最近流行りのアレ

@hatsuka_daikon

なんで買わないの?

 アレが流行りだしたのは去年のことだったと思う。ほとんど前触れもなく爆発的に流行った。突然テレビがアレに触れだし、巷の女子高生は寄ってたかってアレを持ち歩いていた。

 若者だけの話かと思ったら、同僚や定年直前の上司などもアレを語っているのだから、突如自分だけが取り残されたのかと不安になった。若者だけの話なら、同僚と今の若者はやってることがわからんと愚痴り合えばそれで済んだ。しかし、今回はそれを許してはくれないらしい。

 自分はアレに全くの興味も魅力も感じないのに、世間がこぞってアレをいいというのだ。

 これまで自分は流行りに遅れないように毎週雑誌を買って、ネットでも色々調べて、頑張ってついてきたはずなのに、アレだけは全く理解をできないのだ。同様にそんな自分は人から全く理解されなかった。後輩からは遅れてますねと言われ、上司からはそんなんじゃこれからやっていけんよと笑われる。

 そして、いつの間にかアレは家庭にも忍び込んできた。

 ある日帰宅すると、玄関先にアレがあるもんだから、驚き家内に尋ねると、

「いや、前々から気になってたんだけど、とうとう買っちゃった!」

 とのことである。

 まるで、自分以外の人間がみんな頭がおかしくなって、カルト教団に入ったのかと思った。いや、おかしいのは自分の方なのだろうか?

 これは手に入れてみれば分かる類のものなのだろうという思いが、まるで自分を納得させるかのように浮かんできた。こうなってくると今度は逆になぜ今までそうしようとしてこなかったのかという気分が湧いてくる。手に入れてみれば理解できる喜びを今までドブに捨てていたのだ。これは1秒も早く手に入れたくなってきた。

 そう思い、早速その日の仕事終わり、駆け足気味に買いに向かった。

 気は惹かれなかったが一応調べはしていたので、売っている場所はよく知っていた。この周辺で最も大きい駅から歩いて10分ほど行った、やや人の少ない通りで最も大きなビルのそばにある地下への階段。3階分を歩いて下った先には鉄でできたものものしいドアがあった。全体的に錆びているものの、取っ手の部分だけはよく触られているせいかつるんとしている。

 シーンと無音が鳴り響く。唾を飲む。覚悟を決めてドアに手をかけた。

 そのドアを開けると、予想以上の大きな地下街になっていた。そこには信じられないほど大量の人が押し合いへし合いしながらそこにいた。

 ドアをくぐる前とのギャップに思わず、えっと声が出てしまう。そして、こんな時間にここまで大量の人々が辺鄙なここに集まっていることに、目を大きく開く。

 恐ろしいことは道沿いに並ぶ大量の店舗はもちろん全部がアレの店なのだ。一瞬店同士で客を食い合わないのか不安になるが、この繁盛を見る限り杞憂というものなのだろう。

 そこに集まった人々はまさに老若男女だった。家族連れがいれば男子高校生のグループもおり老夫婦もいた。塾帰りと見られる小学生もいるから、まさにカオスであった。

 しかも、その全員がアレを持っていた。ある女子高生は頭に乗せて、あるサラリーマンは齧っていた。何も持っていないのは自分だけで、とても浮いていた。すれ違う大量の人たちからジロジロ見られとても居心地が悪い。なので、自分は俯いて足早にすぐ近くの店に飛び込んだ。

 その店は全体的に原色を派手にあしらった店でとても目が痛い。そんな中にスーツ姿の自分がいるもんだから、場違い甚だしい。はずなのに、他にもスーツ姿がいるので自分の目を疑うのだ。

 棚には大量にアレが展示されていた。カゴに入れられているものもあれば、水槽に入れられているものもある。他にも天井からぶら下げられていたり、原色の壁に飾られていたりした。

 それぞれ個々に値札はなく、レジの奥の壁に「全部7,500円!」と書かれたポップがある。だから、全部同じ商品なんだろう。もちろん自分の目で見ても違いは全くない。しかし、本当に同じなのかわからないので、近くにいた店員に声をかけた。

