収蔵庫の奥から

頓服

第1話 博物館実習

 大学の夏休み期間を利用して、博物館実習は行われる。大概の学生は単位が欲しいとか、履歴書に書ける資格が比較的簡単に取れるってだけで登録してる人も多い。


 だけど私は違う、博物館で働きたいから、学芸員になりたいから大学に入ったようなものだ。周りの学生はやれ就活だの誰と誰が付き合ってるだの、実習の間バイトどうしようだなんて、院に進むことを決めてる私とは全然話が合わない。実習で一人意気込む私は浮いていた。


 お世話になる博物館は古い銀行の建物を利用している。重厚な石造りの階段を登り、重たいドアをあけると、そこは北方民族の資料が展示されているフロアだった。

 薄暗く防虫剤のにおいがする空気。博物館は落ち着くなあ。ここにずっといたい。


 学生を出迎えたのは野村という学芸員だった。仏頂面をしている。それも仕方ないことだと思う。普段の業務をこなしながら学生の相手をしなきゃならないんだもんな、失礼がないようにしないと、とおもいながら学芸員の後をついて館内を案内してもらう。「これからバックヤードに入ります、入り組んでいるのでちゃんとついてくるように」という学芸員に従って中を歩いた。博物館に改装された表と違って、バックヤードは調度品こそないものの、銀行の設備がそのまま残っていた。外出ができないので、中には食堂や理容室が作られ、古めかしい赤と白と青のサインポールが残ったままになっている。

「この銀行、出勤したら終業までちょっとの外出もできなかったんだ、私はムリー」いつも無駄口しかたたかない女子が言う。ああうるさいなあ、こういうとこくらい静かにしてくれないかなあと私は思いながら黙って学芸員の後を歩く。

 

 廊下の奥にはエレベーターがあった。すごく古い。階数の表示が真鍮製、昔は古くてかっこいいものばかりだ。わくわくするなあ

「これから収蔵庫へご案内します。エレベーターに乗ってください」

 学生が全員乗り、エレベーターが動き出すと学芸員が

「気をつけてくださいね、これ古くて時々止まっちゃうんですよ、僕一度閉じ込められましてね…誰も気がついてくれなくて三日くらい」

言い終わらないうちにさっきの軽口女子が悲鳴をあげた

「嘘ですけど」

学芸員、どうやら食えない人のようだ。

「もうやめてくださいよーわたしそういうのすっごいこわいんですからあ!」学生たちに笑いが広がる。でもこういう馴れ合い、あんま好きじゃないんだよなあ…


 そう言っているうちに地下の収蔵庫にエレベーターはついた。防虫剤の匂いが一層強くなった。収蔵庫はかつての銀行の金庫で、厚さが1メートルはあろうかという巨大な扉がついている。「うわあすごい!ルパン三世とかで見たやつ!!!」女子は興奮している。バカなことを言う、と思いつつも私も心が浮き立つほどかっこいい。

「この扉は一度開けるとなかなか閉めるのが大変なので実習の間だけ解放しています。泥棒に知られたらいけないからナイショですよ」と学芸員。収蔵庫の中には北方民族の衣装や民具がたくさんあった。すごい!!!秘密基地で宝の山だ(少なくとも私には眩しく光り輝いて見える)

さっきの軽口女子がまたうざいことを言い始めた「ねえ先生、ここにあるものに呪いの道具とかあるんでしょ?大丈夫なの?」うんざりする。


学芸員は「展示用に魂を抜いてあるので、大丈夫ですよ。ただ奥にある13番って書いてある引き出しは決して触らないでくださいねあそこには」とまたここで女子は悲痛な声を出す「なにがあるんですか?なに?怖い!!!!」

「まだ整理が終わってない収蔵品が入っているのです」 どうやら学芸員は学生をからかう趣味があるらしい。1日目はこんな感じで終わった。


 二日目からは収蔵品の整理が始まる。といっても博物館にあるものではなく、うちの大学に残されほったらかしになっていた古い資料だ。二人で一組みになって資料をクリーニングしたり、計測したり写真に撮っていくこととなる。埃をかぶっているものも多いのでマスクは必須。


 私が組んだのは斎藤という無口な男子で、余計なことをベラベラ喋らないのはいいが私をほぼ無視しているのは気に入らない。まあいい、余計なことを喋らないのはいいことだ。こっちだって何話したらいいかわからないし。

