持って庭に出ると、犬が「待ってました!」と言わんばかりに俺に飛びついてくる。
ちょ、落ち着けよ。
そう思って、
「ラン、待て」
犬の名前を呼んで、飼い主らしくそう言っても、ランは言うことをきかない。
むしろ、「早くしろ」と言ってるみたいだ。
…しょーがないなぁ。
そんなランを見ると、俺はため息交じりにいつもの皿にエサをやった。
…エサをあげる時のランが一番興奮していて、大変だ。
「お前はいいよなー。遊んで食って寝ての繰り返しだし」
俺と代われよ。
そしてランにそう言うと、ランの頭を撫でてリビングに戻ろうとした。
…───すると、その時。
「公ちゃん、」
「!」
ふいに後ろから、聞きなれた声に呼び止められた。
…この声は───…真希?
そう思って、後ろを振り向くと…
「…な、なんで」
そこにはやっぱり、真希がいて。
しばらく距離を置こうって、言ったはずなのに。
しかも、こんな早い時間に。
「…何しに来たんだよ」
そんな真希に俺がわざと冷たい態度でそう言えば、真希は今にも泣きそうな顔をして、言った。
「ごめんね、いきなり」
「…」
「公ちゃんには、言わなくても同じかなぁって思ったんだけど、でもやっぱりって思って言いに来た」
「…?」
「あたしね…東北に、引っ越すの」
「…は、」
その真希の突然すぎる言葉に、一瞬にして頭の中が真っ白になる。
…東北…引っ越す…?
……あ、でも…。
それを聞かされた瞬間はショックを受けたけれど、俺はやがて数か月前の記憶を思い出した。
それは…真希が、水野と二人暮らしをすることになった時のこと。
“あのね、公ちゃんに大事な話があって…”
“話?”
“うん。実はあたしね…東北に引っ越すんだ”
“は…”
“…嘘だよ!”
“……はぁ!?”
“東北に引っ越すなんて嘘!ね、ビックリした?ビックリした??”
その記憶を思い出した瞬間、俺は真希に言った。
「嘘だろ、それ!」
「!」
「俺とまだ幼なじみでいたいから、またそうやって嘘吐きに来たんだろ?お前は」
「…、」
「ほんと、マジで、嘘が下手すぎん、」
「違うよ」
そして、真希は少し動揺する俺の言葉を遮って、はっきりと話を続ける。
「本当だよ」
「!」
「だから、お別れを言いに来た」
「…」
「たぶんもう、逢えないから」
真希はそう言うと、俺から視線を外して下を向く。
…そんなこと、突然「本当だよ」って言われたって。
そんな真剣に言われたって。
「逢えないから」って言われたって。
わかった、なんて言えるはずがない。
俺は真希の言葉を聞くと、真希から目を逸らして下を向いた。
東北と言えば、真希の両親が住んでる場所。
こっちに来い、とでも言われたのか?
そう思っていると、真希が呟くように言った。
「…だって、今日から新学期が始まるじゃん」
「ん、」
「また毎日学校に…行くじゃん」
「…、」
「あたしは…歩美を裏切ったの。だから歩美はあたしを恨んでるの。あたしが悪いのは知ってる。…けどもう歩美とは会えない」
真希はそう言うと、悲しそうに涙を流す。
その涙を拭いながら、俺に話を続ける。
どうやら真希は先日水野の悲しすぎる過去を聞いて、それから水野と付き合いだしたらしい。
水野は真希を守るとか言ってくれて、真希は水野についていこうと決心したらしいけど…
昨日まで直接両親に逢いに行っていたら、安心感を覚えて今日からの学校生活が不安になったんだとか。
中津川には、真希の他に友達がたくさんいる。
それに、夏休み前にされていた複数の嫌がらせを思い出すと、水野の過去と自分のこの現状が重なっている気がして怖くなった…と、真希は俺に話した。
俺は水野の過去を聞いたことがないから何とも言えないけれど、それはそれで…納得がいかない。
それでも、真希が決めたことだ。
それに真希だって、イジメに遭うくらいなら両親と居た方が幸せに決まってる。
…けど。
「水野は?いいのかよ」
「え、」
「せっかく付き合いだしたんだろ?それなのに遠くに行って、お前はそれでいいの?」
俺はただ一つ、それが気になって真希にそう問いかけた。
すると、真希は一瞬表情を曇らせた後…切ない笑みを浮かべて言う。
「…いいの」
「!」
「水野くんには悪いし本当に申し訳ないけど、きっとこれが、幸せだから」
「…、」
「それにちゃんと話したし、あとは引っ越しの日を待つだけなんだ」
そう言うと、「一か月後には、ここを出るから」とそう言葉を付け加えた。
…あと、一か月。一か月しかないんだ。
真希と普通に距離を置くくらいなら、俺は別に平気だと思ってた。
でも、姿を全く見れなくなるのはまた違う。
…今の俺には、「行くなよ」とかそんな自分勝手なことは口に出来なくて。
「向こうに行っても、頑張れよ。いろいろ」
「うん」
そんな、ありきたりな言葉しか言えない。
真希のその選択は、正直ずるいと思う。
そんなの、逃げてるだけじゃんかって。
でもそれを言えないのは、きっと、真希の涙を見たから。
水野の過去を知っていれば、それを言えたんだろうか。
今更俺たちは、“幼なじみ”にすらもう戻れない。
******
青空が広がる屋上で、独りため息を吐く。
ここは学校。
俺は久々に始業式をサボって、この他に誰もいない屋上に来ていた。
思えば、初めてだよな。
高校生になって、学校の行事をサボるのは。
そう思いながらも目を閉じると、頭の中に自然に浮かぶのは、やっぱり真希のこと。
昨日はあれから真希が自分の両親にきっちりと自分の気持ちを伝えて、結局真希は一か月後に東北に引っ越すことになった。
そして学校も、そっちの学校に編入。
遠距離恋愛か、と思ったけど。
真希が、「それは無理だよ」と。
「続くわけない」って言うから、俺はその言葉に頷いてしまった。
短い恋が、もう終わってしまうのだ。
付き合う時に、守るよって誓ってそう言ったのに。
真希の不安は計り知れなくて、でもやっぱり怖かったんだな、と思い知らされる。
…そりゃそうだ。
