ことば
ものを書くならば、わたしはもっとことばを勉強する必要がある
と、毎日のように思っている。
でも、ことばってなんだろう。
教えられたことば、学んだことば、触れたことば、発することば、どれもちがう。
それは、ひとの作品を読むことで培うことができるものかもしれないけれど、それはあくまでもそのひとのことばであるので、純粋なことばとして吸収することがむつかしくなるように思われるので、わたしには辞書のほうがよほどいいらしい。
ひとの作品は、あくまで「読む」ものだと、このごろは思う。
たとえば、太宰治の『女生徒』を読んだすぐあとに書いた掌編が、あまりにも『女生徒』的で、熱がさめたころに読み返してすっかりげんなりした記憶がわたしにはある。
十七歳のころだったと思う。
カーテンをしめきった薄暗い六畳の自室にこもり、昼過ぎに起き、安いウィスキーをがぶがぶ飲み、厭世というには幼すぎるしまるで世間も知らないくせに、世をさとったような冷笑をきどり、太宰や坂口安吾や中原中也などを読みふけっていた時期だった。
無頼派だの、デカダンスだの、ダダイズムだの、知りもしないくせにそういった雰囲気をまとうことで、なにものももたない自分にいつわりのかざりをつけ、酔っていたかったのだろうといまにして思う。「フツカヨイ」的な錯乱のなかで、転げまわっているうちにおわった十代だった。
それは中学時代にした「幸せの前借り」のツケだった。トルエンへの依存からおこる離脱症状がつねにあり、そのくるしみから逃れるためだけの飲酒だった。味などはまったくわからないまま、起きているあいだは酒を飲みつづけた。
家からはめったにでなかった。外に出ることがこわかった。
暴力団の事務所に一晩軟禁されたり、夜中に暴走族に拉致されたりといった、まだ生々しい記憶のために「夜」がおそろしくなったり、バイクの音にさえ飛びあがったりした。
友人に裏切られたり裏切ったり、それを延々とくりかえした泥沼の日々が、いつまでも網膜から消えず、ひとと話すこと、ひとの顔をみることができなくなった。
たとえば、玄関で靴を履く。そこからどうしても動けない。
一時間たち、二時間たっても玄関にすわっている。予定の時間はとっくに過ぎている、それでもなお座っている。
窓のそとが赤く焼けてきたころやっと正気にかえり、あまりの情けなさに声をあげて泣いたりもした。
起きてから眠るまで、ずっと死にたかった。
過去はおそろしい地獄のそこにあり、未来はそびえたつたかいたかい壁の向こうにあるような、その壁をなんとかこえたところで、そこにはなにも用意されていないような、あまりにもあいまいでおぼろげで、不安の種でしかなかった。
一秒が、とほうもなくおもくながく感じられ、また、羽毛ほどにかるく多くまったく無価値にも思われた。
そういうときに出会った本が、いまのわたしの骨になった。
太宰治、三島由紀夫、坂口安吾、
宮沢賢治、高村光太郎、中原中也、石川啄木、
ゲーテ、ヘッセ、リルケ、
ボードレール、ランボー、ニーチェ、
文学だけではない、
司馬遼太郎、野島伸司、平泉澄、和辻哲郎、
細江英江、土方巽、つげ義春、丸尾末広、
それから、聖書、仏教聖典、論語、老子、荘子、禅・・・
あるいは文学、あるいは宗教、あるいは哲学、写真、演劇、漫画、
それらはすべて一冊の本として枕頭にあり、わたしを守り、わたしを補い、わたしをつくる手助けをくれた。
聖書をかかえてカトリック教会の門をたたいた。
誰もいない礼拝堂でマリア像のまえにひざまづく、わたしの胸のうちにずっとわだかまっていた罪悪感が、尽きない涙になって聖書のうえにおちるのを見た。
ランボーの詩集だけを携え、朝もやのなか自転車で旅に出た。
衝動のままに走り、すっかりくたびれたとき、自分には帰る家があることを知った。お布団のあたたかさ、母のつくるごはんのおいしさ、親の庇護のありがたさを知った。
認識することすらできなかった自分の感情を、太宰や三島がことばにして物語をあんだ。
賢治や光太郎がことばにして詩をあんだ。それらの本をひとつ、ひとつ読みおえるたびに、窓からみえる世界が色を変え、そのたびにわたしは新しく生まれていった。