「これ、一つ欲しいんですけど、どれがいいんでしょう?」

 店内にある色々なアレを指しながら尋ねると、店員は一瞬何を言っているのかわからないような表情をした後、満面の笑顔で言った。

「あぁ!初めてのお客様ですか!そんな人が今更いるなんて!」

 さらっと時代遅れだと指摘されたような気がして少しムッとした。しかし、よく見たらこの店員目が笑っていない。瞳の奥がまるで深淵のように真っ黒で吸い込まれそうな気がした。背筋をなぞる一筋の汗。体温がスッと下がる。足が震える。

「初めてでしたら!こちらの商品が!いかがでしょう!」

 鳥肌を立たせている自分を置いて、ハイテンションに店員が指差したのは入り口付近に置かれたケージに入ったアレだ。通りを歩く大量の人がまじまじと見ている。自分から聞いたはずなのに、全く違いが分からないケージのアレを示されたのが理解できず気味が悪かった。

 ここに来るまでのやる気が嘘のように消え、それと反比例して早く帰りたいという気持ちが強くなっていた。

「…んじゃ、それで…お願い、します…」

 蚊の鳴くような声で自分は答えた。すると、店員は口が裂けそうなほど更なる満面の笑みになって(当然目は笑っていない)高らかに叫んだ。

「åøµ$@一つ入りまーーーーーーす!」

 冒頭はなぜかノイズが入ったかのように聞こえなかった。と思ったら店内の店員だけでなく、客、しかも外にいる人まで全員一緒になって

「ありがとうございまーーーーーーーす!」

 と答えたのだ。そう叫ぶ人の誰もが店員同様目が一切笑っていない口だけの満面の笑みを浮かべていた。

 本能がやばいと警告をガンガンと鳴らしていた。その警告は脈となって脳を打つ。汗が滝のように出る。ここにいる人は本当に人間なのか?という問いまで浮かんでくる。しかし、逃げ出せば、それこそ殺されるような気がしたので、大急ぎで会計を済まし、店員が手渡してきた紙袋を奪い去るようにして、逃げるように家に帰った。

 後ろからまたも地下街にいる人全員の「ありがとうございまーーーーーー」という声が聞こえたが、重い鉄の扉がその声を途中で遮った。

 帰宅の道中こちらを見てひそひそと話す人もいれば、大丈夫ですか?と声をかけてくれる人もいた。おそらく自分が異様なほど顔色が悪かったのだろう。しかし、そう言った人すべてがやはりアレを持っていた。その度にさっきの場所が脳裏に浮かんだ。さっきの異様な集団の叫び声が、鼓膜を叩いた。

 これまで、自分が生活してきた世界が途端に信じられなくなり、足元から崩れていく音が聞こえた。奈落に落ちる直前に家に着き、家族に何か言われる前にトイレに閉じこもった。

 外から何か声が聞こえるが、もはや何を言っているのかはわからない。おそらく家族が何か言っているのだろう。もう何も考えたくなくて自分は頭を抱えて、うずくまった。

 そうして何時間が経っただろうか?もう、外からは何も聞こえない。まだ心拍数は早いが、だいぶ落ち着いた。ふぅと息をついたら目に入るアレの紙袋。かなり落ち着いた自分はアレを見る勇気が少し出ていた。

 紙袋をそっと開く。包装も何もされず、アレはただそのままでその中にあった。触れるのにはかなり勇気が必要だった。何度も深呼吸をする。何度も深呼吸をする。何度も深呼吸をする。そうして、意を決してえいやと触れた。

 走る電撃。バチバチバチッと脳ではじけた。視界が真っ白になってー。

 ん、どうやら気絶をしていたようだ。しかもよく見たらトイレじゃないか。なんで、こんなところで気絶をしていたのだろうか。スマホを見てみるともう日が変わろうとしている。まだ風呂も入っていないのに、と絶望的な気持ちになる。仕方ない。今日は体調が悪かったんだろう。そうして、自分はアレを頬張りながらトイレを出た。

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