ぴぃたぁぱぁん
すごろく
第1話
ある者はペンキで満たされたバケツを頭から被り、ある者は馬皮で仮面を作り妖精に扮する。またある者は全裸である。彼等は突き出た己の腹を執拗に叩き、誠に珍妙な民謡を奏で、それに合わせてフラダンスを踊り狂う。そんなアナクロニズム的、キュビスム的な光景は誰が為のものか。彼等は何為れぞ全裸なのか。
それは、成人式を祝うが為である。
この村では成人儀礼としてバンジージャンプする。
21世紀、日本の話である。
*
俺は今、変態に追われている。面には奇妙な仮面、下半身に葉っぱを付けた変態である。こいつを視界に入れるや否や、俺の変態サーチセンサーが「こいつは生粋の変態だぁ!」と警笛を鳴らした。そいつは俺を見ると、腕を大きく横に振りながらこちらに向かって走ってきた。この変態、走り方まで変態である。
俺は無我夢中で逃げた。何せ己の命がかかっているからだ。この変態に捕まってしまえばもう助からない。それは奴の外見からして明らかだった。しかしこの変態、走り方まで珍妙な癖して足が速い。もう駄目だと思った時だった。タクシーが止まっているのを発見した。俺は滑るようにしてそれに乗り込んだ。
「お客さん。息を切らしてどうしたんですか?」
タクシーの運転手は俺に問うた。
「変態に、変態に追われているんです。どこか遠くへ、遠くへ逃げてください」
「ほぉ、それは大変でしたなぁ。ところでお客さん、その変態とは……」
タクシーの運転手がこちらに振り向く。
「こんな変態ですか?」
タクシーの運転手は全裸だった。
俺の意識は遠のいた。
*
目を覚ます。そこには白い天井が広がっていた。部屋を見渡すとタンスに本棚、勉強机。どういう訳だ。ここは俺の実家だ。しばらくしてから部屋の扉が開いた。そこには変態がいた。俺を追いかけてきた方の変態だ。そいつはゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。俺が身構えると、変態は仮面を外した。俺は絶句した。
変態の正体は俺の父親だった。
俺のショックは筆舌に尽くしがたいものだった。想像して欲しい。自分の変態サーチセンサーに父親が引っかかったのだ。公共の場で葉っぱ一つで下半身を隠し、全力疾走する。そんな変態だったのだ、俺の父は。俺は両目いっぱいに涙を浮かべた。俺にはこいつの穢れた血が流れているのかと絶望した。
「そんな目で父さんを見るな、息子よ」
「金輪際二度と自分のことを父さんって呼ぶんじゃない。一族の恥め」
「苛々するなよ。仕方なかったんだ。お前が正月になっても実家に帰らないのが悪いんだぞ。もうすぐ成人式が行われるというのに」
俺はひどく悪い予感がした。
「……成人式に参加させられるのか? 俺は」
「ああ、新成人が誰一人として村に帰ってこないし、その気配もないのだ。新成人が誰一人としていないのに、どうして成人式が始められるのか。どうして俺は全裸になるのか」
俺は激しく反論する。
「ふざけるな!誰があんな気が違っちまってる行事に参加せねばならんのだ。俺は絶対に参加せんぞ」
俺が叫ぶと父は困ったように眉をひそめてため息をこぼした。
「抽選でな。お前と
「お前では話にならん、母さんを呼べ、母さんはどこだ!」
父の目に眼光が灯ったのを、俺は確かに感知した。その父らしからぬ異様な雰囲気を感じ取った俺はすぐさま窓から部屋の外へ出ようとする。しかし、我が青春のに一ページにはなかったはずの、冷たい鉄格子がそれを阻んだ。
「今から成人式前日の儀があるのだ。お前の意は関係ない。母さんがな、人質に取られているんだ。愛する者が年甲斐もなく崖から落っとこされるのをな、父さんは見たくないんだ」
父は俺にそう言い放つと、扉が開き、続々と変態が部屋に入ってきた。俺は抵抗も虚しく、変態達に担ぎ上げられて部屋の外へ連れて行かれた。
成人式前日の儀とは最低なものだった。連れて行かれた先は小学校の体育館だった。そこには既に同級生の細貝がいて、力なく項垂れていた。
「何で俺なんだよぉ。横山とか、川上とか、他にもたくさんいるじゃないかぁ」
この男、最低である。
腹太鼓の音と同時に儀式は始まった。俺たちは変態達に囲まれて、ペンキを塗りたくられた。それは大変な量で、細貝はあぶぶと溺れかけていた。そしてそれは2時間近く続いた。
溺死する寸前、ようやく儀式が終わり、体育館には色とりどりの俺と細貝だけが残っていた。
細川の目は、カラフルな体に相反して、酷く濁っていた。その目は遠くを見つめている、あるいは深淵を覗いている、そんな目だった。
「俺は所詮、子供。この変態共が作った町という檻の中に囚われ、奴らに飼いならされた哀れな子供よ。いっひっひ」
細貝は既に壊れていた。そうして、ボソボソと独り言を呟きながら、ふらついた足取りで自分の家へ帰っていった。気をしっかり持たなくてはいけない。細貝の背中を見て、強くそう思った。
儀式からの帰り道、俺は声をかけられた。
「先輩じゃないですか」
振り向くとそこには眼鏡をかけた、制服姿の少女がいた。
目を凝らして見るが、彼女に心当たりはない。
「あれ、もしかして誰だか分かっていませんか?」
少女は頰を膨らませた。
「いや、コンタクトをつけ忘れて上手くピントが合わないんだ」
俺がそう誤魔化すと、少女は自分の眼鏡を取って、俺にかけた。
「どうです。分かりますか?」
