第29話 間一髪


 くふくふと妙に間抜けな音が領主の寝息だと理解したのは、スキルを発動してしばらく経ってからだった。スキル使用は反動があるのか体が鉛のように重い。草原を突っ切り、ガルダの街にたどり着いた時と同じ疲労感だ。

 ある程度、体から疲労感をなくすためにユイが呆然と領主の寝姿を観察していると窓が開いた。


「——ユイ?!」


 武装したメイアが窓から飛び込んできた。地獄の無限ループの時と同じ鎧だが、その手には見慣れない硝子瓶。中には蛍光ピンクの液体で満たされている。

 その液体がなんなのかユイは目を丸くさせた。

 メイアも力なく座り込むユイと寝息をたてる領主を見比べて目を丸くさせている。


「無事のようね」


 室内の空気やシーツの乱れから察したのか安心した様子を見せる。


「……助けにきてくれたの?」

「当たり前じゃん。オーナーに頼まれなくっても助けに来るよ」


 力が入らず立ち上がれないユイを察してか、メイアは小さく笑いながら肩を貸してくれた。


「ごめんね」

「ありがとう、でしょ」

「ありがとう。とても、怖かった」


 緊張の糸も切れたのかユイの目からは大粒の涙がこぼれる。気丈に振る舞っていても経験もない子供には耐えれるわけもない。

 顔を伏せて涙を拭っているとメイアがわざと明るい声音で話し始めた。


「アリスから貰った無駄になっちゃった」


 メイアが硝子瓶をふると中の液体が揺らめいた。水よりも粘性が高いようだ。


「これって?」

「眠り薬よ。空気に触れると気化するから床に叩きつけるつもりだったの」


 まあ、とメイアはベッドへと視線を投げる。


「豚領主は眠っているけど。あれってユイがやったの?」

「……分かんない。たぶん、私だと思うけど」


 ユイは首を振る。あの機械音が言うことが本当ならスキル【淫魔の手管】を発動したことになる。

 だが、ユイはそれが自分でやったという認識は低い。


「なんか、変な声が聞こえて『スキルを使いますか?』って」

「変な声?」

「男の人のようにも、女の人のようにも聞こえる機械的な声で頭の中に響いてきたの」

「……その変な声っていうのは分かんないし、詳しいことは後で聞くけど、スキルを使ったってこと?」

「うん。【淫魔の手管】っていうやつ、効能とかよくわかんない」

「ちょっと魔導書貸して。内容見るから」

「ごめん。月涙亭に置いてきた……」


 正しくは自室に。


「流石に防犯意識低いでしょ。持ち歩くべきよ」


 いや、とメイアは考え込む。


「不可視魔法も防衛魔法も使えないなら、こっちの方が安全か?」


(実際は持ち歩くのが不便なだけです)


 口には出さない。怒られるから。


「スキルの内容が分からないから断言はできないけど、領主はもうしばらく眠り続けるでしょうね」

「この間に逃げる、のは得策じゃないよね……」

「ないわね。スキルの効果ってその人の魔力量とか魔力操作で変わるんだけどさ、まあ大抵は数時間。でも、あんたは色々と特殊だから下手したら数日寝たっきりもあり得るね」


 えっ、とユイは肩を跳ねさせる。


「数日? 数日ってヤバくない?」

「やばいよ。あんたを攫うところ大勢が見てるし、その後で領主が意識不明ってなると絶対にあんたが疑われるわね」


 ユイは頭を抱えた。領主を放ったらしにして逃げることができないなんて、逃げ道がないとはこのことだ。

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娼婦ユイの日常 萩原なお @iroha07

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