第13話 空から

「お兄ちゃん、結婚おめでとう。」

「おう、ありがとう。」

「めでたいなあ。」

ルーサーも嬉しそうにしている。

「あなた、同級生が探してたわよ。」

嫁が俺に話しかける。

「ああ、今行くよ。」

嫁の顔がよく分からない。思わず肩をたたく。それに反応するように口を薄く開く。

「…あなた…。」


そこで目が覚める。なんて中途半端な夢だ…。

あれから1年が経った。

もう女とも遊んでいない。

誰とも連絡をとっていない。

たしかに、辛くなくなったら夢を沢山見れたらいいとは言ったが、最近はやけに夢を覚えていることが多くて、神様とやらがあるものなら、俺が寂しくないように、強制的に見させてくれているみたいだった。

仕事と家との往復で、お陰様で仕事がはかどるくらいだった。

いつものようにルーサーをたたき起こし、2人で職場に向かう。

「じゃ、行ってきます。」

ルーサーは元気に言う。早めに来ていたという子供に声をかけて親しげにしている。それを見送って、俺も職場に向かう。

「よう、もり。おはよ。」

「よう、もうおはよって時間じゃないけどな。」

「まあな〜、俺達の仕事は夜からだからな。」

同僚といつもの会話をする。ほぼ毎日していて飽きないのがすごいと思う。同僚は成績が2番手で、1番を狙っている。

「お前は今日予約あったのか。」

「ないけど、俺の客はいつも飛び込みが多いんだよな。」

同僚が肩を落とす。こいつの客は気まぐれな女が多くて、急に来てはこいつとイチャイチャして、夜の街に消えていく。余分に金が貰えるからいいんだと言っていたが、俺はもうそんなに女で遊ぶ気になれない。

「もりは?今日何件入ってるの?」

「俺は常連客の2人がいるけど、どっちにも持ち帰りは断ってる。」

「え、まじ…?そしたら給料そこまで入んねえじゃん。せっかくお前成績1位なのに。」

「いや、いいんだ俺は。酒だけ飲んで話してもらって、帰ってもらう。」

本来客の依頼を断るのはご法度だが、店長もなんとなく納得している。

「あー…俺そろそろ結婚しなきゃいけないのになあ。」

「なんだよ急に。」

「親がさ、うるさいんだよ。」

なるほどね…。俺もルーサーがエレナの次はお前だなと言っていたが、そんなに急にできるものでもないし、俺は女の扱いとか向いてないから。

「RIKU〜!会いたかった!」

20代前半くらいの女が駆け寄ってくる。

「おう、来てくれてありがとう、ここ座りや。」

女は席に座るなり今日あったことを話し出す。楽しかったこと、悲しかったこと、嫌だったこと、これからのこと。

「RIKUは、彼女いないの?」

たまたまいなかったから良かったけど、この質問はある意味この仕事の人にはタブーな質問だ。

「いないよ、今は俺に会いに来てくれる女の子を大事にしたいんだ。」

半分くらいしか思ってないことをさも本当のように言うのって難しいなと思った。

「…結婚しなきゃ、とか思う?RIKUは私より年上だよね?多分…。」

「うん、そうだね。しなきゃとかいう義務感は感じていないけど、できたらしたほうがいいかなとは思ってる。」

そうか〜…と、女は真剣に聞く。この人はふーんとか、あっそうとか言わないんだな。こんな仕事してるやつの話をまじなテンションで聞くのも珍しいな、と、この人に至っては初めて会った時から思っていた。

「俺は…もう人を傷つけたくないから、ちゃんとした恋愛みたいなのはしないつもりなんだ。そこそこいい人とゆっくり過ごしたいんだ。」

「…そうなの?なんだか、RIKUらしくないね。」

常連とはいえ、自分の話なんてほとんどしないのに、ついポロッと言ってしまう。

「プライベートのRIKUを知らないから分からないけど…前はもう少し女の子と遊んだり、クールな感じだった気がする。」

「…どっちの俺が好き?」

「うーん…男っぽいほうがドキドキはするけど、今のRIKUと付き合えたら、女の子は大事にされるだろうし、幸せだろうね。羨ましいよ。」

そういうことを穏やかな笑顔で言えるこの人がすごいと思った。ここに来るような女は、俺たちのことを独占しようとしたり、この店に来ている間くらいは自分のことしか見て欲しくないという人も多い。