ようやく俺は彼女が誰なのかを認識した。というのは、俺の目が眼鏡をかけて良くなったからではなく、彼女が眼鏡を外したからだった。彼女は同じ部活に所属していた2個下の後輩である。
「先輩。その格好、成人式ですか?」
俺は頷いた。
「何としてでも避けたいのだがな」
「そういうものですよね」
後輩は手を口に当てて、小さく微笑んだ
「阿呆な先輩が、大人になるんですか。成人式とは、この町に限らず何とも珍妙なものですよね。それを終えたらもう、子供でなくなってしまうんですから」
彼女は遠くを見つめた。
「成人式を終えた瞬間、先輩には大人というレッテルが貼られてしまうんです。そのレッテルは如何なる場所でも先輩に纏わりついてくるんです。これからはきっと、先輩がどんな阿呆をやらかしても、大人なのに、みたいなことを考えてしまうんでしょうね」
「時の流れは酷く切ないものですね」
後輩は酷く俺の胸に突き刺さることを言った。俺は家に帰ってもベッドに潜っても、後輩の言葉が深く胸に刺さったままだった。
明日バンジーをしてしまえば、俺は子供では無くなる。俺にはそれが恐ろしい事のように思えた。明日、俺は大人になる。それに対する恐怖の感情は段々と膨れ上がっていった。
誰かが窓を叩く音で俺は目が覚めた。窓の外には全身を緑の衣装に包んだ男がいた。細貝だった。
「おい、ここから逃げるぞ」
見ると、窓に設置されていた鉄格子が取り除かれていた。
「お前、これをどうやって」
「俺はぴぃたぁぱぁんだ。全ての子供の味方である。子供の為なら何でもできる」
細貝はこれまでが嘘のように生き生きとしていた。薄目で見れば、まるでお伽噺の主人公のようだった。俺はそんな細貝をこの上なく頼もしく感じた。
そして俺たち二人は、逃げ出した。
村に非常事態宣言が発動された。
『新成人2名が脱走。見つけ次第捕らえよ』
町の警報が忙しく鳴っている。
俺たちは見つかるまいと林の中で息を潜めていた。サーチライトが林を照らす。
二人で逃げ切って、子供らしく阿呆しようぜ。林の中で俺は細貝と約束した。
だから、絶対に捕まるわけにはいかない。そう心に決めた時、俺の携帯から着信音が鳴った。
しまった。
変態達はその着信音を聞きつけ、そして俺を発見した。
俺は細貝に助けを求めた。全身を緑の衣装に包んだちんちくりんな格好の男は俺を背に向けて全力疾走していた。サーチライトがその男を追い、そして照らしつける。
「嫌だぁ、やめろぉ」
細貝は抵抗も虚しく、捕らえられた。
「新成人1番2番、牢獄から出よ」
俺と細貝は厳重な警備の元、渋々成人式会場へ向かった。
会場の様子は地獄絵図そのものだった。どこもかしこも変態がいて、目のやり場がなかった。
「1番前に出ろ」
先に死地へ誘われたのは細貝だった。必死で抵抗する細貝だったが、やがて命綱が装着された。そして高さ50メートルはあろう崖の前まで連れられた。
「やめろぉ。俺は子供の味方だ。お前ら大人には屈しないぞ」
「俺は子供の象徴だ」
「バンジージャンプなんてしたくないよぉ。大人になんてなりたくないよぉ」
「ひゃー」
細貝は最後には情けない叫び声を上げて、崖から落ちていった。
回収された細貝は、生気を抜かれたような姿をしていた。死んだ目をした細貝は狂乱の歓声の元、変態達に迎え入れられた。
「2番前に出ろ」
暴れる間もなく命綱を装着される。ふと、悲しげな表情を浮かべた少女の姿が目に入った。それは後輩だった。俺の頭の中で様々な思いが交錯した。
俺は変態共の腕を振りほどく。しかしすぐに囲まれてしまった。
「無駄な抵抗はよして、大人になれ」
変態の群れの中からそんな声が上がった。
その声は────────
細貝のものだった。
そして奴は全裸だった。
「細貝、純真たる子供の魂を捨てたか。俺は決してお前のようにはなるまいぞ」
細貝は醜く顔を歪ませた。
「なんだと。俺はもう大人だ。だから俺の方がお前よりも偉いのだ。子供が大人に口答えするんじゃない。大人の言うことを聞けい」
「何という暴論だ!」
細貝は子供の味方から醜い大人の象徴に成り下がっていた。
細貝率いる変態共は段々と俺との距離を縮めてくる。その時、俺の頭の中で交錯していた様々な思いがたった1つにまとまった。
子供のままでいたいと。
「俺は今日まで20年間子供をやってきたんだ。それなのに今更おいそれと大人になってたまるか」
「俺は子供だあ!」
俺は叫んで細貝めがけて突進した。
細貝は怯み、俺は包囲網から抜け出すことに成功した。
「命綱がしてあるというのに、どうして逃げられると思っているのだ、あの阿呆は」
後方で細貝が何か言ったが、今の俺には何も聞こえなかった。
包囲網を突破し、安堵したその時だった。俺は足を滑らせ、崖から落っこちた。
眼前に青空が広がり、お日様が俺を照らした。鳥が俺を嘲るが如く鳴いている。そこで俺の視界は暗転した。
目を覚ます。日差しに目が眩む。すると少女が俺の顔を覗き込むのが見えた。
「これは驚きました。先輩はちっとも変わってません。子供のままです」
そう言って可笑しげにケラケラ笑った。
「あぁ、それなら良かった」
俺は呟き、再び目を閉じた。
ぴぃたぁぱぁん すごろく @meijiyonaga
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