私たちが担当することとなった収蔵品の箱をあけるとまず樹皮の繊維からできた衣服が出てきた。相当古い。引っ張り出すと、箱から薄黒いもやのようなものが立ち上がった。「うわっなんだこれっ」二人で箱からとびすさる。


 黒い靄、一瞬呪いかなんかかと思ってものすごくびっくりしたんだけど、長年放置されていた資料に積もったホコリとカビが瘴気のように舞い上がったのだった。

「呪いの方がまだマシだ」咳き込みながら思わず言葉を漏らしたが、斎藤は黙って作業していた。まあ、無駄に口を開かない方がいいかもしれない。ちょっと喋っただけでマスク越しにもひどいホコリは入ってくる。刷毛でていねいにホコリを落とし、収蔵品用のウエットティッシュ(学芸員にあまり無駄遣いしないよう言われている)でクリーニングした。こういった資料を後世に残したい。私はそういう仕事がしたいんだから。


トイレに入ると、女子たちが鏡を見ながら文句を言っていた。「すごいホコリ、マスクしてても鼻の穴の周りが黒くなるし鼻かんだら黒い鼻水が出る!」

いちいち文句ばかりのあんたたちとは違うからね…と思いながら持ち場に戻った。昔の人たちが作ったものは素晴らしい。木彫りの文様の美しさ、刺繍の丁寧さ。作った人の心がこもった民具たちはどんなに見てても見飽きることがない。汚れを落として大事に保管しないと。ああ、ここで働きたいなあ。ただ、資格を取っただけではここで働くことは難しい。狭き門をくぐらねばならない。


 隣の組みの男子二人が手をつけた資料を見た時なんだかとても嫌な感じがした。直径8センチくらい、長さが1メートルほどの木の棒で槍のような形状をしたものと先端が丸くなったもの二種類の棒。墨で文字が書いてあるがかなり掠れて読み取れない。なんだろうこれは。なんだかとても嫌な感じがする。 


 棒を持ったらはしゃいでしまうのが男子の習性なのか、男子が槍に見える棒を持って遊びだした。「やめなさいよ子供じゃないんだから」と注意しようと口を開きかけたら、後ろで民具の図鑑を見ていたもう一人の男子が悲鳴をあげて制止する。

 

それは北方民族の墓標だった。文字はどうやら葬られた人の名前らしい。ずいぶんひどいことをするもんだ。資料のためにうちの大学のものは人の墓標を持ってきちゃったのか。


「うわどうしようバチ当たるかななんまんだぶなんまんだぶ」

「北方の民族に仏教のお経読んでも効果なくね?」

怯える男子たちに学芸員は呆れたように「いいですか、今までいったいどれくらいの人が亡くなったとおもっているんです?人は必ず死ぬ。いちいち怨念なんか残して影響してたら、生きてる人が居られないじゃないですか。おばけなんか居ませんよ。それより、資料をそんな風に扱う人に単位はあげられないですね」

二人はまた悲鳴をあげて謝り、周りにいた学生たちは笑っていたけど、私は笑えなかった。さっき払ったはずの薄く黒いカビの煙がまだ部屋の隅にまだ残っているように見えたような気がした。気のせい、気のせいだよね?


 帰り道、港を見下ろしながら学芸員の言葉を思い出す。たしかに、この街は戊辰戦争も経験したし、なんども大火にあい、空襲もあった。人の思いが残り続けるなら、函館で亡くなった土方歳三にその辺で会えちゃったりするよな。ファンが今まで以上に殺到するだろう。そんな都合のいい話あるわけないよなー。 

 でも、あの黒いもやみたいなのはなんだったんだろう。私は何を見たんだ?


実習後、閉館時間も過ぎて夕闇が迫る中、理容室だった部屋にひとりで入ってみた。黒い革のシートが、古めかしいながらもまだ使えそうな感じで置いてある。レトロな装飾がとてもかっこいい。壁にかかった鏡や洗面台もそのままになっている。なんとなく座って目を閉じてみた。昔の人になった気分だ。市電の音が外から聞こえてくる。夕闇をさんざめく人の声。あれ、こここんなに賑わってたっけ。ふと、首筋にひんやりとした感触があって飛び起き辺りを見回す。見回しても誰もいない。いま、私の首筋に金属の何かを当てた奴がいたような気がしたんだけど。目の前の鏡を見る勇気はなかった。目を伏せたまま足早に通用門から抜け出した。気のせい、気のせい、気のせい。 通りには誰もいなかった。そう、ここはかつて栄えていたけど今はもう寂れてしまっている。 さっき聞こえた賑わいもきっと気のせい。



