六十四話 迎え
「リサさんを迎えに行こう」
「……え?」
きょとんとした顔で遥は俺を見る。そりゃそうだ。突拍子もないことを言っている自覚はある。それでもこれは、俺なりに考えた結果だった。
†
誕生日会が終わってから数日した頃だ。俺は悩んでいた。それも様々なことを悩んでいた。
生きる意味。未来に来た理由。悪夢に幻聴。将来について。魔法。まあ、考えることなんて山ほどある。悩むのも当然だ。
そんな中でも俺は『遥に何ができるか』を一番悩んでいた。
誕生日会で、うっかり遥と仲直りをしてしまったことがきっかけだ。
俺と関わることに得なんて絶対無い。俺は根暗だと言われようがなんだろうが、今でもそう信じている。俺は間違っていない。いない、はずだ。
……間違ってなんかいない。
けれども、これは正しくもないのだ。
俺が遥と出会ってからの思い出は内容がどうであれすべて本物だった。そしてその思い出が辛いことばかりだったかと言うとそうでもない……と思う。
楽しかったという事実は確かにあったのだ。
だからこそ遥は、俺と仲直りをしようとしてくれた。俺に価値を見出した。俺にしかできない何かがあるのだと信じさせてくれた。
その期待に答えたい……というのが素直な気持ちだった。これは遥に対して、卑屈な義務を感じているわけはない。
『しなきゃいけない』、『するべきだ』そんな後ろ向きな気持ちじゃなくて、『俺がしたいから』するべきなのだ。
それは、ちょうど遥が『俺と仲直りをしたいから』という理由で勝手に誕生日会を開いたようなものだ。
『自分がしたいことをする』
遥を一人の人間として向き合った時、出た結論はそんな簡単なものだった。口に出すのも恥ずかしいな。そんなことを考えながら、俺は今日も遥のもとに来ていた。
「それで遥は何を読んでいるんだ……?」
「……ん? これ? 普通の星座占いだけど」
遥はいつも通りだった。
好奇心の羽を広げて好きに世界を走り回っている。それは知識の貴賤は関係なく、気になったから調べるというだけのあまりにわかりやすいものだ。
「前も似たようなの読んでたろ」
「んー。そうかも? うん。そうかも」
今、手にしているのはただの星座占いの雑誌だ。何千年も未来のこの世界で星座が崩れていないかは疑問だが、遥は前も似たような本を読んでいた覚えがある。単純に占いが好きなのだろうか?
「そんなに占い好きか?」
「ん。そうだね。夢あるし。何よりわくわくする」
「そういうものかぁ……」
一度読んだものは、ほぼ全て記憶出来て、しかも完全に理解できる。そんな遥に今さらそんな雑誌を読む理由があるとは思えないのだが……。
「むー。彼方くん。意味あるのかって顔してるー」
「……顔にでていたか?」
「でてた。でてた。すごく心外」
頬を膨らます。ふわふわのお餅みたいな頬がかわいらしい。
「いや。なんというか……前、占いならもっと専門的な本読んでたろ?」
「あー。あったねぇ。でもああいうのじゃないんだよねぇ」
「ああいうの、って?」
「うーんとね、そうそう。うーん……」
首を一度こてんと横に傾ける。伝え方を悩んでいるようだ。
「統計を用いて心理学の話をしていたりだとか、民話と絡めて時代における占いの価値を研究した記録とかいろいろあるけど、遊びとしてはこっちの方が面白いかなって?」
「遊び?」
「そうそう。娯楽の一環。もちろん、ああいう論文を読むのも楽しいんだけどね」
そう言いながら、雑誌を俺に広げて見せてきた。偏差値三十ぐらいでもわかりそうなアホな内容にポップな字体が印象的だ。
やりたいことをやる。
それはきっと丁度このようなことを指すのだろう。世間体や建前なんていらない。何がしたいかを純全に考えている。
俺は何がしたいのだろうか?
俺は何を求めているのだろうか?