だって俺と真希は、同じクラスなわけじゃない。
むしろ、別のクラス。
それに、鈴宮だって…
いつも傍にいて、守ってあげられるわけじゃないんだ。
きっとこの真希の考えが、一番の賢い選択。
向こうに行ったら、新しい友達も出来るだろうし。
それに、好きな奴だって…出来て…そのうち俺のことも、忘れてしまう。
そう思ってまたため息を吐くと、俺は後ろに上半身を倒してそこに寝転がった。
久しぶりの感覚で、心地よくて、まるで心違い。
…こうしていれば、今にも幼なじみの真希がやって来そうで。
来るわけないのに、心のどこかでそいつを待つ。
結局、どっちも叶わないんだ。
そういう運命なのかな、って…思ってしまえばそれまでなんだけど。
でも、そう思って、尚も目を閉じたままでいたら…
「…?」
その時ふいに───…屋上のドアが、開いた。
誰が入って来たのか、気にはなるけど…俺は目を瞑ったまま、意識だけをそいつに集中させる。
するとその足音は、すたすたと俺に近づいて来て…
「水野、」
「…」
聞き覚えのある声に、名前を呼ばれた。
その声に目を開けると、そこに居たのはまさかの鈴宮で。
よりによって、男か。
「…なんだ、お前かよ」
俺がそう言ってまた目を閉じると、鈴宮が俺の隣にやって来て言う。
「お前が始業式サボるとか、珍しいな」
「…悪いかよ」
っつか、何しに来たんだ。
そう思っていたら、鈴宮が言葉を続けて言った。
「真希、引っ越すんだって?」
「…」
「今朝、いきなり聞いた。あの時はただびっくりしたけど、今はフザけんなよって思ってる」
「…」
「もちろん、水野。お前に対して」
その言葉に、俺は瞑っていた目をまた開けて鈴宮を見遣る。
すると鈴宮は、笑ってない笑顔で俺を見つめていて…
「お前の過去とか、確かに俺は知らないけどな。お前のせいで…お前が原因で真希が引っ越すのは、納得がいかないんだよ」
「…」
「そもそもお前がちゃんとしていれば、真希は引っ越さずに済んだかもしれない。真希は、中津川が怖いって言った。
でも、中津川だって悪いわけじゃない。全部、水野。お前が原因だろ」
「…」
「お前が、ずっと…真希や中津川を苦しめてんだよっ…」
そう言うと、自身の唇を噛みしめて、怒ったように目を細める。
その言葉に、言い返すような言葉は無い。
鈴宮の言ってる言葉に、間違いは無いから。
だって俺が、アイツら二人の友情を壊した。
わかっていて、壊した。
全部全部、わかってた。最初から、こうなることを。むしろわからないわけない。
きっと中津川は、そのうち真希を嫌って。
真希には俺しかいなくなる。
だから、真希から鈴宮が離れて行くことも…本当は、想定内だった。
でも、ただ一つ…違ったのは。
「…仕方ないだろ」
「…」
「まさかアイツが引っ越したがるなんて、思わなかったんだよ」
そう、アイツが俺から離れたがったこと。
直前になってやっとわかったけど、それまでは予想すらしていなかった。
俺がそう思って上半身を起こすと、鈴宮が呆れたように言った。
「…仕方ない、で片づけんなよ」
「…」
「アイツは…真希は、俺の大事な幼なじみなんだぞ」
そう言うと、ジロ、と俺に目を遣る。
「…あんなに簡単に離れて行ったクセに?」
俺がそう言うと、鈴宮は言葉を詰まらせて俺から顔を背ける。
その仕草を見て何だかムカついた俺は、その感情を押し殺して鈴宮に言った。
「なぁーあー。そろそろ認めろよ」
「…何を」
「お前さ、ほんとは真希のこと好きだろ?」
だけど俺がそう言うと、鈴宮は顔を背けたまま言う。
「好きじゃねぇよ」
「嘘だ」
「いや、幼なじみとしては好きだけど、恋じゃない」
「…ほんとかなぁ」
そして俺は鈴宮の言葉にそう言って、ため息交じりに正面を向いて遠くの方を見つめる。
校舎外に見えるのは、大きなビルや白い雲。飛行機、
…真希と離れ離れになるには、まだ時間があるけど。
時が経つのは、きっと物凄く早くて。
「っつか、アレだろ」
「?」
俺が飛行機を眺めていたら、ふいに鈴宮が言った。
「仮に俺が真希を好きだったとしても、それだったらもうとっくの前に真希と付き合ってるよ」
「…失ってから気づいたとかじゃなくて?」
「それもぜったい無い!」
「…へぇ」
…認めないねぇ。
そう思いながら俺が相槌を打つと、鈴宮がふとその場から立ち上がって、言葉を続ける。
「…とにかく、俺がお前に言いたかったのは真希と中津川のことだ。
俺はお前のこと、最低な奴だと思ってる。過去に何があったのかは知らんけど」
「…、」
………真希を、返せよ。
鈴宮は最後に小さくそう呟くと、屋上を後にした。
…………
「中津川。真希が、東北に引っ越すんだって」
「……は、」
あたしが教室にいたら、突然鈴宮くんに呼び出されてそんなことを言われた。
さっきまで友達と真希へのイジメをいろいろ考えていたら、突如そう言われたのだ。
っ、引っ越す!?
そのいきなりの言葉にあたしがビックリしていると、鈴宮くんが言葉を続けて言う。
「だから…いや、だからっつーか…
今のうちに、ちゃんと素直になっとけや。な?」
あたしはそんな言葉を聞くと、もちろんそれには頷かずに、ただただその場に立ち尽くした―――…。
…………
「ねぇ、歩美聞いてる?」
「…え、」
自習時間の、騒がしい教室。
複数の友達と雑談をしていたら、ふいに友達の一人である明美がそう聞いてきた。
明美は今のこの仲良しのグループ内で、一番あたしを気にかけてくれる子。
「…ご、ごめん。聞いてなかった」
その問いかけにあたしがそう言うと、明美は「しょうがないなぁー」って顔であたしを見る。
あたしはさっきの休み時間、鈴宮くんに真希が引っ越すことをいきなり聞かされていた。
しかも今の時間は、優大のクラスがグランドでサッカーをしていて…
今はその様子を、なんとなく自然と見てしまう。
優大を、目で追いかける。
あたしの今の考えは…真希が引っ越したら、また優大はあたしと付き合ってくれるんじゃないか?