次の朝、女子たちが学芸員を取り囲んで話をしていた。「ここ、古いけどほんっとに何にも出ないんですか?一人でトイレに入ったはずなのに、なんか気配がしたんですけど」「田中さん収蔵庫に入るの怖がるんですよ、何かがいる気配がするからって」


「ここはかつての銀行といっても、日本銀行ですので、金のトラブルで亡くなった人、とかはいないはずですよ。ていうか、ここに出るとしたら金の亡者ってやつじゃないですか?ははは」学芸員は全く取り合わない。そりゃそうだよねー。そんなの怖がってたらここで働けないもの。私はここにいたい。あの首筋に当たったのは多分汗かなんかだ。収蔵庫に入れなくても、学芸員になるつもりないなら別にいいじゃん。あんたたちの代わりに私が入ってあげるよ。あそこは素晴らしく居心地がいい。むしろずっといたいくらい。


 実習も終盤に入り、地下の収蔵庫で写真をとる作業に入った。空調が効いてひんやりとした広い収蔵庫にシャッター音だけが響く。二人で作業しているので怖いことなど何もないが、我々をぐるりと取り囲むように置かれている装飾されたヒグマの頭骨は少し不気味だ。不思議だな、自然史博物館のほうで動物の標本を作った時は動物の死体も骨もなんとも思わなかったのに。狩猟民族って文化が違うからな。これ、家の外に置いてあったんだよな。窓の外にこれがあるってちょっと怖くないのかな。夜中までレポートを書いてて寝不足なのか、少し眠くなってきてシャッター音がだんだん手拍子みたいに聞こえてきた。目の前の視界がどんどん暗くなり、手拍子に合わせるように歌が聞こえてくる。なんだっけ、この歌、前に講義で聞いた儀式の歌だ。そう、たしかこれは熊を神の国に


 ガチャン!斉藤が三脚に足を引っ掛けてカメラを倒した音で目が覚めた。「ごめんちょっと眠くなった」と謝ったが全く無視され、カメラ大丈夫かなと斉藤は呟いている。真面目にやれっていってた私が寝てたらそりゃ怒るわな。このカメラは博物館のものなので壊したら一大事である。私も心配になった。

斉藤はシャッターが切れない、と言いだしたので私がカメラを覗き込んで何度かボタンを押したら、カメラの調子は戻った。ああよかった。ここで働く前に来られなくなるとこだった。最終日にカメラ壊すなんて、後味悪いにもほどがある。


 その後の作業は特に支障もなく、黒い靄も見えず変な歌も聞こえずに終わった。終業の音楽がかすかに収蔵庫にも聞こえてくると、学芸員が迎えにきてくれた。「お疲れ様でしたね、ここを出た後扉を閉めます、片付けて出てきてください」

名残惜しいな、ここにまだ居たかったなあ。展示されていない素晴らしい衣装や民具に囲まれて楽しかったなあ、もっと見たかったなあと思いながら、振り返り振り返り出口に向かうと、私の目の前で扉は重い音を立ててゆっくりとしまってゆくではないか。まって!まだ私が中にいるんですけど!待って!私の叫びは届かず、無情にも扉は閉まった。 どうしよう、出られない。どうしよう!わたしがまだここにいるのに!!!!


「斉藤さん、ペアを組む相手がいなくて一人作業でしたけど大丈夫でした?」

「大丈夫でした。まあまあ不便でしたけど、なんとかなりました。ひとりのはずだったのに、なんか誰かついててくれたような気がしたんですけど、気のせいですよね」

「昔、私が学生の頃なんですけど、ここで一緒に実習やってて、博物館に来る途中で事故にあって亡くなったやつがいたんですよ。真面目なやつだったな。そいつが手伝ってくれ」

「やめてくださいよ!!!!!!怖いじゃないですか!!!!!」

「っていう話を今私が考えたんですけどね」

「野村先生ひどい!」



毎年夏はめぐり、学生たちが実習で博物館にやってくる。収蔵庫の中でお待ちしています。ずっと。ずっと。

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収蔵庫の奥から 頓服 @alchemistonpku

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