第12話 夢

「…リクさん、おやすみ…。」

名前を久々、というか多分記憶があるうちは初めて呼ばれた気がした。

「ん…。」

ショートカットの髪からいい匂いが俺の鼻まで漂ってくる。

白くて細い指が俺の頭を撫でる。

ひたすら優しく、暖かく、夕日も当たっている。

彼女の顔にも夕日が当たって、あの日の顔に似ていた。色っぽさを増し、影をよりつくり、ほり深くする。


…そこで目が覚める。


…夢か。

夕に連絡をしよう。今何してるんだっけか、アルバイト?お呼び出しかな。どちらにせよ…。


…?


…寝ぼけていた。

もう夕とはお別れをした。

もう連絡もできない。急にブランコの音が耳の中で反響する。

咽び泣く。体を縮める。震わせて切ない声が絞りでる。

「夕…。」

そもそも夕に俺の名前は教えていない。なかなかに無理がある夢だった。なのに気が付かず、寝ぼけていた。夕が俺の名前を呼んで頭を撫でてくれたらどんなに幸せなことか。

リクは、俺の本来の名前とは違うが、日本で下の名前を名乗る必要がある時はリクと名乗っている。

覚めないで欲しかった。暖かい手の感触がリアルで、リアルすぎて、あのとき痩せてしまった夕の手に似すぎていた。

昨日の夜、月のことを思い出して苦しくなったばかりだったのに、今ほんの少し寝た中に夕が出てくるなんて思いもよらなかった。ひどい夢だった。幸せすぎて残酷だった。

最悪な気分に蝕まれながらも、ルーサーに頼まれていた晩飯を作ることにした。棚を開くとパスタがあった。夕と食べた和風パスタを思い出す。ネギを避けていた。俺は好き嫌いするなと怒った。

シチューをリクエストされていたことを思い出し、人参、じゃがいも、玉ねぎ。野菜を切る度にザクザクした音が自分の心髄まで響くようだった。白いシチューがくるくると目の前で回る。

月の白いワンピースが頭に浮かぶ。ヒラヒラして、俺と初めてしたときの服の色に似ていた。

昨日の夜からの得体の知れない悲しみと、今日の夕方の夢のせいで、月のことと夕のことが頭から離れない。

ピロンと通知がなる。

誰だ…?

確認するとエレナからだった。

"お兄ちゃん、月と知り合いだったの?月から聞いたら知り合い〜くらいにしか言わないから余計気になっちゃって"

…どういう関係だったんだろうな。

友達、とは違う。

告白をされて、

本当の愛とやらは何かを考えて、

俺なりに人の心とか気持ちを考えてみて、それで、結局。

人の気持ちなんて考えられず、自分の心どころか、自分がどういう存在なのかも分からずに道に迷ってしまっている。

18、19歳の女の子たちは俺を置き去りにして、というか…あるべき姿に戻って、成長しているというのに、情けないにもほどがある。

たまに自分で考えた。月のこと、夕のことをどう思っているのか。

月と初めてしたとき、誰よりも気持ちいいセックスをしてやる、と思ったし、愛でてやるとも思ったはずだ。

だが、それは、1人の女としての評価であって、俺が好きな女か、と聞かれたら限りなくノーだ。そんな気持ちでしてしまったことに後悔をしつつ、二度とこんな思いはごめんだと思った。

俺はつくづく勝手なやつで、月に相手がいるかもと思ったら不安になって、結婚でもするのかな、嫌だと思った。

単に独占欲。娘のようなというか、自分のことを好きだと言った女があっさり他に行ってしまったことへの嫉妬、自惚れからの目覚め。そんなだったとしたら俺はどこまでクズになればいいのだと項垂れる。

エレナからまた通知が来る。

"お兄ちゃん読んだなら答えてよ"

本当にせっかちなやつだ。そういう質問はサラッと答えられるものじゃないんだよ。

"仲良くしてたよ。よく会ったり話したりもしてた。"

"え、月みたいな美人がお兄ちゃんとなんて話すことある?"

お前…怒るぞ。

"俺が未熟だったから色々相談聞いて貰ってたんだよ。"

嘘ではない。未熟"だった"んじゃなくて、現在進行中である、とはエレナには言わないでおく。

聞いておいてあ、そう〜とエレナは適当に去っていく。

お前、夫には優しくするんだぞ。あっそとか言っちゃダメだ。

「ルーサー、飯。」

「今日はなんだい?」

「んー…今日はシチュー。」

「シチュー!?お前がそんな白っぽくて優しいもの作るんだな。」

「お前…今日シチューリクエストしただろ。」

そうだったけか。と軽く流す。おいおい…自分が言ったことくらい覚えておいてくれ。

「エレナ、月さんと楽しそうだったな。」

もう月のことはいいよ…。

「そうだね。」

「お前とも知り合いならより来てもらって良かったな。」

「そうだね。」

おれが白い液体をすすりつつ皿という個体しか見ていないものだから、ルーサーは別の話をする。

「お前、今の仕事は続けるのか。」

「なんだよ、藪から棒に。」

「…すまんな。仕事を事情にお前のことを放りすぎた。日本で仕事をしなくなって、アメリカにとんでからお前のことはもう15歳から会ってなかったし。お前の仕事は俺の日本での仕事と同じだろ。」

「…なんだよ、それこそ、急に。」

「お前は今、幸せか。」

「いやっ…。」

別に。

と、言いたかった。

「いや…まあ…その…。」

見失ったんだよ、自分を。

そんなことを28にもなって言えるわけもなく、結局別に。と済ませてしまう。

「んー…お前も転職するか?」

心にも思ってないくせに適当に言うのはいつものルーサーのくせだ。

「いーよ別に。」

あ、そうか?と言う。どいつもこいつもあっそうはよくないぞ。

その日、ルーサーとは目が合いそうで合わなかった。ルーサーは自分の育てかたが悪かったから、俺がこんな人間になってしまったと思っているようだった。そんなことはないし、そんなことが原因だったら、世の中腐った人間ばっかりになってしまう。

単に俺の性格というか、環境というか、元の素質みたいなものだ。そう思うとより虚しくなった。

ベッドに入ると、隣のベッドから声が聞こえる。

「なあ、俺、本当にお前のこと幸せにしてやりたいんだ。転職うんぬんは良いにせよ、将来のこと、真面目に考えてみてくれ。」

ありがとう、とも言えなかった。

うん、も違う気がした。

「…俺、そこそこには幸せだよ。俺なりには生きていけるよ。」

死にそうでも生きていかなければ行けない。そうしなくては仕方ないんだ。

昼寝しすぎて、あまつさえあんな夢を見たから眠れない。ルーサーも眠れていない。お前はいいじゃないかまだ。娘が昨日結婚して、息子もそこそこには生きてたんだから。眠れないほど悩むこともないだろ?

明日もお互い仕事なんだ。早く寝ようぜ。

早く寝てくれないと、鼻をすする音が響きそうだった。


しばらくすると、ルーサーの寝息が聞こえた。

俺ももう少しで眠れそうな感じだった。夢の中でしか会えないなら、どんなに切なくても会いたい。そう思ってしまった。夕はどうだろうか。もう自立して大学も受かりそうで、こんな腐りかけた28の男のことは忘れられそうだろうか。夢は、なんの仕業なんだろうか。今は辛くて早く目覚めてしまえばいいと思ってしまう。切なくならなくなったら沢山見られたらいいと思った。



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