…とか、そんなことじゃなくて。
もちろん、そんなことを思うはずがない。
真希はきっと、あたしから逃げるつもりなのだ。
あたしのことが、怖いから。
どうして、どうして、真正面からぶつかって来ないの…。
…………
そのあとはしばらくして午前中の授業が全て終わると、あたしは真っ先に教室から飛び出した。
目的は、優大がいる隣の教室。
優大に、真希のことを確認したくて…。
だけど急いで行くと、そこに優大の姿は無かった。
…どこに行ったの、
そう思って近くにいた男子に話しかけると、そいつは、
「ああ、水野ならついさっき購買に行ったよ」
と、そう教えてくれた。
「ありがとう!」
あたしはその言葉を聞くと、すぐに一階の購買まで走る。
優大と付き合っていた頃に、たまに買っていたパンを買いに行ったんだろう。
そう思って、ようやくそこにたどり着くと…
「ゆうっ…水野くん!」
「!」
早速見つけたその姿に、あたしは後ろから声をかけた。
「……何」
すると優大はクルリとあたしの方を振り向いて、少しうざったそうな顔をする。
そして呟くようにそう言うと、サンドイッチを買っている優大に、あたしは言葉を続けた。
「話があるの、ちょっとだけ。真希のことで」
そう言ったら優大は買ったパンを手にしながら、意外にも快く頷いてくれた。
「いいよ」
「!」
「じゃあ屋上で聴く。ちょうど俺も話があるから」
そう言って、先にスタスタと階段を上がって行って…
「あ、まっ待ってよ!」
「……」
あたしが慌ててそう言っても、優大は構わずに立ち止まらない。
…優大からの、話って何だろう。
真希のこと?…だよね。
そしてようやく屋上に到着すると、あたしは優大と一緒にその場に踏み入れた。
…晴れ渡る、綺麗な青空。
そこには、雲一つないくらいの快晴が広がっていて…。
あたしが早速話し出そうとしたその瞬間、先に優大が口を開いて言った。
「真希なら1ヶ月後に東北に引っ越すよ」
「えっ!?」
「…あれ、何。それを聞きに来たんじゃないの?」
「そ、そうだけど…!」
「?」
そして優大は先にそう言うと、屋上のドアから離れて奥へと歩いていく。
その後ろ姿に、あたしもついて行って…
「…引っ越すのがいつかなんて、聞いてなかったから」
「…あぁ、」
そう言うと、あたしは軽くため息を吐いた。
………ん?
ってか何で、ため息?
そう思いつつも、あたしは気を取り直すと、町並みを眺めている優大に言う。
「真希は…何で引っ越すの?」
「…」
「それって、あたしが怖いから…“逃げた”んでしょ?」
そう言うと、少しドキドキしながら優大の返事を待つ。
でも、その答えはもう決まりきっているから。
「うん、そうだな」
「!」
「いやむしろ、理由なんてそれしかない」
あたしの言葉に、優大がそう言った。
…そうだよね。でも、
「…何で、真希は…」
「うん?」
「逃げることを選んだんだろう。だって被害者はあたっ…」
被害者はあたしなのに。
だけどそう言おうとして、咄嗟にあたしはその言葉を飲み込む。
実際そうではあるけど、今は優大の目の前。
いくらなんでもこれはマズイ…かもしれない。
あたしがそう思って言葉を詰まらせていると、優大が不思議そうに言った。
「…どした?」
「う、ううん。何でもない、」
「…」
でもあたしはその言葉に首を横に振ると、気を紛らわすようにして目の前の町並みに目を遣る。
すると…
「…確かに、真希の行動は俺から見ててもよくないと思う」
「!」
ふいに優大が、町並みを眺めながらそう言った。
「…え、」
そんな意外な言葉を聞いて、あたしは思わず少しビックリして優大の方を向く。
優大は…真希をフォローすると思ってたのに。
あたしがそう思っていると、また優大が言った。
「逃げたって解決なんか出来ないし、むしろそれはずっとその問題を引きずることになる。
本当に中津川と真希が親友だったんなら、その結果が良いわけない」
「!」
そう言うと、あたしの方を向いた優大と…横目で目が合った。
そしてまた、言葉を続ける。
「…ね、中津川」
「?」
「真希へのその不満……まぁ俺が原因だし、俺自身がこういうことを言うのもおかしいってわかってるけど…
イジメとか、そういう回りくどい方法に頼る以前に、もっと他に方法があったんじゃないの?」
「!」
そう言ってあたしを見つめる優大の目が…少しだけ鋭いものに変わった、気がした。
そう言われて、あたしは何も言えなくなる。
その言葉に、驚き…というよりかは、図星のような感情の方が大きくて。
分かりやすく、目を泳がせた。
「…っ…」
…それでもその言葉には、まだ頷けない。
しかもあたしがいつまでもそうしていると、また優大が言った。
「……それと、あと一つ。ずっと聞きたかったことがあるんだけど」
「…?」
「お前、真希のことをあーだこうだ言ってるわりには…本当はもう俺のこと、全然引きずってないだろ」
「!!」
優大はそう言うと、ふいにあたしの顔を覗き込んでくる。
その瞬間目が合ったけど、あたしはその目からも顔を背けた。
でも優大は、話すのを止めない。
「ずっと変だなって思ってたんだよ。
夏休みが始まった時に、俺はお前をいきなり振ったのに、でもお前はそのあと何の連絡も俺にしてこなかった。
しかもいつも気にかけてるのは、決まって真希のことだし」
「…っ、」
「…中津川は、前に付き合ってた先輩に浮気されて、そんで独りで泣いてる姿を見て、
俺がいきなり告白してまさかのOKをもらったんだよな。
気持ちの切り換えがもともと早かったから、本当は俺のことももう平気なんだろ?でも親友の真希だけは、違うんだよな?」
「…っ…」
そんなふうに、あたしが黙っていれば優大は更にどんどん図星をついてくる。
そして、最後は畳み掛けるように…
「だから、本当に心から仲直りしたいって思ってるのは…実は中津川なんじゃねぇの?」
「!!」
そう言って、優しい顔をした。
「…っ、」
その言葉に、だんだんあたしの目に涙が滲んでくる。
目の前の優大が見えなくなっていく。
するとその涙は、そのうち地面にまでこぼれ落ちて…。
「…っ…なんで、わかんのっ…」
「…」
あたしは涙声で、優大にそう言った。
今までなかなか認めたくなかった思いが、代わりに涙となって溢れ出す。
そして何より優大の前で泣きたくなかったあたしは、それ以上は何も言えなくなって、いたたまれなくなって逃げ出すように屋上を後にした。
「…~っ、」
そんなあたしを、優大が少し離れた場所からあたしがいなくなるまで見つめる。
