骨壷

月浦影ノ介

骨壷

これはAさんという、関東の某県に住む三十代後半の男性から聞いた話である。


去年の今頃のこと、Aさんは中学時代の同級生Cさんと再会した。仕事帰りにふらりと立ち寄った飲み屋の席で、たまたま隣り合ったのだった。

Aさんは中学卒業後、野球の強豪で知られる他県の高校の寮に入った。余談だが、そこの野球部に入部したAさんは、二年生のときにレギュラーで甲子園の出場経験を果たしている。

地元を離れてから、約二十三年ぶりの再会だった。お互いすっかりオジサンになった。中学時代、二人は野球部で、Aさんはショート、Cさんはセンターを務めていた。


聞けばCさんは、この近くのアパートに一人暮らしだという。飲み屋を出た後、Cさんに自分の部屋で飲み直さないかと誘われたAさんは、そのまま彼に付いて行くことにした。Aさんもまだ独身で、部屋に帰っても待っている人は誰もいなかった。


Cさんが住んでいたのは古い木造アパートの二階の部屋だった。六畳一間にトイレと風呂、台所が付いているが、壁も畳も傷みが激しく、お世辞にも良い部屋だとは言い難い。

途中のコンビニで買った酒やツマミの入った袋を手に部屋に上がると、隅の方に置かれたあるものが目に入った。


骨壷であった。


普通は専用の桐箱と袋に収められているはずだが、その骨壷は剥き出しのまま、小さな文机の上にポツンと置かれていた。骨壷の前には、ガラスコップに生けられた数輪の花と、お菓子やジュースなどが供えられている。

位牌も写真も線香も何もない。薄暗い蛍光灯に白々と照らされた骨壷は、ひどく侘びしげに感じられた。


骨壷は普通のものよりサイズが小さめだった。おそらくは子供のものだと、Aさんは察した。


Aさんの視線に気付いたCさんが「娘のものだよ。まだ四歳だった」と、ごくさり気ない口調で言った。

Aさんが「病気か何かで?」と遠慮がちに尋ねると、「まぁ、色々あってね」と言葉を濁す。

Cさんがそれ以上何も語らないので、Aさんもあえて何も訊かないことにした。生きていれば色々なことがある。ふと、それぞれの人生の歳月が身に滲みるような気がした。


Aさんが骨壷の前に正座して手を合わせると、Cさんは「ありがとう」と言って頭を下げた。

それからは酒やツマミを広げ、中学時代の思い出話に花が咲いた。Cさんは高校卒業後に地元を離れて就職し、それから紆余曲折あって現在はこの街の小さな工場で働いているという。その紆余曲折の中身については、彼は多くを語ろうとしなかった。


久しぶりに会った同級生との語らいは楽しかったが、話をしている最中にも、Aさんは何故か骨壷のことが気になって仕方なかった。変な言い方だが、「骨壷に見られている」ように思えてならなかったのだ。しかし表面上は平静を保ち、AさんはCさんの話に相槌を打った。

いつの間にか夜は更け、明日は休みだということもあり、AさんはそのままCさんの部屋に泊まることになった。



その夜中、Aさんはふと目を覚ました。部屋の中は薄暗く、豆電球のオレンジ色の明りがぼんやりと壁の染みを照らしている。

飲みながら話し込んでいる内に、いつの間にか眠ってしまったようだった。若い頃に比べ、すっかり酒に弱くなった。

身体には毛布が掛けられている。Cさんが気を利かせてくれたのだろう。携帯の時計を見ると深夜の二時を過ぎていた。


ふいに人の話し声が聞こえた。

部屋の隅の方で、誰かがボソボソと小さな声で話している。声の主はCさんだろうと思われた。例の骨壷が置かれた辺りから、薄汚れた畳の上を這うように囁く声が響いて来る。

亡くなった娘さんのお骨に話掛けているのだろうか。たった一人で死んだ娘の遺骨を抱え、どんな思いで生きているのだろう。そう思うとAさんは胸が詰まるような気がした。畳に横たわったまま、物音を立てないよう気を付けながら、そちらの方向へそっと顔を向ける。


それを見た瞬間、思わずギョッとした。

骨壷が置かれた小さな文机の前に、Cさんがこちらに背を向けて正座をしている。

そのCさんの傍らに寄り添うようにして、スカートを履いた四歳ぐらいの女の子が、そこにポツンと立っていた。Cさんの肩に手を置いて、僅かに頭を俯かせ、肩まで伸びた髪が横顔を隠している。

