六十五話 準備

 部屋でベッドに横たわる。

 そして一日のことを思い出しては何度も反芻をおこなう。眠れもしないまま、起きているわけでもなくただ永延とグルグル一日を回る。


 今日もなんやかんやで楽しく生きてしまった。

 遥がいて、話して、笑い、軽口を叩いて、バランスを取って生きていく。そうやって生きてきた日々を一日増やして、また一日死に近づく。そこには奇妙な解放感と焦燥感があった。


 ——このままで終われる。

 ——このままで終わってしまう。


 そんなことを思う。俺にはやりたいことをおこなう権利がある。選択肢を選ぶことができる。なのにもかかわらず、何も選べない。

 いや、選べないよりも酷い。

 選択肢をそもそも見つけることが出来ないのだ。なんとも情けない話だが、そもそも自由意志なんてものを俺は信じていなかったのだからしかたない。


 常に最善手を。

 正しい道を選び、選んだ先で、俺は正しい人になれると信じていた。

 誰も保証していないのに勝手に約束した気持ちになっていた。何かに責任を押し付けて、自分は悪くないと思っていた。


 自由意志。

 好きなことをやる。そんな簡単なことを探している。そうやって、すべてが終わる前に納得できる未来を拾おうとしている。


 遥はどうやって自分のやりたいことをみつけているのだろうか?

 遥はすごい。いつも自分のやりたいことを見つけている。いつだって何かに夢中だ。そこに迷いなんてものは無い。

 だが……サイコパスアホの子……いや、もうサイコパスでもないか? アホの子……でも無いかもしれないな。いや、性格的には明らかにアホの子だろ? うん。あいつはアホだ。

 あのアホが俺だったら何をするか? 海行って泳いで遊んでそう。……本当にアホの子じゃないか。


 ……まあ、遥が参考になるとは思っていなかった。

 脳みその衝動を司る部位と手足が直結しているような人間だ。単純に性格が違いすぎる。思考パターンが俺に馴染むわけがない。

 とはいっても、そんな遥に何度も助けられてきたということも間違いない事実だった。

 壁をぶち破る体力、勇気無謀さ。

 俺が蓋をしてきた選択肢を選ぶためには蓋を壊す必要があるのではないのだろうか?


 もう無理とか、俺にはできないとか、そんな言葉を全て横においてみよう。

 俺が何をしたかったのか。

 何から逃げて何を得たかったのか。

 そこで真っ先に思い出すことは、耐えようの無い罪悪感そのものだった。俺が見殺しにしなければ助かっていたかもしれない家族。間に割って入ってメチャクチャにしてしまった従姉。それにリサさんのこと。


 取り返しのつかないことをした。

 してしまったから自分を責めることでバランスを取るしかなかった。それが俺にとってベストだった。

 俺にとっての選択肢はそれしか残っていなかった。泥船とわかっていても、最善手を選ぶことが正しいと信じていた。

 

 ここで俺は何をするべきだったのだろうか?

 いっそ開き直って全て無視すれば良かったのだろうか? バカな。そこにある俺の感情を軽視しすぎている。俺の責任はどこに行く?

 じゃあ、別の手段を考えるか?

 どうやって? 真っ正面から立ち向かってみるか? 自分が被害者だと言い張れるような立ち位置をわざわざ捨てる?

 不幸な人では無くて、自由意志で人を不幸にした加害者だと認める?

 ……たとえそれが現実だったとしても、それを今さら言えるほど面の皮は厚くなかった。


 あー……。

 やはり俺の思考パターンでは同じような終着点に落ち着くのだ。何度考えても、最善手が一番良いなんて考えてしまう。自分で一人でうじうじ悩んで、自分のせいだと言い張れば誰にも責められないなんて考えてしまう。

 そりゃそうだ。

 取り返しのつかないことをしたのだから。もう、取り返しのつかないことだからこそ、もう何をしても無駄なのだ。それを無理やり自己完結させようとしているから無理のある方法になるのだ。


 ——取り返しがつけばいいのに。


 そんなことを、ぽつりと、思った。

 今までだったら感じ取れなかったかもしれない思考のノイズ。弱音と切り捨ててきた本心。本当に求めていたもの。

 そんなものがすーっと心に浮かび、馴染んで、消えた。

 そうして気がついた。


 そうだ。取り返しに行けばいいんだ。


 従姉や家族のことはもうこの際、置いておく。いや、置いとくのは良くないのだが、アレは本当にどうしようもなく取り返しのつかないことだ。

 リサさんはどうだろうか?

 まだ、海に出たというだけだ。死んでない。生きている。きっとまだあの大海原のどこかにいる。


 取り返しがつく。

 もう一度会えるかもしれない。失敗したことを謝りにいけるかもしれない。ぐちゃぐちゃになったものを直しにいけるかもしれない。

 肌が粟立つような奇妙な感覚がする。もう秋になり肌寒くなったが、それが理由ではない。

 この時、気がついてしまったのだ。

 この世界に俺の行動を制約するものはない。俺のやりたいことをしていい。安心しろ。どうせあと半年で死ぬ命だ。


 どうやって、生きるか。

 その『どうやって』を自分の思うように選んで良いことが、まさに選択肢そのものであることに気がついてしまったのだ。

 今、まさに回りに回った思考の出口が開こうとしていた。

 そんな予感に震えた。気がついた時には予感は衝動になり、行動になっていた。足が動く。前に進む。もつれて、絡まり、そして。

 走りだした。






「リサさんを迎えに行こう」

「……え?」


 きょとんとした顔で遥は俺を見る。

 俺はいつかのあの日のように汗でずぶ濡れだった。バケツで水でも被ったかのようだった。

 急ぐ足が俺を押して、彼女のもとまで走らせた。

 どれだけ無謀かは関係が無い。

 何が正しいか、何が間違っているかなんてわからない。あるのはきっと結果だけなんだから。

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