…まさか、こんなことを言われるとは思ってもみなかったな。
すると、その後…
「…水野、」
「!」
あたしが屋上を出て行ったあと、しばらくするとそこへ鈴宮くんが現れたことを、あたしは知らない。
「お前に、真希のことで話があんだけど」
「?」
鈴宮くんはそう言うと、屋上のドアをバタン、と閉めた。
…………
屋上を後にしたあたしは、その後そのまま誰も居ない空き教室に飛び込んだ。
自分でもびっくりするくらいに泣いてしまっているから、下手に教室に戻るわけにもいかなくて…。
結局あたしは、不器用だった。
真希に優大を取られて、かなりムカついたり不安になったりして、どうやって傷つけてやろうかって考えていくうちに、
いつのまにか真希のことばかりで、あたしは優大のことをほとんど考えなくなっていったんだ。
全ては…優大に言われた通り。
「…~っ」
そう。あたしは、本当のことを言うと…真希と、仲直りがしたい。
けど、ずっと傷つけることだけを考えていた。臆病だから。
離れてほしくなかった。だからあたしが離れた。
あたしは真希のことを凄く信じてたの。
そのぶん、優大とのことを知った時のショックは大きくて…。
あたしはしばらく空き教室で独り泣きながら、その時なんとなく真希との思い出を思い返してみた。
…今は、綺麗な思い出なんて不似合だけど。
そもそもあたしと真希が仲良くなったのは、真希があたしを「イジメ」から助けてくれたからだった───…。
……………
今から数年くらい前。
あたしが真希の存在を知ったのは、中学二年の頃。
クラス替えで仲の良かった友達とも遠くに離れてしまって、二年になったばかりの頃はあたしはほとんど一人で過ごしていた。
だけどそれは、当時の真希も同じで。
真希も友達作りが得意じゃないのか、あたしが見る限りではほとんど一人で行動していた。
とはいえ、あたしも真希も同じ友達いない者同士だし。
あたしはというと、何度かそんな真希に声をかけてみようか…といつもそのタイミングを伺っていた。
この頃は、あたしはただ単純に友達が欲しかった。
ただその相手が、たまたま真希だっただけ。
……だけどその考えが、ある日を境に突然変わった。
それは、夏休み前の賑やかな教室でのこと。
あたしが昼休みにいつものように独りでいたら、その時いきなり教室に同じクラスの派手めな女子が走ってきて、仲間に言った。
「最悪!中津川歩美に彼氏とられた!」
「!」
……え?
そしてその子はそう言うと、「マジ最悪」とあたしを少し離れた場所からギロ、と睨む。
…だけど当のあたしは、突然そんなことを言われても、別にそのコの彼氏を奪った覚えもないし。
っていうか、そのコの彼氏が誰なのかすら知らない。
でもそのコの仲間達は、突然の出来事に「え~何それ」とか「あり得ない」とかそんな言葉を口にしていて。
あたしはちゃんと聞こえていながらもしばらくそれを無視していたら、そのコがあたしの目の前に遣って来て言った。
「おい中津川」
「…?」
「アンタ、何ヒトの彼氏に手だしてんだよ。モテるからって調子に乗らないでよね」
そう言うと、自身の腕を組んだそいつに真っ直ぐに睨みつけられる。
確かに、あたしは前から何かとこういうことが多々あった。
それに普段からよく周りに「顔が可愛い」と容姿を褒められることが多かったし、女子からの妬みも珍しいことじゃなかった。
でもこの雰囲気は…何度経験しても慣れなくて。
「…知らない。彼氏って誰なの、」
それでもあたしがそう言うと、そのコがキレた。
「っ、ふざけんな!!」
「!」
突然大きく浴びせられたその声に、思わずあたしはビク、と肩を震わせる。
でも、ビックリしたのはあたしだけじゃなくて…。
周りにいたクラスメイトも皆、あたし達のことを目を丸くして見る。
…コワイ、
「こっちは大事な彼氏をあんたに取られたんだよ!あんたのどこが良いのか知らないけど、あんたに惚れたって!
なのに誰って、殴られたいかお前っ…!!」
そいつはそう言うと、本当にあたしを殴る気なのかぐっと右腕を振り上げる。
まさか手を出そうとしてくるなんて思わなくて、あたしが思わず目を瞑って縮こまると…
その時、
いつもは誰も助けてくれないその場に、ふいに誰かが割って入ってきた。
「ふざけんな、はアンタでしょ」
「…?」
「知らないって言ってんじゃん、やめなよ」
「!」
…真希だ。
気が付くと真希はあたしに背を向けた状態で、そのコにそう言った。
初めてだった。
誰かに助けてもらったのは。
真希がそうやってあたしを助けると、そのコ達は「あんたも殴られたいか」って真希に手を出そうとする。
けど…その時、
「こら、何やってるの!やめなさい!!」
「!」
偶然教室を通りかかったらしい先生がたまたま止めに入ってくれて、その後なんとかその場はおさまった。
…はぁ、助かっ…
「大丈夫?中津川さん」
「!」
そしてあたしが安堵の溜息をつきかけた時、真希が心配そうにそう問いかけてきた。
あたしがその問いに「大丈夫」って頷くと、真希は「危ないとこだったねぇ」ってあたしに笑いかけてくる。
……思い返してみれば、それがすべての始まり。
あたしは、真希に助けられた。
真希が助けてくれた。
“中津川に彼氏を取られた”
その言葉に、あたしは怯えていたはずなのに。
今、真希の気持ちをわかってあげられるのはあたしだけなのに。
確かに、優大を奪われて悔しかったけれど…。
あたしはその時のことを思い返すと、やっと小さな勇気を持った。
“真希と仲直りをしよう”と。
今すぐ…はさすがに無理だし、もう少しの勇気が必要だけど。
とにかく、真希と離れ離れになってしまう日までに謝ってしまいたい。
…完全に、元に戻れるとは思わないけれど、それに近いくらいまた仲良くなれたらいいな。
******
東北に引っ越すまで、あと3週間。
気が付けば少し時間が経って、カレンダーを見ると実感が湧いた。
あたしはもうすぐ引っ越すから今は学校にも行っていないし、最近は編入先の学校のこととかでちょくちょく東北に行ったりしている。
少し、不安もあるけど。
…良かった。
これでもう、歩美のことで心配しなくてもいいんだ。
あたしはそう思うと、独り切なく微笑んだ。
水野くんと別れて離れ離れになるのは、凄く寂しいし嫌だけど。
歩美を傷つけてしまうよりは、マシだし。
そのことで水野くんに迷惑をかけたくもない。
あたしが部屋で引っ越しの片付けをしていると、ふいに水野くんがドアにノックをした。
「真希、」
「!」
その音と声に、何?って返すと、ゆっくりと部屋のドアが開いて、水野くんが言う。