「…この仕事も、そろそろ辞めようと思ってる。」

「そうか…勿体ないけど、RIKUとはまたどこかで会えたらいいなあ…。」

私にとって……。

何かボソボソ言っていたが聞こえなかった。

「…仕事終わったら、2丁目のとこでコーヒー飲もうと思ってるんだ。君も来る…?」

お持ち帰りとかそういうことじゃなくて、単にこの人ともっと話しておきたいと思った。俺の人生の中でおおきなヒントをくれそうな気がしていた。

「…いいの?…じゃあ、コーヒーだけにしようね。」

俺が前にもう店の外には一緒に行かないと言っていたことを気にしているようだ。

「俺は…マンデリンで。」

インドネシアの変わった味のコーヒーだ。

「わ、私はカプチーノ。」

俺がいつも行くコーヒーの店だったが、この人は初めて来たみたいだった。

「RIKUは、コーヒー好きなの?」

「ああ、酒よりすきだよ。」

「それでよく、今の仕事してるね。」

「することがなかったんだ。金もなかったし、親がこんなような仕事をしてたんだ。」

「そうだったんだ。」

「俺…自分ってものがどんなのか、1年前にふとわからなくなったんだ。」

「そうなの?」

すっと頷く。

「でも…少し…わかったこともあって。」

向こうもすっと頷く。

「さっきも似たようなことは言ったけど、感情に揺さぶられずに、したいこととか思ったこと、そのまま自分で受け入れられるようになりたい。感情をコントロールするって言うのかな…。そんな相手がいい。」

本人には言えないが、今目の前に座っているこの人は、まさにそんな感じだ。感情が動くことなく、それなりに大人として普通で、魅力的。

「…それは、楽かもしれないけど恋じゃないかもね。」

「…?」

いまいち釈然とせず、顔が固まる。

「恋って、本能的なものだと思うよ。この人とくっつきたいとか、ちょっとだけ独占したいとか、愛おしいって思ったりとか…。それは傍から見るとカッコ悪かったり、ちょっと怖いくらいにその人のこと好きになってたりするけど、それが恋だよ。」

録音しておけばよかった。それくらい俺には難しいと思ったし、納得できるような気もした。

「そうか。」

いいと思ったのにはそんなコメントしか出ない。

「たまには傷つけちゃうよ。お互いのこと。だけど、それくらい感情が揺さぶられて、相手のこと大事で、必死になれるって素敵じゃない?ちょっと野生的なことだけどね。」

「仲直りできればいい話だし、そういう気持ちが大事ってことか?」

「そうそう、不器用なりに、その人のこと思える気持ちが大事。」

ふふっと穏やかに微笑むその人を見ていると、たしかに癒されはするが、大事に思ったり強く抱きしめたいと思うことは無かった。

「…何か、わかったかな。」

「ありがとう、ここ最近考えていたことがようやく解決した気がした。」

そのあともしばらく転職の話とか、この人のこれからの話を深く聞いていた。これで会うのも最後になるかもしれない。そう思うと、顔をしっかり覚えて、声をよく聞いて、仕草とか、着ている服もよく見ておこうと思った。

「今日はありがとう、無理してない?」

最後まで自分のことを思いやってくれている。

「大丈夫、こちらこそありがとう。」

「また…会えたら。」

この人も、今日が最後だと密かに思っているのかもしれない。

潔く振り返りヒールを鳴らして去っていく。控えめな中ヒールだった。

空はすっかり深みを増して、時計も午前3時になっていた。空からはいくつもの流星群が流れていた。そういえば、ルーサーが好きなお天気お姉さんが今日はペルセウス流星群だと言っていた。

「そろそろ行くか…。」

家に帰るために車に乗り込む。ルーサーはもうとっくに電車で帰っている頃だろう。

…心が揺さぶられる、相手…。

抱きしめたい、大事にしたい、相手。

車のなかに呼出音が響く。

こんな時間だ。出ないかもしれない。気まぐれだった。君と話したくなったんだ。でも気持ちは気まぐれなんかじゃない。もう一度、君と話して、抱きしめて、大事に大事にしたいんだ。


1分くらいして相手がガチャっと出る。

もしもし!

2人して同時に喋る。

あっ…先にどうぞ…。

これもハモる。

「会いたいんだ、お前が好きなんだ。やっと気がついたんだ。お前と俺の立場とか、関係とか、そういったこと関係ない。俺が、お前を大事にしたい、一緒にいたいって思ったんだ。」

うん、とシンプルに答える。

「俺の恋人になってくれ。」

うん、と泣きそうになりながら頷くのが見てなくてもわかった。

「明日、会いに行くから。」

待ってる。とシンプルに答えた。


空には満点の星が輝く。宝石箱のようでありつつ、控えめに、キラキラと瞬いた。


[完]




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