第二章エピローグ
キールブルクの港には大勢の人々が行き来している。壊れた港の修復作業に従事する者が目立つが、船大工や漁師、商人など、普段通りの仕事を行う者たちの姿も多かった。
やや張り詰めた声もある。
けれど活気を漂わせる明るい声も響いていた。
軍艦三隻が轟沈。修理が必要となった艦は十隻を越えるし、商船や漁船にも被害は及んだ。ガルス魔人国による襲撃は、キールブルクの街に大きな衝撃をもたらした。
それでも、ひとまず脅威は撃退された。
襲撃からまだ二日しか過ぎていないが、街は平穏を取り戻しつつある。やはり帝国軍は頼りになるのだと、安堵する住民も増えていた。
最大の功労者である『魔弾』の名は、街のあちこちで口にされている。酒場では噂の中心となっているし、世間話の折に感謝とともにその名を出す者もいる。
「こうしてのんびりと過ごせるのも、あの子のおかげだねえ」
「まったくさね。おっと、あの子なんて言ったら不敬だよ。魔導士様なんだから」
「そうよねえ。せめて感謝を伝えられたらよかったのに……」
穏やかな会話に憂いが混じる。
そんな様子を、少し離れた建物の窓から窺う者たちがいた。
石造りの建物の二階、簡素な部屋に数名の男が集まっている。服装は平民のものだが、見る者が見れば、鍛えられた体付きは戦士のものだと分かるだろう。
「……では、『魔弾』とやらは魔人と相打ちになったと?」
窓を閉じてから、厳しい顔をした男が問う。
身を潜めるようにしている彼らだが、別段、世間に対して疚しいところは無い。むしろ誇れる職務に就いているのだが、いまは密かに活動する必要があった。
「確実ではありません。ですが、海に呑まれた上に、軍の捜索でも発見されていないのです。生存は絶望的かと思われます」
「そうか……」
重々しく頷いた騎士は、つい今朝方、帝都から転移してやってきた。『魔弾』を監視し、必要とあれば接触するようにとの勅命を携えて。
密偵としての活動なので、部隊内でも偽名を使っている。
しかし先に街での任務に就いていたのも、皇帝直属の密偵たちだ。厳しい顔をした騎士が何者なのか、彼らが知らぬはずもなかった。
それでもいまは余計な詮索を行わない。ただ忠実に任務を遂行する。
「帝都にも、魔導通信で伝わっているものとばかり思っていましたが」
「少なくとも私の耳には届いておらぬ。だが、ヴァイマー伯爵が隠したとも思えぬ」
恐らくは、途中で情報が止められていたのだろう。
しかしそこにはどういった意図がある? 自分はまた父に試されているのか?
いや、まだ戦闘から数日も経っていないのだから、偶然という可能性も高いが―――。
そう首を傾げて、ディアムントは厳しい顔をさらに険しく歪めた。
「貴重な魔導士を失ったとなれば、帝国としても惜しむところだが……」
それは同時に、『魔弾』への監視も不可能ということになる。
つまりは、ディアムントは勅命を遂行できない。非常によろしくない事態だ。
ディアムントの失態になるかどうかはともかくも、いまの事態は、誰にとっても望ましくないものだろう。あるいは、ガルス国の思惑通りなのかも知れない。
侵攻そのものは失敗だが、街に打撃を与え、魔導士一名を討ち果たしたのだから。
「……いずれにしても、悠長には構えていられぬな」
深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
望めるならば、いますぐにでも帝都へ帰還し、兵を集めて出撃したい。よくも帝国の民を傷つけたと、ガルス国王の咽喉元へ剣を突きつけてやりたいほどだ。
本来、ディアムントは直情的な性格なのだ。
それでもここ数年で、自制というものを覚えていた。
「たしか、『魔弾』には双子の妹がいるという話だったな? そちらは無事なのか?」
「はい。ヴァイマー伯爵に保護されております」
「ふむ……一度、そちらの様子も窺ってみるべきか」
腕組みをして、努めて平静を保ちつつ、ディアムントはふと思い至った。
今更ながらのことだが―――、
薄暗い部屋に騎士が集まり、真剣な顔をして、幼女を監視するために話し合っている。
傍目には滑稽に映るのでは?、と。
「街の者の評判では、妹の方もなかなかに利発で……どうかされましたか?」
「い、いや、なんでもない」
ディアムントは眉根を寄せて表情を取り繕う。
良くも悪くも、帝国騎士には真面目な者が揃っていた。
荒々しい足音に続いて、勢いよく扉が開かれる。
静けさが佇んでいた執務室だが、途端に空気が入れ替わった。
部屋の奥で机に向かっていたヴァイマーは溜め息を落とす。領主の館でこれだけ乱暴な振る舞いをする者は、いまはもう一人しかいない。
「父上、見てくだされ!」
嬉しそうな声を上げながら、ベルティは脇に抱えていたそれを広げてみせた。
少々濡れて汚れている。しかし分厚く大きな布には豪奢な刺繍も施されていて、素人が見ても価値のあるものだと分かるだろう。
帝国軍の旗艦に掲げられていた軍旗だった。先日の戦闘で失われていたが、近隣の海を捜索している際に見つかったのだ。
「やはりこの旗は見事なものでござるな。たとえ地に落ちても、その威厳はまったく衰えてござらん。ガルスも魔人も恐れるに足らずと、これで声高に宣言できるというもの」