「今、平気?」
「?うん、まぁ一応は」
「んじゃ、来い」
「?」
そして水野くんは?だらけのあたしにそう言うと、半ば強引にあたしを部屋の外に連れ出し、廊下を渡って玄関に向かう。
「なに?ってか、どこ行くの」
しかしあたしがそう聞いても、水野くんは…
「いいから、黙ってついて来い」
って、何も言わない。
しかもそのうちに外に出てしばらく歩くと、もう見慣れた駅に到着して…。
そのまま中に入ると、改札を抜けて電車に乗った。
「ちょっと、マジでどこ行く気!?」
「いいから、」
「いや、いいからじゃなくて」
「静かに。騒ぐと迷惑だろ」
「!」
すると、とにかく騒ぐあたしに水野くんがそう言うのを聞いて、あたしはふいに周りを見渡した。
…他の乗客が、迷惑そうにあたしを見ている。
「…ごめん」
「わかりゃーいいんだよ」
「…」
…って、ちょっと納得いかないけど。
でも、その後電車に揺られて数分後、ようやく目的の場所に到着した。
その場所は…
「…何で、デパート?」
普段は滅多に入ったことがない、大きなデパートだった。
そして目の前の大きな建物を見上げるあたしに、水野くんが言う。
「…もうすぐお前、引っ越すから」
「…、」
「せんべつ買ってやるよ」
「!」
そう言って、びっくりするあたしに向かってほほ笑む。
「せ、せんべつ…?(って何?)」
「ん、」
「何でもいいの?」
「まぁな」
って、ずいぶん急だなおい。
…だけど、凄く急すぎても、その心が何だか嬉しくて。
もうすぐお別れなのに、やっぱり水野くんはずるい。
きっと水野くんは、あのさっきの部屋の時点でせんべつのことを言うと、あたしが断ると思って無理矢理にここに連れてきてそう言ったんだ。
あたしはそれに気が付くと、その言葉に甘えることにした。
デパートって、いろいろ高そうだけど。
…本当にいいのかな。
そう思いながらデパートに入ると、先ず目に飛び込んで来たのは…
たくさんの、可愛いアクセサリー。
「!!あーっ、かわいい!」
思わず大きな声で駆け寄ると、水野くんが引きつった笑顔であたしに言った。
「おま、声がでかいっつの」
「え、あっ、ごめん!だってほんとにかわ、」
「で?どれがいいわけ?」
「!」
そう言うと、ネックレスが飾られてあるガラスケースを覗き込む。
…でも、デザインしか見ていなかったけど、よく値段を見てみると予想以上に高くて。
あたしは思わず目を見開く。
た、高っ…ゼロいっこ多いって。
そう思って、
「…や、やっぱりここはパス。もっと他のとこも見たい」
「え、そう?」
あたしは隣にいる水野くんの腕を掴んで、半ば強引にそこから離れた。
…いくら水野くんがお金持ちだからって、まだ今は学生なわけだし。
あまり高いものは選ばないでおこう。
そう思って次にやって来た場所は、化粧品売り場。
あたしはそこにある香水のコーナーに近づいた。
「…真希って香水つけないよね」
するとそんなあたしに水野くんがそう言うから、あたしは数ある香水の中から好きな香りを選びながら言う。
「うん。だから、これを機に香水とかどうかなぁって…」
…───しかし。
ふいに、値段を見たその時…あたしは思わずその衝撃に固まった。
「…真希?」
「…」
この香水も、予想以上に高かったのだ。
な、なな何で!?
なんでこんなに高いわけ!?
そりゃあ、凄く良い香りするけどさぁ!
あたしはその値段を見ると、手に持っていた香水を元の場所に戻して、水野くんに言う。
「…や、やっぱ香水はやめとくよ」
「え、何で」
「ほら、あたしってそういう柄じゃないし?」
「そんなことないだろ、真希だって…」
「いいからいいから、次行こ」
「?」
そしてそう言って、また半ば強引に化粧品売り場から離れる。
「…~っ、」
もっとこう…ないのかな。
もっと値段が優しくて…なおかつ可愛くて使えるもの!
…何だ?あたしが欲しい物って。他に何がある?
そう思っていると…
「…あ、真希」
「?」
「アレとかどう?」
水野くんがふいに何かを見つけて、指を差した。
その指先を辿ってみると、そこにあったのは…
「!!かわいい!」
大きな、クマのぬいぐるみ。
あまりにも可愛すぎて、そのクマに駆け寄って触ってみると、凄く気持ちいい手触りで。
ふかふかしてて、これは超~欲しい。
「…これいいかも」
「だろ?」
ぜったい好きだと思った。
水野くんはそう言うと、あたしに向かって優しく笑う。
けど…
「…たかい」
「え、何て?」
「………何でもない」
…やっぱり、そうだよね。そんな上手くいくわけないよね。
値段を見てみると、あたしは黙ってそのクマから離れた。
このクマも、可愛い顔をして値段が高すぎる。
「…やっぱ、クマはいいや」
あたしはそう言うと、独りその場から離れた。
「…───」
………
………
結局その後も、いろんな場所を見て回ったけれど、何も選ぶことなく外も暗くなってしまった。
そして二人でレストランで夕食をとっていると、向かいに座っている水野くんが言う。
「…お前、実は優柔不断だろ」
早く決めろよな。
そう言うと、目を細めてあたしを見遣る。
…そうだね。今日は、思う存分水野くんに付き合ってもらっちゃったね。
疲れたよなぁきっと。ごめん、
でも…
「…もういいよ」
「え、」
「せんべつは、もういい」
「…」
「こういうふうに二人で出かけられることって、きっともう無いから」
あたしはそう言うと、切なくなって、泣きそうな顔を隠すように下を向く。
だって、そうでしょ。
三週間後になったら、あたし達は離れ離れになってしまう。
まだ、三週間あるかもしれない。
でもこの三週間は…今みたいな時間はきっと、作れないから。
だからこうやって二人だけで外食をするのも…今日で最後、かも。
あたしはそう思うと、言葉を続けて水野くんに言った。
「ありがとね。せんべつ買ってくれるって、その気持ちだけで嬉しかったよ。だから、今日のデートがせんべつってことで」
だけどあたしがそう言うと、水野くんは表情を曇らせて俯いた…。
…………
レストランを出た後の帰り道は、やけに沈黙が続いた。
別に普段二人でいても、沈黙は普通にあったけど。
今のこの空間は…切なくて。
お別れまであと少しなんだと思うと、苦しかった。
これは自分で決めたことだけど。
今更だけど、哀しくて。寂しい現実。
隣に歩く水野くんの手が、時折あたしの手の甲に触れるけど…繋ぐことは、無い。
最初、水野くんのことが苦手だったあたし。
でも、少しずつ良いところを知っていって、好きになって、付き合って…。