きっとまだ理性とか常識とかで繋ぎ止めたものが残っている。可能性を削り、選択肢に蓋をしている。初めから諦めることで満足している。
「遥」
「んんー」
「結局、俺は何がしたいんだろうな?」
聞けたのはそんな大雑把でわけのわからない物だった。こんなものに答えを求めるなんてどうかしている。
「ええー。うーん……」
そう言いながら難しそうに首をかしげて悩む。そうして随分と時間をかけた後に「やっぱり、わかんないやー」なんて言った。
「そもそも彼方くんが私に何も話してくれないもの。まずは彼方くんの話を聞かせてよ」
「俺の?」
「そうそう。何が好きで、何が嫌いで、どんな夢があって、どんな人生を送ってきたのか。そこから教えてよ」
数週間前の出来事が脳裏をよぎった。どこにでもある、いわゆるゴシップ記事。そこに書かれていた事件。赤い記憶。遥を拒絶した日。
俺は遥のことを全部知ってるわけじゃない。でも、それは遥も同様だ。遥も俺のことを知らない。こういうことから一歩ずつ向き合うべきなのだろう。
——よし。
決意を固める。遥には、一度ちゃんと話しておくべきなのかもしれない。空気を大きく吸い込む。
「そうだな……遥。前に持ってきてくれたアレなんだけどさ——」
粗末なゴシップ記事の切り抜き。俺の人生を。俺のことを話すべきなのだ。
†
一通り話を終えた。
遥は俺の話を聞いてどう思ったか。俯く様子から表情はわからない。一生懸命を言葉を選びながら、俺の言葉で、身の上を話した。
なんどもつっかえたし、話も行ったり来たりした。正直聞きにくい話だったと思う。
でも、これが俺の精一杯だった。
ぐずり、ぐずりと鼻をすする音が聞こえる。遥だ。遥が俯きながら涙を堪えていた。
「えっと、遥。その、終わったんだが……」
遥がきっとこっちを向く。そしてから、漫画みたいなセリフに全て濁点がついたような声で「大変だったんだねぇ~‼」と言ってきた。
「うわっ……ちょっと鼻水、鼻水」
「だって、だってぇ」
そのままぐずりながら遥はわんわんと泣き出した。
なんといえばいいのか……とりあえず話にならないから少し様子を見てみる。それからしばらくして、遥は少しずつ調子を戻してきた。
「いや、もう過ぎたことだからな。そんなオーバーなリアクションしなくてもいんだぜ?」
「うっ……ぐず、だって、彼方くん。だって……」
「だって、とか言われてもなぁ。もう俺には区切りがついたわけだし」
おじさんの話はしなかった。
幸せを感じることが出来ない。俺が、ただ、それだけの欠陥品であるということ。
この話をするのはなんとなく嫌だった。俺にはまだ割り切れていないのかもしれない。だから、途中までの高校入学ぐらいまでの話をした。
「というか、なんで……いや、遥が泣くことでも無いんだぜ? ほんとに。同情も何もいらないぞ」
「ううん。そうじゃないの。彼方くんがすごいなって、思って。それに彼方くんの支えになれなかったのが悲しいの」
「俺の?」
どうやら俺の境遇に同情したり、可哀そうだと思ったわけではないらしい。遥は続けて言った。
「彼方くんは何度も家族を失ったんだよね?」
「まあ、確かに?」
「それって、リサちゃんが何度もいなくなったようなものだよね? そのたびに傷ついて一人ぼっちになったんだよね?」
「……そうとも言えるな」
「それが悲しくてならないの。彼方くんが辛い思いをしたことも、その時の支えになってあげられなかったことも」
あの、遥が。あの遥がそんなことを言った。
随分昔の時の話だ。
遥は司さんがいなくなったことに対して、一切の悲しみの感情を持ち合わせていなかった。その遥に恐怖を覚えた。
そして人のようになっていく遥にも俺は恐怖した。むしろ変わっていく遥にこそ恐怖を感じた。完璧な存在が脆く崩れていくのが怖かった。
今ではどうだろうか? 遥はまるで、人のように共感している。人並みに悲しんだり怒ったりしている。そうしてまた人に近づいている。
だけど、今は。
不思議と怖くなかった。俺のために泣いていることに感謝さえしていた。もう怖くなかった。
——いや、そもそもこれが当然なのだ。
きっとこれが正しい遥の姿なのだ。俺が、『遥は人ではない何か』だと信じていたかったのだ。
自分では届かない先にいるモノを人じゃないナニカにしておきたかった。そうしないと彼女の正しさに俺の心が負けそうだ。
だから、俺は遥の変化に怯えた。理解できない化け物でいて欲しかった。
こうやって、笑ったり泣いたりするのが本来の遥なのだ。これで良いのだ。彼女はずっと昔から人間だった。
「ん……その、ああー」
こうやって人に対して好意を持ち、その感情に振りまわされる。等身大の少女。どこにでもいる普通の人間。
いま、こうやって泣いているのは俺が辛い目にあったからだ。
俺のことを心配して助けになってあげたかったからだ。俺がそれだけ誰かの心の中に住むことができている。
「ありがと」
遥は俺に対する純粋な好意だけで泣いてくれている。その事実が気恥ずかしくて、そっぽを向きながら答えた。頬が熱い。
「ありがと? ありがとうって言った?」
「……ああ」
「なんで、ありがと?」
不思議そうな顔をしながら顔を近づけてきた。俺はそっぽを向いているがそんなことは関係ない。ぐいぐいと寄ってくる。
「いや、ありがとはありがとだけど」
「……なんで今のタイミングでありがとなの?」
「え。ああー。うん?」
え。なんで『ありがと』って言ったのか聞いてくるのか?
もしかして理解できていないのか? つまり、俺は『俺のために心配されたのが嬉しい』なんてわざわざ言わなきゃいけないのか?
……。
なんの羞恥プレイだ? ……え?
「その、あ。遥が心配してくれていたのが、うれし……いや、その違うか。あー……。遥。どうしても言わなきゃダメなのか?」
「もしかして彼方くん照れてる?」
「ばっ……! そんなわけないだろ!」
「ええー耳とか真っ赤だよ?」
「気のせ……いや! 耳を触るな! 近い! 離れろ」
「ええー」
「ええーじゃない!」
むりやり押しのける。そして距離を取る。
「なんだか彼方くんって猫みたいだね」
「は!?」
「だって、近寄ったら離れるし。でも離れたら近寄ってくるし」
俺が力任せに動いたせいで帽子がずれたみたいだ。遥は丁寧に手で向きを整えた。
「でもいいよ。恥ずかしいんでしょ? しょうがないなぁ……」
そうやってニシシといたずらっ子のように笑う。毒気の無い、すがすがしい笑顔だ。
結局その日の遥は『ありがと』の意味を聞いては来なかった。けれども、それからしばらく俺の方を見ながらにやにやと笑っていた。
まるで「お見通しですよー」、と言われているようで居心地が良くなかったが不思議と嫌いでは無かった。
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