虹を追うような心で

九十九 那月

虹を追うような心で

「夏を追いかけに行こうよ」


 どんどん、と騒々しく家のドアを叩いて現れた君は、いきなりそんなことを口にした。

 唖然として立ち尽くすぼくの手を引っ張って、彼女はずんずんと歩いていく。八月の終わり、もう夏もこれから去り行こうとする頃。夕方の空の下で、蝉の声が控えめに少しだけ聞こえていた。


 君と、君に引き連れられた僕は、商店街をぐるぐると歩き回った。君は時々店に入っては何かを探しているようだったけれど、なかなかお目当てのものが見つからないらしく、しばらく見て回った後は店を出てまた次の店に向かっていった。

 そうして回ることしばし。日の暮れた頃、古びた文房具屋に入った君は、何かを見つけたのか、僕の方を振り返って笑顔を浮かべる。

 その手には、何本かの花火が握られていた。

 僕はため息をつく。季節外れも甚だしい。

 けれど君はとても嬉しそうな様子で、花火を選び取っていくのだった。


 店を出て。その頃には日も傾いて。

 薄暗くなった河川敷で、僕と君は花火に火をつけていた。

 両手の花火から火花を振りまいて、君は目を輝かせて、遠くに歩いていく。その様子を横目に見てから、僕は手元で火花を散らす花火を眺めている。

 綺麗だな、と脈絡もなく思う。そうはいっても花火なんてもうすっかり見慣れてしまったもののはずなのだけれど、それでもそんな風に思うのは、ひょっとしたら夏の持つちょっとした空気のせいなのかな、と思った。

 夕闇の中でもまだほのかにじっとりと暑い。首筋には少しだけ汗が滲んでいた。


 二人で線香花火を見つめながら、僕は君に聞く。

「夏を追いかけに行こう、ってどういう意味?」と。

 すると君は、ちょっとだけ笑って。

「虹を追いかけるみたいなことがしたかったんだ」と口にした。


 虹を追いかけるみたいに。

 意味がないみたいに思えても、いや、本当に意味なんて何もないんだけどさ。

 だけどなんだか、そんな馬鹿なことがしたくなっちゃったんだ。

 なんだか、夏がどこかに行っちゃうみたいな気がして、さ。行かないで、って必死に追いかけたくなったんだ。


 そう語り終えて、弾ける光に照らされた君は、なんだか少し照れているように見えた。

 そんな君になんと言葉を返していいかわからなくて、「そっか」とだけ呟いて、そのまま花火を眺めていた。


 帰り道はゆっくり歩いて、そうして家の前で「じゃあね」と手を振って別れた。

 けれど、寝るときになっても、あのとき垣間見た君の、あの恥ずかしそうな表情だけがずっと焼き付いたみたいになって離れなかった。


 そんな、虹を追うような一日の話。

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