歩美のことも大事だったはずだけど、簡単に裏切ってしまった。
もしも、水野くんと二人で住んでいたことを、最初から素直に歩美に言えていたら、今少しは違ったのかな。
歩美は許してくれていたかな。
でも、きっとあたしはどっちにしろ水野くんのことを好きになって…
…───裏切っていたかもしれない。
そう思って俯くと、ふいに水野くんが長い沈黙を破って言った。
「…なぁ」
「うん?」
「俺らって離れたら、どうしても別れなきゃいけねぇの?」
水野くんはそう言うと、歩く足をピタリと止めてあたしを見遣る。
するとその時、当たり前のように水野くんと真っ直ぐに目が合って…
「…どういうこと?」
そう聞いたら、水野くんが言った。
「離れ離れになるからって、別れる必要は無いだろ」
そう言って、真剣な表情で、あたしを見つめる。
その言葉に、あたしは水野くんから視線を外してまた下を向く。
…水野くんから感じる、真っ直ぐな視線が辛くて。
あたしは、下を向いたまま、水野くんに言った。
「…無理、だよ…」
「…」
「離れたら、ダメになるに決まってるじゃん」
そう言うと、自身の右手を弱々しく握る。
「そりゃあ、あたしだって水野くんのことは好きだよ。出来れば離れたくない」
「だったら、」
「でも自信がないの。遠距離なんて、続かないし。絶対無理、」
あたしはそう言って、いつのまにか零れていた自身の涙を指で拭った。
…そんなあたしの言葉に、水野くんはもう何も言おうとはしない。
黙り込んで、あたしから目を逸らすだけ。
…ついこの前までの、楽しかった夏の記憶が蘇る。
あの時は、今、こうなるなんて知らなかったな。
水野くんとの夏祭りが、楽しすぎて。
「…だから、別れるしかないよ」
そして、最後にそう言ったあたしの声が、あたしはその時だけ妙に響いたのを感じた。
******
ある日の学校。
あたしは、なんとなく鈴宮くんに声をかけてみた。
「鈴宮くんは、真希と離れ離れになるの、寂しくないの?」
幼なじみだし、あんなに仲が良かったんだから、鈴宮くんはきっとあたし以上に寂しいはず。
そう思ってあたしが聞いたら、鈴宮くんが案の定少し寂しげな表情で答えた。
「…ん、ちょい寂しいかもな」
「だったら、引っ越し止めたりしないの?」
「それはしねぇよ。アイツが決めたことだから、俺は背中を押してやるだけ」
「…そ、っか」
そう言った鈴宮くんは、どこか優しげな表情で笑った。
あたしには鈴宮くんの気持ちはわからないけど、どこか無理をしてる部分はあるんじゃないかと思う。
…なんで、こんなことになっちゃったんだろう。
そう思っていたら、鈴宮くんがふと口を開いて言った。
「…俺さ、」
「うん?」
「真希のこと……スゲー好きだったのかもな」
「…えっ」
そして鈴宮くんはそう言うと、横顔で微笑む。
でもいきなりそんなことを聞かされたあたしは、凄くビックリして…。
「…何それ。え、まさか…!」
“恋”の意味で好きだと言ったのかと思ってあたしがそう言ったら、鈴宮くんは首を横に振って言った。
「いや、ちげーよ。そういう意味じゃなくて」
「!」
「…まぁ確かに、この前水野にも“真希のこと本当は好きなんじゃねぇの?”って聞かれたけど、でもやっぱそういうことじゃなくて。
俺は幼なじみとしてアイツを好きすぎんだなぁってこと。
こないださ、屋上で水野に真希のこと話してて…改めて水野が憎かった。いつのまに…真希の隣は水野になったんだよって」
そう言うと、「もう今更遅いけどな」って笑う。
…鈴宮くん…そんなに、
でも…。
「けど、もういいや」
「?」
「こないだ、水野に真希を任せてきたから。よろしくなって」
「!」
「憎いのはたしかだけど、真希が選んだ相手だし。俺は、もう素直に認めることにした」
鈴宮くんはそう言って、今度は力強い表情を浮かべて見せる。
…“認める”。そっか、そうなのか。
その方がきっと、心がすっきりしてて…。
あたしはそう思うと、また一つ真希との仲直りに近づいた。
真希の出発は、一週間後だ。
******
そして、その日から約三週間後。
今日は、引っ越しの前日。
ここを離れたいと思ってそう決めてから、気がつけば明日がその約束の日。
最近は引っ越しのことばかりで忙しかったりしたけれど、時が経つのはやっぱり早くて。
「あぁ…明日だな」
ふいにカレンダーに目を遣った水野くんが、呟くようにそう言った。
「そだね」
その言葉に、あたしは寂しい気持ちを隠して笑顔でそう答える。
…今更、寂しいなんて言えない。
でも、だからといって、引っ越したくないとかじゃなくて。
水野くんと別れるまでもう時間がないんだと思うと、苦しくなるくらいに寂しいんだ。
あたしがそう思っていたら、ふいに水野くんがまた口を開いて言った。
「真希、明日何時に出発だっけ?」
「7時発の新幹線に乗るの」
「…早いな」
ってことは、5時半くらいか。
水野くんはあたしの言葉に独りそう呟くと、スマホを操作しだした。
でも、
「あ、見送りとかはいらないから!」
「…え?」
あたしは水野くんのその手の動きを遮るように、そう言った。
「何で、」
そんなあたしの言葉に、水野くんが少し表情を曇らせる。
……だって、見送りなんかされたらもっと寂しくなっちゃうから。
離れたくなくなっちゃうから…明日は、まるでほんの少し出掛ける時みたいな、普通に玄関での見送りがいい。
「…見送られるの、すきじゃないから」
「…」
そしてあたしが呟くようにそう言うと、水野くんは少しだけ黙り込んで…
「…?」
そんな水野くんがちょっと心配になって振り向こうとしたら、その時やっと水野くんが口を開いて言った。
「…そっ、か。わかった」
「…」
「じゃあ、明日の朝は…俺を起こさないように…寝てる間に静かに行けよ」
「ん、」
水野くんはそう言うと、また携帯を閉じて服のポケットの中に入れる。
……今日は、早く寝なきゃだな。
…………
…………
そして、その夜。
寝る準備をしてふいに時計を見ると、時計の針はもう22時を回っていた。
「…あたし寝るね」
「ん、おやすみ」
あたしがそう言ってリビングを出る時には、水野くんはテレビを見ていて。
この瞬間がきっと最後なのに…水野くんはこっちを見ようとはしない。
そんな水野くんに、あたしは他に何かを言えることはなく…静かに、リビングを後にした。
こういうふうな別れ方を選んだのは、あたしだから。
これでいいんだ、
そして、部屋に入ってベッドに寝転がると、その時ふいに携帯が鳴って公ちゃんからメールがきた。
“あした、何時に行くん?”