弾んだ声で述べたベルティは、ぐっと拳を握り込む。
帝国軍の勝利。
公的には、確かにそう宣言できる結果だ。旗艦を奪われ、総大将であるヴァイマーも捕らえられたが、それは一時のもの。戦いの最中に被害が出ただけで、少々の苦境を乗り越えての勝利だと言えるだろう。
負傷したヴァイマーも、治療術によって快復に向かっている。まだ外へ出るのは控えているが、書類仕事をする程度なら支障はない。
だが、ヴァイマーの表情は芳しくなかった。
「其方が帰ってきたということは、今日の捜索は終わったのだな?」
「おっと、そうでござった。お預かりした軍艦八隻、兵員ともに欠損もなく、無事に帰還した次第にござる」
姿勢を正し、敬礼もして、ベルティは覇気のある声で報告する。
「やはりまだ海は乱れている様子。漁師や商人にも、組合を通して注意喚起をしておいたでござる」
「……そうか。しばらくは警戒が必要だな」
頷きながら、ヴァイマーはまた重い息を落とす。
どれだけ言い繕おうと、ヴァイマーが敗北した事実は変わらない。それは誰よりも本人が一番よく理解している。最初の海戦でガルス軍を撃退できていれば、街に被害が及ぶことも、その後の混乱もなかったのだ。
そして、幼い子供を犠牲にしてしまうことも―――。
「やはり、ヴィレッサ殿は見つからぬか……」
繰り返し、ヴァイマーは溜め息を落とす。
最大の憂いはそれなのだ。
子供を頼り、戦場の先頭に立たせ、行方知れずとしてしまった。
しかも、その子供は街を救ってくれた英雄だというのに。
己の不甲斐なさを思うたびに、ヴァイマーの胸には怒りが湧いてくる。もしも自分の首を落として取り返しのつく事態ならば、躊躇無く果ててみせるだろう。
だが、それすらも叶わない。領主として投げ出せない責任もある。
身体の傷は癒えても、ヴァイマーの表情は曇ったままだった。
「父上の懸念はごもっとも。されど、大丈夫でござる」
「……何故、其方はそう言い切れる?」
「ヴィレッサ殿が死ぬはずがござらぬ。絶対に無事だと、ルヴィス殿も言っておられた。シャロン殿もそう信じているでござる」
爽やかに笑ったベルティは、その言葉に自信を溢れさせていた。
戦いが終わった直後には、シャロンなどは正気を失いそうなほど錯乱していた。荒れ狂う海原へと飛び出し、何十もの探索鳥も飛ばして、魔力切れで倒れるまでヴィレッサの姿を捜し求めていた。
悲嘆に暮れるシャロンを宥めたのはルヴィスだ。絶対に姉は無事だという言葉には、双子だからなのか、不思議な説得力があった。
もちろん捜索は続けられているし、その対象には黒馬やロナも含まれている。幾名かの帝国兵は海原に浮かんでいるところを救助された。捜索部隊の者たちは、必ずや全員を救ってみせると意気込んでいる。
「拙者も誓ったでござる。この街を、ヴィレッサ殿を守り抜いてみせると。故に、ヴィレッサ殿が生きているのは必定。断言できるでござる」
誓ったから、約束したから、それが成されるのは当然だと。
ベルティは迷いの欠片もなく言い切ってみせた。
「其方は……」
唖然として、ヴァイマーは言葉を失う。
けれどややあって、額に手を当てると、愉快そうに口元を緩めた。
「いや、正解かも知れんな。そのくらいで丁度良いのだろう」
軽く机を叩いて、ヴァイマーは顔を上げる。
「ならば、街の修繕など急がねばならんな。ヴィレッサ殿が帰還した折には、祝勝会も兼ねて盛大に迎えてやろうではないか」
「そうでござるな。ヴィレッサ殿の驚く顔も楽しみでござるよ」
柔らかな笑みを交し合うと、親子二人は揃って頷く。
確証など無い。けれどベルティの胸には、ひとつの確信があった。
まだまだ自分は憧れを追い続けていられる。
そして、いつかまた―――、
あの頼もしい幼女とともに戦場を駆けることになるはずだ、と。
◇ ◇ ◇
さらさらと砂が流れる。
潮騒に混じって、微細な音色を響かせている。
照りつける陽射しは熱いほどで、砂浜もジリジリと焼かれている。しかし時折吹きつける海風が涼気も運んできてくれる。お昼寝をするには快適な場所だろう。
そこで寄り添うふたつの影も、静かに寝転がっていた。
けれど残念ながら、お昼寝をしているのではない。
大きな黒馬の腹に、小柄な子供がうつ伏せになっている。真っ赤な外套を着込んだ子供に対して、黒馬が気遣うように鼻先で幾度も突ついていた。
幼い子供は意識を失っていたが―――、
やがて、ゆっくりと目蓋が押し開かれた。じっとりとした眼差しで周囲を窺う。
そうして身を起こすと、こてりと首を傾げた。
見覚えのない場所だった。浜辺というのは分かるけど、いったい何処だろう?
大陸なのか? 孤島なのか? 近くに人はいるのか?
様々な疑問が湧いてくるが、答えは分からない。
けれど懐へ手を伸ばすと、そこにはしっかりと魔導銃が収められていた。
だから、呟く。
「ま、なんとかなるだろ」
腰に手を当て、胸を張って、ヴィレッサは自信たっぷりの笑みを浮かべた。
ロリータ・ガンバレット ~魔弾少女と慟哭の獣~ すてるすねこ @hako_cat
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