Cさんはその女の子に目もくれず、文机の上の骨壷に向かって、よく聞き取れない声で何ごとかボソボソと話していた。ときおり微かな笑い声も混じった。

女の子はそんなCさんにほとんど身体をくっ付けて、その横顔をじっと見詰めているようだった。しかしCさんがその女の子を気にする様子は微塵もない。それを見てAさんは、もしかするとCさんには女の子の姿が見えていないのではないか、と思った。


やがて女の子が、ゆっくりと頭をもたげた。Aさんの視線に気付いたように、そろそろと顔をこちらに向けようとしている。

髪の毛に隠れた顔が、徐々に露わになりつつあった。

Aさんは思わず息を飲んだ。そしてついに女の子の顔が正面からはっきり見えたとき、悲鳴を漏らさないよう、右手で咄嗟に自分の口を強く抑え付けた。


その女の子の顔には目も鼻も口もなかった。

それどころか、まるで火を消した後の蝋燭のように、顔中が顎の先までドロドロに溶けていたのだ。


血が凍る、とはこのことを言うのだろう。

身体は金縛りに遭ったように硬直し、顔を背けることも出来ず、目玉はただ女の子の異様な顔に釘付けになっている。


口を抑えた右手がワナワナと震えた。と、その気配に気付いたのか、Cさんが喋るのを止め、僅かに頭を起こした。

そして正座したままゆっくりと、Aさんのいる方向へと身体の向きを変える。

豆電球の明りに照らし出されたCさんの顔を目にしたとき、Aさんは今度こそ悲鳴を上げた。

Cさんの顔もまた、傍らに立つ女の子と同じようにドロドロに溶けていたのだった。





目が覚めると、朝になっていた。

気を失っていたのだろうか、あの後の記憶がまるでない。

そのときふと昨夜見た光景が脳裏に蘇り、Aさんは慌てて飛び起きた。

部屋中を見回したが、どこもおかしな様子はなかった。飲み散らかしたビールの空き缶やツマミの袋が、畳の上に幾つも転がっている。

文机の上にポツンと置かれた小さな骨壷は、窓から射し込む陽の光に照らされて、白く滲むように輝いていた。


昨夜、自分が見たものは夢ではないのか。そのあまりにも平穏な日常の光景に、Aさんは自身の頭が信じられなくなった。

そのとき玄関のドアが開いて、Cさんが入って来た。手にはコンビニの袋を下げている。

「よう、起きたか。おにぎり買って来たけど食べるか?」

にこやかな表情でそう話すCさんにも、特に不自然な様子はない。

座卓を囲んで二人でコンビニのおにぎりを食べながら、Aさんは自分が昨夜見たものはやはり夢だったのだと思い込もうとした。


そのときだった。


「そういえば夜中、何か見なかった?」


さりげなく放たれた言葉に、Aさんは思わずCさんの顔を見返した。


Cさんの表情はにこやかだったが、その目はまったく笑っていなかった。


「いや、特に何も…」


Aさんは咄嗟にそう誤魔化すと、これから用事があるからと挨拶もそこそこに、逃げ出すようにして自宅に帰ったのだった。


それ以来、AさんはCさんと会っていない。


一応、携帯の番号は交換したものの、あの異様な光景が思い出され、どうにもこちらから連絡する気にはなれなかった。Cさんからも不思議と電話もメールも来なかった。


それから一ヶ月ほどが過ぎ、やはりあの夜の光景は夢か幻だったのではないかと思ったAさんは、久しぶりにCさんの携帯に電話を掛けてみた。

しかしあれから解約したのか、あるいは最初から嘘の番号だったのか「この番号は現在使われておりません」という、機械的な音声が流れて来るばかりだった。

記憶を頼りにアパートへ向かったが、Cさんが住んでいた部屋はすでに空き室になっていた。アパートの大家も尋ねてみたが、彼がどこへ引っ越したのか、まるで分からないという。


その後、地元の同級生に連絡してCさんのことを尋ねると、意外なことが判明した。


Cさんは高校卒業後、一度は地元を離れて就職したものの、半年ほどで会社を辞め、実家に帰って来たという。

その後も別の会社や工場に勤めるも、結局は半年と続かず辞めるのを繰り返し、ここ数年はほとんど部屋に引き籠ったままだった。

それが一年ほど前、将来を心配した父親と取っ組み合い寸前の口論になり、そのあと僅かな荷物と預金通帳を手にして家を飛び出し、そのまま行方知れずになっているという。

念のために確かめてみたが、Cさんは一度も結婚したことはなく、もちろん子供もいなかった。


それならCさんが「娘のものだ」と言った、あの小さな骨壷の中身はいったい誰のものなのか。

そしてぼんやりとした豆電球の明りに照らされた、小さな女の子とCさんの、まるで蝋燭のようにドロドロに溶けた顔……。



あれから一年が過ぎたが、Cさんは現在も行方不明のままだ。


                

                 (了)







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