そのメールに、あたしは“7時発の新幹線に乗る”と、“でも、見送りはしなくていいから”って送ると、また携帯を閉じて部屋の電気を消した。
………一方、そんなメールを受け取った公ちゃんは深くため息を吐くと、携帯を閉じる。
その返信は、アイツらしいけど…。
******
翌朝。
けたたましいアラームの音で、目を覚ました。
枕元にある、音の原因であるその携帯に手を伸ばすと、あたしはその音を止める。
また目を瞑ると二度寝しちゃいそうだから、眠気眼でベッドから上半身を起こしてアクビをした。
……眠い。
結局夕べは、あれからなかなか寝付けなかった。
今日からのことが不安だからなのと、それでも楽しみな気持ちもあるのと……水野くんと離れるのが、嫌なのと…。
色んなことを考えてしまって、寝付けなかった。
…水野くんは、普通に眠れただろうか。
あたしはそう考えると、再度またアクビをして私服に着替えた。
…………
着替えて一階のリビングに下りると、あたしは昨日のうちに買っておいたコンビニの菓子パンを食べた。
…でも何故か、あんまりお腹が空かない。
凄くモヤモヤした気持ちを抱えながらも何分かかかって食べ終わると、その時視界の端に白いものがうつって…
「…?」
ふとそこに目を遣ったら、そこには水野くんのウサギちゃんがあたしを見つめながら座っていた。
……そっか。
キミとも、今日が最後なんだよね。
お兄ちゃんに、よろしく言っといてよ。
あたしはそんなことを思うと、その小さな体を優しく撫でた。
…今日が最後だけど、やっとあたしに慣れてくれたかな?
このコと離れちゃうのも、寂しいや…。
新幹線に乗るまでには、まだ少し時間はある。
その後もいろいろ出掛ける支度をすると、あたしはふいにリビングの時計に目を遣った。
…ここから駅までは、歩いてもそんなに時間はかからない。
発車時刻になるまでは、まだ随分と時間があって…。
あたしは、リビングを出ると静かに階段を上って水野くんの部屋に向かった。
…顔を見るのは、昨日で最後だったはずだけど。
でも、もう会えないって思ったら、物凄く寂しくなってくる。
そして水野くんの部屋のドアの真ん前に来ると、あたしは静かに深呼吸をしてドアを開けた。
“じゃあ、明日の朝は…俺を起こさないように…寝てる間に静かに行けよ”
…水野くんに言われた通り、あたし自身が望んだ通り、絶対に起こさないようにしなきゃ。
そう思いながらドアを開けると、そこにはベッドの上でぐっすり眠っている水野くんがいて。
あたしは、なるべく足音を立てないように、静かに水野くんの傍に歩み寄る。
枕元まで来ると、そのまましゃがんで水野くんの寝顔を見つめた。
「…、」
…無邪気な寝顔。
長い睫毛。
綺麗な黒髪。
何より、整った顔。
ほんと、あたしには、勿体ないくらい。
でも水野くんなら、あたしよりももっと良い人と出会えるから。
そう思って無理矢理に微笑むと…その笑顔が歪んで、突如、涙が溢れだした。
「…~っ」
その涙は次々と頬を伝うと、そのままあたしのスカートに滲んでいく。
止まれ、止まれって何度もそう思って涙を拭うけど…それは止まってはくれない。
…ほんとは、別れたくない。
傍にいたい、ずっと。
そう思いながら泣いていると、しばらくして…ふいに、水野くんが目を覚ました。
「…!!」
まさかこのタイミングで起きるなんて思わなかったあたしは、泣いているのを知られたくなくて、不自然に顔を背ける。
「…お、起きたの?」
そして不自然な姿勢であたしがそう聞くと、水野くんがベッドから上半身だけを起こして言った。
「…いや、ずっと起きてた」
「っ、!?」
「ぜんぜん眠れなくて」
そう言って、「はぁー」と深くため息を吐くと…
「…真希、」
「?」
「行くなよ」
一言、そう言った。
そしてその言葉が降ってくると同時に、あたしは正面から水野くんに抱き寄せられる。
その腕の力は、今までにないくらいに凄く強くて…
「…お願いだから、行かないでほしい」
「!」
そう言って、あたしの首筋に顔を埋めた。
…水野くん…
「こういうこと、言わない方がいいって。俺が言えることじゃないってずっと思ってたけど…でも、ダメだった。このまま真希を離したくない、」
水野くんはあたしの耳元でそう言うと、ぎゅうっと痛いくらいに抱きしめ続ける。
その言葉に、あたしも心がもっと苦しくなって…。
ますます、涙が止まらない。
声を出せないでいると、水野くんがあたしを抱きしめたまま、言った。
「…俺さ、やっぱ、真希が好きだ」
「!」
「居る場所は離れ離れになっても…この繋がりだけは、どうしても無くしたくない」
「…、」
「別れたくない。真希は?」
そう言って問いかけると、水野くんはあたしを抱きしめていた腕を少しほどいて、至近距離であたしを見つめてくる。
その視線と言葉に、心臓がうるさくなって…
あたしは泣きながら、心の内を吐き出した。
「…好きだよ」
「…」
「あたしも…水野くんが好き」
でも…
「でも離れちゃったら、不安なんだもん」
「…不安?」
「だって水野くん凄くカッコイイしモテるから、あたしのことなんか離れてるうちに忘れられちゃいそうで…」
「!」
「それに、逢いたくてもなかなか逢えなくなるし、あたしだって我慢できるほど強くない。だから、全部、自信が無い」
あたしはそう言うと、未だ溢れ続ける涙を両手で拭う。
やっと言えた本音に、水野くんはまた黙り込むかと思いきや…次の瞬間、小さくため息を吐いて言った。
「…バカ真希」
「!!」
…え、ばっバカ…!?