生まれなおしたと言ってもいい。
生は与えられるもので、それを選ぶことはできない。
与えられた生をどう使うか、それがそのひとの生きかたになるのだろうけれど、わたしはそれに意味を見いだせずに、生まれたついでに生を消費していたに過ぎなかった。
ただ、本に触れたことで、「ことば」によって、わたしは自分で自分を生むことができることを教わった。ほんとうに運がよかったのだと思う。
それから、自分が見てきたものをことばにかえる試みをはじめた。
原稿用紙数枚の『毛布』という掌編ができた。まるで足りなかった、次から次に書きたいことが浮かんだ、それらをすべて書いていった。
出来はどうでもよかった。ただ自分を自分のことばであらわすこと、その行為そのものが目的だった。だからこそ、誰かに影響を受けたまま「誰かのまね」をしながら書いたものをそこに見つけることがいやだった。
そのころのわたしにとって、それは無意味なことだったから。
読んで、書いて、そうしてあたらしい自分の輪郭ができていったように思う。
ことばを杖のかわりにして、わたしはようやく社会に出ることができた。
対人恐怖をのりこえ、なんとなく社会の一員のフリができるようになり、就職し、結婚し、次第に小説や詩を読まなくなった。
仕事に関する本ばかりを読んだ。いまでは一瞥もくれてやらない類の、いわゆるビジネス書というものばかりを読んだ。当時はそれを必要と感じていたし、それでよかったのだろうといまは思う。二度と手にすることはないだろうそれらの本でさえ、いまのわたしをつくる材料のひとつであったことには違いない。
だからだろうか、わたしはどんな本であれ「できれば」否定したくない。
自分は読まなくとも、誰かが読み、なにかをうけとったり、感動したり、自分の材料にかえていくのだろうから。
それがどんな本であれ。
「文学」なんて、ただのことばでしかないのに、そう呼ばれるものばかりをありがたがって「ラノベなんて」とばかにするなら、そのときわたしはことばの楽しみや面白みを失うだろう。
心地のいいものばかりを選んで、作者の血をもって書かれた芸術としての作品を避けてとおるなら、そのときわたしはことばの深みと本質を失うのだろう。
読んでみて、自分に合わないものは読まなければいい。編集者でも作家でも学者でもない、わたしは一介の植木屋だ、読まなくてはいけない本などない。
ひとこと、「いい本なのだろう、わたしにはわからないけれど」だけで済むものを、わざわざ否定することはよそう。
そうしたときは、そっとその本を閉じ、棚へもどそう、あるいは市場にまわそう、誰かがきっと手にとるのだから。
本はそうしてバトンのように、ひとからひとへまわっていくのだろう。
わたしは、自分のことばを見つけた。
あのころのように、誰かのまねをするのではなく。
そしてこれは、わたし以外の誰のものでもない。自分だけのことばを見つけた。
それから、わたしのバトンを書きはじめた。
書かれる文は、いままでより自由になった。
そしてことばをもった。
わたしたちを綴じてくれ、とわたしにむかって言う。
その声に応えることが、わたしの生のつかいみちだと、いまは思う。
わたしにまわってきたバトン。
それは重く、重く、赤い、きっとこれは血の色だ。
書いたひとの、読んだひとの、血だとおもう。
それから、わたしがまわしていくバトン。
それはわたしの書いていくもの。
わたしが書かなければ、この地上には決してあらわれないもの。
似たようなものは無限にあっても、おなじものはあり得ない。
宇宙にひとつの言葉。
網膜の記憶。
鼓膜の証言。
わたしの見てきたもの、すべて、ことばにするから。
わたしの残りの人生をかけて、バトンをまわすから、うけとって。
うけとったら、はしって。
あなたの道を。
そのさきに待っているひとに、あなたのバトンをわたすまで。
有楽随筆 森 侘介 @wabisukemori
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