「…何それ」
その思わぬ言葉にあたしがそう言って少し口を膨らませると、水野くんはそんなあたしに落ち着いた口調で言う。
「…んなモン、俺だって同じだっつの」
「え、」
「俺だってこう見えて…いろいろ考えてんだよ。…夕べとかもずっと、眠れない間…
真希は別の学校に編入するから、他に好きな奴とか出来るだろうなぁって」
「!」
「不安で仕方ないのは、俺も同じだよ。
でも俺は、もう真希しか見ない。真希のことしか好きじゃないから、心配すんな」
水野くんはそう言うと、あたしを励ますように優しい笑みを浮かべる。
その言葉に、少し心が軽くなるけど…
「…ほんと?ほんとに、浮気しない?」
「しないしない」
「他のコ、好きになったりもしない?」
「しないよ」
「っ、じゃあ、すんごく可愛いコから告られて、いっぱい迫られてもっ…」
…だけど、あたしが不安いっぱいでそう言っていた時…
その瞬間、突然水野くんに言葉を遮られるように…───キスをされた。
「…!?」
一瞬何をされているのかわからなかったけど、数秒くらい重なっていたそれが離れると…水野くんが、至近距離であたしに言った。
「…信じろよ。俺は真希だけ。じゃあ逆に聞くけど、真希は?」
「…しないもん、浮気なんか」
ってか、恋愛初心者のあたしなんかが、浮気なんて出来るわけないし。
だけどあたしがそう言うと、水野くんが疑いの目であたしに言う。
「えぇー、ほんとかなぁ」
「!」
「信じられねぇな」
そう言って、ため息交じりにあたしを見つめる。
けど…
「しないってば!信じてよ、」
思わず必死になってそう言った瞬間、あることに気が付いた。
「……あ、」
そしてそんなあたしに水野くんが気付くと、あたしの頭に手のひらをぽん、と遣って言う。
「な?」
「!」
「同じ、だろ?」
そう言ってまた、優しく笑う。
その言葉に、あたしは黙って頷いて…
謝ろうとしたら、それを遮るように水野くんが再び口を開いて言った。
「…学校、卒業したら迎えに行くから」
「!」
「浮気しないで黙って待ってろ」
そう言うと、今度はあたしの髪を乱すようにぐしゃぐしゃとそれを撫でる。
ちょ、せっかくセットしたのに!
「…強制デスカ」
「嫌?」
「……大歓迎、です」
そしてそう言って顔を赤らめるあたしを、水野くんがまた強く強く抱きしめた。
「も、可愛すぎ。思わず押し倒しそうになったよ今」
「!?っ、やめろ変態っ」
…最初は苦手だった同級生は、今は大切な恋人になって。
今日から少しの間、離れ離れになってしまうけど…もう、寂しくない。
あたしはもうすっかり涙が渇いた顔に笑みを浮かべると、やがて水野くんに言った。
「じゃあ、またね」
「うん」
「いってきます」
そう言って家を出た空には、どこまでも綺麗な青空が広がっている。
あたしはキャリーを引くと、全てが始まったその家に背を向けた───…。
…………
「…見送りはいらないって言ったのに」
「いや、見送りじゃないし。ただ見に来ただけだし」
その後は、水野くんの家を出たあたしは真っ直ぐ駅に向かった。
改札前までたどり着くと、そこにはあたしより先に来ていたらしい公ちゃんがいて。
あたしが少し口を尖らせて言ったら、公ちゃんは意味がよくわからない台詞を口にした。
……まぁ、いいけど。
「向こう着いたらラインくれや。返信はしないけど」
「しないのかよ。ま、わかったよ。ラインする」
そしてやっぱりマイペースな公ちゃんとそんな言葉を交わすと、あたしはキャリーを引いて…
「じゃあ、もう行くね。ばいばい」
「!」
そう言って手を振ったけれど、何故かその瞬間…
「ちょ、待った!」
「!」
そんなあたしの腕を、公ちゃんはそう言って引き留めた。
「…え、何」
そして突然のそんな公ちゃんの言動に、あたしはビックリして首を傾げる。
早く行かなきゃ、乗り遅れちゃう。
あたしがそう思って待っていたら、公ちゃんが少し言いにくそうに言った。
「もうちょいいいだろ。しばらく会えなくなるんだし」
「いやでももう、」
行かなきゃ。
しかし、あたしがそう言おうとしたら…
「真希!」
「!」
その時───…
ふいに遠くの方から、そんな聞き覚えのある声が聞こえてきた。
この声は……歩美…?
まさかここで歩美の声に名前を呼ばれるなんて思ってもいなかったあたしは、まさかのその声に一瞬耳を疑う。
…いやまさか。
でも…
そう思いながら、声がした方を向くと…
……居た。
少し息切れをしながら、確かにこっちに向かって走ってくる歩美の姿が。
「あ、歩美…」
どうして…?
どうして、歩美がここに…?
あたしがそう思いながら立ち尽くしていると、やがて歩美があたしの目の前まで来て言う。
「はーっ…ま、間に合った…」
「…え、あ…」
「今日出発ならそう言ってよ、バカ真希!」
歩美はあたしにそう言うと、両手を自身の膝につきながら息を整える。
でも一方のあたしは、思ってもいなかった歩美の登場に色々わけがわからなくて…。
「…どうして?」
ビックリしながらそう呟いたら、公ちゃんが言った。
「俺が呼んだ」
「……え」
「まず、真希が引っ越すって知った時に俺が歩美にそれを伝えたんだよ。で…」
「それを聞いたあたしは、すぐに水野くんに確認したの」
「!」
歩美は公ちゃんの言葉を遮ると、そう言って再びあたしを見た。
…久々にまともに合った、視線。
それは、いつかの夏祭りの夜のことを思い出すけれど…
「あたし、その時水野くんに色々……ほんとに色々言われたの。真希のこと。
……で、なんか上手く言えないけど…率直に言うとあたし、真希と仲直りがしたくてここに来た」
「!」
「あたし、もう一度真希と親友に戻りたい」
歩美はそう言うと、少し照れくさそうにしてあたしを見つめる。
それを言われたあたしは、歩美のそのたった一言に、冷たくなっていた心が一気にとけだして…
「…許してくれるの…?」
思わず嬉しくて泣きそうになりながらそう問いかけたら、歩美がはっきりと言った。
「もちろん!あたし、心変わりが早いの。それは真希が一番知ってるでしょ?だからもう全然平気」
「!」
「それより、離れても連絡ちょうだいね。あたしも……ウザイくらいに連絡するから!」
そう言って、前みたいな笑顔をあたしに向けてくれて…
「…ありがとう」
思わずこぼれでた涙を拭いたら、公ちゃんが言った。
「真希、そろそろ時間」
「あ、そだね」
そしてその言葉に、あたしは再びキャリーを引いて二人に言った。
「じゃあ、またね」
そう言って、軽く手を振る。
バイバイは言わない。
またいつか会うから。
あたしはそんな二人にそっと微笑むと、少しの寂しさを抱えながら改札を抜けた───…。
『親友の彼氏と、一つ屋根の下。』
─完─
親友の彼氏と、一つ屋根の下。 みららぐ @misamisa21
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